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30話 誘われたのは 〜読人注意〜

「きゃーっ見て見て、牛が動いてるっ!」


 今私のテンションレベルはマックスなのだ。

 馬車の揺れなんて何のその、牛さんの魅力にメロメロです。

 セレス様は「たかが牛で興奮する方がおかしい」と言ってるが、テレビで見るのとは違った迫力があるし、その臨場感を力説したが理解されなかった。

 ものすごく頼み込んで、馬車を降りて間近に牛を見に行ってみた。


 ゆっくり近づいてタッチ!

 きゃーっ大変、触っちゃったー!

 一人興奮する私を周りは暖かく迎えてくれた。決っして生暖かい目なんかしてなかったからね!


 それでも今日の見学はお願いしてよかった。ふれあい牧場、初体験だった。


 そしてとうとう最終日になってしまった。

『楽しかった修学旅行』ってやつかな。誰か〜、カメラないの〜? 本気で思ったわよ。記念写真が欲しいとこだけど無理なものは諦めるしかないよね、また時期をずらして遊びにくればいいし。さて、最終日を楽しもう。


 昨日までは領内のお仕事で別行動だったモーリス様も今日は最終日なので同行してくださるらしい。忙しい方なのにごめんなさい。

 穴場スポットなんかを教えてもらえるらしいので、すごく楽しみなのよね、ありがとうございますモーリス様。


 最初に山脈と街並みを一望できる丘に案内された。ちょっとした散歩コースになってるらしく、自然を満喫できる距離。

 東屋でひと休憩。

 すごく見晴らしがいいので、避暑もさることながら、デートスポットになるだろう。現に周りは若いカップルかご夫婦が楽しそうに寛いでいる。新婚旅行とかにいい場所なのかも。私も誰かと……ずいぶん先の話しだよね、悪かったわよ。


「ここら辺は左側の山脈入り口に沿って上流階級の方々の別荘地が続きます。そしてこの道を下ると大通りに繋がり、中央広場を中心に放射状に街並みを建設しました」

「すごいですね、区画整理もきちんとされて、ずっと住んで居たくなるかも」


 モーリス様の説明に、どんどん心奪われて、アドラーを拠点に活動できないかと思ってしまう。定期的にバクスター様から護符をもらうとか、護りのペンダントのような魔石を家に配置するとか。

 何となくアドラーにも住めそうな気がして、帰ったらセレス様に相談してみよう。うん、絶対そうしよう。


 広場からいくつも路地があるので、少し分かりづらいが、可愛いらしい飾りのお店がチラチラみえる。

 モーリス様からどんなお店がどこにあるかを聞きながら、一緒に買い物をしに行く。

 髪飾りやアクセサリーのお店で私に似合いそうなのを選んでもらったりした。なんて細かな気遣いができる人なんだろう、ほんと紳士よね。

 確か、奥様を早くに亡くされて、今フリーなはずだ。私、嫁候補になりたいわっ!

 つくづく、もうちょい歳とってればって思ったもの。くぅ、残念だ。


 セレス様にお願いして、何軒か回ってお土産をたくさん買い込んだ。

 路地には馬車が回せないので、あまり奥に行けないのが残念。


「アリス、いい加減に買い物を止めなさい。王都に戻るのに、護衛を乗せる馬車の台数がギリギリだ」


 あら、お付きの護衛さんのこと忘れてた。荷物は馬車に詰めていっぱいになり次第王都に向わせている。確かに台数がこれ以上減るとマズいかも。


「あと一つだけ、小物買ったら戻ります」


 セレス様の注意を振り切って小走りで小さなお店の前に来た。

 と、その瞬間に目の前が真っ暗になって意識がなくなった。自分でも何が起きたのかわからないくらい唐突だった。




 ******************




「んんっ……」

「あぁ、気がつきましたか?」


 ち、近い、顔……

 何でここに運ばれてるの? 他のみんなは?

 しかもモーリス様、顔近過ぎますって。

 嫌ぁ、私の顔舐めないでぇっ!

 ピチャっ……ヌチャっ……


「やはり想像した通り君からは甘い匂いがする。素晴らしいね、この肌は」

「んぐっ、がっ」


 口を布で塞がれて、声をあげることもできない。

 モーリス様はうっとりとした表情で私の腕や足をしきりに撫で、舐め回している。気持ちわるいって。触られる度に鳥肌が立ってくる。

 今のモーリス様はメチャメチャ下卑たおっさんだ。

 何でよ、すごくいいおじ様だったじゃない! あのダンディはどこ消えたのよっ!


「大変だったよ、セレスティアルの目をあざむいて君を攫わせるのは。奴の目は毎日片時も離れずにあなたを見ていたからねぇ」


 え? 今日しか同行しなかったのに? 毎日ってどういう意味?

 目だけで問いかけると、解ったかの様に話し始めた。相変わらず腕や顔をすりすりと触るのは止めてくれない。

 こちらに来た時から私を攫う機会をうかがっていたのだが、なかなか手を出せずにいたらしい。

 最後の最後で私が走って路地に入ったせいで、セレス様の目が一時私を見失い、結果見事に攫われてしまった、というのが今に至る状況のようだ。


 悔しい、私が浮かれていなければ攫われることもなかったのに。きつく眉を寄せありったけの眼力で睨むが嗤われるだけだった。


「本当に忌々しい奴だったよ。この私が頭を下げるなんて屈辱も、今日、今この時間のためだけに我慢したのだ。君を手に入れるために私がどれだけ金を使ったと思ってるんだ。さあ、早くその柔らかい肌を少しずつ切り刻ませておくれ。君のその身体に流れる血はどんな味がするのだろう」


 モーリス様が嬉しそうに懐からナイフを取り出し、一気に両方の袖を引きちぎると、私の腕にピタリと押し付ける。

 つーっと血が流れてドレスの端を染め、それを満足気に眺めると、ナイフに付いた血をゆっくりと舐めとった。


「甘い……甘いぞ……うひひ……」


 ピチャっ……気味の悪い音を立てて全部舐め取ると、私の反対側の腕も突き刺し、今度は直接舐めにきた。

 あまりの行動にもはや硬直するしかない。

 声も出せずに震えていると、目が合わさりニヤリと嗤われた。


「ひっ」


 自分なりに満足してるのだろう、上機嫌で小さな笑い声がずっと続く。

 更にナイフは私の胸元をザクザクと切り刻み、何筋もの血が服に滲みだす。滲み出した血は指先にも絡めて一本ずつ丁寧に舐めとっていく。口の端からでる泡とよだれも合わさって気持ち悪さが嫌でも増していく……


 ニチャっ……ジュルっ……

 気を失えればどれほど楽だろう、だが意識が飛びそうになる度に揺すられて正気が戻ってくる。まさに地獄の苦しみだ。


 何度かそれを繰り返され、気が狂えば楽になるかと半分諦めかけた時、誰かがモーリス様に話しかけた。


「領主様、奴らがこちらの動きを嗅ぎつけました。間もなく付近にやってくるかと」

「ふん、意外に早いな、近くに例の魔石を置け。奴が赤い目を相手にしてる間はもう少しこのお嬢さんの怯える姿を楽しめるからな」

「この付近にいる強い魔物は熊が複数頭のみ、残りは雑魚になりますがよろしいですか?」

「熊が何頭かいるなら問題ない。セレスティアルどもも大人数という訳でもあるまい。わざわざ遠くから魔物を集める必要もないだろう、そのまま置け」

「御意」


 ふっと男の気配が消えてまた二人きりになったが、奴らと言っているだけに、近くにセレス様達が助けに来てくれてるのだけは理解できた。

 助かる、そう思うだけで正気を保つことが可能だ。

 こんな仕打ちになんか負けないっ!


「さぁ時間がない、あなたのその血、その肌をもっともっと堪能させておくれ」


 そういいながら私の腕から流れた血を全て拭って自分の顔や腕にも塗りつけていく。

 更に、恍惚とした表情で目を閉じながら両手の匂いを嗅ぐ様子はあまりにグロテスクで見るに耐えない。


 ……狂ってるんだ。もう目の焦点もずれてきてる気がする。

 この男のささやく言葉は全てうわべだけのものだった。こんな男に持ち上げられて、この地に住みたいとか嫁になりたい、なんて浮かれてた自分が恥ずかしい。


 これ以上切り刻まれるわけにはいかない。

 抵抗できる何かを探さないと。

 ガラスの破片、折れた木の棒、何かないの?


 その時、空気がざわり、と動いた。

 バキッバキッ……扉が斧のようなもので徐々に破壊されていく。

 モーリス様も予想外だったのか、扉の方を注目して様子をうかがっている。


 やった、助かった!

 これでここから抜け出せる!

 早く助けて。この変態から離れたい!


 期待を胸に扉に向かって視線を送る。


 そして破壊された扉から現れたのは……





 赤い目をした熊だった。

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