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マキバ

作者: 橘葵

短編にして出し直しました。

1

「例えば、雨が降ったから傘をさす。当然だ。


青い空に憧れる。夢だ。


雲が綿菓子のように見える。食欲だ。


でも、ぺンギンは空を飛べない。当然だ。


苦しくてもがいてる。人だ」



 彼女はそこまでを一息に読み終えると、もと座っていたベンチに腰を掛けた。


 僕はこういう場面には一度も遭遇した事が無かったので、どうすることが正解なのか知らなかった。

 声を掛けるべきか、それとも通り過ぎるべきか、そもそも彼女は僕の存在に気づいているのか。

 どうでもいいようで、きっとどうでも良くないことだと思う。このあとの僕の言動は僕の人生の何かを変える、そう確信していた。


「あの、篠田さんでしょ?こんな所でどうしたの」

 僕は言った。でもそれは実はこうするのが一番簡単なことだったからだ。

 抑えられるはずのない好奇心を抑えるより、よっぽど簡単だった。


「白々しいね、坂田君。知ってるよ、そこで初めから見てたの」


 普段と違う彼女の目が僕を捉えた。

 それで僕は心臓がついてるのを実感した。走った時より、怒られた時より、怒った時より、今の方がよっぽど早くそれは動いていたから。


「ああ、バレてたの?ごめん。全部、聞いちゃった」


 でも、何でそんな詩集を読んでたの?


 そんな言葉は付け加えなかった。彼女は凄く察しが良いから、もうきっと気づいているはずなのだ、そんなことを聞きたいことぐらい。


「へー、。

でも、坂田君には関係ないから、また明日。、って言えばそれまでだけど、それで終わったら本当にそれまで。発見も発明も進歩も無い。私はそんなのは嫌。だから教えるよ、私が何でこんなことしてるか」


 回りくどかった。、どうにも彼女の言葉はネチネチと納豆のように粘っこく、糸のように絡まっていた。いや、僕もか。でも、僕は少なくとも頭の中だけだ。


「私、空を飛べないの。その事に気づいたのが10歳の時だった」


 篠田さんは遠くの空を見つめながら何やら不思議な話しをしだす。


「当然、のことだけど。その当然は私を何故だか凄く失望させた。当たり前を当たり前として当たり前に受け止める事が出来なかった」


 篠田さんは反転して僕の方を向く。


「そんな時、この詩集に出会ったの。何だか、ペンギンと一緒だと思ったらどうでも良くなっちゃった」


 篠田さんは恩を忘れない、義理堅いタイプらしくて、鞄にはペンギンのキーホルダーがいくつもついていた。


「あっ、それ持ってる。塗りペン、でしょ?」


 塗りペン、女子中高生を中心に人気のキーホルダーだ。しかも、関東のゲームセンターの景品でしかとれないことでも有名だ。たまにネットで出品されているのを見かけるが、小さいものでも3000円ぐらいする。なんでも一つ一つ手作りで流通が凄く少ないらしい。


「意外、知ってるんだ。こんなに可愛いの、興味持つの女子だけだと思ってた」


「まぐれってあるんだね。たまたま運が良くてとれたんだよ」


 僕は塗りペンのボールチェーンの部分を、二本指でつまみながら、誰かからか忘れてしまったが、貰い物のそれを、あたかも自分がとったかのように見せる。

 本当はクレーンゲームは得意じゃない。むしろ苦手だ。駄菓子一つをとるのに二千円に羽が生えたこともあるほどだった。


「へー、これは以外な発見だ。まさか、坂田君がクレーンゲーム得意なんて」


 得意、なんて言ったつもりはなかったが、まあこの際どうでもいい違いかもしれない。彼女が、「発見」をして満足なら今はそれでいい気がする。

 それに僕の発見の方がよっぽど凄いはずだ。


「まあ、発見をしたのは篠田さんだけじゃ無いよ。僕もある。クラスで騒がしい割に付和雷同、いわゆる一軍の女の子が空に向かって詩集を読み上げてる所を発見したんだ」


「へー、その人のことをそんな風に思ってたんだ。なんか腹黒いね、坂田君って。でも、どこにでもいそうじゃない、そんな女の子。どこか気に食わないの?」


「別に嫌いな訳じゃないよ。ただ、本当の彼女はどこにいるのか分からなくて少し怖かったんだ。でも、この公園に隠れてたみたい」


「ふーん、。」


 急に大きな風が吹く。

 もう太陽は沈んでたから、メロスなら間に合わないし、ドラキュラなら棺桶から出てきてもいいかもしれない頃だ。

 木々が大きく揺れる。


「坂田君、また会うかもね。例えばこの公園で、8時に、このベンチで」


 篠田さんはふらりと、何処かに消えた。ここら辺は暗くなると視界が悪くなるから、人影も分かりにくい。


 さっきの彼女と学校での彼女はあくまでも別物ということだろう。いつも学校で会ってるのにわざわざあんなことを言うなんて。

 でも、僕は公園にいる篠田さんは何だか好きだ。彼女らしくて、それでいて自由で。がんじがらめの囲いの中から、夜な夜な抜け出す羊のように思えた。いや、この場合はペンギンの方がよさそうだけど。



2 

  騒がしいのはいつものことだけど、その騒がしさの中でも今日はとりわけ彼女の声だけよく聞こえてきた。

 僕はまさか、羊の声の中からペンギンの声を聞き分ける日が来るとは思いもしなかった。


「えー、やばい。マジで。それな」


 こんなのの、どこが人間の言葉だと言うのだろう。中身がない。ピーマンの方がまだ種がある分だけマシだ。


 不意に後ろから声が聞こえた。

「でさー、どうなの?一也はさ?」


「えっ、どうって何が?、」


「彼女だよ、彼女。できた?、てか作る気ある?」


 相変わらずでかい竹田の弁当箱。それに、口に物入れながら話す癖が未だに治ってないから、何言ってるか半分ぐらいしか分からない。


でも、良い奴なのは知ってる。漫画の言い訳みたいな理由で遅刻してくるから。おばあさん助けたり。痴漢捕まえたり。


「俺はいいや。そういうの。なんか面倒くさそうだし」


「いや、そう言わずにさー。誰か気になる人とか、タイプでもいいから」


「んー、難しいけど。優しい子かな?」

 まあ、適当だけど。


「ほほー、成程ね。、このクラスで言うと芹沢さんみたいなタイプだ」


 竹田は笑顔を絶やさずにいる。何か言いたげだ。でも、我慢してる。そんな顔。

 優しい子、なんて適当なこと言わない方が良かった。


「まあ、そんな感じ」


「へー、そうか。芹沢さんが好きかー。あの、超絶美女ピアニストのねー」


 本当は逆。つまり、芹沢さんが僕のことを好きなんだ。そして、竹田は芹沢さんが好き。

 芹沢さんのことに関しては、またまた廊下で盗み聞きしてしまった。それも、結構最近。

 竹田は、見てれば分かる。大体、席が隣になってたあたりから、そんな気はしてた。だけど、最近はなかなか顕著に目で彼女のことを追っていた。それで確信に変わった。


「いや、何もそこまで言ってないだろ」


「照れんなって」


 教室の外から声が聞こえる。

「竹田ー、ちょっといいか?」


 教師の綾瀬が竹田を呼ぶ声だった。きっとあれだ、補習についてだ。竹田は常連だし。


 去り際に竹田が早口に言う。

「あっ、俺、今日補習が長引きそうだから先帰っててな」


半分、いや全部ちゃんと聞こえた。何だ、竹田お前エビフライくわえてても、喋れるじゃん。



3 

 隣にいるのは芹沢さんだ。正直に言って気まずい。竹田のやつ、このためにわざわざ僕を一人で帰らせたのか。



 芹沢さん、頬を赤らめないで欲しい。こっちはもう知っちゃってるんだから。

 僕の歩幅にいじらしく合わせないでもいい。大変でしょ。

 泣きそうに笑わないで欲しい。こっちまで苦しくなる。

 何もしないでいいよ。僕は何も出来ないから。



「今日はありがとう。わざわざ帰り道に付き合わせちゃって」


「いいよ、全然。それより気をつけて、もうかなり暗くなってるから」


「うん。ありがとう。でも、あと、ごめんね」


 僕は軽く笑って見せる。

「いや全然気にしてないよ。僕は芹沢さんと今のままでいたいだけだから」


「そっか。ありがとう。また、明日学校でね」


「うん。じゃ、また明日」


 芹沢さんは小さく手を振る。

「またね。あ、あとおこがましいかもだけど、良かったら今度のコンサート来て」

 彼女は改札を潜り抜け、帰って行った。チケットを僕に渡して。


 正直、九割型行かないと思う。多分。だって、フった相手の演奏会なんて、どの面下げて行けばいいんだ。

 


 だから、つまり、僕は彼女の告白を、泣きそうな告白を拒否したわけだ。

 でも、本当は。いや、本当なんて分からない。ただ、付き合うことにならなかった。それだけだ。


 不意に携帯が鳴る。7時半にアラームをセットしていたみたいだ。


 午前と午後をまちがえたかな。


4 

 彼女は飛んだ。それも唐突に。

 でも、そのことを人によっては事故なんて言うかも知れない。

 あま、もしそんなことを言う人がいても、僕は何も言い返せないけれど。




 八時五十分、アラームの意味に気づき、忘れていた約束を思い出した僕は、公園まで自転車をとばした。そこで目にしたのは彼女が飛んだ跡だった。

 でも、その姿はあまり綺麗とは言えなかった。車には血痕がついていて、鞄はそこら辺にほうり投げられていて。



 目が覚めた彼女の第一声は何だったのだろうか。少なくとも僕の、彼女が目を覚ましてから初めて聞いた言葉は、

「私、飛べた。飛べたよ」だった。


 ああ、もうだからそれからは事故じゃなくて、飛んだ、ということに僕の中で解釈を変えた。断じて車に跳ねられてなどいない。



 二日後。彼女は松葉杖をついて登校してきた。何だか清々しい顔をしている。

 教室は彼女のそれ以外、いつもどうりだ。だだ少し違うとすれば、校庭の隅に寄せ集められた枯葉が増えたこととか、学級委員の前田さんがメガネからコンタクトに変えたくらいのことだ。


 だから、またいつものあの声が聞こえてくる。はずだった。僕は少し前みたいに、羊の群れからペンギンの声を聞き分けるはずだった。

 けれど、彼女の声は教室にはなく、と言うよりその姿さえ教室に無かった。その時、何故だか嫌な予感がした。


 コツッ、コツッ、


 廊下の方からなにやら音がする。慌てて出てみるが、期待したとうりの人は見つけられない。一瞬止まった後に、最悪を考えた。今度は屋上から、という最悪を。そんなこと考えたら、竹田に補習を知らせに来た綾瀬先生を押しのけて、廊下を走って行くより他に無かった。


 少しの緊張を胸に、屋上に繋がる階段に辿り着く。

 コツッ、コツッ、と響く音がさらに大きく聞こえた。

 ゆっくりと目線を上げると階段を登る篠田さんがいた。


 キャッ、


 彼女の悲鳴と共に松葉杖が飛んで来た。


 ああ、そうかここから見上げると女子は制服がスカートだから、、、、成程それは僕はが全面的に悪いことに違いなかった。

 だから松葉杖で顔面が少し痛いことぐらい我慢しないといけない。



5

「だから、死ぬわけないでしょ」

篠田さんは青空に向かって大きく伸びをする。


「そう、なの?なら良かった。あの件でおかしくなったのかと思った」

 屋上には僕と彼女以外に、誰もいない。そもそも立ち入り禁止だ。けれど、何故だか彼女は鍵をもっていた。


「でもさ、飛べた。って言ってたでしょ。あれってどういう意味だったの?」


「ただそのまま、飛べた、の。だから私は、、やっぱりなんでもない」

 篠田さんは途中で話しを止めてしまった。

 僕はどうしてもそれが聞きたくて、何とか続きを聞く方法を考えていたけど、どうにも自然に聞けそうに無かったので諦めた。


 暫くして、篠田さんはおもむろに制服の内ポケットからおにぎりを取り出す。

 そう言えば昼休みなんだった。今から行っても、もう購買は売り切れに違いない。やっぱり今朝、コンビニでなんか買ってくるべきだった。


「何も無いの?」

 彼女は微笑む


「そんな意地悪そうに微笑まないでよ。確かに何もないけど、」


「はむ、はむ」

 篠田さんは見せつけるようして、におにぎりを頬張る。

 育ち盛りの空腹にはだいぶこたえる光景だ。

 ゲームで言うところの相性抜群みたいなものだ。もうHPなんて残ってないけど。


「ふふ、」

 篠田さんが今度は声に出して笑う。


「そんなに可笑しいの?篠田さんってもしかして性格悪い?」


「そんなことないよ。あ、でもちょっと悪いかも。後ろ、見てみて」

 僕が振り向くと、そこにはおにぎりが置いてあった。


「えっ、これいつの間に?」


「気づかなかった?、ペンギンさんからのプレゼントだよ。これで貸しが二つになったね」

 言っていて彼女は凄く嬉しそうだった。


 僕は屋上にいる篠田さんと公園にいる篠田さんに凄く近いものを感じた。 どこか自由なところが似ていたのかもしれない。でも、何かが違う気もした。





 僕がおにぎりを食べ終えたころ、やけに音量のでかいチャイム音と共に昼休みは終わりを告げた。


「あれ、もうこんな時間か。急がないと次の授業遅れる」

 僕は立ち上がり、篠田さんをうかがう。


「いいよ、先に行ってて。私と一緒だと確実に遅刻するから」

 これは僕の思い込みだろうけど、何だか少しだけ、悲しそうな顔をしたように見えた。


「あー、そう言えば次の授業って、世界史の原田だった。あれ最初は雑談ばっかりだから、俺ゆっくり歩こうかな」


「わざとらしい。でも、ありがとう。私もちょうど共に遅刻してくれる人を有志で募っていたの」



 篠田さんは、まだ慣れない松葉杖で階段を危なっかしく降りて、ゆっくりと教室に向かった。

 その間僕らは何も喋らずに、ただ僕が彼女に肩をかしているだけだった。



6

 それからも、何回か僕と彼女は5時限目に遅刻をすることがあった。なんだかルーティーンのようにそれは行われた。


 もちろん、原田には小言を言われたし、クラスでは憶測が飛び交ったが、別に気にし無いことにした。

そして、今日も今日とて屋上にやってきた。


「お待たせ」

 後ろから彼女の声がする。実を言うとあの一件以来、僕が先に屋上に来る風になっていた。


「そんなに待っても無いよ」

 カッコつけてみた。


「その癖やめたら。ちゃんと言わないと伝わらないこともあるんだから」

 確かにいつもより長く待っていたが、案外まともなことを言われて少しビックリした。


「以後、気をつけます。てか、今日は何かあったの?」


「まあね。ほら私、音楽の沼田先生と仲良いじゃない。それで、次の授業の準備を頼まれてたの」


「それでか。それはどうもお疲れ様です」


「なんかここ、寒い。今日で最後にしない?ここに来るの」

 篠田さんは手に息を吐きかけて言う。その息こそ白くは無いものの、冬の訪れを感じた。


「そうかな。僕はまだまだいけるけど」

 コロコロと変わる、彼女の話しについてゆくのに必死だ。

 でも、屋上で会えなくなるのは出来るだけ阻止したかった。


「そう?でも、流石に雪は勘弁してね。あ、それでさっきの話し。沼田先生の手伝いした話し」


「それがどうかしたの?」


「実はその後、お礼にこんなものを貰ったの」

 彼女は何か細長い紙をピラピラさせている。


「えっと、なにそれ?」


「チケット。それもコンサートの。何だか余っちゃったんだって。それに、クラスの芹沢さんも出るらしい」

 彼女は、

 どう?今週末、一緒に行かない?

 そんな顔をしている。


「是非一緒に行きたいです」



 見覚えのあるそのチケットを僕は彼女から受け取った。


 何にしても、週末はいわゆるデートってやつが待ってるわけだ。

 取り敢えず何着てくか考えてなきゃならない。





7

 今度は間に合った。


 僕は集合時間の三十分前、駅に着いた。

 することもなしに、ベンチでスマホをいじっていると声をかけられた。


「よお、お前も来るのか?コンサート」


 竹田だ。声からして、篠田さんじゃないことは分かっていたが、いきなりだったのでビックリした。


「まあね。竹田も?」

 別に嘘は言ってない。誰と行くかなんて聞かれてないし。


「おう、もちろん。あ、そうだ、なら一緒に行こうぜ。そんで、早めに行って声かけてあげようぜ、きっと凄く不安だろうからさ」


「いや、俺は遠慮しとくよ。きっとあんまりいい影響にならない気がするから」


「あー、っと。そうだったな。んじゃまあ、間に合うように来いよ」

 竹田はバツが悪そうにして、ホームへかけて行く。



 程なくして篠田さんがやってきた。

 彼女はいつもと違って見えた。それは勿論、私服だからかもしれないけど、それだけじゃない。と、思う。


「待った?」

 いや、違って見えたとかじゃない。普段より可愛いく見えたんだ。彼女の第一声で確信した。


「全く待ってないよ。本当に丁度、今、着いたところ。」


「本当に本当?前にも言ったけど、」


「分かってる。本当だって。」

 嘘じゃない。だって、集合時間からまだ一分しか経ってないし


「そっか、じゃあ、行こ」

 彼女は五歩ほど先で僕に手招きをする。




 ホールには思ったより直ぐに着いた。

 電車に乗ってる間は、隣りには座れないし、かと言って一個開けるのも変なので、僕は彼女の目の前でずっとつり革につかまっていた。

 途中、何回か目が合って、その度に彼女に笑われた気がした。

 僕がそこまで大胆に行動出来る訳ないのを知っていて笑っているんだ、やっぱり篠田さんは性格が悪いかも知れない。



 ホールは凄く立派なつくりをしていて圧巻だった。

 こんなところでコンサートをやるのかと思うととてつもなく尊敬した。芹沢さんは本当に凄い人だったらしい。


 席に着くと早々に演目は始まった。

一応知っていたが、出てくるのは全員二十五歳以下の比較的若い人ばかりだった。


 そして、五番目に芹沢さんは出てきた。

 ゆったりとした歩調で歩き、中央付近でとまると、こちらに深くお辞儀をした。そしてまたゆっくりと、顔を上げる。その瞬間、目が合ったような気がした。


 まさか、そんなはずはない。




8

 その日は、朝から雪が降っていた。

 まだ、そんな季節じゃないはずだけど。



 いつもどうにり教室の戸を開けるといつもの光景があった。

 いつもの月曜日がそこにはあった。安心した。もしかしたら、昨日、篠田さんと一緒に行ったことを芹沢さんが気づいていたら、なんて考えてたりもしていた。

 客観的に見て最低なことをしたのには間違いない。今、思えば何処か違う所にすべきだったと思う。


 ふう、心の中で小さくため息をしてから席に座る。

 そんなふうにして、心を落ち着かせると周りの声がよく聞こえてきた。

 また、中身のない話しで盛り上がっていた。

 

芸能人の誰が結婚しようが、誰が不倫しようが知ったことないだろ。どうせ直ぐに忘れるくせして。

 羊の群れはうるさかった。けど、ペンギンの声は聞こえなかった。多分まだ来てないのだろう。

 ふと、 彼女の席を見てみた。バッグはちゃんと置いてあった。



 

 チャイムだ、一時限目が始まる。

 篠田さんはまだ席に着いていない。


 結局、彼女は四時限目が終わるまでその姿を見せなかった。


 授業が終わると早々に竹田が弁当箱を持って近づいてきた。

「久しぶりに、一緒に食べようぜ」


「ああ。そうだな久しぶりに」

 窓を見るとまだ雪が降っていた。(流石に雪は勘弁してね)彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。

嫌な予感がする。

 でも、そんなはずはない。だって、彼女は朝からいないんだから。


「にしても、昨日の芹沢さんの演奏、凄かったよな」

 今日はアジフライを、竹田は美味しそうに頬張っている。


「ああ、、ほんとに凄かったよ」

 気のない返事をした。


「えー、本当に?良かった?」

 急に話に割り込んできた、芹沢さんが、目を輝かせていた。


ああダメだ、嫌な予感しかしない。


「本当に、本当。一番だったよ」


「ありがとう、坂田君。それって篠田さんより?」


 バレてたんだ、

 篠田さんと一緒に来てたこと。

 やっぱり目が合ってたんだ。気のせいじゃなかった。


 それなら、篠田さんが朝からいないことにも何か関係があるかも知れない。

屋上、まさか、本当に屋上なのか?


「ちょっと用事」

  教室を出ようとした僕の腕を、竹田が掴む。


「行かせられない」

 苦しそうな顔をしている。それは勿論アジフライの骨が刺さったとかじゃない。やっぱり何か言いたげで言えてない顔だ。


「どうして」


「まだ、まだダメなんだ」


「くそ、どうして」

 僕は渾身の力を込めて、竹田の手を振り払うと、屋上に上がる階段までの廊下を駆け抜けた。


  階段の近くに来ると、怒号が聞こえた。


「何やってるお前。ここは立ち入り禁止だ。指導室まで来い」


 先生に連れられて篠田さんが降りてきた。彼女の唇は紫色になっていて、身体は小刻みに震えていた。


 僕はどうしていいのか分からないで、そのまま、連れて行かれる篠田さんを見送ってしまった。

 彼女は僕を少しだけ見た、ただそれだけだった。



 そして、 僕はただ呆然と教室に戻った。

 でも、途中で聞かなきゃいけないことがあることに気づいた。芹沢さんに、いや、芹沢に。



  努めて冷静に僕は事情を聞き出そうとした。


「芹沢さん、出来れば朝、篠田さんと何があったか教えて貰ってもいい?」


「はい、これ返してあげる。坂田君、篠田さんによろしくね」

 芹沢は僕に塗りペンのキーホルダーを渡した。これは、篠田さんが付けていたものだ。


「で、何があったか聞きたいんだけど」


「何が、あった?そのキーホルダーが一つあれば充分わかるよね」

  芹沢はニコニコしている。


「だから、」


「まだ聞くの?どう考えても悪いのは一人しかいなよね?分からない?それでもまだ聞くの?」

 芹沢は笑顔を絶やさなかった。


 誰が悪いか、そんなの、、、芹沢。

 いや、僕だ。僕しかいない。


  だから僕は何も言い返せずにそのまま席に戻るしかない。そうだろ。



9


 暫くして雪の季節は終わった。

 その間に何も起きない筈などなかった。

 篠田さんは完全に羊から抜け出していた。今となっては、ペンギンより一匹狼に近い。

 その内に、女子同士の陰湿な虐めもあったらしい。だから篠田さんは切れた、殴った。そんなこともあった。


 僕はその全てに関わらなかった。もう、関わったら駄目なんだ。これ以上かき乱したら駄目なんだ。篠田さんのことも芹沢さんのことも。

 

 それでも、今になっても芹沢さんは僕にわざわざ笑顔で話しかけてくる。それどころか竹田と僕と芹沢さんの三人で昼食をとっている。

 僕は関わりたくないのに。関わったら駄目なのに。


 彼女の頬が赤く腫れているのを見て、それをやったのが篠田さんで、僕はどうすればいいんだ。わからない。無理だ。


「ゴメン、俺やっぱり一人で食べてもいいかな。」

 逃げたい。見たくない。一人にさせてくれ。


「だめ、一緒に食べるの」

 やはりあの笑顔だ。


「でも、もう見てられないんだ。お願いだよ」

 教室をでていく。

 不意に、いつかのように腕を掴まれた。


「駄目だ、今度こそ。逃げるな、戦え。見てられないないならお前が動け!変えろ。何もかも中途半端で逃げ出すな!」

 竹田だった。


「でも、無理だ。怖い、何かを壊しそうで」


「壊しそうなんじゃない。壊したんだ。後片付けぐらい幼稚園児でもできる。やれ!」


「なんだよ、うるさいな!お前がそうやって掴むから。あのときだってもう少し早ければ、」


「早ければ、早ければどうなってた。一緒に怒られて、それで全てが丸く済むとでも?」


 解ってる、変わらない。きっと結果は同じだったはずだ。

 でも、なら俺はどうすればいいんだ。


 戻りたい、あのときに、糸が絡まるその前に。


 いや、違う、戻ってみればいいんだ、戻りたいなら。

 変わらないものだってあるはずだ。


10

「あった。これが、初めの詩。何だか、埃臭いな」

 それはあの日、篠田さんがよんでいた詩集に他ならなかった。誰にも借りられていないのか、古い割に汚れ一つなかった。

 そして、彼女の読み上げたところは、直ぐに見つかった。


 変わらないもの、それは詩だ。これだけは変わらない。図書館においてあって良かった。これに何かをヒントが隠れているかも知れない。あのときに戻るヒントが。



 ページには、あのときと変わらない文言が書かれていた。でも、違和感がある。足りない、一つ足りない。この詩集には最後の一言が入ってなかった。

 あれは確か、(苦しくてもがいてる。人だ。)だった。つまり、その部分は篠田さんの自作な訳だ。

 そう言えば、彼女はあのときに僕の存在に気づいていた、だからわざとそんな風に変えたのか?

 つまりこれは、篠田さんの心の叫びだったのかも知れない。

 そもそも事故だっておかしな話だ。なぜあのタイミングでいきなり、、、もしかして死のうとしたから。それで車の前に飛び出した、だけど死ななかった。そういうことだったのか?

 なら、飛んだ、ってのも、もしかして飛び出したってことだったのか?


 まて、まて、なら俺はどうすれば、結局どうすればいいんだ。


 その時、スルリと一枚の紙が落ちた。長細い紙が。

「これって、、あのコンサートの半券」

 裏を見ると、もう一度約束を果たしに来て、とだけ書いてあった。


 今は何時だ、七時三十分。

 ここから、公園までで、ぎりぎりの時間だ。


 間に合え。


11

「はあ、、はあ、、間に合った、か?」

 人の気配は辺りに感じられない。僕はウロウロ見回しながら段々とあのベンチに近づいていく。


 いた、篠田さんだ。

「今日は約束守れた、かな」


「遅い。あと三十秒遅かったら死んでた。」

 くるりとこちらを向く。


「ゴメン。でも、いや、本当にゴメン」


「もしかしてだけど、そのゴメンには色々含まれてる?、一番最初の遅刻、振った相手のコンサートにいったこと、そのあと関わらなくなったこと」


「ゴメン。僕は最低だった。何も考えてなかった。篠田さんの言ってたとうりだったんだ。言わなければ伝わらないこともある。言わなきゃいけなかったんだ、説明しなきゃいけなかったんだ」


「いええ、それは私も同じ。説明しなきゃいけない。全部。だから、少し長いけれど勘弁してね」



「あの日、初めてこの公園であった日。死のうと思ってた。あの詩集をよんで、それで終わろうと思ってた。原因は有り過ぎてわからない。きっかけは鈍感過ぎて気づかなかった。でも、不意に自分が限界だって知った。クラスでの意味のない話も、酒に酔った親も、理不尽な先生も、全部に耐えられなくなってた。」


 公園にはただ冷たい風が吹きつけるだけだ。

 


「でもね、運よく坂田君がきた。そして、塗りペンを持ってた。何だか、貴方に免じて死ぬのは辞めようって思ったの。笑っちゃうよね、どんな理由だよって。それで、明日も来てくれたら辞めようって思ったの」


「でも、僕は間にあ、、」

 僕の声に被せて彼女が言う。


「そう、時間には来なかった。それでも、結局は死にそこねた。そして、一番最初に会いに来てくれたのが、坂田君だった。」


 

「だから、運命なのかな、坂田君に任せてみよう、って思ったの。それからあとは流れに身を任せてみただけ。でもね、坂田君と過ごした屋上、楽しかったよ。勿論、コンサートもね。」


「まあ、その後色々あったなー。でも、芹沢さんには虐められたのは初めのだけ、塗りペンを取られて、これ返して欲しかったら屋上にいろって。それだけ、ちょっとした仕返しのつもりだったんだろうね。どっちにしろ一発殴ったけど。」

 

「その後は群がる羊の仕業、上履きがないのも、教科書がないのも、筆箱が無いのも、でも耐えた。何故なら坂田君、きみに任せてみることにしたから。さあ、どうする?このまま見過ごして自殺させるか、それとも私をどうするのか、選んで」


 こんなことを聞かれたらたいていの人は沈黙を選ぶに決まってる。でも僕はそんなことして、立ち止まっていられなかった。

 何よりも彼女の、篠田さんのことが………


 だから言ったんだ。




「一緒に飛ぼう」


「飛ぶって、どうやって。やっぱり飛び込むの?」


「違う。目、閉じて。

 確かに人は飛べないよ、ペンギンも、でも人だけは、違った飛び方ができる。鳥にも、何にも真似できない、飛び方がある」

 僕は篠田さんの隣に座った。そして、彼女の手を握る。


「想像するんだ」


「僕達は大人になって。子供は二人いて、篠田さんは専業主婦、僕はサラリーマン。今日は次男の誕生日。僕は仕事帰りにプレゼントを買ってきて、君はケーキを用意する。みんなの楽しそうな笑顔が浮かぶ。」


 篠田さんはまだ目を瞑っていた。

 けれど、月明かりに照らされて、はっきりと分かるぐらいに涙を流していた。


「どう?、飛べたでしょ。」


「うん、飛べた。初めて見たあんな景色。心がふわってして。身体も軽くなって。」

 

 篠田さんは僕の手を強く握り返す。


 

「あのさ、順番が逆かも知れないけど、良かった僕と付き合って下さい。」


「塗りペン一個」

 彼女は涙で濡れた顔で言う。

 

「なに?」


「塗りペン一個で許してあげる。だから、何度でも飛ばせてね。」



 


 その後、僕が苦労して塗りペンをとったのは言うまでもない。

 勿論一番でかいやつを。

 





最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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