10話 中和剤の正体は
アルも見つかり、セレス様との気まずい関係も解消して、何となく日常が戻ってきたかな、と思える日、学院の生徒を震えあがらせる事件への第一報が入った。
病気療養で自領へと帰っていたフローラ嬢が亡くなったということが近くに住んでいた女子生徒によって伝えられたのだ。
最初は体調が崩れて回復できなかったか、と思われたのだが、『スピーディ』の副作用ではないだろうかという噂が、誰からともなしに伝わってきた。
学院の生徒の中にもいたずらでスピーディに手を出した者もいたので、その噂が不安を加速させることになってしまった。
不穏な空気が晴れないまま、ある日私がお友達の一人から紹介されたのは、『スピーディの中和剤』という無色透明な薬だった。
「これは?」
「スピーディの中和剤って言われてるんだけど、これを飲んでおくと副作用がでないようにするための予防薬にもなるんだって。アリスも前もって飲んでた方がいいわ」
「ありがとう、でもこれって高いんじゃないの?」
受け取りながら、どのくらいの値をつけて出しているのか、まじまじとビンをみた。
「何かね、スピーディを売っている人が、副作用の話しが出てから売れ行きが悪いので、セットで販売を始めたらしいの」
「セットなら余らないでしょ?」
「ところが、予防薬にもなるからって、多めに渡して周りの人にも勧めてってことらしいのよね。よかったらもらって?」
……怪しい。ただより高いものはないんだよ?
しかも成分がわからないものを迂闊に口に入れるなんてこと、絶対にしたくない。
だいたい病気とかに対するワクチンなんかは、そんなにすぐにできるわけがないのだ。もしもこれが本当に中和剤の役割をする薬だったとすれば、スピーディは最初から仕組まれて街に蔓延したことになる。
最初から不備の状態で売りつけて、あとから完全なものをより高い値段で売る。悪徳商売の見本みたいじゃない。
私はもらった薬を手に、すぐさまバクスター先生の部屋へ行って成分検査してもらうようにお願いした。
「いらっしゃい、アリスちゃん。今日は何の用事かな?」
「これの成分分析をお願いしたいんです。スピーディの中和剤だそうです」
先生は片眉をあげて薬をにらむと、受け取りがてら、臭いを嗅いだ。
「ふうん、少し時間かかるけど預かってもいい? 王宮の方がきちんと調べられるんだよね。解析が済んだら連絡するよ」
ニッコリ笑って薬を机に置く。
ところで、と話題を切り替えるように私に向き直る。
「セレスってば、アリスちゃんに何か言ってきた?」
「ん? 特別、前と変わらないですよ? この間ここに来てからずっとギクシャクしてたんです。ようやく元に戻ったので、セレス様にはあまり変なこと吹き込まないでくださいね」
「えー。戻っちゃったの?」
先生はあごに手を当て少し考えるような仕草をした。半分がっかりした様子に、私が何か後ろめたいような気分になる。
「それで、アリスちゃんの方には誰かに何か言われた?」
「ユーリ妃がアルと婚約しないかって。そしてアル本人からも婚約しないかって言われましたよ」
「ほう、それで?」
身を乗り出して興味しんしんで聞きにくる先生に、若干引きながら答える。
「それでって……とりあえず気持ちを整理してアルの側にいたいって思ったら婚約でもいいよって答えましたよ」
「うわあ、アリスちゃんってば小悪魔だねえ。アルくんも可哀想に。なるほどねぇ」
再びあごに手を当て、天井を見ながら考えこんでいる。
これ以上ここにいても、根掘り葉掘り聞かれるだけだと思って早々に退散することにした。
薬の件をお願いして出て行こうとする私に、
「アルくんの返事は早めに返してあげた方がいいよ。どっちに傾くにしても、いつまでも待たせるより次に進む覚悟がつくからね」
意外と真剣な目で声をかけてくる先生に、私も真面目に「わかりました」と返して部屋を出た。
確かに返事を引き延ばすのは、相手にとっても失礼だものね。先送りして考えたくない事実に向かい合わなければならない状況に、うんざりしながら家へと帰った。
そして、バクスター先生からの解析結果も出ないうちに、次々と生徒が学院に来なくなってしまったのだ。
この教室でも何人か欠席してる子がいる。
誰か欠席してる子の理由を知らないか聞いて回ったら、近くに住んでる子が欠席してるという人に話しが聞けた。
それによると、いたずらでスピーディを飲んでから副作用があると知って、慌てて中和剤を飲んだらしい。それでも不安な気持ちが消えないということで、それを解消するために毎日中和剤を飲み続けたということだ。
何でも、学院に一緒に行く様子がどんどんおかしくなっていくので、気味悪く思っていたら、案の定、倒れてしまったとのこと。
どういう状態だったのか、と重ねて聞くと、その子の動作が日を追うごとに緩慢になっていき、言葉の呂律も回らなくなっていったそうだ。そしてついに意識を失ったと思うと、そのまま目覚めない状態が続いているのだという。
私が思うに、スピーディも良くない薬だが、中和剤がより中毒症状を加速させているような気がする。早く先生からの解析結果がこないか、とやきもきした状況が何日か続いた。
そしてようやく解析結果が出たという連絡をもらって急いでバクスター先生のお部屋にお邪魔した。
「どうでしたか、薬の中身は?」
挨拶もそこそこに、先生に分析内容を確認する。問われた先生もいつもと違って真剣な表情をして答える。
「中和剤とは真っ赤な嘘だよ。これはスピーディと同じ成分、ただ単に色を抜いて透明にしただけのものだった」
「何ですって? それじゃ中和剤として飲んだ子は、薬の過剰摂取になってるってことじゃないですか!」
「そうだね。アリスちゃんが前に聞いた話しからも、中毒性のある薬の過剰摂取だから、最悪死に至る危険もあるってこと。中毒を和らげるためにさらに中毒を強くしてるから、酩酊状態になってるんじゃないかな」
「そんな……」
教室で欠席してる子達の顔が浮かぶ。
先生はすぐさま学院長に連絡をとって集会を開いてもらうように手配した。これ以上、生徒がスピーディや中和剤を口にしないように全員に通達するためだ。
王宮の方では、解析が終わったと同時にベルナルド様へ連絡して、販売人の特定と逮捕を依頼したらしい。
販売人はたぶん中身がどんなものか知っていたのではないだろうか?
だとすれば、雲隠れして行方がつかめない可能性がある。なんとかこの悪い連鎖を断ち切ることができないかと心から思った。
ひとつ不安なのが、中毒性があるので、ひたすら苦しんだ後に昏睡状態になってそのまま回復せずに息をひきとる恐れがある。
亡くなったフローラ嬢は同じような症状だったのだろうか? これ以上犠牲者が出ないように、と祈ることしかできなかった。
家で食事を済ませた後、ちらりと見かけたセレス様へ、この何とも言えない不安を訴える。ソファへと招いてくれて、飲んでいたお酒を少しだけ分けてくれた。
もらったらお酒をちびちびと舐めながら、
「すみません、ちょっとだけ背中を貸してください」
「背中? こうか?」
くるりと背を向けるセレス様の背中に、おでこをちょん、と付けて軽く目を閉じる。長い髪の毛があたるがそれも気持ちいい。
「ルークもヴォルフもいないんです。少しだけ甘えさせてくださいね」
ふわっとした感覚に落ち着いてきたようで、そのまま夢の中に入っていく。
夢の中の私は、ルークとヴォルフを引き連れて、最初の森で狩りをしていた。
何も心配することのなかったあの頃を思い出して、知らず知らずのうちに笑みがこぼれた。




