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闇夜に潜む紅

 

 ──喉乾いたなぁ……



 森に入ってからここまで水分補給をしていない事に気付いたユードは、辺りを見回した。



 ──そんな都合よくはいかないよなぁ……


 すでにほとんどが薄暗闇に包まれてしまっている森の片隅にハーフリングの少年、ユードは居た。

 昼の活発さに比べて夜の森は何とも言えない静けさがある。


 陽の光は余韻を残すばかりで、代わりに顔を出し始めた月や星の光が薄ぼんやりと森の中を照らし出している。

 時折ざわめく風の音と、虫達の鳴き声が静けさの中に響き渡り、襲いくる寂しさをほんの少しだけ和らげてくれた。



 ──こんな事ならハドと来れば良かったかなぁ……


『森の主』 の追撃から一旦免れる事が出来たユードは、森のさらに奥深くに身を潜めていた。

 ユードは確実に安全な距離を保ちながら主の姿を注意深く伺い、徐々に移動を繰り替えしている。


 そして機を伺いつつ、主がこちらにほんの少し注意が向くように音を立てて誘導してもいた。

 それら全ては次の作戦を遂行する為の物。ユードはまだ諦めていなかった。



 ──ダメだ……1人でやるって決めたんだ……じゃなきゃ父ちゃんに認めて貰えないんだ


 夜の森の雰囲気に呑まれたか、元々の気弱さのせいか、はたまたその両方か。

 ユードの心は自分の信念と、弱気とでせめぎ合っていた。


 もう止めてしまおう。家に帰っていつも通りにディナーをして、可愛いオリゼと遊んで、ふかふかのベッドで寝る。

 簡単な事だ。別にこんな事は誰にやれと言われた訳でも無いのだから。いつだって止めていいんだ。


 そんな事が頭を過る度にユードは自らの心を奮い立たせてこの場に留まっていた。



 ──来た……! 遂にこの場所まで誘い込めたぞ……!


 そんな葛藤をし終わったユードの視線の先には、暗い森の中においても存在感を放つ巨大な影があった。

 真紅の瞳が忙しなく動いているのは、利かなくなった嗅覚を補う為だろうか。

 全方位を警戒しながら慎重に進んでいる主の姿を見てユードはそう思っていた。



 ──もう少しだ……落ち着け……



 主まで届いたのではないかという程、ごくりと飲む唾の音が大きかった。

 握りしめた拳を少し開くと、汗ばんでいるのを感じる。

 自分が緊張しているのを必死で和らげようと、ユードは深く静かに息を吐いた。


 そんな中、音も立てずに歩く主がユードとの距離を着実に縮めて来ていた。

 そしてそれを背丈を遥かに超える草木の隙間から伺い見ているユード。


 主とユードの間にぽっかりと空いた場所があった。

 そこだけは乱立する木々も無く、平地に近い場所で、視界も開けている。

 ユードはその開けた場所のさらに奥に身を潜めていた。


 ぬうっと開けた場所へと姿を現した黒き影は、先程と変わらぬ速度で歩みを進めていく。

 そして、そこを挟んで2人が対面に重なった所でついにユードが動いた。



「──やい主っ! おいらはここだぞー!!」


「──!?」


 颯爽と草むらから空き地へ飛び出したユードは、主に向かって大きく叫んだ。

 突然現れたユードを見て一瞬動きの止まった主であったが、すぐさま激しい形相に変わって唸り声を上げた。



「グルルルルルル……」


「……へっ! どうした? おいらにビビッちまったか?」


 主は最大限の警戒をしているせいか、すぐにユードに近づこうとしない。

 ユードから視線を外さずに、低い唸り声を上げ続けているだけだ。



「……なぁんだ。 『森の主』 って言っても大した事ないんだなお前! なんだかおいら気が抜けちまったよ」


 やれやれといった風に肩をすくめて見せるユード。

 そして溜息を1つつくと、飛び出して来た方へ向き直って歩き出した。



「……見逃してやるからお前も帰りな! ──あばよ!」


「──グルァアアア!!」


 ユードが完全に背を向けた時、主は大地を大きく蹴って跳躍した。

 そして森の中に入っていこうとするユード目掛けて凶悪な爪を付き立てるように前脚を力一杯振り下ろした。



「──!? うわああああ!」


 襲いかかって来た主の声を聞いたユードが、一瞬早くそれに反応して一歩大きく飛び退いた。

 ユードは間一髪、服をかする所で主の爪を避ける事に成功した。

 一方、空振りに終わった主の爪は虚しく宙を切り、そして地面へとそのまま吸い込まれていく。



「──ギャウッ!!」


 文字通り、 『地面に吸い込まれた』


 脚だけでなく、体ごと。


 一瞬にして、その場から、ユードの目の前から、夜の森から──



「──ふぃ~~……間一髪……ギリギリだったぁ~……」


 主の爪によって切り裂かれた服を手で触りながらユードが呟いた。

 そんなユードの目の前、空き地にぽっかりと姿を現したのは巨大な 『落とし穴』 だった。

 落ちたはずの主が見えなくなる程深く掘られている穴。一体どれ程の労力が必要だったのだろうか。



「これが最後のおいらの作戦さぁ。これでダメならもうお手上げだった……まぁなんとか成功して良かった……」


 ユードは精根果てたように地面へと座り込むと、暗く深い穴を覗き込もうと恐る恐る身を乗り出し始めた。




 と、その時────


 唐突にユードの顔を突風が撫でるように通り過ぎていった。

 何が起こったのか一瞬分からなかったユードだが、次の瞬間に突風の正体を知る事になった。



「──っ!! 嘘だ──ろ……」


 驚く事に黒き影、森の主は落とし穴を挟んでユードの向かい側へと降り立っているではないか。

 大型の野獣でも這い上がってこれないよう、念入りに深く掘っておいた落とし穴。


 それをこの黒き影はいとも簡単に抜け出してしまった。



「──ひぃっ!」


 主は怒りの形相を浮かべながら、低い唸り声を上げている

 穴の対岸に居るとはいえ、主の脚力であればユードの喉元までひとっ跳びだろう。


 しかし万策尽きたユードはこの状況を打破する術を持たなかった。


 後は戦うか、逃げる他無いのだが、こちらが動いた瞬間に全てが終わりそうで、微動だに出来ない。


 それ程の圧倒的プレッシャー。確実に狩られるという恐怖。




 腰に差してある短剣で戦う?

 ──瞬殺されるだろう……



 煙玉でもう一度姿を隠す?

 ──このレベルの相手に同じ戦法が通用するとは思えない…… 



 どうするべきかと、頭を働かせようとすればするほど絶望的な未来しか見えないユード。

 暗闇の中で煌々と光る真紅の目に睨まれたまま、ユードの頭は走馬灯が駆け廻り始めていた。




 父ちゃん……こんな事なら言う事聞いて、大人しくしておけばよかったな……


 オリゼ……可愛いオリゼ……まだまだいっぱい遊びたいよ兄ちゃんは……


 ……やっぱりハドが居ないとおいらは何にも出来なかったよ……


 母ちゃんの料理……また食べたかった……きっといっぱい悲しませちゃうよな……ごめん……




 ユードが家族の事を思い返しながら恐怖に涙し始めると、対岸にいる主がゆっくりと体を動かし始めるのが見えた。

 力強く大地を蹴ろうとしゃがみ込んでいる様がユードの目にはスローモーションのように見えていた。


「──うわあああああ!! 来るなぁああああああ!!」


 主の動きに一瞬早く反応したユードは、咄嗟に煙玉を足元で炸裂させた。

 ユードの周囲に白い煙が立ち込める。

 それを見た主は、飛び掛かるタイミングを失って体の力を抜いた。


「──ッゲッホ! ゲフォッ……! グアッフ……!」


 本来対象に向かって使用する煙玉を自分に使う形になってしまい、ユードは激しく咳き込んだ。

 結果として 『狩られる』 事から逃れられたが、その代償にユード自身の視界と嗅覚も奪われてしまった。


「──ゲホッ……! 逃げ──ゲホッ! なきゃ……」


 ほんの少しだけ出来たタイミングを逃さずに、ユードは木々が生い茂る森へと身を投げ入れた。

 そして力の限り全力で走り出した。

 暗い森の中を、どことも無く、ただただ進む。

 死の恐怖から少しでも遠ざかるように、奥へ、奥へと突き進む。


「──うあっ!」


 しかし夜目の効かないハーフリングにとって、無暗やたらに走る夜の森は容易いものでは無かった。

 大した距離を走らずに、ユードは再び木の根に足を取られて大きく転んでしまった。

 悲しいかな今回は演技ではない。

 ユードは体を激しく地面に打ち付けられて、激しい痛みに顔を歪めた。


「ぐぐ……い……痛い──はっ!?」


 何とか立ち上がったユードは、背筋がゾクっとして後ろを振り返った。


「──グルルルルルルル……」


 気付けば森は完全な闇に包まれている。

 黒き影はその闇の中に月光を浴びながら佇んでいた。

 もはやどんな手段を用いようが主がユードを逃す事は無いと思われる距離。

 ユードはそんな目の前の絶対的強者を前にただ立ち尽くす事しか出来ずにいた。



「…………」



 ──無

 考える事すら出来ない程の恐怖はついにはユードを無我の境地へ導いていた。



 ──紅

 恐怖も、悲しみも、迷いも、全てが主を眼前にして消え去ったユードはただただ真紅の光を見つめている。



 そして静寂が二つの影を包み終わった時、黒き影がこの 『狩り』 を終わらせようと体を大きくうねらせた────

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