親の心子知らず
──────鋭く尖った爪が眼前に迫っていた
今度もまたゆっくりと動いて見えるそれを虚ろな瞳で見つめているハーフリングの少年ユード。
しかし今回は体が反応して動く事は無かった。
ユードはただただその爪が自分の体に触れる瞬間を見守っている。
喰われるのかな? 痛いのは嫌だな。
でもきっと痛いよな。こんなヤバそうな爪で引き裂かれるんだもんな。
出来れば一瞬で痛みも感じない位にして欲しいなぁ。
────あぁ……届く……
ユードが襲いくるであろう痛みから逃げるように目を瞑った時だった。
「──キエェーーー!」
甲高い鳴き声が聞こえたかと思うと、すぐさま激しい風が叩きつけられてユードはおもわず天を仰ぎ見た。
「──ハドッ!?」
夜の森を切り裂くようにして現れたのはグリフォンのハドだった。
突如として現れたハドの一撃を避けるように、森の主はユードから大きく距離を取っている。
「グワゥ──グルルルル……」
そんな主の怒りがさらに濃くなるのをユードは見逃さなかった。
しかしそれは今までの 『獲物』 であるユードに向けられたものではなく、新たに現れた標的に向いている。
「父ちゃん──! それに……シャロニカの姉御──!?」
主と自分の間に割って入るように降り立ったハドの背中に、ユードは頼もしい2人の姿を見つけていた。
「──グルアアアア!」
「──キエエエエエ!」
束の間の安堵感がユードに過るや否や、主とハドが威嚇し合うように雄叫びを上げ始めていた。
大型の獣同士の戦いを見るのが初めてのユードは、現状よりも好奇心が勝ってしまっている。
「──馬鹿野郎! 何をボーっとしてんだ! 早くこっちに来んかっ!!」
「──! う、うん……」
シグの言葉にハッとなったユードが慌ててハドの元へと駆け寄ると、体が宙へと浮き上がり始めた。
「──わわっ!」
「私の魔法だユード! ほら、しっかり捕まらないと振り落とされるよ! 早く!」
「姉御……ありがとうっす……」
「礼を言うのは私じゃないだろう? それにまだ言うにも早いよ!」
ハドの背中に腰を下ろしたユードは、振り落とされないようにシャロニカにしがみ付く。
そしてそれを待っていたかのように、次の瞬間ハドが駆け出した。
「──グルアアアアア!」
咆哮一声。逃がさんとばかりに主がハドを追従する。
グリフォンよりも、主の方が機動力は上回っているようで、他愛も無くその距離を縮めて見せる。
そして凶悪な爪をその羽毛に包まれた体に付き立てようと振った。
しかしそれを予測していたかのように華麗に躱したハドは、そのままの勢いで乱立する木立から開けた場所へと飛び出した。
「──!? ここは……!」
飛び出した空き地はユードが落とし穴を作った場所。
前方に大きな穴を見つけたハドは、飛び越えるように地面を大きく蹴ると、そのまま上空へと舞い上がった。
「──ガウッ!」
そこへ同じように森を飛び出して来た主の爪が、空に居るハドを引きずり降ろそうと迫り来る。
「──『暗闇魔法』!」
すかさず銀鈴の音が夜の森へと木霊すると、主の頭部辺りに黒い霧のようなものが発生した。
「──ギャウッ!?」
主は急に視界を奪われ、空に逃げたハドを追う事が出来なくなった。
そして闇雲に宙を何度か引っ掻きながら空き地を彷徨いだすと、ユードが用意した落とし穴へ再び滑落していった。
「アイツまたおいらの落とし穴に落ちた……! ははっ……」
森上空へ高く舞い上がったハドの背中から、主を見下ろしてユードが笑った。
「……呑気だなユード。もう少し遅かったらお前死んでたかもしれないんだぞ?」
「──うっ……」
呆れでもなく、叱るでもないトーンで呟かれたシャロニカの一言に言葉を詰まらせるユード。
そんなシャロニカに答えるように手綱を握るシグが言葉を続けた。
「そういう甘さが命取りになるって分からない奴なんですよユードは。だからこんな事になる……。私が 『野獣使い』 になるのを反対している理由もこれでよく分かったでしょう」
「……そ、それは……!」
「──はっ!」
「──クワアアーー!」
何か言い掛けたユードの言葉を遮るように、手綱を大きく振うシグ。
それはもはや聞く耳を持たないという意思の表れか、それとも別の思惑があるのか。
表し様の無い雰囲気を残したまま、グリフォンに乗った一行はハーフリングの里へと帰還する事となった。
────────
────
──
「──! ジーテさん! ほらあっち!」
「──あれは……!」
すっかり辺りが暗闇に包まれた頃、辺境の森上空に大きな影を見つけた伊吹が声を上げた。
夫の帰りを待ちわびていたジーテはそれを聞いてすぐさまそちらへ駆け出す。
月と星の光でうっすら浮かび上がる姿は、やはりグリフォンのハドで間違いない。
ハドは翼を大きくはためかせながら次第にこちらへ近づいてくる。
「お~~い! とうちゃーん! にぃ~ちゃーん!!」
鞍に跨っているシグが見えてくると、待ちきれないとばかりにオリゼが上空に向かって叫んでいた。
それを下に見やりながらシグは手綱を小さく何度か引くと、ハドがゆっくりと着地した。
「──どうどうどう! いい子だハド。よく頑張ったぞ」
「クワッ!」
シグは地面に降り立つや否や腰袋から何かの肉をハドに与えて労いの言葉を掛けた。
「よーしよしよし……さ、戻ってゆっくりお休み」
乗っていた全員が地面に降りたのを確認したハドは、シグの指示に従って厩舎へと戻っていった。
「ユード!あんたって子はまったく……」
「──か、母ちゃん……」
ハドの背中から滑るように降りてきたユードを囲むように皆が集まってくると、その中でもいち早く駆け寄ったジーテが気まずそうにする息子を力一杯抱きしめていた。
「心配かけるんじゃないよ……出掛ける時にはちゃんと伝えてからっていつも言ってるだろ?」
「……ごめんよ母ちゃん……ほんとにごべっ──!?」
──突如、ゴンッと鈍い音が辺りに響いた。
何事かと目を見張ると、ユードの頭にゲンコツを喰らわせているシグの姿が見て取れた。音の正体はそれだった。
「──~~~~~!! 痛ってぇ……!!」
たまらずジーテの抱擁から抜け出したユードが殴った本人、シグの方へと顔を向けた。
「……」
「──なっ……なんだよ父ちゃん……」
シグは黙ってユードを見つめているだけで、それ以上何もしようとしない。
固く握りしめた拳をゆっくり元に戻すと、ユードに背を向けて家の方へと歩き出した。
「あなた……」
「……ほらジーテ、皆さんお腹が空いてるだろうから夕食の準備を急ごう。明日も早いんだから」
玄関を開けながらこちらへそう声を掛けるシグは、普段と何も変わらないように見える。
ユードに対してもっと説教をするものだとばかり思っていた伊吹は、思わず拍子抜けした。
ゲンコツ一発で全て解決したのだろうか?
それとも、もう何を言っても無駄だと思って説教しなかったのだろうか?
シグの内心を推し量ってみたが、伊吹に答えは出せなかった。
それから少し遅くなった夕食を皆で取った。
唯一ユードだけは気落ちしていたのだが、そんな彼を元気づかせる出来事があった。
ユードの表情が明るくなったのは、伊吹からの『意外な提案』を聞いてからで、その内容は……
「ユードに『交易街ベアツ』までの道案内を頼みたい」
と、いうものだった。
ランビューンでベアツまで移動するのに3~4日程度かかる道中。
もちろん専門の御者も居たのだが、伊吹はそれをユードに頼みたいと言ってきたのだった。
その提案を受けてユードは一瞬父と母の顔色を伺ったが、二人とも特に気にする素振りも見せなかったのでこれに快諾した。
こうしてユードは『交易街ベアツ』までの道のりを伊吹達と共にする事となったのだった。
「じゃあ俺達は宿へ戻ります。ユードはまた明日、頼んだよ」
「おやすみなさい皆さん。ゆっくり休んでくださいね」
「おやすみー! みんなまたあしたねー!」
こうしてハーフリングの里、最後の夜は更けていった────
 




