第300話「インダル-6」
「なんだ……これは……」
皇太子の悲鳴を聞き付けて、駆け付けた騎士たちがまず見たのは、一目見ただけでは材料がそうであると認識できない程に綺麗な飾り付けが為された通路だった。
そして、赤とピンクを基調としたそれらの装飾の意味を……自分たちの同僚がヒトをヒトと思わぬ冒涜的で退廃的な芸術に変えられた事を理解した時、彼らの多くは息を飲み、叫び声を上げ、胃の中の物を全てぶちまけるような勢いで嘔吐し、どれほど気丈な者でも震えを完全に抑える事は出来なかった。
「皇太子様は……」
だがそんな中でも、一部の者は己の役割を果たすべく、通路の奥へと……皇太子インダル・レーヴォルの寝室の前の扉に向かって進む。
「土蛇のソフィア、美食家のトーコ、魔女のシェルナーシュ……だと……」
寝室の扉には血で三人分の名前が書かれていた。
三つの名前はいずれもレーヴォル王国の歴史書に記されるような強大な妖魔の名前であり、普通ならば名乗っても一笑に付されるような……まったく無関係の何者かが勝手に名乗っているとしか思われないような名前だった。
だが、この惨劇を見れば、誰もが認めざるを得なかった。
此処に名前を記したのは、本物のソフィア、トーコ、シェルナーシュであると。
こんな惨状を作り出せるのは、美食家のトーコ以外に居ないと。
「はっ!皇太子様!」
その後、騎士たちは皇太子を救出しようと、あるいはその死を確認しようと、皇太子の寝室に入ろうとした。
だが、扉も、壁も、窓さえも、強力な魔法によって保護されており、王室付きの魔法使いが総出して事にあたっても解除は出来ず、小型の破城鎚を使っても、鎚の方が壊れるようなありさまで、頼みの綱である英雄の力を持ってしても傷一つ付かない程だった。
その事実に彼らは理解する。
皇太子を確実に殺す為に、皇太子の部屋には人智の及ばないような強大な魔法をかけられたのだと。
こんな魔法を使えるのは、御使いを除けば、魔女のシェルナーシュしか居なかった。
「はぁはぁ……開いた……っつ!?」
そうして彼らが奮闘すること数時間。
扉は前触れもなく、まるで頑張ったご褒美だと言わんばかりに、ゆっくりと、独りでに開く。
そして彼らは見てしまう。
「皇太子……様……」
この世の物とは思えない形相で倒れ、傷一つ無いのに息絶えている皇太子の姿を。
土蛇のソフィア以外には絶対に為せないであろう不可思議な死を迎えたインダル・レーヴォルの姿を。
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「で、貴様は一体どんな仕掛けを施したんだ?」
翌日。
屋敷の書庫にやってきた私は、シェルナーシュにそう問いかけられた。
ちなみに、インダル・レーヴォルの死については箝口令が敷かれたため、今はまだ城外には知れ渡っていない。
が、時間の問題だろう。
ヒトの口に戸は立てられないのだから。
「仕掛けねぇ……まあ、そこまで大した仕掛けはしてないわよ。インダルの使っていた魔薬吸引用の器具に使役魔法の魔石を潜ませて、こっちで吸引の速さをコントロール出来るようにしたのが一つ」
「ふむ、それは確かに大したことはないな」
「もう一つの仕掛けは、魔薬の方に『蛇は罪を授ける』を仕込んだ事ね。こうすることで、魔薬の幻覚作用と『蛇は罪を授ける』の情報伝達が合わさって、通常の『蛇は罪を授ける』よりも強力に情報を叩き込めるのよ」
「ほう」
それに、私の魔法と技術を持ってすれば、恣意的な情報操作など片手間に行える程度の事でしかない。
テトラスタ教もレーヴォル王国も揺らいでいる今ならば尚更だ。
そんな事はさて置いて。
「で、情報の内容は?」
「んー、色々ね」
「色々?」
「部屋全体が蛇に変化してみえる様にしてあげたり、フロッシュ大陸に居た人食族に全力で追われたり、病魔に沈んだ『英雄王国』最後の一日を街の中の視点で味わせてあげたり……まあ、とにかく私が記憶している惨劇から色々と引っ張り出してきた感じね。あ、処刑も幾つか混ぜたわね」
「……」
「どうしたの?」
シェルナーシュの質問に対して私は率直に答えてあげた。
が、私の答えを聞いた途端、シェルナーシュは頬をヒク付かせ始める。
そしてそんな状態のシェルナーシュから出てきた言葉は……。
「魔王か貴様は」
この間も聞いた覚えがある言葉だった。
「『英雄の剣』と『ヒトの剣』に持たせた表向きの意味から考えたら、『妖魔の剣』を持っている私は妖魔の王でもおかしくないわね」
と言うわけで、私は胸を張ってこの間と似たような返しをする。
なお、『英雄の剣』と『ヒトの剣』に持たせた表向きの意味とは、それぞれの剣を持つ者は英雄を統べる資格とヒトを統べる資格を持つ、という物である。
勿論、そんな事が出来る魔力など『妖魔の剣』を含め、どの剣も持っていない。
が、レーヴォル王家の正当性を強固にするために、こういう逸話を持たせたのである。
今のレーヴォル王国の状態を見る限り、失敗だったようだが。
「それで、これからどうするつもりだ?」
「まずはインダルの葬儀が終わり、フォルスが皇太子になるのを待つわ」
「つまり、灰羅ウエナシが来るのは避けられない。と」
「そう言う事になるわね。ま、私が何とかするから安心しなさいな」
私はそう言うと、真剣な目つきをしているシェルナーシュからセレニテスに頼まれた本を受け取り、書庫を後にした。
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