31話 今日の教訓
何で?
熊さん、あなた呼んでないしっ!
セレス様どーした?
それじゃヤバいんですけどーっ!
落ち着け、今の私は護符の山に埋もれているはず。動かなければ攻撃対象にならないかもしれない。私の匂いが護符で抑えられているならば大丈夫なはずだ。そう信じてこの恐怖に対抗する。
そんな考えを必死で巡らせながら、とにかく自力で逃げる方法はないか辺りを見回した。
うん、椅子にしばられてる以上は無理。
残念だったね。
って諦められないよっ!
モーリス様が後ずさりして私の繋がれている椅子につまずき膝の上に座る。ぶにゃんとした生暖かいお尻の感覚を太ももに感じ、思わず鳥肌が立つ。
げっ、気持ち悪い、変態を抱っこって……早く退いて!
熊の方はというと、鼻をヒクつかせて部屋の中をぐるりと見回し、私にロックオンした。
壊れた扉の破片がいくつも飛び散り、踏みつけながらこちらに近づく音が一層恐怖感をあおってくる。
危険を察知したモーリス様は更に熊から距離を取ろうとしてなのか、腰を抜かしながらも部屋の隅に這っていく。
おかげで私は取り落としたナイフをしっかりゲットだ。急いで拘束を解かないと、熊がすぐそこまで迫ってきた。
しばられたままの手首を必死に捻りながらヒモをこすって切ってみる。
あと少し、もうちょっと来るの待ってっ!
だめかもっ、間に合わないっ!
体を硬くしてギュッと目をつぶり襲われる瞬間を待つ。
……ん? どうしたかな、まだ?
薄眼を開けてそって様子をうかがうと、なぜか私を無視してそのままモーリス様に詰め寄っていった。
「うわぁ、寄るなぁっ。来るなぁ!」
腕をブンブン振り回して追い払おうとするのが、逆に熊を刺激したようで、咆哮を上げながら仁王立ちで襲いかかっていった。
「グァァ、グェギャァーーーっ」
今まで聞いたことのないような声があがり、無造作に物体を叩きつけるような音が部屋いっぱいに響き渡る。
私は拒否反応からか、その音から逃れようと上半身を捻って、少しでも遠ざかろうとした。聴きたくもない音が嫌でも耳に届き、鳥肌が全身を覆う。
その時、はっと気がついた。この隙に逃げなければ、と咄嗟に判断して素早く縄を引きちぎり、椅子から立ち上がった。
悲しいことに私も腰が抜けていたようで、扉にたどり着く前、一歩足を出した瞬間に早くも倒れてしまった。
当然熊にも気づかれ、再びターゲットロックオンの状態になった。
迫る熊、絶対絶命の私。
ファンタジーなら白馬の王子がここで助けに来てくれるはず!
……誰か……
……おいっ……助けに来なさいって!
願うが人の気配は全くない。
くっ……何で誰も来ないのよっ!
私ってそんなに運が悪いの?
やっぱりあの時セレス様の言うこと聞いてれば。
『後悔先に立たず』『覆水盆に返らず』
いくつもの言葉が脳裏をよぎる。
「やだ……これで終わり? やだよ」
だめだ、よくないことを言ったり考えたりするのは。マーサの教訓にもあったじゃないか。
『よくないことを口にすると悪運を運ぶ』
足掻くしかない!
ピンチは自分で切り開け!
と、唐突にバクスター様から言われた言葉を思い出した。
『これは魔法のお水〜。本気で襲われそうになったら使ってね』
そうだ、今こそ使う時だ。でもどうやって?
使い方教えてから渡せーっ!
もう、どうにでもなれと思って、適当に魔法の水を熊にバシャッと撒き散らした。
水の効果なのか、熊がひと際大きく咆哮したと思ったら、赤い目がみるみる収まって普通の目の色に戻ってきた。が、物凄い怒りから普通の怒りに変わったくらいでさほど危険回避できたとは思えない。
少し怯んで二、三歩後ろに下がったようだが逆に立ち上がって反動で私を頭から潰そうと大きく振りかぶった。
「嫌ぁぁぁっ!」
ヒュン、ヒュン、ドスッ、ダッ
「ガガアーーーッ」
熊の頭や喉に何本も矢が刺さり、同時に数人が斬りかかる。
仰向けに倒れ、ドーーンとすごい音をさせて絶命した。
「大丈夫ですかっ、アリスっ!」
「助かった〜」
私を助けてくれたのはリアン様を筆頭に頼もしい大人の護衛さん逹だった。
これで本当に脱出できると安心したら、急に全身から力が抜けてゴロンと床に寝そべって開放感を味わった。
「すぐ近くでセレス様が赤い魔石を無力化してますから、終わり次第こちらにいらっしゃいますよ。ほら、起きましょう」
手を差し伸べてくれるが、あいにく腕が上がらない。まるで全身クラゲになったようだ。
「無理です。全然力が入らないんです」
「これだけの体験をしたのですからね、当然といえば当然な反応ですが。失礼しますよ」
そう言って、リアン様は私をお姫様抱っこしてくれた。
護衛の人達は、と見回すと、ぐしゃぐしゃになったお部屋の片付けをてきぱきとこなしている。大人が何人もかかって運ばないと動かないくらいの熊の大きさに、改めて自分が助かってよかった、と安心した。
チラリと血まみれの腕が見えたのだが、すぐに視線を外し見なかったことにしようと自分の気持ちを納得させた。
私が突然姿を消してから、まわりは大変な騒ぎになったらしい。セレス様も一瞬で目の前から消えたことに、しばらく呆然と立ち尽くしていたという。
しかし、以前から監視を続けていたアドラーの館に何やら怪しい動きがあったとの報告を受け、探りを入れると近くに何かを隠している様子だったらしい。領主の館や使用人などの動きや聞き込みで即座にこの森に仕掛けがあることを突き止めたということだった。
森まで来ると、赤い目の魔物が襲いかかってきたので、それを退治するのにかなり手間がかかったようだ。
バクスター様から、私が万が一魔物に襲われるようなら、神殿の聖水で対処するように伝えられていたが、普段はあまり魔物化しない生き物まで赤い目になって大量発生していることから、前回のように魔石があるのでは、と付近を探したらしい。そうしたら程なくして魔石とその近くに小屋があるのを発見したということだった。
リアン様から、私がいなくなってからの話しを詳しく聞いているうちに、セレス様がようやくこちらに向かって来たのがわかった。
よほど心配してくれていたのか、顔色があまり良くない。
「セレス様遅いです! もう、大変だったのですからねっ。変態がピチャッとして、バーンでギャァって……」
「アリス、何を言っているのかわからない」
リアン様から抱っこの私を手渡されたセレス様が困り顔で答える。
私はセレス様の襟元を震える両手でぎゅっと掴み「怖かった」と一言呟いた。
途端に涙腺が切れたかのように涙が出始め、自分が落ち着くまで心のままに泣いた。
私が連れ込まれた場所は、森がカモフラージュとなってなかなか見つかりにくい所に作られた小屋だったようだ。確かに屋敷からはほんの少ししか離れていない割に人にはあまり知られないように巧妙に細工した、隠れ家にするなら最高の場所だった。
たまたま魔石が近くに置かれたので、探し当てることができたが、魔石が無ければ、捜索も難航した可能性もあったと聞いた。
アドラーも魔石を置く場所にまで気が回らかったか、と話し合っている声を聞きながら、あの例の男がわざと目立つように置いてくれたのかも、と少しだけ考えがよぎった。
しかし、結局熊の魔物に襲われたのだから、そんな情けなどなかったのだろうと、すぐに否定して、頭の中から男のことを消し去った。
そんなことを聞いたり考えたりしてるうちに、どっと疲れがのしかかってきて、耐えきれずにうとうととし始めた。
私を気遣ってのことなのか、セレス様は優しく頭や背中を撫でてくれる。そんな仕草も手伝って、夢の中にどんどん引き込まれていく。
ああ、本当にもう大丈夫なんだ、とものすごく安心しつつも、セレス様が絶対にいなくならないように、とガッチリと襟元を握ったまま、ゆっくりと眠りについた。
眠る直前、頭をよぎった言葉は、
教訓『優しい男の言葉には裏がある』
もう絶対騙されないもん!




