決定打
伊吹が『冥界の番犬』に向かっていく少し前──
『森の主』の正体が『魔獣』だと気付いたユードは考えていた。
──きっと森でおいらと会った時だ……!
おいらに付いてたんだ……姉御や兄貴の匂いが……
だからあんなに執拗に──。野獣がわざわざ追ってくる事なんて無いもんな……
どうして気付けなかったんだおいらは。匂いを消す方法ならいくらでもあったのに。
ユードはシャロニカが『神の眷属』である事を知っている。
『神の眷属』について『この世界』では、『魔の眷属』と敵対勢力同士というのが常識だ。
そしてもう1つの常識は『神の眷属』は『悪』であるという事だった──
「──っ! ユード! 一体何なんだ『魔獣』ってのは!」
「ぜ、全然気付かなかったんす……まさか『魔獣』と思ってなかったからおいら……でも……」
「ユードよりもシャロニカを追ってここまで来たっていうのか? 一体なぜ……?」
「……シャロニカの姉御が……『神の眷属』だからっす……」
──そう、特別な理由なんてない。ただ『神の眷属』だから……それだけなんだ……!
ユードは迷っていた。この状況で自分がどうすべきか。
それは伊吹やシャロニカに手を貸すのを躊躇っているという事ではなく、どうしたら力になれるのか?という点だった。
──おいらに出来る事……おいらに……
頭を抱えて下を向いていたユードは、ふと地面に落ちる動く影に気付いて空を見上げた。
「──! 嘘だろ……なんで!?」
「シャロニカ──! くっそーー!!」
「──ばっ……! 来るなイブキ! こいつの狙いは『お前』なんだぞ!」
シャロニカの叫びにハッとなったユードがそちらを見ると、伊吹がケルベロスへ向かっていく姿が飛び込んで来た。
「──兄貴っ!?」
邪悪な黒き影は伊吹に狙いを定めて迎撃体勢を取っている。
このまま突き進んだ先に待っている未来を想像してユードは身を震わせた。
《──ガウッ!》
「──ピューイ」
ケルベロスが大地を力強く蹴って伊吹に飛び掛かろうと跳躍した直後、それは響いていた。
「──クカアー!」
かすかに耳に届いてきたのは笛の音のような甲高い音。
そしてそれが響いてすぐに、上空から飛び込むように地面に降り立ったのが──
「ハド!?」
《──グルアアッ!》
伊吹とケルベロスの間を遮るようにハドがその大きな翼をはためかせている。
それを見てまた貴様か、と言わんばかりにケルベロスの三つ首がグリフォンのハドに向かって牙を剥く。
「──『連撃初級炎魔法』」
ハドに気を取られた黒き影は、シャロニカを意識の外側へと置いてしまった。
そんな隙を見逃さずにシャロニカはすぐさま攻撃へと転じるべく右手を突き出す。
そして素早い詠唱が終わるや否や、テニスボール大の火の玉が次から次へと放たれた。
《──ッ! ガルッッ》
ボンっと小さな爆発音を立てて、三つ首の横っ面を叩くように火の玉が着弾していく。
1つ1つの威力は小さいが徐々にダメージを積み重ねていく攻撃に、ケルベロスはたまらずその場から退いた。
「──た、助かった……」
あとほんの少しハドが現れるタイミングが遅ければ、体を切り裂かれていたであろう伊吹が安堵の息を漏らす。
そして自分が前線に出る事が愚策である事に気付いて、ケルベロスと同じように後ろに下がっていった。
「キエエエエエエエ!」
《ガアアアアアアア!》
後退したケルベロスに追い討ちをかけるよう、ハドが鋭い爪と嘴で激しく攻め立て始めた。
大型の獣同士の戦いだが、その俊敏性に見ている者は驚かされる。
どちらかが爪を振えば華麗に躱し、またどちらかが噛みつこうと牙を剥けば鮮やかに反転する。
両者共に紙一重の所で相手のクリティカルを避けながら隙を伺っているように見える。
だが実際はケルベロスが優勢な事にシャロニカは気付いている。
「──次はこっちだ!『連撃初級炎魔法』!」
シャロニカがハドの動きを見ながら、適宜魔法攻撃を挟んでいる。これがケルベロスがハドを圧倒できない理由だった。
目の前のグリフォンと戦いながら、目障りな女神に対しても気を配らなければならないからだ。
ハドとシャロニカ。この2人の急造コンビネーションで何とか『冥界の番犬』と対等に渡り合っている──
あくまで何とかだが──
「くそ……このままじゃジリ貧だ……」
キャビンの前まで後退してきた伊吹が戦況を見つめながら呟いた。
「──兄貴! 危なかったっすね! 無事で良かったっす!」
「ユード! ハドを一体いつの間に?」
「いやそれが……居たんですよ。上に」
「上に……? ついてきたのか?」
ユードは多分、と首を傾げながら話を続ける。
「とにかく今は姉御とハドをサポートする事が先っすよ! 少しでも攪乱しましょう兄貴!」
「……何か手はあるのか?」
「これなんてどうっすかね?」
ユードはそう言って腰袋から小さな玉を取り出して伊吹に見せた。
「……これは?」
「煙玉っす! 普通のだと煙すぎて、味方も混乱しちまうんで……小さいのなら、と!」
「なるほど……これで少しは足止め出来るかもしれないな」
「正直『魔獣』とやり合いたくはないんすけど……姉御のピンチだし、ハドもあんなに頑張ってるんで……」
そう言ってから唇を噛みしめるユードは何かを決心したように大きく息を吐き出した。
「──おいらもやってやりますよ!」
そう叫んだユードは目の前の戦場目掛けて駆け出していった。
──残るはやっぱり決定打か……
シャロニカとハド、そしてユードの煙玉も合わさればケルベロスと渡り合う事は出来るだろう。
でもやっぱり強烈な一撃が無ければ決着は着かない。
中途半端な攻撃じゃなく、撤退させる位強烈な一撃……
────イブキ! このままじゃスタミナ切れでこちらがやられる────
────今の状況だと上位魔法を使うしか手がないが……どうする?────
頭に響いてきたのは、伊吹と同じ考えをしていた銀鈴の音だった。
────それしか手が無いのは分かってる……────
────なるべく反動少なそうなレベルで頼めるか?────
伊吹は身を潜めているカスミの方へ目を向けた。
倒れたキャビンの隙間からこちらの様子を伺う姿はなんとも儚げで愛おしい。その姿は伊吹の胸をさらに締め付ける。
────相手が相手だ……ある程度の反動は覚悟しとけ! 死ぬよりマシだろ?────
────そりゃそうだが……何かいい手があればそれに越した事はないんだ────
────だったらどんな手があるって言うんだ?────
────それを考えてたんだ……思いつかないんだけどな────
────……あ~もうイライラすんなぁ! 最初の覚悟はどこ行ったんだよこのチキン野郎!────
煮え切らない態度に辟易したシャロニカが、吐き捨てるように言って念話を終わらせた。
──最初の覚悟……最初か……
「──って! うわっ!」
女神に言われた言葉の意味を噛みしめていると、突然目の前から火の玉が飛来してきた。
間一髪身を屈めて避けるも、もう一発こちらに向かってきている。
「くっそ! キャビンに当たったらどうすんだよ馬鹿女神!」
伊吹はシャロニカの放った炎魔法を弾き返そうと左手の盾を振った。
火の玉は盾に当たると、腕を振った反動で近くの地面に衝突し、大きな衝撃音と共に弾け飛んだ。
そして煙が晴れると、その着弾地点には大きな窪みが出来上がっていた──
「──!?」
一瞬、弾いた火の玉が大きくなったように見えて、地面に当たった時の衝撃も想像以上だった事に驚く伊吹。
それは目の前でシャロニカがケルベロスに当てているはずの同じ魔法とは思えない威力だ。
──今のは……この盾のせいか?
伊吹はハーフリングの里で購入した盾をまじまじと見つめながら、その時の事を思い出していた。
──確か店主は……
『これは里に古くから在る逸品だ。そしてその力は防御力だけにあらず』と。
そう言っていたのを思い出していた。
──あの時は意味が分からなかったが……もしかしたらこれがこの盾の隠された力なのか?




