FIRE SHOT
「試してみるか……」
そう呟いた後、しゃがみ込んで何かを始める伊吹。一方、前線の戦況は──
「──うりゃ!」
ユードが投げた煙玉がケルベロスの足元で弾けて、煙と破裂音を巻き起こす。
その規模は本来の物に比べたら小さいものだったが、動きを一瞬止める効果としては十分だった。
そして発生した煙幕に紛れてハドが攻撃を仕掛ける。さらにはその隙間を縫うように、シャロニカが間断無く魔法を打ち込んでいる。
三方向からそれぞれ違った攻撃がケルベロスを襲う。しかし驚く事にそれでも黒き影に隙らしい隙は見当たらなかった。
それどころか少しでもこちらに間が出来れば反撃に出てくるので、均衡を保つのが精一杯な状況は変わっていなかった。
────おいイブキ! 決心はついたか? これ以上続くと誰かが死ぬ事になるぞ────
絶え間なく攻防が続く最中、伊吹の元に再びシャロニカのテレパシーが届いた。
彼女の言う決心とは、反動を覚悟しろという意味だという事を伊吹は理解している。
────ああ、だけどその前に1つ試したい事がある────
────試したい事?────
────簡単な事だ。シャロニカ、俺に向かってもう一度さっきの魔法を撃ってくれ────
────はぁ~? そんな事して何になるって言うんだ?────
────見とけば分かる。撃つタイミングはハドが奴から離れた時だ。いいな?────
────……なんだか知らないけど分かったよ。じゃあそこで待ってろ────
遠目に見えるシャロニカが小さく舌打ちするのが見て取れた。
──よし、俺の考えが正しければ多分これで……
シャロニカとの念話を終えた伊吹は、ゆっくりと立ち上がった。──気づけばその右足には盾が括り付けられている。
先程まで左腕に装備していた盾。それを伊吹はどういう訳か足に移し替えているのだ。
そして伊吹はその付け心地を確認するかのように右足を二度、三度と振るう。
「──キエエア!」
「──! 離れる!」
ハドの嘶きが響いて前を向くと、伊吹が待っていた状況になろうとしていた。
────いくぞ!────
────俺の足元を狙え!────
「『初級炎魔法』!」
目の前のケルベロスには左手から、そして右手から同じく火の玉を伊吹に向かって飛ばすシャロニカ。
放たれた火の玉は伊吹目掛けて真っ直ぐに向かっていく。
「──ちょっと高いかっ……!」
火の玉は距離がある為か次第に高度が下がり、伊吹の元に辿り着く頃にはしっかりと足元の高さに落ちてきた。
伊吹はそこ目掛けて走り込むと、左足で力強く大地を掴んで右足を大きく振り上げた。
──伊吹の取ったその姿は『シュート』の体勢だ。
「いっけええ!!」
右足、厳密には脛辺りに括り付けられている盾が、鈍い衝撃音と共に飛んできた火の玉を捉える。
それはまさに『サッカー』のシュートをするが如く、伊吹は火の玉をボールに見立てて右足を思い切り振り抜いた──
「──! 撃ち返すだと!?」
思いもよらぬ伊吹の行動に驚きの声を上げるシャロニカ。その声にユードとハドだけでなく、ケルベロスも反応する。
その場の全員が伊吹に視線を集中した瞬間、辺り一面が一瞬赤く染まったように明るくなった。
倍かそれ以上に膨らんだように見える火の玉が、弧を描きながら向かって来るのを見てケルベロスが唸った。
《グルルル》
しかし伊吹の裂帛の気迫とは裏腹に、黒き影は迫り来る炎が近づく前に呆気ないほど簡単にそれを回避して見せた。
軽いステップでその場から少し離れた場所へ移動する。
たったそれだけで、豪火と化した炎がケルベロスに当たらず通り過ぎていった。
「ダメか……!」
”ドオオォオン──”
炎のシュートは標的からずっと奥に爆音を上げて着弾し、地面を大きく抉り取った。
「──この威力は……!」
伊吹の作戦は失敗に終わった。とはいえ、その光景を見たシャロニカは驚きの表情を浮かべている。
────一体どうやったんだ? ただ盾で弾いただけじゃあんな風にはならない────
────詳しい話は後だ……とりあえず『決定打』はこれで行くぞ!────
────分かったよ。どんなトリックかは知らないが、威力が倍増、あるいはそれ以上になるってんなら……────
────そうだ。反動を抑えた魔法でも……十分ダメージを狙える!────
グリフォンのハド、ユードとケルベロスはすでに攻防を再開していた。
そんな中で一瞬だけ手を止めたシャロニカと伊吹が遠目にアイコンタクトを交わして頷いた。
──後は……確実にこれを叩き込む為の『隙』。これをどう作るかだが……
ここまでは予想通りな事に一安心した伊吹だったが、最後に残されたこの問題が最大の難関である事に気付いた。
眼前には変わらず拮抗している攻防戦が続いている。
そう、変わらないのだ。
同じ事を繰り返してもこの状況を変える事は出来ず、そしてそれは伊吹の思う『確実な隙』が出来ない事を意味している。
──こちらが力尽きる前に変化の一手が必要なんだ……奴の動きを止める為の何かを……
《──ガルアアッ!》
「──クアッ!」
しかし伊吹が悠長に物思いに耽っている間に戦況は突然動いた──
「──ハドッ! くっそー! この野郎!」
ハドは三つ首の魔獣に大きく吹き飛ばされ、木に激しく体をぶつけて地面に転がった。
その衝撃に嘶いたハドを見たユードは、即座に煙玉を投げてケルベロスの視界を遮った。
シャロニカも援護するように魔法を放つが、ケルベロスは分かっているかのように全て躱して見せる。
「……ちっ。お遊びはおしまいってかい?」
明らかにギアを上げたケルベロス。伊吹の一撃を見て本気を出したのだろうか。
シャロニカはこの戦いが難しくなったと感じていた。それはふらつきながら起き上るハドを見れば誰の目にも明らかだ。
動きの遅くなったグリフォンを仕留めるのは、この『魔獣』にとっては造作も無い事なのだから。
「くそっ! あいつの動きが止められない……」
ケルベロスと真っ向からぶつかり合えるだけの巨体を持つハド。
少しの間でも抑え込む事が出来れば、決定打を打ち込むチャンスが出来ると伊吹は考えていた。
しかしこうなった以上他の手段を考える暇も無くなった。
──ここまでか……後はもう、反動覚悟で上位魔法を使ってもらうしかないか……
伊吹はシャロニカにその旨を伝えようと大きく息を吸い込んだ。
しかし次の瞬間、飛び込んできた光景に目を疑って言葉を詰まらせた。
「──っ!? か、カスミ!」
伊吹の後方から飛び出した小さく跳ねるその姿は、間違いなくカスミだった。
カスミは伊吹に目もくれずに戦場へと駆けていくと、ケルベロスから少し離れた場所で止まった。
「──カスミちゃん!?」
「えっ──カスミ……!?」
《──ガル?》
女神も、ハーフリングも、そして魔獣さえも、その小さな乱入者を目にして動く事を一瞬忘れた。
「──はいこれ!」
空白の一瞬。動いているのはカスミと、それを追ってきたヒマワリのみ。
そんなカスミの手から投げられた何かがケルベロスの足元にぽとりと落ちた。
「……あ、あれは──」
カスミの行動にハッと我に返った伊吹は、一目散にカスミの元へ駆け寄った。
「──っ! こっちこっち! ほらっ!」
「わあっ!」
伊吹はカスミを抱き抱えると、踵を返してキャビン前まで後退した。
「はぁっ、はぁっ……まったく……! 寿命が縮んだぞカスミ──」
────イブキ!────
どこか興奮を抑えきれないかのような女神の声が、息つく間もなく頭に響いてくる。
────はやくこっちを向け!────
急かされる伊吹は急いでカスミをキャビンへ押し込むと、シャロニカ達が居る方へと向き直った。
────チャンス到来だ!────
振り返った先に在る魔獣ケルベロスの姿。
それは先程まで一切の隙を見せなかった黒き影とは別物。
それほどまでに──
──無防備!




