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第四章 大坂の棋士たち④

「商人が一番強いってのかい?」

 清三郎も思わず声が大きくなっていた。


 当時、将棋の段位持ちはほとんどの場合武士であった。

 特に江戸ではそれが顕著で、兵助たちのように町方で強い指し手が現れたのはごく最近になってからである。

 だから清三郎が驚くのも無理はない。


「大坂は商人の町やで。江戸じゃ侍が将棋でも幅を利かせてまんが、大坂じゃそうはいかん。鴻池のぼんは餓鬼の頃に、勝てたら一両やるわ、言うて町の将棋指しとよう指しとった。そのうちにどんどんつよなって、次は五両その次は十両言うてる間に大坂で一番強うなってしもたんやな」


 大坂では商人が一番強いという喜右衛門の説は、妙に説得力があった。

 あの『将棊図彙考鑑』にも、鴻池家の者あるいは奉公人として「無官の名寄」の欄に四人の名前が見える。

 それだけ鴻池家中では将棋が盛んだったようである。


「それでは鴻池の御屋敷に行けば、印将棋の場が立っていて、尚且つ大坂で一番強い棋士と戦えるということでございますか?」

 新兵衛が自分の頭を整理するかのように聞いた。

「そうゆうことになるな」

 喜右衛門は女中に出された茶をすすりながら落ち着き払って言った。


 新兵衛のほうは、膝前に置かれた茶に眼を落とし、じっと何かを考え込んでいた。

 稍あって、兵助のほうに顔を向き直って、

「兵助さん、鴻池の御屋敷へ行きましょう」

 さっきから何を逡巡していたか分からないが、新兵衛は遂に決断をしたようである。

 兵助としては大坂最強と目される鴻池との戦いは望むところであり、大坂に来た本当の目的と言っていい。

 だから、新兵衛の提案を受け入れない理由がない。

「行きましょう」

 兵助は大人びた口調で返事をした。


「新兵衛さん、あんた版元との商いはいいのかい?」

 横から清三郎が、当然の疑問を挟んだ。

 新兵衛が上方へと来た目的は、棋書の版権を求めであったはずである。

 今や版元はそっちのけで鴻池にしか興味がないようだ。


「あ、いやそれはつまり…」

 新兵衛が答えに窮していると、

「そこの小童と鴻池の実戦譜を出版すればええわ。江戸対大坂の将棋やったら客は大喜びや。きっと飛ぶように売れるでえ。な、新兵衛はん」

 意味ありげな視線を新兵衛に投げかけながら、喜右衛門が咄嗟に助言をした。

 新兵衛は一瞬虚を衝かれた様子を見せて、それから喜右衛門に対して深々と頭を下げた。

「助け舟を出して頂きありがとうございます。私はまだ商いの修行が足りませんな。喜右衛門先生は何もかもお見通しなようで」

「礼には及ばんで。あんたも分かってると思うがこれも取引や。わしのことは書かんでおいてくれよ」

 喜右衛門は白い歯を見せて豪快に笑って、新兵衛は黙って頷いた。


 喜右衛門の話によると、印将棋は今橋にある鴻池の本邸ではなく、大坂郊外にある鴻池新田会所というところで昼夜を問わず行われているらしい。

 翌日に喜右衛門の案内で会所に向かうことにし、その場は解散することになったが、帰り際、喜右衛門が兵助にそっと耳打ちした。


「名人は息災か?七郎の名もこの頃はこっちまで聞こえてきておるがどないや?」

 名人とは即ち将棋家七世名人三代伊藤宗看のことであり、七郎とは宗看の弟で、兵助とは友人でもあり好敵手でもある。


 兵助は二年前、盲人の強豪棋士多川勾当(こうとう)との死闘の際、多川から「お主は将棋家の者であろう」という身に覚えのない指摘を受けた。

 多川は結果的にその誤解から冷静さを失い、悪手を指して負けることになったのだが、その誤解を引き起こした原因というものは、どうやら兵助の使用していた扇子であったことが、その時の状況から推測できた。


 その扇子は七郎から譲り受けたものであったから、兵助は対局が終わって暫くしてから改めて七郎に由来を尋ねに行った。

 そこで初めて、七郎は将棋家の家人であり、その扇子に揮毫きごうをしたのは、七郎の兄・名人宗看であったことを知ったのである。


 兵助は実は、七郎が将棋家の御曹司だということを知ってもさして驚かなかった。

 七郎の棋力は常人の域をはるかに凌駕しており、それだけでなく立ち居振る舞いからは普通の棋士からは感じ取ることのできない気品というものが自ずから備わっていた。

 宗看と七郎は、兵助がぼんやりと想像していた名人の理想像と、寸分もたがわなかったのである。


 以来兵助は月に一、二度、本所にある伊藤家別邸で行われる指導対局に参加し、同齢である七郎としのぎを削ってきた。

 正式な門人になるには元服を済ませていなければならないから、あくまでも例外的な扱いだが、実態はほとんど正規の弟子と変わりがないものだったのは、七郎が兵助のことを高く評価していたからだろう。

 二人は何度も練習将棋を指し、兵助はその度に自分が強くなっていくのが分かった。

 無論平手では一度も七郎には勝てないままだったが。


 名人である宗看は、将棋家内でも別格の存在であり、兵助などは教えてもらうこともできないのが普通だった。

 兵助は一度だけ宗看と七郎の練習将棋を見たことがあったのだが、宗看の将棋は正に鬼神の如しで、七郎すら歯が立たない驚異的な強さであった。


 だから、兵助の二人に対する尊敬の念は非常に強い。

 その宗看と七郎を、喜右衛門は気安く知っているようなのである。

「名人も七郎様も元気ですよ。喜右衛門さんは二人をご存知なんですか?」

「いや知っているほどのもんやあらへん。もし名人に会うてもわしのことなんも言わんでええで」

 これまで大声でしゃべってきた喜右衛門だったが、この時は曖昧に笑って言葉を濁した。

 何か隠しているように感じた兵助だったが、敢えて別の質問をしてみることにした。


「そう言えば喜右衛門さんはおれたちが江戸者だってなんで直ぐに分かったの?おれが将棋家と知り合いだってのも何も言ってないのに見抜いてたのも不思議だ」

 今度は喜右衛門は自信ありげに笑って、

「そらお前の噂もここまで聞こえておったからや。わしはここに居っても江戸のことは何でも手に取るように分かっておるんや」

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