出会いと子猫と
その日、龍華帝国の帝都を初めて訪れた旅人の青年は、都の賑やかさに驚いていた。
「これが帝国の都かぁ」
誰とはなしに呟いたつもりが、通りすがりの中年男性に聞こえたらしい。
「お兄ちゃん、帝都は初めてか? 異国人か?」
「帝都は初めてだが、一応帝国人さ」
「帝国人? その茶色の髪でか?」
黒髪の中年男性の言葉に、旅人は己の髪を触りながら、
「確かにこの茶色の髪は、西の国の生まれのばあさん譲りだが、れっきとした帝国人さ」
「そうかい。まぁ、最近は茶髪も珍しくないか。お兄ちゃんのように異国の血が入ったヤツも多いからな。そうそう、あの店のお嬢ちゃんたちもそうさ」
中年男性が指差した方向に、人だかりのある商店があった。
「あの店は?」
「何でも屋。店主は貿易商人で、異国の商品を扱っている。お兄ちゃん、田舎から出て来たなら、土産物はあの店がおすすめだよ」
中年男性はそう言って通りを行ってしまった。旅人は『異国の品』に惹かれ、商店を覗く事にした。店先へ近づくと、多くの客が並べられた商品を手に取り品定めをしている。旅人も、龍の彫刻が施された、手のひらほどの大きさの石の置物を手に取った。意匠は帝国風だったが、石が帝国内では珍しい白大理石だった。
「お客様、そちらは今日入ってきたばかりの商品です」
声をかけられ顔を上げると、視界に入ってきたのは炎のような赤。それが人の髪だとわかり、旅人は驚いた。黒髪黒瞳の民である帝国内で、自分の茶髪も珍しいが、目の前の赤毛はもっと珍しかった。
その赤毛の持ち主は、可愛らしい少女だった。
年の頃は十代中頃、十五、六だろうか。赤く長い髪を結い上げ翡翠の簪を挿している。肌は白く、大きな眼は赤みをおびた茶色の目をしていた。旅人も目が少し茶色だ。この少女も西の国の血が入っているのだろう。服は新緑色の、帝国人らしく丈が短い上着と裳の襦裙姿である。
旅人はこの少女が、中年男性が言っていた「この店のお嬢ちゃん」だと気づき、手にしていた石の置物を少女に向け、
「いい品だ。これはおいくらですか?」
「いくらだと思います?」
少女の切り返しに、悩んで唸った。旅人の住む地域では、こんないい物はなかなか見ない。相場が分からない。とりあえず、手持ちの中で出せる金額の半分で答えた。すると、
「それでいいですよ。お買い上げいただけますか?」
旅人は慌てた。そんな安値のはずがない。
「お嬢さん、それは駄目だ。そんな安いはずがない」
すると少女は笑って、
「お客様、帝都は初めてでしょう? 帝都のお土産にぜひお持ちいただけますか? ご地元へ戻られましたら、ぜひこの『昇魚屋』を宣伝してくださいませ」
言われてつい頷き、旅人は財布から金子を少女へ渡した。
「ありがとうございます。またお立ち寄りくださいませ」
厚手の紙で丁寧に包まれた品を受けとり店を出た旅人は、振り返り、赤毛の少女が次の客の相手をしている姿を見て、手にした包みを大事に懐へしまった。
「アリアお嬢様、アルス坊ちゃんを知りませんか?」
番頭に訊かれて、アリアと呼ばれた赤毛の少女は首を振った。
「ううん、知らないわ。またあの子どこかへ行ったの?」
二歳年下の弟は、また店の仕事をさぼって行方をくらましたらしい。
「はい。困りました。今日は船の到着日なので、奉公人たちは皆、お父様と一緒に港へ出ておりますから、アルス坊ちゃんにお届け物をお願いしておりましたが………」
「お届け物?」
「はい。半年ほど前から度々、西の離宮へ異国の本などをお届けに上がっておりまして。お届け先が離宮ですから、わたくしか、もしくはある程度古参の奉公人が伺っております。今日はわたくしが店から動けませんので、坊ちゃんにお願いしていたのですが」
「そうなの? 知らなかったわ」
「売上的にはそう多くないですし、お嬢様にはここ最近、店頭での接客と管理をお任せしておりましたから」
アリアは帝都でも有名な商店の看板娘だった。その目立つ風貌のせいもあるが、客のあしらい方や金勘定の早さには定評がある。アリアが店先にいるだけで客が増え、売り上げも上がっていた。ゆえに、アリアが得意先へ配達や集金に行く事はほとんどなかった。
「ふーん。それなら、私がお届けに上がるわ」
「お嬢様が?」
「ええ。私では駄目?」
「いえ、そんな事はありませんが、ただ、西の離宮は距離がありますし、人手が足りないので供をつけられません」
「大丈夫よ。離宮と言っても帝都内でしょ?」
「しかし商家の子女がお一人ではいけません。いくら帝都内で治安がいいと言っても、お一人で遠出されては、お父様にお叱りを受けてしまいます」
「女だといけないのね。だったらアルスの服を着て、アルスのフリをして行くわ」
「え? お嬢様っ?」
アリアは店の奥で繋がっている自宅の弟の部屋へ行き、箪笥から濃い緑色の衫と、紺色の袴を取り出すと、着ていた襦裙を脱いで衫と袴を身に着けた。赤髪は目立つので翡翠の簪を抜き、頭の高い位置でまとめる男型に結い直し、袴と同じ紺色の布を巻いて隠した。薄化粧を落とし、鏡に自分の姿を映すと、
「うん、これならいいでしょ」
今年十六歳になるが、二歳年下の弟とよく似ている。背丈も変わらない。そして、不本意だが、胸のふくらみもまだそう目立っていないので、こうして弟のフリをしてもおかしく見えない。
「お届け物ってこれかしら」
店先へ戻り、番頭が用意していた包みを取った。本だと言っていたが、そこそこ重い。
「重いですよ、無理なさらないでください」
「大丈夫、大丈夫。でも、乗合馬車を使っていいかしら?」
帝都内を巡回している乗合馬車なら、西の離宮近くまで行くはずだった。
「もちろんですよ。お金はお持ちですか?」
「ええ。では行ってまいります」
両腕で荷物を抱え、アリアは店を出た。
西の離宮は、龍華帝国の皇帝一族所有の宮殿で、その時代時代で住民が違う。時には皇帝の隠し子が、時には皇帝の愛妾が住んでいたりするが、基本、中央の覇権争いとは縁遠い者が住む場所と言うのが帝国民共通の認識だった。
「今は誰がお住みなのかしら?」
三頭立ての十人乗りの乗合馬車に乗り込んで、帝都の街並みを見ながら呟いた。帝都の建造物は、たまに見える大きな商家や貴族の邸宅は石造りで、それ以外はほとんどが木造、通りは石畳である。馬車は大通りを抜けて西へ向かった。
番頭は、料金はまとめて集金しているので、もらってこなくていいと言っていた。
「どんな所かな」
西の離宮へ行くのは初めてだった。行く理由がなければ行けない場所ではある。弟の代わりのお使いだが、
(ちょっと嬉しいかも)
離宮とは言え、宮殿のひとつなのだ。
(中には入れる? 入れたらいいな)
皇帝や後宮には興味がないが、やはり年頃の乙女。宮殿には惹かれるものがある。一応、帝都でも名のある商店の娘ではあるので、石造りのそれなりの屋敷には住んでいるが、宮殿には遠く及ばない。どれだけ絢爛豪華なのか見てみたい。
そんな事を考えていたら、いつの間にか馬車は西の離宮の近くの停留所に止まった。降りたのはアリア一人だった。どちらへ向かえばいいか一瞬悩んだが、目の前に白大理石で舗装された道がまっすぐ伸びていた。その道を進むと、兵士が二人立っている大きな門が見えた。ここが西の離宮で間違いないだろう。
「お仕事中失礼いたします。昇魚屋でございます」
頭を下げると、門兵は知っているのか、
「またいつもの本を届けに来たのか?」
「いつもの使用人と違うな?」
門兵二人の質問に、
「はい、本をお届けに上がりました。わたくしは昇魚屋の店主の息子、アルスでございます」
「歳若いがしっかりしている。いくつだ?」
「今年十四になります」
「そうか。昇魚屋には、赤毛の美しい娘がいるらしいな」
(美しい娘? 私?)
顔がにやけそうになりつつも耐えて、
「わたしくの姉でございましょう」
「お前も赤毛なのか?」
「はい」
帝都内の異国人が増えたと言っても赤毛は珍しい。アリアは頭に巻いていた布を取った。
「ほう、見事な赤毛だ」
門兵が感嘆の声を上げる。アリアはにっこり笑って、
「お届け物はどちら様へお渡しすればよろしいでしょうか?」
「中へ入って、右の廊下を進むと扉がある。扉の向こうに居る方へお渡ししろ」
「かしこまりました」
本を持ったままなので髪に布を巻けない。アリアは赤毛を晒したまま門の中へ入った。
門の中は質素だった。花も咲いていなければ噴水もない。ただ、太い幹の大木がいくつもあった。宮殿の中と言うより、森の中のようだ。
「………」
少し残念な気持ちで、門兵に言われた通りに右方向の廊下を進むと、朱色の二枚扉があった。扉を軽く叩き待ったが誰も出てこない。勝手に扉を開けるわけにはいかず思案していると、木々の向こうからぎゃあぎゃあとカラスの鳴き声が聞こえてきた。かなり騒々しい。木々の合間を抜けて声の方へ進むと、
「む、向こうへ行けっ」
(男の方?)
成人男性と思われる声がした。しかし、どうにも弱々しい雰囲気である。その他に、
「ぴゃあ~ぴゃあ~」
と、甲高い声も聞こえる。
(子猫の声!)
早足で木々を抜けた。開けた場所へ出ると、大きな池があった。池の中心には小島があり、そこに声の主である男性と、数羽のカラスと、カラスたちが小突き回している白い子猫の姿が見えた。
「お、お前たち、向こうへ行けっ」
どうも男性は、子猫を守る為にカラスを追い払おうとしているようだった。しかし、かなり腰が引けている。小さい棒を振り回しているがカラスには届いていない。
「………」
アリアは太めの枝を拾うと小島につながる橋を渡り、カラスに走り寄った。
「こらぁ!」
声とともに、枝を振り回す。カラスに当てるつもりはないが威嚇は充分だった。カラスたちは鳴きながら飛び立っていった。
枝を放り捨て、草の上で怯えてうずくまっている白い子猫を片手で抱き上げた。生後一、二か月ぐらいの子だ。白い体に血が滲んでいるが大きな怪我はなさそうだった。
「もう大丈夫だよ」
子猫に声をかけると、自分と子猫を見つめる男性と目があった。男性は黒髪に黒色の瞳をしており、年の頃は三十代中頃だろうか。背は高いが細身で、一見して頼りなさそうである。しかし、身にまとっている青の、上衣と下裳がつながった深衣は上品で、一目で質のいい物とわかる。素材は絹だろう。髪もきちんと結い上げている。この離宮の住人かもしれない。慌てて、
「失礼いたしました。わたくしは昇魚屋の店主の息子、アルスでございます。本日はお届け物に上がりました」
一歩下がり頭を下げれば、
「おおそうか、『魚屋』の者か」
魚屋、と言うのは、馴染み客の言い方だ。男は恥ずかしそうに頭を掻きながら、
「カラスを追い払ってくれてありがとう。助かった」
「いえ、差し出がましい事をいたしました」
「子猫が食われそうになっていた。カラスが子猫を食らうのは自然の道理だろうが、目の前でか弱い存在が食われる姿は見たくない。助かってよかった」
そう言って笑う男に子猫を差し出した。片手に荷物を持っているので、このままでは子猫を落としてしまいそうだ。だが男は子猫を受け取らない。
「あの」
「す、すまぬ。わたしは動物に触れた事がないもので、どう扱っていいか………」
「………」
アリアは、自分の父親とそう歳が変わらなさそうな目の前の男を、冷めた目で見てしまった。どうもこういう情けない男は苦手だった。
(この離宮の住人だとしたら、皇族? 貴族? どちらにしても、いいお家のお坊ちゃまなのね、きっと)
カラスを追い払う事も、子猫に触れる事もできない男に、とりあえず、
「あの、この離宮の方でございますよね?」
「ああそうだ」
「お届け物をお渡ししてもよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだな」
片手に子猫、片手に本を持つのは大変だと気づいたようで、男は自ら手を荷物へ伸ばしてくれた。
「片手で申し訳ございません」
「いや、大丈夫だ」
荷物を無事渡し、アリアは両手で子猫を抱えた。
「この子はいかがいたしましょうか」
「怪我の手当てをしてやりたい。そのまま連れてきてくれるか」
男は橋を渡り、朱色の扉の方へ向かった。後をついていくと、男は扉を開け、
「さぁ」
アリアと子猫を中へ誘った。
中に入るなり、アリアは「わあ」と声を上げた。扉の中は、朱色を主とした柱と壁で、それらに見事な彫刻が施されていた。
(さすが離宮だわ)
見とれているアリアを、
「こちらだ」
男が案内して通された部屋は、落ち着いた白色の壁沿いに長椅子があり、中央には大きな円卓が置かれていた。円卓は美しい螺鈿細工の物だった。
「待っていてくれ」
男はそう言って部屋を出ていくと、すぐ戻ってきた。手には水桶と手巾があった。それをどうするか察したアリアは、男が水に浸して絞ってくれた手巾を受け取り、子猫の血を拭き取った。子猫は暴れもせず大人しくしている。
「怪我はどうだ?」
「大きな怪我はないようです。血も止まっています」
「よかった」
男は心底安堵したようで、ほっと息を吐いた。
身分は高そうだが、偉ぶった様子もなく、子猫に対しての行いを見る限り優しい人物のようだ。
男を不思議そうに見ているアリアの視線に気づいた男は、
「アルスと言ったな。わたしは慶嘉と申す」
慶嘉は自身が長椅子に座ると、アリアに自分の横へ座るよう促した。アリアは素直に腰を下ろした。膝の上には子猫を抱いたままである。
「魚屋には色々世話になっている、それにしても、美しい赤毛だな。初めて見た。アルスと言う名前といい、母御は西の国の出か?」
「はい。母は砂漠の向こう、西の国の出身です」
「わたしは以前から西の国に興味があって、本や絵を取り寄せていた。今日、アルスが届けてくれたのも西の国の本だ。しかし、西の国の者の赤い髪と言うのは、これほどとは思わなかった。どんな絵より美しい」
「ありがとうございます」
「母御も同じ色なのか?」
「はい、たぶん」
「たぶんとは?」
「母はわたくしが幼い頃に祖国へ帰ってしまい、わたくしは母の記憶がございません。父の話では、同じような髪の色だったようです」
「悪い事を聞いた、すまぬ」
顔を曇らす慶嘉に、
「いえ、お気になさらないでください。わたくしには父も弟………いや、姉もおりますし、店には大勢の奉公人もおります。賑やかな家でございます」
「そうか」
笑った慶嘉の目が、アリアの膝の上で丸くなって寝てしまった子猫に向けられた。
「今なら触っても起きないと思いますよ。触ってみてはいかがですか?」
「そ、そうか?」
おそるおそる慶嘉は手を伸ばし、子猫の背中にそーっと触れた。すぐ離れて、もう一度ゆっくり触れる。
「そのまま、頭の方からお尻の方に撫でてあげてください」
「あ、ああ」
慶嘉はアリアの進言通りに手を動かす。子猫が気持ちよさげに顎を上に向けた。
「ほら、喜んでいますよ。顎も撫でてあげてください」
慶嘉の手が子猫の顎を撫でると、子猫がごろごろと喉を鳴らし始めた。
「この音はなんだ?」
「猫が気持ちいい時や嬉しい時に、こうやって喉を鳴らすんですよ」
「そうか」
慶嘉は嬉しそうに笑い、そのまましばらく子猫を撫でていた。
「この子はどうされますか?」
「元々野良の子のようだから、この離宮で世話をしよう」
「………大丈夫ですか?」
初めて猫に触れた慶嘉に子猫の世話が出来るのか、不安が顔に出たようで、慶嘉は、
「もう少ししたら、この離宮を管理している者が戻ってくる。その者は動物にも慣れているので大丈夫だ」
その言葉に、慶嘉の素姓が気になった。
(管理している者って誰だろう。そもそもこの方はどういう方なのだろう)
分かっているのは、彼がこの離宮に住む事ができる身分であるという事と、アリアから尋ねる事は不躾でありけしてやってはいけない行為だという事だ。
(気になるけれど、がまんがまん)
好奇心を押さえながら、
「そろそろ帰ります」
子猫をそっと抱え、慶嘉の膝の上に乗せた。
「今日はありがとう。また本を届けてもらえるか?」
「ぜひ」
「よろしく頼む」
立ち上がって深く一礼し、アリアは部屋を出た。
日が暮れはじめた頃、離宮に筒袖の上着である袍と袴を着た青年が入ってきた。
「慶嘉様、ただいま戻りました」
「林来、お帰り」
林来は居間に入り、自分が使える離宮の主人が膝に子猫を抱いている姿に、
「………どうされましたか」
呆れた声だった。
「池の小島でカラスに襲われていた」
「その子をどうされるおつもりで」
「この離宮で世話をしようと思っている」
「陛下がですか?」
「林来も手伝ってくれるだろう?」
「陛下だけでは無理でしょうからね」
林来は螺鈿細工の円卓に置かれた水桶と手巾を片づけ、
「ところで、カラスに襲われていたと仰いましたが、陛下がカラスを追い払われたのですか?」
疑いの目である。林来は自分の主人がそんな事が出来るはずがない事をよく分かっていた。
「まさか。ちょうど魚屋が本を届けに来てくれて、助けてくれたよ」
「あの番頭の方ですか?」
「いや、今日は店主の子息で、アルスと言う少年が届けてくれた」
「ああ、そう言えば、お子がお二人いると聞いています」
「母御が西の国の出だったそうで、美しい赤い髪をしていた」
「それは、それは」
林来は主人の趣味をよく理解している。
「それではお礼をかねて、ご子息にまたお越しいただいたらいかがですか?」
「そうだな。そうしよう。魚屋に使いを出しておいてくれ。また西の国の本や絵があれば届けてほしいと」
「かしこまりました。ところで」
「なんだ?」
「陛下はご自身のご身分を明かされたのですか? 魚屋の方で陛下の事を知っているのは店主殿と番頭の方だけなのですが」
「いや、名乗ったが、気づいていない様子だった」
「明かされないおつもりですか?」
「言ったところで、意味はないだろう」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「本当に?」
「くどいぞ、林来」
「わかりました。わたくしからは何も申しません、隆慶嘉太上皇陛下」
「嫌味だな、林来」
「たまには申し上げませんと、忘れてしまいます」
慶嘉はだいぶ慣れた手つきで子猫を撫で、
「存命のまま退位した皇帝など、意味はない。わたしは今の気楽な生活が楽しいのだ」
それが強がりではなく本音だと知っている林来は、子猫の寝床を作るべく部屋を出て行った。