襲撃された伯爵邸
静かで暖かな夜だった。雲も風もなく、月が綺麗に浮かんでいた。
いつものように、夕餉の食卓を囲んだユウキとアサヒとソコレイニ伯爵夫人。
最後の料理が終わってくつろいでいると、夫人が「たまには三人で演奏会をしない?」と提案した。
クラシック楽器の演奏は貴族のたしなみの一つ。夫人はピアノ、ユウキとアサヒはバイオリンを演奏する。
ソロで奏でたり、セッションしたりと1時間ほど楽しんだ。
終わったときは、三人とも晴れやかな気分となった。
夫人は殊の外喜んだが、すぐに寂しげになった。
「三人での合奏も、しばらくはお預けね」
そのようなことを言うものだから、楽しかった気分もどこかへ行ってしまう。
夫人にとっては、三人で暮らした思い出作りだったのだろう。
「また、三人でセッションしましょうよ」
アサヒは、寂しそうな夫人を健気に励ました。
泣きたいのはこっちなのにと、ユウキは冷ややかにそれを見る。
一方的に寄宿学校入学を決めておいて、寂しがるのは自分勝手じゃないかと思うのだ。
「今夜が最後じゃないよ。帰省だってできるんでしょう。その時にすればいいじゃない」
「ええ。そうね。最後じゃないわよね」
夫人は、滲む涙をハンカチで拭きとった。
「そろそろ、部屋に行くわね。あなたたちも寝なさい」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
夫人が残り、ユウキとアサヒは自室へ入る。
それぞれの部屋は、隣り合っている。
ベッドに入ったユウキは、なかなか寝付けなかった。
入学のためにこの屋敷を出て行く日が近づいている。
入ってしまえば卒業まで6年間、寄宿舎で過ごすことになる。
それは構わないのだが、アサヒは在学中にどこかの貴族と婚約して、卒業と同時に嫁ぐことになるだろう。
それは貴族の慣習で、誰も疑問に感じていない。
貴族の夫人たちは暇なのか、しょっちゅうお茶を飲みに来る。
その際に、どこそこの子息は格好いいとか、誰の令嬢が器量良しだとか、婚約したの、結婚したの、そんなことばかり話題にしている。
ユウキとアサヒに向ける目もその視点だ。
ユウキがどんな青年貴族に成長するかとか、アサヒが淑女としてきちんと躾されているかとか、品定めのために遊びに来ていることも知っている。
特にアサヒのことは、良い縁談があればどこの国でも良いと夫人が公言していた。
いつもメローア妃を引き合いに出していたから、もしかしたら羨ましかったんじゃないかとユウキは思うようになっていた。
「アサヒが自分から遠く離れてしまうのかなあ」
そのことを考えると胸が締め付けられる。
仰向けからうつぶせになり、横を向いて寝ようと努力するのだが、全然寝られなくてウンウンと苦しんだ。
「喉、渇いたなあ……」
何か飲もうと起き上がる。水差しが窓際に置いてあるので近づいた。
月がどこにあるかを知りたくて、窓の外を何気なく見る。
その時、庭にいくつかの人影があることに気付いた。
どうみても怪しい動き。
「泥棒だ!」
直感でそう思ったユウキは、急いでアサヒの部屋に向かった。
寝ているアサヒを起こす。
「早く起きて!」
「うーん……。ユウキ?」
アサヒは半分寝ていてぼんやりしている。
「賊が来ているんだ」
「賊?」
寝ぼけまなこが一変する。
「ああ、そうだ。どこかに隠れよう」
「お母さまが心配だわ」
「そうだね。母上の寝室へ行ってみよう」
二人が廊下に出ると、すでに賊が数名侵入していて部屋を物色していた。
「いたか?」
「いや、部屋が多いな」
「見つけ次第、全員殺せ」
「あっちで見かけた使用人たちを殺した」
(なんだって!)
ユウキとアサヒはショックを受けた。
この家には三名の侍女が住み込んでいる。
外には庭師が一名。
(彼も殺されてしまったのだろうか)
「この家の息子を捜せ。どこかにいるはずだ。見つけたら容赦なく殺せ」
こいつらは単なる泥棒ではない。
目的は、ユウキ。そして、口封じのために屋敷の人間を全員殺すことのようだ。
賊が階段を上がってきた。見つかったら最後だ。
「ユウキ、どうしよう」
アサヒは怯えている。
「こっちだ!」
ユウキはアサヒの手をしっかり握って走った。
駆け込む先は夫人の寝室。そこには、かくれんぼで見つけた隠し通路がある。
毒を盗もうと先日忍び込んだ時でも、閉め切った部屋とは思えない空気の流れを感じた。
香水が大好きな夫人が数日留守にしただけで匂いが消えるはずがない。
クローゼットの隠し通路から外気が入ったからじゃないかとユウキは考えていた。
「あの隠れ通路がまだ使えるはず! 奴らより早く行けば逃げ切れる!」
望みをつなぐ。
廊下で賊と鉢合わせしそうになったが、大きな壺に身を隠してやり過ごした。
「お母さまは無事かしら」
「きっと大丈夫だよ。もしかしたら、一足先に逃げているかもしれない」
寝室に飛び込むと、夫人がベッドの中で死んでいた。
首を切られて胸を刺されている。
「ヒイ!」
悲鳴を上げようとするアサヒの口をユウキが抑えた。
「シッ」
「お母さまが!」
「寝ている間に殺されたんだ」
「そんな!」
まるで寝ているようで、暴れた様子はない。
賊の侵入に気付かず、殺されたことにも気付かず亡くなったに違いない。
あれが本当に最後のセッションとなってしまうとは、夢にも思わなかった。
いつかまたできる。
数時間前には何の疑いも持たずにいたことが、二度と手の届かない遠くに行ってしまった。
母の亡骸に縋り付いて泣こうとしたアサヒの体を、ユウキが無理やりに引っ張った。
「ここにいては危険だ!」
「でも! お母さまが! 私、ここにいる!」
「馬鹿なことを! 早くここから逃げよう」
逃げるよう促してもアサヒは動かない。
ユウキは懇願した。
「お願いだよ。逃げておくれよ」
「お母さまを置いていけない……」
「僕もだよ。だけど、ここにいては奴らが戻ってくるかもしれない。外に出て助けを求めよう」
「もう会えないなんて、悲しい!」
押し問答していると、ユウキは臭いの変化に気付いた。
「なんか、臭くないか?」
ドアの隙間から黒煙が入ってくる。
「奴ら、火を点けた! これ以上ここにいたら焼け死んでしまう!」
二人は慌ててクローゼットに飛び込んだ。
「あわわわ……」
庭師のユハイムは、嘗めるように広がっていく炎を茫然と眺めていた。火の勢いが尋常じゃない。あきらかに放火だ。
助けに行こうにも、屋敷内はすでに煙が充満していて進めないだろう。
屋敷から賊一味が出てきたので、慌てて樹木の裏に隠れた。
賊はしばらく遠巻きに火の回りを眺めた。
「息子と娘は見つかりませんでしたね」
「地下も見たか?」
「確認しましたが見つかりませんでした。爆弾を投げ込んでおきましたので、いたとしても爆発で死ぬでしょう。屋敷内に逃げ場はありません」
「うむ。屋敷のどこかに隠れていたとしても、この火では絶対に助からないな。地下に逃げれば爆発に巻き込まれる。サリルリ妃には全員死亡と報告しておこう。よし、引き上げるぞ」
賊はサリルリ妃の手先だった。
ユウキ殺害目的で押し入り、結局見つけられず。
どこかに隠れているなら、屋敷ごと焼き払って殺すよう最初から計画していたのだ。
賊一味は去っていった。
火の手は、あっという間に屋敷を飲み込んでいく。
「もう何もかも終わりだ……」
ユハイムは、その場で泣き崩れた。
その肩をポンポンと誰かに叩かれた。
「うひゃああ! 誰にも言いません! お助けを!」
まだ賊が残っていたと思ったユハイムは、必死に命乞いをした。
「ユハイム?」
「え? その声は……」
ユウキとアサヒが無事な姿を見せたので、また腰を抜かした。
「うわああ! 幽霊!」
「違うよ。僕とアサヒは助かったんだ」
「あの火事の中から? お二人は不死身ですか?」
ユウキとアサヒは顔を見合わせた。
「ユハイムは、隠し通路のことを知らないの?」
「隠し通路? 何のことです?」
「池の近くの東屋に出入口があるんだけど」
「庭仕事で気づかなかった?」
隠し通路は、夫人の寝室から東屋に通じていた。
「へえ……、木の蓋があることは知っておりましたが、単なる物入れと聞いておりました。頼まれてたまに掃除などしておりましたが、行き止まりと思っておりました」
「そうか。知らなかったんだね」
「それで、奥様は?」
「あいつらに殺された。侍女たちも全員殺された。無事だったのは、僕とアサヒとユハイムだけだよ」
「そうでしたか。悲しいことです。奥様には親切にしていただきました。旦那様の気持ちを考えると、とても辛いです……」
侍女の一人に好意を寄せていたのだが、想いを伝えることもできなかったなと切なくなった。
「これから父上に連絡を取って、迎えに来てもらうつもりだ」
別宅のソコレイニ伯は無傷なので、ユウキとアサヒを問題なく引き取るだろう。その後は寄宿学校行きだ。
このような大事件があったことで、二人は、寄宿学校にいたほうが安全に暮らせるだろうと考えた。
ユハイムは、屋敷が無くなってしまっては、今後の身の振り方を考えなくてはならない。二度とこのようなよい就職先は見つからないだろうと、軽く絶望する。
「ユハイムのことも、僕たちから父上にお願いするよ」
「ええ! いいんですか?」
「もちろんだよ」
ユハイムは、泣いた。
ソコレイニ伯の別宅に引き取られると、今回の首謀者はサリルリ妃だと、ユハイムは賊から聞いた話を全て報告した。
それからしばらくして、ユハイムの無残な死体が運河に浮いたのだった。
 




