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16話 フローラの影

「ひっ」


 恐怖で声が出ない。体も金縛りにあったようにガチガチに動かない。

 女がニッと笑って私に一歩近づいてきた。

 その女の手がすっと伸びて、顔を撫でるように手をあげる。

 私は恐怖のあまり、そのまま気を失ってしまった。


 次に気がついたのは領主の館とは別の部屋だった。


 どこだろう、ここ。


 辺りを見回すと、窓がみえる。位置的に高い場所っぽい? その時に考えついたのが、例の身投げした塔だと何となく思った。

 確認しようと体を起こすと、手足がガッとベッドに引き戻された。

 ん? よく見ると両手足がガッチリ紐で括り付けられているではないか!


「ちょっ……何よこれ、何でこんな展開になってるのよ!」


 ガタガタと揺すって紐を緩めようとするが上手くいかない。

 そうしているうちに、少し離れた扉がキィと開いた。


 青白い女といい、この塔、扉の軋み、完全におばけが出る条件が揃っていることにビビって、悲鳴をあげそうになるのを必死でこらえる。

 中に入って来たのは、青いドレスを着た上品なご婦人だった。

 私は安堵のため息をついて、そのご婦人に話しかける。


「すみません。手足が繋がっているので、ほどいてもらって良いですか?」

「まあ、フローラ、元気になったのね。やっとママのこと思い出してくれた? 明日は向こうの森にピクニックに行きましょうか? それとも湖のほとりがいい?」


 ん? ママ? フローラ?

 何言ってるのかな?

 ご婦人は上機嫌で、お付きの侍女の一人に私の世話を言いつけて部屋を出ていった。


 パタンと扉が閉まると、お世話係がやってきてささやくように話しかける。


「いい、奥様には絶対逆らっちゃだめ。逃げようとしたり大きな声で助けを叫んだりするのも危険だから。言うことを聞いていれば、あの変な薬を飲まされないはずよ」


 私は首だけ捻ってコクコクとうなずいた。「名前は?」と聞いたのだが、あまり親しくなるとマズいと首を振られた。


 顔と手足をきれいに洗われて、さっぱりすると食事を食べさせてもらった。一瞬薬が入ってるかも、と警戒したが、これは大丈夫だから食べておけと言われた。


「残念ながら、奥様の許可があるまではこの紐を緩めるわけにいかないの。逆らわないでくれれば、少ししたら紐も無くなるはず。いい? 絶対に逆らわないことよ」


 早口にささやくと、食事道具を片付けて部屋から出ていった。


 さて、どうしたものか。

 夜のうちはたぶん私が居なくなったことは知られないはずだ。朝になったら騒ぎになるだろうことを想像して、若干憂鬱になる。

 セレス様、私が消えたことに対して絶対に罪悪感感じるはずだよね。何しろ二回目だし……


 とりあえず静かにしてれば薬を盛られることもないようだ。状況をよく見てから次の打開策を考えるか。

 今は体力温存だね。なら寝ましょう。



 朝、扉が開いて目が覚めた。

 お世話係の彼女がやってきて、呆れ気味に私に呟く。


「今まで攫われてきてこれだけ図太く寝てる子ってあんただけだよ。これだったらあんまり心配いらないか」


 素早く食事道具を広げ、少しずつ私の口の中に食べ物を運んでいく。全部平らげたのをみて、


「あんたならこの状況、変えられるかも。奥様を救って欲しいんだ。フローラ様が亡くなったことが受け入れられないだけなんだよ」


 と、哀し気にささやく。

 私は「任せといて、何とかするから」とニッコリ笑って小声で返した。


 少ししたら、奥様がお出かけ用のドレスを着てこちらにやってきた。


「さあフローラ、今日はどのドレスがいいかしら?」


 奥様はご機嫌で私のドレス選びを始める。下手に声を出すと気に入らない言葉に引っかかる可能性があるから、迂闊に喋れない。

 ニッコリ笑って小首を傾げ、その場を回避した。


「まあ、ママに任せてくれる? ならこれがいいかしら?」


 選んだドレスは真っ白なレースがふんだんに使われた可愛いドレスだった。早速着替えさせてもらい、靴まで履かされる。ようやく手足の紐はほどいてもらえた。

 手首をさすりながら立ち上がると、奥様が手を差し出してくる。とりあえず握っておくか。

 手を重ねてニッコリしながら奥様を見てみた。奥様は夢をみてるかのような目つきで私を通り越してその先をみてるようだった。

 ああこの人、もう精神を病んでるかもしれない。救うにはどうすればいいのか。


 奥様に手を引かれて外に出て、用意された馬車に乗り込んだ。

 乗って落ち着くひまもなくすぐに降ろされる。不思議に思って振り返ると、塔のすぐ裏手の湖だった。なるほど、ちよっとした移動も全て馬車なのね……


 周りの侍女たちが素早くセッティングして、簡易お茶会セットが置かれる。

 パラソルで上手に日陰を作ってもらい、ベンチに座って二人でゆっくりお茶を飲んだ。

 奥様がベンチから立ち上がり、少し先の湖のほとりまで歩いて行く。

 私もすぐ後ろから付いていき、そこに敷物を敷いてもらうようにお願いした。


 パラソルを移動させてこちらにも日陰を作ってもらい、二人並んで座ってからしばらく湖を眺める。

 太陽がキラキラと湖に反射し、小鳥が絶えず可愛い音楽を鳴り響かせ、まるでここだけが切り取られた別世界のように感じた。


 こうしていることが、たぶん奥様がフローラと一緒にしたかったことなのだろう、今までの凄惨な事件などまるでなかったかのような満足気な微笑みに私を通してフローラをみていることが手に取るようにわかった。


 奥様は「少し眠くなったわ」と言いながら、私の膝に頭を乗せて目を閉じた。

 それを見ていた控えの侍女さんたちが声を殺しながら泣いている。

 私は、お世話係の侍女に目で合図し、領主の元へ走らせた。


 しばらくして、領主とセレス様が青い顔をしてこちらに近づいてきた。

 私は手でそれを制して、口元に人差し指を立てた。いわゆる静かにしてね、のお願いポーズだ。


 領主は姉を抱きあげると、馬車に乗せて、領主の館まで運んだ。鍵のかかる部屋へ一時身柄を移し、神隠しの全貌が明らかになるまで幽閉の扱いになるそうだ。


 私が館にいると、またパニックになる可能性があると言われ、セレス様と共に別邸へ移動した。


 別邸に着くやいなや「アリス」と呟かれてグイッと腕を引き寄せられた。

 バランスを崩してセレス様の胸元になだれこむ格好になり、文句を言おうと顔を上げかけた。

 ガッチリ囲われて身動きとれなかったので、されるがままにしていると、セレス様が細かく震えているのがわかった。

 ああ、心配してくれてたんだな……


 私は右手だけ上手く囲いの中から出して、ゆっくりとその震える背中を撫でていく。


「ごめんなさい、二度も攫われてしまいました」


 申し訳なく謝罪すると、セレス様が深呼吸してから呟いた。


「本当に人騒がせが絶えないな、君は。お願いだからもう、急に私の前から消えるのは止めてくれ。……手離せなくなるではないか……」


 最後はため息混じりだったので聞き取りづらかったのだが、確かにそう聞こえた。

『手離せなくなる』ということは、手離すことを前提としての言葉だ。


 いつの間にか自分が特別な存在になっているかのような近すぎる距離感に、はっと気づいてしまった。

セレス様は後見人として心配してくれてるの。自惚れてはダメだ。私はあくまで……

 一度目をぎゅっと瞑って、ニッコリ笑いながら、力強くセレス様の背中をバンバンと叩く。


「もー、そこまで心配しなくても大丈夫ですって。昔マーサが言ってたんです。良くない言葉を口にすると悪運を呼んでくるんですって。だから、悪いこと言ったり思ったりしたらダメですよ?」


 急に元気になった私の言葉で少し囲いが緩くなった。スルリと抜けだして、再びセレス様の前に立ち、その両手を私の両手で包み込む。


「私は悪運から逃げられる特技があるんです。ですから何度攫われたって結構大丈夫なんです」


 自信満々で言い切る私をみて安心した表情になるセレス様。優しく頭を撫でてくれる。


「明日からまた移動ですからね、早く寝ないと馬に酔っちゃう。今日は疲れたからグッスリ寝れそうなのでもう着替えてベッドいきます」


 ベッドに潜り込んで、いろいろな考えが渦巻くのがわかる。今は考えないことにしよう。明日も明後日も、考える時間はいくらでもあるのだから。


 今は……心に蓋をして気の済むまで眠りにつこう。

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