森の主
ここからユードサイドのお話になってます。
――――居た! 本当に……!
聞いていた特徴に近い……! あれが 『主』 に間違いない……!
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ハーフリングの里周辺を囲むように広がっている 『辺境の森』 には1つの大きな影が潜んでいる。
それは巨大な犬か、狼の様な姿だったと見た者は噂し、煌々と紅い光だけが森の闇から覗くようにこちらを見ていたと語る。
そんな存在の事を里の住人達は昔から 『森の主』 と、そう呼んでいる。
しかし 『森の主』 と呼ばれるその影が姿を現す事は滅多に無い。
ここ数年の間、見た者はほとんど存在して居なかった。
その為 『森の主』 については、お伽噺のように語られる事が大半であった。
それがここ数日間で、その姿を見たと話す住人が一気に増えたのだ。
それはどんな因果か、伊吹達が里にやってきた日から囁かれ始め、そしてこのハーフリングの少年の耳にも届いていたのだった。
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ユードは森の中で息を殺して潜んでいた。
それはもちろん目的である 『森の主』 を捕獲し、手懐ける為の作戦を遂行中だからだ。
森はすでに夕暮れ時を迎え始めた空と共に影を濃くし、静かな宵闇への準備を始めている。
普段の森と違った雰囲気に感じるのは、相棒が居ないせいだろうか?
そんな事を考えていると心細くなって、ユードはすぐに自分を奮い立たせる事にした。
(……ダメだダメだ! 1人でもやるって決めただろユード……)
背丈のある草陰に隠れながら伺う先に見えるのは紛れも無く 『森の主』。
それは里の住人達から聞き集めた情報通り、巨大な犬か狼のような姿をしている。
何よりもユードがそれを 『森の主』 だと直感したのは圧倒的な威圧感故だった。
体の周りが歪んで見える、黒く大きな影が森の中を闊歩していれば誰であろうとも恐れ戦くだろう。
そして特徴的なのがその目だ。
それは薄暗くなりつつある森の中においても、煌々と輝いている真紅の光。
右へ左へ忙しなく動いている様は、まるで隠れている何者かをくまなく探しているかのようにも見える。
(……落ち着け……準備はしてきた……後はやるだけさ!)
主とユードの距離が後十メートル程の所まで縮まっている。
ゆっくりと、しかし悠然と獣道を進んでいる主の姿を隠れながらしっかりと捕捉しているユード。
(よし……! 今だ!)
ユードは勢いよく立ち上がると、そのまま主の迫り来る獣道へと飛び出した。
「――――おーい! お前が 『森の主』 だろー? おいらはユードだ! よろしくな!」
「――――グルルッ!」
突然目の前に現れたユードに一瞬驚く主。
歩みを止めて、注意深くユードを観察しているように見える。
「突然驚かせてごめんっさ! おいらの友達になって欲しくてここまで来たんだけど……どうだい?」
穏やかな口調で語りかけるユード。
一方で主は頻繁に鼻をひくひくさせて何かを伺っている。
「……ほら、な? お前の敵じゃないって分かっただ――――!?」
「――――ウガウッ!!」
両手を上げて一歩、主に近づこうとしたユードの言葉を最後まで聞かずに黒い影が突如として駆け出した。
「――――っ!! 作戦変更~~!! 逃げるさ~~!!!」
黒い影が巨体を疾駆させてユードに迫る。
しかし十分な距離を確保していたユードは全力ではあるが、多少余裕を持って逃走を始める事が出来ている。
それでもハーフリングの少年と、巨躯の獣ではあっという間にその距離は縮まってしまう。
数十メートルもあった2人の間隔は、気づけばあと一度主が駆ければその体に爪が届くであろう所まで迫っていた。
「――――ひいぃぃぃ~~!! や、ヤバいーーーーー!!」
主の鋭く長い爪がユードの体を引き裂こうと振り下ろされた――――
次の瞬間――――
「――――!!」
振り下ろされたはずの前足は獲物の体には届かず宙を切り、代わりに下から縄の網が飛び出してきた。
そして瞬く間に主の体は引き上げられて、気付けば宙吊り状態にされてしまっていた。
「よっしゃ~~!! トラップ大成功~~!! イエーイ! どんなもんだい参ったか~! はっはっはっはー!」
声高な勝利宣言が、静かな森に響き渡る。
主は太目の紐で編まれた網袋に包まれて、身動きが取れずにもがいている。
そんな主を離れた所から得意気に見上げているユードが声を掛けた。
「ふぃ~……ちょっと焦ったけど上手く行ってよかった。おい主! おいらに負けた事を認めればそこから降ろしてや――――!?」
ぶちっと何かが切れる音がユードの言葉を遮るように聞こえてくると、すぐさまユードは踵を返して森の奥へと駆け出し始めた。
「――――~~~~~!! ヤバイヤバイ! クッソー! 次だ次~!」
主はその鋭い牙でいとも簡単に紐を食いちぎり、そして数メートル程の高さから何事も無かったかのように華麗に着地していた。
怒りの形相を浮かべた黒き影は前方のユードを睨みながら唸り声を上げている。
「……ヒィ……! もの凄く怒ってる……! 追いつかれたらヤバい~~!」
後方の主の姿をちらっと確認してすぐさま前へと向き直ったユード。
その主はユードへの怒り心頭のまま猛追を始めていた。
宵闇にまみれ始めた森が、黒い風と小さな少年の 『それぞれの狩り』 を見守るようにざわざわとさざめき立っている。
時折聞こえてくる何かの鳴き声だけが静寂に支配された森に木霊する。
ユードはそんな中で後方から迫り来る足音だけに意識を集中していた。
(――――やっぱ……そんなに長くは逃げられないよな……! もう少し……!)
木々の細い枝や、葉、蔦などが顔を掠める度に少しの痛みを感じるが、ユードは一切走る速度を変える事はしない。
それは一瞬でも躊躇ってしまえば自分が即座に 『獲物』 の 『餌』 にされてしまうと理解しているからだ。
その一瞬が命取りであると同時に、相手の一瞬の隙は好機である。
『狩り』 とはそういうものだとユードは父の言葉を思い出していた。
「――――っ!!」
突如として大きく体勢を崩したユード。
その原因は足を捉えている根だった。
湾曲した木の根が地面から顔を出し、それがユードの足を急停止させていたのだ。
「――――――ひいぃっ!?」
たった数秒。たったそれだけで十分な距離が取れていたユードと主の距離は無くなっていた。
ユードが慌てて体勢を立て直し、後ろを振り向くとすぐそこまで主が迫っているではないか。
主はここが好機と踏んだのか、迫る速度を落とし確実にユードに飛び掛かれるよう姿勢を低くした。
『獲物』 まで後、数メートル。
対象のハーフリングは未だに逃げ出せずにこちらを見ている。
――――今度こそ貰った!
そう思いながら後一歩の所まで迫った時だった。
ガクンと、主はまるで見えない何かに力一杯引っ張られるように、突然大きく体勢を崩した。
それはまるで先程のユードと同じようでもあった。
しかしそれは地面から顔を出していた木の根……ではなく、鉄製の罠であった。
「――――ギャウッ!!」
鈍い金属音と共に襲ってきた痛みから、溜らず主は悲鳴を上げた。
するとそんな主の姿を確認したユードは怯えていた表情から一変、得意気に語り始めた。
「――――へっへっへ! これが 『敢えて隙を見せて嵌める』 作戦だ~! 騙されただろ? やってやったぜ!」
左前脚をガッチリと罠に挟まれていてその場から動く事が出来ない主。
低い唸り声を上げながら脚をがむしゃらに動かしている。
「無駄無駄ぁ~! そんな簡単に外れるようなシロモノじゃないさー……とは言え……念には念をと……」
先程あっさり破られた第一の罠を思い出したユードは、万が一の事を考えて主から距離を取る事にした。
「――――グルルルルルル……」
何度か罠を外そうと試みる主だが、一向に取れそうも無い事を確認すると動きを止めて体を小さく丸め始めた。
それはまるで力を溜めているようにも見える。
「……うーん……これは……よし、逃げよう……!」
主の行動に何かを察したユードは、再びその場から駆け出そうと踵を返した。
するとユードの予想が的中するかのように、甲高い音が森に響き渡る。
走り出したユードは音のする後方を見やると、やはりそこには罠から呆気なく脱出を果たした黒い影の姿があった。
「――――アオオォォ~ン!」
一体どうやって罠を破壊したのか想像もつかないユードだが、確かなのは自分が主の射程範囲に入ったままだという事だけだった。
空に向かって遠吠えを1つする主の姿から、直感的にそう感じているユード。
「――――ハァッ……ハァッ……! これ以上は……ハァッ……体力がもたない……!」
全力で森を逃げ続けているユードのスピードが徐々に落ち始めているのを主は見逃していなかった。
そしてそんな 『獲物』 を捕えるのはもはや時間の問題だと 『ハンター』 は確信している。
先程より冷静に見える出で立ちで再びユードを追い始めた主。
それは周囲を警戒しているからだろうか? 先程までの猛追というよりは、一定の距離を保ちながらジワジワと追い詰めるように後を追ってきている。
「――――くっ……! そうかい……ハァッ……! スタミナ切れを狙ってるって……ハァ……わけね……なら……」
主との距離がグッと縮まっている事に気付いたユードは腰にぶら下げている布袋から何かを取り出した。
「――――これでも……! 追ってこれるかな!?」
「――――グゥワッ!?」
小さき者の度重なる小細工、そしてまた今度も仕留められると思った直後にそれは叶わなくなった。
――――煙
主の視界は一瞬にして煙に覆われていた。
灰色の煙はユードの投げた 『煙玉』 から発生した物で、数メートル先までの視界は全て遮られている。
さらに主が困惑したのは、その強烈な 『香り』 だった。
視覚に頼らずとも優れた嗅覚だけで十分に獲物の位置を特定できるはずだったが、この煙と共に発生している香りによって主は完全にユードの姿を見失ってしまっていた。
「……グルル……」
幾何か逡巡した後思い切って煙を抜けてみたが、すでに獲物の姿は森の先には見当たらなかった。
主は完全にユードの姿を見失ってしまったのだった。




