第282話「夜天蓋」
「ふぅ……」
結局私がインダークの樹の植わっているグロディウス家の入口の無い庭と呼ばれる場所に入れたのは、翌日の昼過ぎの事だった。
うんまあ、これは仕方がないだろう。
グロディウス家の屋敷を見張っていた怪しい連中とか、侵入しようとしていた怪しい奴とかを忠実なる烏で見つけ出して、一人ずつ背後から絞め落とし、食べていたのだから。
時間は否が応にもかかるのである。
「さて、久しぶりね」
私は庭の中心に立つ一本の老木に近づく。
すると、私が近づいたことを察してか、その木は一目見ただけで相当な年数を経ていると分かる幹と枝葉を揺らし、歓迎の意を込めた様子の魔力を周囲に放つ。
しかしインダークの樹はどれほど若く見積もっても樹齢が四百年を超える老木であり、今のトリスクーミで確実に私よりも年上であると言える数少ない存在である。
魔力にも、枝葉の動きにも、何処か元気を感じられない。
「……」
そんな私の思考を察してなのかは分からないが、インダークの樹が間に合ってよかったと言うような魔力を発する。
やはりインダークの樹はもう長くないらしい。
「聞かせて頂戴。あの時貴方が伝えたかったことを、貴方が受け取った伝言を」
私は真剣な表情をして、インダークの樹の様子を窺う。
インダークの樹も、私の態勢が整った事を察して、あの時と同じように草木と地面を振動させることによって音を発し始める。
『お前は y0;d である』
私の耳にインダークの樹の声が届き始める。
『異界の t0fx の声を聞き、逸話を形にしている』
三百年以上経ち、あの頃に比べれば力も知識も相当着いたはずの私でも、一部には理解できない音はある。
『y0;d を閉じよ』
だがそれでもニュアンス……インダークの樹が何を伝えたがっているのかは何となく分かった。
『3dvdざ な w9m8daい7pjzt98 は受け入れられない』
インダークの樹にこのメッセージを託したその存在はこう言いたいのだろう。
私の使っているとある魔法をこれ以上使うなと。
『……』
「以上、って事ね」
インダークの樹の動きが止まる。
まあ、この誰かさんがそう言いたくなるのにも納得はいく。
恐らく誰かさんに使うなと言われた四つの魔法……『蛇は骸より再び生まれ出る』『蛇は根を噛み眠らせる』『蛇は八口にて喰らう』『蛇は罪を授ける』は、私が使える数多の魔法の中でも明らかに毛色が違う魔法である。
その毛色の違う部分が誰かさんにとって都合の悪いところからやって来ているのなら……まあ、私に対して警告が飛んでくるのは当然だろう。
尤も、それなら最初の注意の時から、私に理解できるように伝えてくれと言いたいところである。
「じゃあ……」
『き……』
「ん?」
いずれにしてもインダークの樹に託された伝言はこれで終わり、そう私が判断して、挨拶をしてから帰ろうと思った時だった。
「っつ!?」
グロディウス家の入り口の無い庭の中に限る形で、まるで地脈のど真ん中に居るように感じるほど濃密な魔力がインダークの樹から突然溢れだす。
「これは……」
そして私は幻視する。
インダークの樹の根元に座る一人の少女の姿を。
腰まで届く麦藁のような色の髪、満月のように輝く金色の虹彩と蛇のような縦長の瞳孔を持つ目、側頭部から左右三本ずつ計六本生えた角、フード付きの蘇芳色の衣を身に纏った少女の姿を。
ネリー、フローライト、ヒーラ、キキ、セレーネ、レイミア、ペリドット、セレニテス、それにトーコやシェルナーシュ、ヒトのソフィアと言った、今までに私が出会った女性たちにどこか似た雰囲気を纏った少女の姿を。
『単刀直入に言わせてもらう』
いや違う。
私は耳で少女の言葉を捉えつつ、心の中でそう言葉を発した。
『来い』
そう、違うのだ。
少女が私たちに似ているのではない、私たちが少女に似ているのだ。
『私が居る場所に』
私は幻視した少女の姿を見て、そう直感する。
『壊れない い4う を持って』
だがそれも当然の事。
『ywxd と yを。 の海を越えて』
彼女の方が私たちよりも遥かに古き存在であり、フロッシュ大陸に伝わっていた昔話でも語られているこの世界の始まりに関わる存在なのだから。
『待っているぞ』
「……っつ!?」
再び魔力の奔流が庭の中で荒れ狂う。
膨大な量の魔力に影響されて、インダークの樹以外の植物が何度も成長しては花を着け、実を着け、枯れ落ち、残された種から萌芽する。
そして、荒れ狂う魔力が治まる頃には彼女の姿は消え去っており、グロディウス家の入り口の無い庭はまるで数百年の時が経ったかのように植物が繁茂し、インダークの樹も季節外れの花を満開にさせていた。
「まったく、まさか当人……いえ、ヒトじゃないわね。当神が出て来るとは思わなかったわね」
インダークの樹の枝に付いていた花が散り、結実していくのに合わせて、他の植物たちも今の季節に合わせた姿を取り始める。
「ま、待っていると言ったんだし、セレニテスの件を片付けてからでいいわね。目指す場所も目指す場所なんだし」
私はそう結論付けると、背中にかいていた冷や汗の感触は敢えて無視し、普通の植物のようになってしまったインダークの樹の枝から水色の実を一つ採らせてもらってから、その場を後にした。
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