ツヤマドルト侵攻す
それは突然海の向こうに現れた。
水平線の向こうから迫りくる多数の巨大戦艦。それらが領海を埋め尽くしていく。艦上で翻るは、ツヤマドルト帝国の戦旗。
あまりの迫力に、それを見た人が恐怖でその場から逃げ出すほどだ。
ツヤマドルト帝国がついにバラストゥルを侵攻開始した。
その一報を聞いたサリルリ妃は「早く! 早く追い返しなさい!」と怒鳴るばかり。
戦艦が接岸するやいなや、中から大勢の兵士が上陸する。
バラストゥル軍も黙って見ていたばかりではない。
国内に非常事態宣言を出すと、戦車で海岸を囲んで砲撃とともに、兵士同士で戦った。
撃退成功。ツヤマドルト軍は戦艦に引き上げた。しかし、海上に戦艦は留まり、海岸線を挟んで両軍のにらみ合いとなった。
サリルリ妃は、気が気ではない。
毎日国防大臣を呼んで叱りつけた。
「我が国にも軍艦があったはずです! あれで挟み撃ちにしなさい! いつまで黙ってみているのです。早く砲撃しなさい!」
「それが、戦費不足で充分な弾がないのです」
「それならバリステとサラトゥーンに協力させなさい!」
「それが、拒否されまして」
「どういうこと?」
「先日のメローア妃とアベユマ妃の死刑宣告に、両国とも激怒しておりまして、執行したら同盟を破棄すると言われております。当然、強く要請できる状況ではありません」
「どうしてそれを言わなかったの⁉」
何を今さらなことを言うのだと、国防大臣は呆れた。
「承知の上でのご判断だと思いました。バリステとサラトゥーンが、ツヤマドルトと手を組んでいないだけ、まだマシです」
三国に手を組まれたらバラストゥルは終わりだ。
サリルリ妃が国の実権を掌握するために、将軍の首を挿げ替え、予算を削って軍を弱体化していたことが裏目に出た。
軍人が力を持てばクーデターを起こすと、過度に恐れた結果である。
「つまり、あの目障りなツヤマドルトを追い払うことが難しいというの?」
「そうなります。ツヤマドルトと我が国では規模が桁違いです。あちらは補給軍が次々と到着しております。翻ってわが軍は、支援がありません」
「そんな……」
サリルリ妃は、へなへなと玉座に倒れ込んだ。
「これからだと思っていたのに……」
「どういたしましょう」
「それを考えるのがあなたの仕事でしょ!」
「どのような戦略を立てるにしても、お金がなければ実行できません。もうお金がないのです」
「だからと言って、負けるわけにはいかない。お金、お金……。そうだ! 戦争国債を発券して全国民に買わせればいい。さあ、すぐに刷るのです!」
「御意」
国防大臣は走っていったが、これ以上サリルリ妃の近くにいたくなくて逃げたようなものだった。
「まったく無能ばかり集まっているんだから」
横にいた侍従長カンランに言った。
「どこか安全な場所へ避難する」
「それでは臣下や国民に示しがつきません。前王のように戦線にとは申しませんが、軍部の後ろから兵士を鼓舞した方がよいかと」
「はあ? 私に戦争に参加しろと言うの?」
「この国の元首となられるのでしょう」
「うるさい! お前は首だ!」
「当然のことを申したまでです。これがサリルリ様を救うことにもなります」
「もうよい。下がれ」
追い払われて、カンランは下がった。
ルルはその様子を斜め後ろで見ていた。
(いよいよ、始まったな……。聞こえてくる、亡国へのデスマーチが。この国は滅びる。サリルリという愚かな人間が、他人を殺して国を治める地位についてしまったがために)
数日後、サリルリ妃のところに国防大臣が駆け込んできた。
「大変です! 前線を突破されました!」
「どういうこと? 追い払ったんじゃなかったの?」
「敵艦隊の射程距離が予想より長くて、前進した兵士たちに着弾、壊滅しました。上陸した敵兵士たちが進撃して、ここに向かっています」
「ひい!」
サリルリ妃は思わず悲鳴を上げて震えた。
そこに侍従長カンランまで飛び込んできた。
「サリルリ妃を玉座から引きずりおろせと、民衆が蜂起して暴徒化しています!」
「は? この大変な時に?」
「サリルリ妃陛下への積もり積もった不満が爆発したようで、今回の戦争もサリルリ妃が元凶だから、敵に首を差し出せと市中で騒いでおります。国債を押し付けようとしたことにも、民衆の怒りを増幅させたようです。これ以上絞り取るつもりかと」
「冗談じゃないわ! 全員ひっ捕らえよ!」
「戦時対応で警察は人員不足です」
「ク……」
さすがにサリルリ妃も万事休す。
(何とかしなくては……)
いよいよ、あの作戦を使う時が来たと考えた。
「とにかく、ぼやぼやしていないで両方食い止めるのよ!」
「御意!」
国防大臣とカンランは、急いで出て行った。
「ルル、ついてきて!」
サリルリ妃は、ルルだけを連れて自分の衣裳部屋に入った。
「何でしょうか」
「私のドレスを着なさい! これよ!」
それは戴冠式用に完成したばかりのドレスだった。
まだマネキンに着せてある。
「これを私が着るんですか? なぜですか?」
「私の影武者になってもらう」
「影武者?」
「あなたをずっと近くに置いておいたのは、この日が来た時のため」
「私を身代わりにするおつもりだったんですか」
「そうよ。あなたは私と背格好がほぼ同じ。私のドレスを着て、かつらを被って、ベールと扇子で顔を隠せば誰も見抜けない」
「でも、声が違います」
「私の声を知らない人物になら、分かりはしない。カンランにすべて言わせればいいわ」
「はあ……」
「さっさと着ている服を脱ぐ!」
ルルの軍服をはぎ取るように脱がせた。
「さあ、早く着て!」
マネキンから外した豪華なドレスに着替えさせると、ピッタリだった。
「私ほど胸がないけど、詰め物で誤魔化せるわね」手近なタオルを胸元に突っ込む。
「よし。同じようになった。次は顔」
サリルリ妃は、自分の化粧品を使ってルルの顔を自分に似せて化粧した。
頭には準備していたカツラを被せた。
鏡を見ると、サリルリ妃がそこにいるようだ。
「遠目なら分からないわね」
フードとベールで目元を隠し、手に大きな扇子を持たせて鼻から下を隠すように指示する。
「出来る限り、顔を見せないように」
「これで騙せるでしょうか」
「あなたが余計なことを喋らなければ大丈夫」
サリルリ妃は、何かの液体を持ってきた。それをショットグラスに注ぐとルルに飲ませた。
「さ、これを飲みなさい」
「グエ! オエ! オエエ!」
飲んだとたん、ルルは喉を掻きむしって苦しんだ。
「すぐに治まるから」
「ゼエ……ゼエ……」
しばらく待つ。
「あー、って、声を出してみて」
「ブワァ……」
声ではなく、音である。喉から絞り出した音。汚い音。ルルは、ルルは喉を潰されて声が出せなくなった。
サリルリ妃は、それを聞いて安心した。
「これで、声からばれることはない。さあ、私の役を完璧にこなすのよ」
「アア……」
「あなたはよく忠誠を尽くしてくれました。ただし、私の目を盗んでユウキに近づいたことを除けば。クロバネに聞きましたよ。本来なら処刑するところでしたが、私の影武者を立派にこなせば、すべて許して差し上げましょう」
サリルリ妃は、すべて知っていた。
「次は私の番ね」
サリルリ妃は、ルルが脱いだ軍服に着替えた。
綺麗にまとめ上げていた髪をほどき、ハサミでざくざく切ってショートヘアにする。
化粧も地味なものに変えた。
サリルリ妃の姿は、すっかり普通の女軍人となった。
「これで、私の正体に誰も気づかないでしょ」
ルルの体を押して玉座に無理やり座らせた。
衝立を前に置いて、簡単にばれないようにする。
近衛兵たちを呼んで、裏から命じた。
「衝立の先には決して入らないように。私の姿を誰にも見せないように護りなさい」
「承知しました」
声だけでサリルリ妃と判断した近衛兵たちは、衝立の前で警戒を始めた。
裏からコッソリと部屋を出る。
近衛兵たちはルルの回りにつけて、自分は目立たぬようクロバネだけを連れて逃げるつもりだ。
サリルリ妃は、別室で待機していたクロバネを呼んだ。
クロバネは、別人のようになったサリルリ妃を見て驚いた。
「その恰好はどうしたんです」
「どう? 私だと思う?」
「声を聴かなければ、とてもサリルリ妃とは思えません」
「それなら大成功ね」
さすがは元女優だとクロバネは思った。どんな役でも年恰好でも演じ切れる。
「クロバネ、私と逃げるのよ」
「ここから逃げ出すんですか」
「そうよ。影武者は立てた。敵はルルを私だと思って殺すでしょう。その間に外国へ逃げる」
ただの女優に女王役など、土台無理な話だったのかとクロバネは落胆した。
しかし、それでも自分はサリルリ妃と行動を共にするしかない。
起死回生の秘策で、いつしか政治の表舞台に返り咲くことも不可能でないはず。
そう自分に言い聞かせる。
「分かりました。どこまでもお供します」
二人で王宮の裏門から密かに逃げ出した。




