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第四章 大坂の棋士たち②

 平野屋のある今橋は、同じ船場の瓦町から数丁北に上ったところにある。

 その辺りは、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、鴻池善右衛門などの両替商が並び、日本一の金融街といえる場所であった。


 町からは相場の動きを意味するのであろう専門用語がそこかしこから聞こえてきて、兵助たちには居心地が悪い。

 早いとこ平野屋を見つけようと通行人に聞くと、こちらもあっさりと教えてもらえた。


 平野屋の外観は炭屋と同じような造りで、やはり外からは見えづらいが、奉公人の出入りは激しく、そのうち誰かを捕まえて声をかければ何とかなりそうである。


 新兵衛は注意深く観察し、前掛けをした気安そうな、手代と思われる男に話しかけた。

「失礼ですがこちらに藤蔵さんという方はいらっしゃいますか?」

 男は急な問いかけにちょっと身を仰け反らせて、

「わてが藤蔵でごあんすが…」

 眉をひそめて言った。


 その言葉に、むしろ驚いたのは兵助たちのほうだった。大助と幼い頃からの棋敵であったという藤蔵は、今では平野屋の手代にまで出世していたのである。

 このようなきちんとしたお店者たなものならば、無頼の徒一歩手前であった大助とはもう付き合いはないに違いない。


「憚りながら、大助さんの在所をご存知ではないでしょうか。藤蔵さんは大助さんとは古くからの友人と伺っておりますが…」

 新兵衛はあまり期待しないで尋ねたが、

「あんさんらひょっとして江戸から来はったんやあらしまへんか?大助が江戸でおもろい人らに会うたとよう言うてはりますわ」

 藤蔵はむしろ誇らしげに応えた。

 三人は思わず顔を見合わせた。そもそも大助が兵助たちのことを話題にしていたのも意外だが、藤蔵の言い方だと、二人は今でも繋がりがあるとみて間違いない。


「そ、それで、大助さんは今どちらにお住まいで?」

「大助の奴、暫く姿見えへんなあ思てたんやけど、一年ほど前にひょっこり大坂に戻ってきよって、今では堀江で棒手ぼて振りして暮らしてはりますわ」


 大店の奉公人といえば日々様々な業務に追われ、将棋を指す暇などないように思える。

 特に平野屋は庶民など相手にしていないのだから、小商人などと接点は少なく、交際も制限されているのではないかと思えた。併し藤蔵は、

「将棋指すんならわてら立場なんか知ったことやあらしまへんわ。ばんとはんも丁稚どんもみんなして指してはります。だんさんも将棋に夢中でっさかいわてらお勤めさえきちんと果たしておったら何もうるさいこと言われやしまへんのや」

 と笑った。


 日本初の全国将棋有段者名簿である『将棊図彙考鑑しょうぎずいこうがん』には、段位を取得していないが将棋を愛好する者や、将棋の発展に尽力した者を「無官の名寄」として記載してある。

 そこには、平野屋の当主である平野屋五兵衛の名も見えるので、藤蔵の言う通り、平野屋では旦那や番頭までもが将棋に熱中していたのだろう。

 兵助は、将棋が大坂でも広く愛されていることを知って、改めて嬉しい気持ちになった。


 三人は藤蔵に礼を言って早速堀江へと向かった。

 大助が住んでいるという堀江の町は、船場から西へ行ったところにある。

 商人の町である船場とは異なり、小規模な町家や長屋が立ち並ぶ雑多な町だったという。


 大助の住む長屋を探して堀江の路地を歩き回っていると、兵助は自分の住む深川と似ている様な、どことなく懐かしい感覚を覚えた。


 それもそのはずで、堀江の成り立ちは、低湿地だった荒野を幕府の肝煎りで新地開発し、市場の開設や遊郭の誘致など種々の優遇策を以て人を集めたことに始まる。

 これと似たようなことが深川でも行われているので、新地開発をする際の幕府の常套手段だったのだろう。


 また、川に囲まれて水運にも適していた堀江は、近隣諸国から材木が集まるようになり、それに合わせて多くの材木商が排出されたというところも深川に類似していた。


 大坂八百八橋と言われるだけあって、兵助たちはいくつも橋を渡って、入り組んだ路地を何本も抜けてようやく大助の住むとされる長屋を発見した。

 見た目は兵助たちの住む長屋と少しも変わらない、狭苦しい裏長屋である。


 木戸脇にいた大家に大助の部屋を尋ねると、快く教えてくれた。

 三人が部屋の前までやってくると、室内からは微かに物音が聞こえてくる。

 どうやら人がいるらしい。

 兵助は大助との再会を思い描いて、乱暴に戸を叩いてから、

「ごめんください大助さんいますか!」

 大声で呼びかけた。が、何の反応もない。


 中に人がいるのは間違いないので、辺りを憚らずに続けて何度も呼び掛けていると、ようやくうっすらと戸が開きかけた。

「大助さんこんにちは兵助だよ!」

 勢いに任せて戸を全開にして、三人は思わずぎょっとした。

 そこにいた人物は大助ではなく、年の頃なら二十四、五の、粋な年増の女だったのである。


「うちの人なら今商いに出かけてて留守やけど…。何ぞ御用ですかいな?」

 女は丸髷に結って、眉を落としている。

 ぽっちゃりとしているが、眼がまん丸と大きくなかなか愛嬌のあるお内儀さん風である。


 三人が予想外の出来事に沈黙していると、女はもう一度、

「何ぞ用ですかいな?」

 と眉根を寄せた。

 清三郎が兵助に尻を押されて、

「あ、あっしらは江戸から来た大助兄貴の将棋仲間でござんして、上方へ旅に出たついでと言っちゃあなんですが兄貴に一目会いてえと思って挨拶にあがってんで」

「なんやそないなことやったんか。あんたたちのことうちの人からよう聞いとります。あんたが清三郎はんね。そちらが兵助はん?恩人やあていつも言うてはりますわ」

 どうやら江戸から来た将棋仲間と聞いて直ぐにピンと来たようだ。

 恩人という言葉が大袈裟に聞こえて、兵助にはなんだか照れ臭かった。


「ささ、むさっ苦しいところやけどどうぞ上がってください」

 女はしきりに勧めるが、大助は不在であり、三人はどうしたらいいものかと逡巡している。

 すると後ろのほうから、

「今帰ったで!」

 威勢のいい声がした。

 驚いて振り向くと、そこには振り売り姿をした天秤棒を担いだ大助が、玄関先に立つ三人の姿を見て目を丸くしている。


「あれ?あんたひょっとして兵助はんに清三郎はんか?なんやなんやこないなところでどないしたんや!」

 長屋中に響き渡りそうな大声でわめきながら、担いだ天秤棒を放り出した。


 清三郎がまずは事情を説明しようとしたが、それを制して大助は、三人のことを無理やり部屋へと押し込んで、

「おかあちゃん酒や。お客さんに酒出してくれや」

 三人を強引に座らせてから大助も胡坐になって、

「わい所帯持ったんや。あんさんらに会うてから大坂に戻って真面目に働きだして。働きながらでも将棋は指せるさかい。そっからこのお花と知りおうて、今ではこうして暮らしとるってわけや。それもこれも兵助はんと清三郎はんのお陰や」

 聞いてもいないのに、大助は妻との馴れ初めを話し出した。

 妻のお花も大助の隣で相槌を打ったりしていかにも仲睦まじそうである。


「清三郎はん、あんた嫁はん貰わへんのかいな。いつまでも博奕ばかりにうつつ抜かさんと、はよええ人見つけて身固めんとあかんで。自分鳶やあ言うてたやろ。真面目に鳶やっとたら直ぐに所帯持てるやろに。考えてみい。仕事に疲れて帰っても嫁はんがあったかいおかずこしらえて待っててくれるんやで。こないに幸せなことないで」


 大助のお説教とものろけともつかぬ台詞を、清三郎は苦り切った表情で聞いている。

 早く話題を変えようと言葉の途切れる間合いを測っているが、大助は喋りをやめようとしない。

 それに痺れを切らした新兵衛が、横から無理やり口を挟んで言った。


「じ、実は手前どもは大助さんに折り入ってお願いごとがあってこの大坂までやって来たのです。手前は江戸の地本屋でございますが、大坂で棋書を扱っている版元をご存知じゃありませんでしょうか?版元ではなくても、大坂の将棋に詳しい方がいれば是非教えてください」

「なんや用があるんならはよ言うてえや。あんた知らん顔や思うてたら商人やったんか。棋書ゆうたら将棋の本のことでんな。———わい、ええ人知ってまっせ」

 大助の顔には自信ありげな笑みが浮かんでいる。

「そ、それはどなたですか?」

 大助が勿体つけるものだから、三人とも思わず身を乗り出して聞いた。


「そいつはな———原喜右衛門(きうえもん)の爺さんや」

 兵助たちには聞いたことのない名前だった。


 版元の名称とも思えず、新兵衛は困惑した様子で尋ねた。

「それは版元でございますか?」

「版元やない。版元やないが、版元よりずっと頼りになる爺さんや。わいも餓鬼の時分から世話になっとる。爺さんのせいでわいは道を誤ったとも言えるが…。とにかく爺さんは大坂に限らずこの日本中の将棋について何でも知ってるんや。版元にも仰山ぎょうさん知り合いがいるて聞いてるで」

「そ、それは心強い!それではつかぬことを聞きますが、大坂で大きな印をやっているようなところも喜右衛門さんは知っていますか?」

「爺さんに聞けばわけもないことやな」

 新兵衛は我が意を得たりといった表情で興奮している。

「じゃあ大坂で誰が一番強いかも分かるかい?」

 兵助が横から大声で尋ねた。


「兵助はんも相変わらずでんな」

 大助はニヤリと笑って、

「それも爺さんに聞けばすぐ分かるやろな」

 と、太鼓判を押した。

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