ポイズン
新月の夜。
ユウキの入学手続きのために、夫人は数日前からソコレイニ伯と国外へ渡航中で留守だった。
もし居たとしても、この広い屋敷だ。寝室を出入りしたところで、見つかる前に毒を飲んで死ねるだろう。そう考えていたが、これはこれで都合がよい。
ユウキとアサヒは、きっと神様のお導きだろうと考えた。
召使いが屋敷から引き払うと、二人で夫人の寝室へ行く。
重厚な木製扉を開けると、淀んだ空気が動きだした。
主のいないガランとした寝室。香水の残り香もない。
かくれんぼで散々入ったから、どこに何があるか二人は熟知している。
鏡台の近くに香水だけを並べた低い飾り棚がある。
世界各地から取り寄せたという、夫人自慢の香水コレクションだ。
目的に応じて使い分けるため、おびただしい数がある。
観音開きとなっているガラス窓のドアを開けると、アサヒは奥にある小瓶を指し示した。
「これよ」
紫色の真鍮製の小瓶は、手のひらサイズ。表に「ポイズン」と文字が書かれている。
「ね、ポイズンって書かれているでしょ。ポイズンは毒って意味。これは毒なのよ」
「分かりやすすぎない? 毒って、こんな風に置いておくもの?」
「間違えないようになっているんでしょ」
「そうか」
ユウキとアサヒは、香水に見せかけた毒の瓶を恐々取り出した。
複雑な模様が描かれた小瓶は芸術性が高く、毒が入ってるようにはとても思えないが、「ポイズン」と書かれているのだから毒なのだろう。
「これを飲めばすぐに死ぬんだね」
「そうよ」
いざ死を目の前にしたユウキは怖気づいてしまった。
瓶を握りしめたまま、しばらく動きが止まる。
「どうしたの? 怖くなったの?」
アサヒに声を掛けられて我に返った。
「違う!」
怖がっていると思われて恥ずかしくなる。
「どんな味がするんだろうって思っていただけ」
「味は、飲みやすいように甘くしてあるんだって」
「甘いんだ……」
それならためらわずに飲めるかもしれない。
「どうするの?」
「飲もう」
ここまで来て止めようとは言えない。
「僕たちの愛を貫くために」
「私たちの永遠の愛のために」
「神様、どうか祝福をください」
「お願いします。あの世でユウキと結婚させてください」
差し込み式の栓を外すと、二人は順番に小瓶から毒を飲んだ。
匂いがきつくて舌に薄く乗せる程度しか口にできなかったが、死ぬには充分な量だろう。
正座で神様への祈りのポーズをとると、目を閉じてその時を静かに待つ。
毒はやや苦く、甘くなかった。
いざという時に、怖気づかないようにするための嘘だったんだろうとユウキは考えた。
毒の味が甘いかどうかなんて、飲んだ人が証言するはずがない。その前に死んでいるだろうに。
そんなことを考える余裕があるほど、毒の回りが遅い。
(なかなか効かないなあ……)
薄目を開けてアサヒを見ると、こちらも変化がない。両手を合わせてじっとしている。
もっと、悶え苦しむと思っていた。
「アサヒ……」
声を掛けるとアサヒが目を開けた。
「なかなか死なないね」
「これ、毒じゃないんじゃないか? 味も甘くなかったし」
「母上が中身を入れ替えたのかしら?」
「本当に香水だったんじゃないかな」
「毒って名前の?」
「ああ。そうだ」
その後も体に異変は起きず、自殺は失敗。二人は自分の寝室に戻って寝た。
翌日、侍女の一人に「ポイズン」のことを聞いた。
「それは殿方を惑わす毒という意味で名付けられたものです。坊ちゃんにはまだ早いですよ」と聞いたことを笑われた。
それから、「坊ちゃんから香水の匂いがします。坊ちゃん、奥様の香水をいたずらしませんでしたか?」と、口から出る強烈な香水の匂いを不審がられた。
「えーと、えーと」
焦っているとアサヒがやってきて、「私が匂いを嗅いでみたくて、香水の蓋を開けて体にこぼしてしまったの」と胡麻化してくれた。