王子誕生3
「せめて、せめて、名付けを……」
「そんなもの、どこぞで野垂れ死ぬものにいりませんでしょう。無駄無駄」
さすがに高笑いは控えたが、それでも笑いを堪えながらサリルリ妃は王の後をついて出て行った。
メローア妃は三日三晩泣き続けた。
その鳴き声と嗚咽は、王宮の外まで届いたという。
「赤子になんの罪がありましょう。すべての子供は、祝福されて生まれてくる権利があるというのに」
王妃の嘆き声に胸を打たれるものも続出し、「嘆きの妃」という異名までつけられて噂された。
それを聞いた旅の吟遊詩人は、王都ルバロンの真ん中で歌に乗せた。
――嘆きの妃が泣いている。
生まれた我が子と暮らせぬ悲しみが
胸を突き刺し、我が身を引き裂く
母の悲しみ苦しみは月とて星とて慰められぬ――
一時期庶民の間で流行ったのだが、それを良しとしないバラストゥル王によって禁止令が出たほどだった。
バラストゥル王は、いつまでも臥せっているメローア妃に、これ以上泣くことを止めるように無茶を言った。
「どうしてそんな冷酷なことができるのですか。陛下の子なのですよ」
「わがバラストゥル国の害となるものは、たとえ小さな芽であっても見逃してはならぬのだよ」
そうやって政敵を追い落とし、陰謀を避けて権力の座に就いた。いかにも王らしい考え方。
この戦乱の世では、たとえ実の親子であっても権力を巡って殺しあうことが普通にある。
「そうだ、祈祷師アグワイネに祈祷させよう。今度生まれてくる子が我が国を繁栄に導く存在となるように」
「陛下……」
「だから、機嫌を直しておくれ。我が国のために、次の子を産んでおくれ」
バラストゥル王は、産後の上に精神的にも立ち直れていないメローア妃を抱いた。
メローア妃に「断る」という選択肢はなかった。
すべては王のお気に召すまま。
侍女トウアが王宮に戻ってくると、メローア妃はさっそく部屋に呼んだ。
「王子の身はどうなりましたか?」
「あらかじめ話を通しておいたソコレイニ伯爵家に無事預けられました。予定通りです」
「ソコレイニ伯?」
ソコレイニは貴族で爵位は伯。
伯爵夫人は、メローア妃と同じバリステ国出身で旧知の仲だった。
まったく知らない他人よりは安心できるだろう。
祈祷師アグワイネを呼んで呪われた王子と言わせたのは侍女トウアだった。
サリルリ妃もアグワイネの言葉には耳を傾ける。
下手に関わると呪いが掛かると思わせたことで、二度と近づかないだろうとの計算だった。
そのことをメローア妃にはあらかじめ言わなかった。
知っていると、サリルリ妃を騙せないと思ったからだ。
メローア妃が三日三晩泣き続けたことで、サリルリ妃もすっかり騙されて安心しているようだ。
「お乳は足りているかしら」
「ソコレイニ伯と夫人の間には、アサヒという娘が先に誕生しております。お乳に問題はないと思われます」
乳飲み子を預ける先には乳母が必要。最近出産したばかりのソコレイニ夫人ならお乳も出る。それもあって、ソコレイニ伯爵家を養育先として選んだ。
侍女トウアの奔走により、我が子の人生に光が差した。
王子として生きることはできないが、一人の人間として生きることができる。
メローア妃は少しだけ元気を取り戻せた。
「その子と王子は、姉弟のように育つのですね」
「きっと、双子のように仲良くなるでしょう」
「私が母だと知らずに育つのですよね」
「ソコレイニ家では、身寄りのない親戚の子を引き取ったことにしております。身分を明かすことは固く禁じております。そうでないと、いつあの悪魔の耳に入り、命を狙われるか分かりません」
二人の言う悪魔とは、サリルリ妃のことであった。
王宮にいては、いつ殺されるかとおびえて生きることになる。
それに比べれば、ソコレイニ伯爵家で育つほうが、たとえ王子という身分を与えられなくても何千倍も幸せだろう。
「せめて、名前だけでもあの子に母として贈りたいのですが」
「分かりました。どういたしましょう」
「そうね……。ユウキにしましょう」
「ユウキ。承知いたしました。ソコレイニ伯にお伝えいたします」
侍女トウアは、王宮をこっそりと出て行くとソコレイニ伯爵家に向かった。
ソコレイニ伯爵家に着くと、王子の様子を見た。すやすやと寝ている。
「寝る前にお乳を飲みました」
「元気そうですね」
応対したのは夫人のみで、ソコレイニ伯の姿は見えない。
「ソコレイニ伯は?」
「別宅へ帰りました」
「二人は別々に暮らしているのですね」
貴族の夫婦が別居することは、この国では普通のことである。
別宅にはたいてい愛人がいる。
つまり、正式な夫婦は貴族として体面上の契約であり、本当の愛は愛人と確かめ合う。
それがこの国の習わし。
ソコレイニ伯爵夫人は、バラストゥル王の愛人である。メローア妃はそのことを知らない。
夫とは別居中だから、アサヒも王の子である可能性がとても高い。
侍女トウアは、忠誠心がとても高いため、見たこと聞いたことでもメローア妃のためにならないことは知らせない。
メローア妃は、ソコレイニ伯爵夫人を同郷の友としてとても信頼している。夫の愛人だと知って、心が傷つかないわけがない。
二人のお子を亡くし、やっと生まれた子と引き離されたメローア妃。今は、心身を回復させることが最優先だ。
「王子の名前ですが、ユウキとしてください。メローア妃のご要望です」
「承知いたしました。ユウキ。とてもいい名前です」
「アサヒもとてもいい名前ですよ」
「ありがとうございます」
「二人を双子のように育ててください。そのための支援を全力で行います。くれぐれも口外なさらないように」
自分が頻繁に訪問しては、サリルリ妃に感づかれる危険がある。
今後は代理の者が来ることを伝えた。
こうして、ユウキとアサヒはソコレイニ伯爵家で一緒に育てられることになった。
周囲からは仲の良い双子として見られており、ソコレイニ伯爵夫妻はその誤解を否定しなかった。