第299話「インダル-5」
今回は人を選ぶ描写がございますので、お気を付け下さい。
セントレヴォルを守る騎士と兵兵たちの努力もむなしく、妖魔と人妖、そして彼らと協力する悪党たちによる事件は続いた。
貴族街に居を構える貴族は何の変哲もない路地裏で唐突に行方を断ち、多額の資金をかけて建造されたテトラスタ教の教会は焼かれた。
昨日まで元気にしていた隣人が居なくなることに、住民たちは悲しみを覚えると同時に、次は自分でないかと恐怖した。
しかし、恐怖に負けて、セントレヴォルから逃げ出そうと思っても、それは容易な事では無かった。
セントレヴォルの周囲では野盗と妖魔が頻発し、それらの目撃証言の中には彼らが協力していたと言う話すらあったからである。
そう、セントレヴォルに居る者は、王も、貴族も、平民も、奴隷すらも怯えるしかない状況に陥っていた。
そうして事件が続く中、人々は二つの事に気づく。
一つはテトラスタ教の腐敗。
テトラスタ教にとって妖魔は御使いの主が遣わした試練であり、常日頃から備えておくべきものである。
そのために教会は信者たちから金品を集め、魔石を集め、国や貴族に依らない『双剣守護騎士団』あるいは『輝炎の右手』と言った武力を有する組織を持つ事を許されていたと言ってもいい。
だが、今回の事件で人々が目にしたのは、教会から逃げ出す司祭たちの姿であったり、碌な整備もされていない装備品の類であったり、これでもかと積み重ねられた金銀財宝の類だった。
こんな物を目にしては、住民たちが今のテトラスタ教は腐っていると認識するのも当然の事だろう。
もう一つは、行方を断っている人々や襲われた施設や住居の大半が、皇太子インダル・レーヴォルに関わりのあるものである事。
この情報に、土蛇のソフィアが第一王女スクワ・レーヴォルを暗殺する前に、彼女の周囲に居た貴族と商人ばかりを狙っていた事実と、騎士たちが事件を起こした妖魔たちを討伐することに成功しても、魔石を土の蛇によって強奪されている話を合わせて考えれば、土蛇のソフィアの次の狙いが皇太子にある事は明瞭だった。
そして、これらの話は皇太子インダル・レーヴォルの耳にも入っていた。
自分の後ろ盾になってくれているテトラスタ教に対する批判と、自分の命が他の妖魔と比較にならない程に凶悪な妖魔である土蛇のソフィアに狙われているという事実。
生まれの順だけで皇太子になれたと言われてしまうような男が耐えられるような話では無かった。
故に彼は常々頼っていた物に……今は亡きグレッド枢機卿らが、御使いと御使いの主に近づけるものだといって用意した魔薬に走ろうとする。
私の毒が既に仕込まれているとも知らずに。
「と言うわけで、シェルナーシュ。皇太子が部屋から逃げ出せないようにする魔法をお願い」
「はぁ……随分と長い語りだったな」
と言うわけで、予定通りの一週間後。
私、トーコ、シェルナーシュの三人はセレニテスの守りを『蛇は骸より再び生まれ出る』に任せて、セントレヴォル城に潜入。
皇太子の警備をしていた騎士八名を音もなく始末すると、皇太子の所有物に私がちょっとした仕掛けを施した上で、部屋の外に出たのだった。
「固定」
シェルナーシュが皇太子がゆっくりと動き始めている部屋に杖を向けて、何かしらの魔法を使う。
「効果は?」
「物体の座標を固定することで、あらゆる外的要因による破壊を阻止する魔法だ。小生が解除するか、よほど強力な魔法を使わなければ、いつまでも続くと思ってもらって構わない。それを、皇太子の部屋の床、壁、天井、扉、窓に施した。脱出は不可能だ」
「流石はシェルナーシュね。私じゃこんな魔法は使えないわ」
ふむ、効果としては接着の魔法の大幅な強化版と言ったところだろうか。
いずれにしても、シェルナーシュの言うとおりの効果ならば、どう足掻いても脱出は不可能だろう。
「ソフィアん。飾り付け終わったよ」
「おおっ、流石はトーコね。私じゃこうはならないわ」
「ふふん、飾り付けも美味しい料理には欠かせない要素だからね。これぐらいは当然」
シェルナーシュが魔法を使い終わったところで、トーコも自分の仕事を終えたらしい。
気が付けば皇太子の寝室前の通路は、私たちがやってきた時はまるで別物になっていた。
「飾り付け……か」
「どしたの?シエルん」
「いや、なんでもない」
具体的に言えば、綺麗に腑分けされた八人の騎士の死体が飾り付けられ、普通のヒトならば見ただけで気を失うような状態になっていた。
これほどの作業を一滴も余計な血を飛び散らせることなく行ったのだから、トーコの技術は実に素晴らしいものである。
「じゃ、後はここに……よし。それじゃあ帰りましょう」
「分かった」
「うん」
私は最後に皇太子の寝室の扉に、私たち三人の名前を騎士たちの血で記すと、その場を後にしようとする。
と、その時だった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!?」
「「!?」」
「あ、やばい」
皇太子の寝室の扉、その鍵穴から、城中に響き渡りそうな音量で皇太子の叫び声が漏れ出てしまった。
どうやら私の想像以上に皇太子の心は弱かったらしい。
「早いところ逃げましょう」
私は無言で頷く二人を連れて、誰かがこの場に駆けつけるよりも早く、その場を後にしたのだった。