出発前夜
■読み方メモ
・野獣使い……テイマー
・魔法使い……ウィザード
・主……ぬし
「――――おっはよーー!! あさだよー!」
けたたましく扉を叩く音と共に響いてくるのはもはや朝の日課になりつつある、オリゼの声だ。
「――――カースーミー! あっそびましょー!」
部屋の扉はそこそこ分厚く作られていて内鍵もかかっているのだが、普通にノックをすれば十分中の人間の耳に届く。
だが、このハーフリングの男の子は毎朝毎朝全力で扉を叩きつづけるのだ。その扉が開くまで。
「――――はぁい! おはよーオリゼー! きょうもはやいね!」
「やっほーカスミ―! うん、きょうもあさいちばんでやってきたよっ!」
そんな騒がしい朝が続いた今となっては、もはやその対策も万全で、すぐにカスミがその扉を開け放ってくれるようになっていた。
初日は一体何が起こったのかと、朝から大騒ぎになっていたのが今はすっかり慣れてしまっている事に伊吹は溜息をつく。
(人は何でも適応していけるんだなぁ……)
部屋の中をドタバタと走り回るカスミとオリゼの足音を聞きながら、布団へ深く潜り込んで目を閉じる伊吹。
「――――おいイブキ! 何寝直そうとしてるんだ? ほら行くぞ! 朝食の時間だろ!」
伊吹の体を包み込んでいた布団が突然剥ぎ取られ、そしてこちらも毎朝お馴染みとなってきた女神の催促が始まっていた。
「……1人で行って来いって……俺はもう少し寝る」
「ほー、そうかいそうかい。じゃぁお言葉に甘えて勝手に食べてくるとするかね。」
「――――待て! ……分かったよ……ったく……」
陽気に口笛を吹きながら部屋を出て行こうとするシャロニカの細い腕を慌てて起き上がって掴む伊吹。
「どうしたイブキ? もう少し寝るんじゃなかったのかー? ん~?」
「はぁ……お前が勝手に食べたらまたとんでもない金額になるからな……ダメだダメだ……」
宿に泊まっているこの数日間、シャロニカは食事に金の糸目を付けずに注文しまくっているのだ。
そしてそんなシャロニカの奇行は瞬く間に噂として広まり、最近ではシャロニカが食事をする際には大勢のギャラリーが酒場に出来上がってしまう。
さすがに毎度それを繰り返されると資金がどんどん減っていってしまうので、こうして伊吹が付き添って監視するようにしているのだった。
「はっ! 最初っからそうしてればいいんだまったく。私は腹が減ったんだ! 急ぐぞイブキ!」
「……やれやれだ。おーいカスミ、オリゼ! 朝食食べにいくぞ!」
「はーい! いまいくよー!」
伊吹のここ最近の朝は、こんな感じでスタートしている――――
――――そして今日はハーフリングの里に滞在してから5日目の朝になる。
1日目は伊吹の治療。
2日目にはクリスタルを換金し、宿を確保する事ができた。
3日目からは特に大きな動きをする事なく、 『交易街ベアツ』 へ向かう為の準備を進めていた。
準備の中でもっとも時間を要するのは移動手段である 『ランビューン』 が引いていくキャビンが完成するまでの時間で、物が出来上がるまでに2~3日かかるとの話だった。
『ランビューン』 が引くキャビンは、元々用意されている物もあったのだが、それだと手狭で荷物もそんなに積めなかった為、カスタマイズして貰う事にしたのだ。
この完成を待つ間、伊吹達は旅の準備を進めつつ、のどかなハーフリングの里を満喫していたのだった。
大半はカスミと遊びたいオリゼの誘いに、伊吹とシャロニカが付き添うといった形になったが傍から見れば家族の団欒にしか見えなかっただろう。
湖へ行ったり、店で買い物をしたり、村人達と交流したり、と至って平和な日々を過ごしていた。
夜にはお礼を兼ねてジャーテニンズ家を訪れ、伊吹達の手土産と共に食事会が催されたりもした。
4日目も同じように旅の支度を整えていたが、それまで毎日顔を出していたユードの姿が見られなかった。
オリゼに聞いても朝からユードの姿を見ていないとの事で、結局この日は丸1日伊吹達の前に姿を現すことは無かったのだ。
伊吹はユードの姿が見えない事が気になったが、明日になれば何事もなく顔を出すだろうと、深く考えない事にした。
そして今日を迎えたのだった。
――――――――
――――
――
「――――よし! これで準備はほとんどOKだ。後は挨拶しに行って、明日に備えて今日は早めに休もう」
伊吹は朝食を終えた後、完成したキャビンを確認し、そこに用意しておいた荷物を積み込む作業を終えて宿へと帰ってきていた。
『交易街ベアツ』 に出発する為の準備はこれで全て整い、明日出発する事となったのだ。
「オリゼー! でてきてよー!」
「やだよー! かえりたくないよー! ぼくはここにいる!」
宿の部屋ではクローゼットに隠れたオリゼと、そこから何とか出させようと説得しているカスミの声が響いている。
これでカスミと会えなくなるのが寂しいようで、駄々をこねているようだ。
「やれやれ……これはユードが来ないとダメなパターンかな?」
部屋に掛かっている異世界時間を示していると思われる壁時計を見やる伊吹。
この時間が正確に何時辺りなのかというのは不明だが、おおよその見た目は自分の知る時計に酷似していた。
時計の針は5時を少し過ぎたあたりを指している。
「……今日も来ないのか……」
昨日に続いて姿を現さないユードを待っていてもいつになるか分からない。
伊吹は仕方なくオリゼを説得してジャーテニンズ家へ向かう事にした。
――――――――
――――
――
伊吹達がオリゼを連れてジャーテニンズ家までやってくると、家の外には辺りを見回すジーテの姿があった。
「――――こんばんはジーテさん。 どうかしたんですか? あ、オリゼ送りに来ましたよ」
「あ…イブキさん……こんばんは……いえ、何かあったって訳では無いんですが……その……」
口ごもるジーテに代わるようにオリゼが言葉を続けた。
「にいちゃんまだかえってないの? かあちゃん」
「そうなのよ……もう丸1日位経つのに……」
「ユードですか? 俺達の所にも姿は見せてませんけど、家にも居ないんですか?」
「……昨晩から家に居ないんです。今までもたまにこんな事はあったけれど、ここまで長いのは……」
不安な表情を浮かべているジーテをなぐさめるように、オリゼがそっと寄り添った。
「……にいちゃんどこにいっちゃったのかなぁ……やっぱりとうちゃんとケンカしたからかなぁ?」
「喧嘩? シグとユードが?」
ええ、と頷いた後にジーテが事の顛末について説明を始めた。
「一昨日の夜……ですか。イブキさん達と食事を終えた後にまたいつもの言い合いが始まってしまったの」
「いつもの……と言うと?」
「……大した話じゃないんですけどね……あの子のやりたい事を主人が反対する、っていういつものやり取りなの」
「そういえば 『野獣使い』 がどーのこーのって言ってたね確か」
黙って話を聞いてたシャロニカが思い出したように口を挟んできた。
「 『野獣使い』 ? なんだそれ?」
「イブキが森で襲われた蛇とか、ユードに乗せてもらったグリフォンとか、ああいう生き物の総称を 『野獣』 って言うんだ。で、それを意のままに操るスキルを持ってる人を 『野獣使い』 って呼ぶんだよ」
「なるほど、で、ユードはその 『野獣使い』 を目指してるという訳ですか? ジーテさん」
「……そうです。それを主人がずっと反対してるんです」
「どうして反対を? グリフォンだって乗りこなせているじゃないですか」
「――――危険だからですよ」
唐突に背後から掛けられた声に振り向くと、そこには髭面のハーフリングの姿があった。
「――――シグさん!」
「皆さんこんばんは。こんな所で何を話してるかと思えば……あのバカ息子の事でしたか……いやなんともお恥ずかしい……」
シグは髭をさすりながらイブキ達の前を通り過ぎ、ジーテの隣に並ぶように立った。
「あなた……ユードがまだ戻らないのよ。まさかあの子……」
「馬鹿げた事をやろうとしてるんだろうなまったく……」
ジャーテニンズ夫婦は大きく溜息をついて肩を落としている。
「シグさん、ユードが居なくなった事、何か心当たりがあるんですか?」
「……恐らくは、ですが。大よそ外れてはいないでしょうな」
「教えて下さい。ユードはどうして姿を消したのか……俺達も探しますから!」
「ありがとうございます。しかし……探しに行くのも危険が伴いますので、巻き込む訳には……」
申し訳なさそうに首を横に振るシグ。
「なら私が手伝ってやろう。それなら何の問題も無いだろう?」
「……シャロニカさんが?」
「そうだ。私なら魔法が使えるから危険な場面においても対処できる。イブキは足手まといにしかならないけどね!」
「……刺さるねぇ……何も反論できませんけど……」
「シャロニカさんは 『魔法使い』 ですか!? それなら確かに……」
『魔法使い』 というのは恐らく伊吹の知る物と同じ意味の言葉だろう。
しかしいつものシャロニカであれば自分は 『女神』 だ。と言い張りそうな場面なのにと、ふと不思議に思う伊吹であった。
「あなた……もう日も暮れてしまいます。事情を話してシャロニカさんにも手伝って貰いましょう」
「……分かったよジーテ……」
決心したように息を整えた後、シグが話を切り出した。
「実はここ数日、里近くの森に 『主』 と呼ばれる野獣が現れたようでして……ユードは恐らくそれを捕獲しに向かったのではと考えられます」
「なんでまたそんな事を……?」
「…… 『主』 のような上位の野獣を手懐ける事が出来れば一人前だと認めて貰えると思ったのでしょう。そうすれば私が反対する理由も無くなる……と」
「ユードの才能を誰よりも認めているのはあなたなのにね……」
「……ふん……才能だけでは何ともならん事をアイツはまだ知らな過ぎるのだ」
ユードはシグのグリフォンを勝手に乗り回して、 『野獣使い』 の真似事ばかりしているが、実際どれ程の危険が伴う仕事なのか分かって居ないのだと言う。
今はグリフォンの強さだけで野獣と渡り合えているが、そのグリフォンもそもそもは自分で手懐けたわけではない。
それを自分の実力と履き違えてしまっている事にシグは危機感を覚えていたのだった。
だからシグはそんなユードの言葉と態度を見て、 『野獣使い』 になる事を反対し続けて居たのだと言う。
そんな想いがある事を知らないユードと、不器用なシグはこうして反発し合ってしまうのだ。
シグとジーテの話を纏めるとこんな内容だった。
「――――シャロニカさん、こちらへ」
一通り話を終えた後、厩舎からグリフォンの 『ハド』 を連れてきたシグが巨体の背からシャロニカを呼んでいる。
森で助けられて以来2度目のグリフォンの姿に、改めて伊吹は感嘆の声を上げていた。
「でかいなー……爪とかも凄いし……これがグリフォン……よくこんなの手懐けられたなシグさん……」
見上げる巨躯は象と同じか、もっとあるようにも見える。
見つめられただけで威圧感を感じてしまうのは、金色に輝く猛禽類特有の目。
そして身動き取れなくなった所へ鋭く尖った嘴と、鍵爪が襲いかかる。
空を自由に飛び回る獅子だと考えると、恐ろしくて外を1人で歩くのを躊躇いそうになる伊吹であった。
「じゃあ行ってくるよーカスミちゃん! いい子に待っててねぇ~」
「うん! きをつけてねシャロ! ケガしないよーにね!」
「カスミちゃんてば優しい~! 任せて! 無事に帰ってくるからね」
手綱を握るシグの後ろに跨ったシャロニカと、それを地面から見上げているカスミがお互い手を振りながら話をしている。
「とうちゃん! にいちゃんをつれてきてね! ぜったいだよ!」
「……もちろんだ。オリゼは母さんといい子に留守番頼んだよ」
「わかった! ちゃんとるすばんしてるよ!」
「あなた……ユードを……お願いしますね……」
シグがジーテの言葉に応えるように小さく頷くと、手綱を一度強く動かした。
「――――クカアーーーー!」
手綱の合図と共に大きく嘶くと、激しい風を巻き起こしながらグリフォンの 『ハド』 が空高く飛び上がった。
そして二度、三度と翼をはためかせたかと思った次の瞬間には、森へ向かって猛スピードで飛び去って行った。
しばらく森上空を飛行した後、大きな影は、降下しながら姿を消していった。
「…… 『主』 か……無事で居てくれよユード……」
出発前夜を穏やかに過ごしたかった伊吹であったが、気付けば慌ただしい展開となってしまった。
願わくば何事も無かったように、またジャーテニンズ家で食事をしてこの村での締め括りとしたいと思う伊吹。
今はただ、そう願う事しか出来ないのだ。




