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龍と魚と  作者: 佐々木野楓
龍と魚と
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兄と自分と

【人物紹介】

◆アイシャ・ムフタール

赤毛と茶色目のをしている、

西の国『ソリュシュエレン』の先王の娘で現王の妹。身分は王女。

海軍を指揮する女将軍であり、燈昇の妻であり、アリアとアルスの母。32歳。


藍后(あいこう)

先々帝・隆綜嘉の妾妃であり、現皇帝・隆綜藍の母。常に黒の襦裙姿。

子猫がトカゲを追って走り回っている。捕まえられなかったようだ。

「ほら、おいで」

長椅子に座ったまま子猫を抱き上げて膝の上に乗せる。子猫の顎を撫でると、すぐごろごろ喉を鳴らしだした。

「ふふふ」

子猫の扱いもだいぶ慣れた。そのせいか子猫もだいぶなついてくれている。

「早く名前をつけてやりたないな」

けれど、一緒に名前を考えようと言っていた少年、いや少女がいない。一人では考えられない。

「アリア」

赤い髪の少女を、彼女の名前で呼びたい。そう願っていい、そう望んでいいと長年仕えてくれている侍従が自分の背中を押してくれた。

龍華帝国太上皇、りゅう慶嘉けいかは、三十六年の人生の中で初めて自分の我儘を通そうと心に誓っていた。何故今まで何も望まずに来たのかと問われれば、全ては保身の為。そして周囲の人間を守る為だった。

望んでは殺される、それが慶嘉の立場だった。

子猫を撫でながら、窓の外に視線を向ける。季節は初夏である。植えられた木々は緑の葉がついた枝を伸ばし、庭に影を作っている。

(木が兄なら、その影がわたしだ)

慶嘉の兄、先々帝であるりゅうか綜嘉そうかは、慶嘉より九歳年上だった。同じ皇帝の父と皇后の母を持ちながら、兄と慶嘉の扱いは対照的で、兄は皇太子、慶嘉はただの皇子だった。そして、兄に逆らってはいけない、兄の足かせになってはいけない、兄の負担になってはいけない、兄の敵になってはいけない、もし『そう』なってしまったら殺されると教え込まれた。

(教えられる前に、兄に歯向かう気は一切なかったが)

むしろ慶嘉は兄が好きだった。兄は歳の離れた弟を大事にしてくれた。そして兄は帝王たる資質が十分にあり、慶嘉は兄を尊敬していた。

その兄は十代で最初の妾妃を迎え、以降十数人の妃を作ったが、産まれた子は皇女が七人だ。皇太子には恵まれなかった。兄自身は気にしていなかったが、周囲は問題視し、それを疎ましく思った兄が気まぐれに自分の妾妃に命じた。

『慶嘉との間に子供を作れ』

妾妃が命令を遂行し、生まれたのが慶嘉の息子であるりゅう綜藍そうらん現皇帝だった。その時慶嘉は十五歳だった。慶嘉の息子でありながら、綜藍は事実上兄の子として扱われ、兄が二十九歳で即位するさい、綜藍は皇太子となった。慶嘉が一番心に残っているのは、五歳で皇太子となった息子に、臣下として頭を下げた時の事である。それは屈辱ではなく悲しさだった。それまでは慶嘉なりに息子に愛情を持ち接していたが、皇太子へは臣下として仕えなければならない。以降、二度と息子の名を敬称なしで呼ぶ事は許されなかった。

そしてそれから六年後、思いがけない悲劇が起きた。兄が馬上からの転落による不慮の事故で崩御してしまったのだ。

その時慶嘉は二十六歳、綜藍は十一歳だった。流石に綜藍が皇帝になるのは早すぎると声が上がり、宰相以下諸侯らが選んだ次の皇帝が慶嘉だった。ただし綜藍が成人する十九歳になるまでと、期間が定められた上での即位だった。長年仕えてくれていた侍従たちは、

『いいように使われすぎだ』

と怒ってくれたが、慶嘉は受け入れ、無難に皇帝として統治を行い八年後に退位した。それが一昨年おととしの事だ。

以来、太上皇として離宮に住む事を許され、数少ない侍従たちと共に気ままな隠居暮らしをしている。林来はもっと色々欲を出せと言うが、慶嘉は好きな時に好きな本や絵を見るだけで幸せだった。

昔の事を思い出していると、子猫が撫でられる事に飽きたのか、膝から下りて部屋を出て行ってしまった。膝の上の温もりが消えていく。その温もりは、慶嘉がずっと心の底で欲していたものだ。息子は存在しているが、家族ではない。林来や他の侍従たちも自分によく仕えてくれているが、それはあるじと従としての関係だ。父も母も既にない。もとより、父も母も親ではあったが家族ではなかった。唯一、兄だけが自分を家族として扱ってくれていたが、その兄ももういない。

温もりが、家族が、側にいてくれる相手が欲しかった。

あの日、朱色の扉の外の庭で、子猫がカラスに襲われているを見つけ、カラスが怖いのに子猫を助けようとした。子猫を助けたかったが、カラスがどうしても苦手で近寄る事もできなかった。

そこへ現れ助けてくれたのが、少年の姿をしたアリアだった。

慶嘉が幼い頃から憧れていた、西の砂漠の向こうの国の者たちが持つ赤い髪をしていた。本や絵で見たその姿がそこにあった。

アリアは勇敢で礼儀正しく、側にいて話をしていると楽しかった。そのアリアが実は少女で会ったと知り、慶嘉は胸が熱くなった。

「アリア」

何度口にしただろう。会いたい。側にいてほしい。一度も名前を呼んでいない。一度も彼女本来の姿を見ていない。

「もう一度、店主殿にお会いして参ります」

林来が離宮を出たのは朝早くだった。もう昼も過ぎだいぶ経つが戻ってこない。いい返事をもらえていないのかもしれない。

歯がゆかった。自分自身でアリアの父に許しを請いに行きたかった。それが出来ない身が恨めしい。

「………アリア」

また口からこぼれた彼女の名前。それに反応したように、朱色の扉が開く大きな音がした。

「慶嘉様っ」

林来の声である。いつもと様子が違い、ひどく慌てている様子だ。

「林来、どうした?」

部屋から出て忠臣を迎えると、林来は一人ではなかった。

「店主殿」

アリアの父である昇魚屋の店主の燈昇とうしょう、それに、西の国の装束を身に着け頭と顔を被り物で隠した人物の姿があった。

「太上皇陛下、お久しぶりでございます。突然お伺いし、申し訳ございません」

「いや、構わない。どうされた? お顔の色がすぐれないようだが」

燈昇の顔は強張り色も悪かった。

そしてそれ以上に気になるのは、もう一人の異国人と思われる人物。主の視線に気づいた林来が、

「陛下、この方は、店主殿の奥方様で、アリア殿のアルス殿の母君でいらっしゃいます」

慶嘉は驚き、

「これは失礼した。初めてお会いする。わたしは隆慶嘉と申す」

愛しいアリアの母である。無礼な真似はできない。そんな慶嘉に対しアリアの母は、

「太上皇陛下、御身と直にお会いするのは初めてですが、五年前、西の砂漠であった北の蛮族討伐戦での御身の強さは聞いております」

「!」

「帝国内では御身の勇猛果敢な戦いぶりは知られていないようですが、我ら西の国『ソリュシュエレン』で御身を知らぬ者はおりません。虫も触れる弱さを持ちながら、敵相手には容赦なくその剣をふるうお姿に、我らは畏怖の念を抱いておりました」

「あの、母君はいったい………」

「失礼いたしました」

アリアの母は被り物を取った。現れたのはアリアと同じ、見事な赤い髪と茶色の目。まさしく西の国の者の容姿だった。

「私はアイシャ・ムフタール。この名をご存じでしょうか?」

慶嘉は一瞬目を大きく開き、

「ソリュシュエレンの女将軍か」

慶嘉の呟きにアイシャは頷き、

「ついでに、身分は王女でもあります」

「先王の第一王女であり、現王の妹姫」

「よく御存じで」

「一応、元皇帝ですから」

「その元皇帝陛下のせいで、私の大事な娘と息子が後宮に連れて行かれたようですが、どのように責任を取っていただけるのでしょうか?」

さらに大きく目を開いた慶嘉に、林来が昇魚屋での宮殿侍従長の使者の話をすると、慶嘉は、

「どうしてだ? なぜ二人が後宮に連れて行かれたのか!?」

「わかりません。陛下とアリア殿、いえ、アリア様が初めてお会いになられたのは三日前。連れて行かれたのは昨夜。あまりに急に事が進みすぎです。陛下の動向を見張る者がいたとしても、こうも早くお二人を後宮へ連れて行ける方と言うのは、限られております」

「皇帝陛下か」

「可能性はございます」

「皇帝陛下の配下がこの離宮を見張っていたのか?」

「わたくしが把握している範囲では、そのような輩はおりませんでした」

「ではなぜだ?」

「………申し訳ございません。わたくしもわかりません」

顔を曇らせる林来をそれ以上責められず、

「すまない、林来。お前のせいではない」

慶嘉は拳を握り、床を睨んだ。その慶嘉にアイシャが、

「陛下、後宮へ入る方法はありますか?」

「後宮へ入る方法?」

「二人の状況を把握しなければなりません。救い出すためにも」

アイシャの茶色の目が光る。慶嘉は頷いたものの、

「この中で後宮に入る事が出来るのは林来だが、林来はわたしの侍従である事が知られてしまっている」

「他に中から手引きをしてくれるような者は?」

慶嘉はしばし考え、唯一頼めるかもしれない人物を思い出した。

「いる事はいるが」

「もしかして、藍后様ですか?」

慶嘉の考えを察した林来の顔が引きつる。

「アイコウ? 誰だ、それは?」

「藍后様は皇帝陛下の母君です、アイシャ様」

「皇帝陛下の母君と言う事は、太上皇陛下のお后か?」

「いや、わたしの后ではない。わたしの兄の妾妃だった方だ」

慶嘉の返答に、アイシャは顔をしかめ、

「なんだか気持ち悪い関係だな」

その言い様に、夫である燈昇が、

「これ、お前。もう少し言葉を選びなさい」

「帝国語は難しいの」

「十分流暢に話せるだろう」

「何せ久しぶりに話すから、忘れている言葉もある」

「アイシャ」

「ふん」

夫婦の会話に、慶嘉は思わず、

「仲がいいな。まさかアイシャ殿下が店主殿の奥方とは、想像もできなかった」

燈昇は恥ずかしそうに、

「若い頃に西の国で出会いました。王女ですから一度は諦めた恋でしたが、わたしが帝国へ帰国したあとを追って来てくれて………アリアが三歳、アルスが一歳の頃まで帝都で暮らしていました」

「兄が王位を継ぐさい、反抗勢力を打つため国に戻りました。国も落ち着いたので、こうして帰ってきたのに…………」

アイシャの茶色の瞳が潤んだ。燈昇がアイシャの肩を抱く。林来は視線を逸らし、慶嘉は口元を引き締め、

「店主殿、アイシャ殿下。此度の事はまことに申し訳ない。この隆慶嘉、この名に誓って必ず二人は連れ戻す」

力強い声が離宮に響き渡った。

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