第278話「三百年後の王国-3」
「姫様のご様子は?」
「先程眠られたと侍女が」
「そうか」
ソフィアが暗殺者に襲われた馬車を助けた数日後。
とある屋敷の一室に一目で貴族と分かる雰囲気を纏った壮年の男性と、長い間その衣装を身に付け続けてきたのだと所作だけで理解させる老執事が会話をしていた。
「動揺していたりは?」
「気丈にも表面上は平静を保っておられます。ただ……翌朝には枕を濡らしていてもおかしくはないでしょう」
「だろうな。まったく……彼女のようなヒトまで巻き込むことになるとは……気が滅入ってくる」
壮年の男性は大きく溜め息を吐く。
だが、老執事が主のそんな行動を咎める事は無かった。
当然だ。
真っ当な価値観を有している者ならば、自分たちの行動が非道で、許されざるものであると判断する他ないのだから。
「ですが、当主様の行動は正解でした。もしもあのまま姫様を村に置いていたならば……」
「まあ、奴らなら野盗を送って、村を無かった事にするぐらいはするだろう。手練れの暗殺者も送っていたようだしな。だがそれでも……あんな右も左も分からないような少女を我々の世界に引きずり込む事には抵抗を覚えざるを得んよ」
再び壮年の男性は溜め息を吐き、老執事は主を気遣うように暖かい紅茶の入ったカップを差し出す。
「……。暗殺者の正体と行方については?」
「死体が身に付けていた装備品からして、アービタリ伯爵の手の者である事は間違いないでしょう。生き残りの行方については不明です。なので、暗殺者を捕えられる見込みは低いかと。それに捕えられても……トカゲのしっぽ切りになるでしょう」
「そうか。となると名ばかり公爵であるこの身では、これ以上の追及は厳しいか……」
老執事の言葉に壮年の男性は眉間のしわを深めつつ、目を瞑る。
その姿は己の無力さに打ちひしがれているようでもあった。
「まったく、相手は後ろ盾も何も無い庶子だと分かっているはずなのに……放っておけばいいだろう。皇太子も、第二王子も、第一王女も、その周辺の連中も」
「不安なのでしょう。でなければ、こんな愚かな振る舞いをするはずがありません」
壮年の男性はカップの中身を一気に飲み干すと、そこに自らの手で今度はブランデーを注ぎ込み、飲み始める。
「まあ、愚かなのはこちらも同じだ。あんな子供を引き摺りこんだ上に、危うく死なせかけたのだからな。この報告書にある謎の魔法使いが居なければ、あの娘は死んでいた。確実にな」
「それは……否定できませんな……」
壮年の男性が一枚の羊皮紙を机の上に広げる。
そこには、ソフィアが暗殺者から馬車を助けた件についての報告が記載されていた。
「『暗殺者の数は最低でも十人以上。内八人はその場で死亡、死体には抵抗した素振りすらも残されていなかった。八体の死体の内、四体は一刀のもとに首を切り落とされており、四体は兜の中にあった頭だけが潰されていた』か。どう思う?」
「少なくとも王室付きの魔法使いたちと同レベルの魔法使いなのは確かでしょう。いえ、王室付きでも、末端の連中なら鼻で笑えるでしょうな」
「まあ、報告書通りなら、訓練された暗殺者八人だけを一方的に殺せる魔法使いであるし、それが妥当な所か」
壮年の男性は眉間のしわをさらに深めつつも、報告書を読み進めていく。
「しかし……それほどの攻撃用魔法に加えて、『瀕死の騎士に対する完璧な治癒魔法の行使から、施術者は『黄晶の医術師』の導師クラスの治癒技術を有するものと考えられる』『街道ではなく、暗殺者が居るはずの森の中を選んで逃走したことから、優れたサバイバル能力と探査能力を有している可能性あり』か。数々の物的証拠と姫様の証言が無ければ、実在すら疑いたくなるな」
「お気持ちは分かります。攻撃魔法、回復魔法、探知または生存技術と、三つの分野を一流と呼んで差支えない次元で修めている者など、レーヴォル王国全土を見渡しても片手の指で数えるほどの数もいないでしょう」
壮年の男性と老執事が報告書の内容を疑いたくなるのも当然の事ではあった。
なにせ、報告書の通りなら、回復魔法を専門的に扱う『黄晶の医術師』と、それ以外の魔法全般を扱う『輝炎の右手』、その決して仲が良いとは言えない二組織の基準において一流と呼ぶべき魔法使いが、それ以外の技術も有する形で、突然自分たちの目の前に現れたようなものなのだから。
暗殺者の死体、彼らの目で見て完璧な治療を施された騎士の身体、それに馬車の扉の隙間から、森の中へと駆けこむソフィアの姿を見た姫の証言と、これらの要素が揃っていなければ、彼らでもこの報告書を一笑に付していただろう。
「……。わざわざ面倒事を避けるような動き方をした魔法使いであるし、捕捉できる見込みは低いかもしれない。が、日々の業務に差支えが生じない範囲でこの魔法使いを探し出すように指示を」
「かしこまりました。決して敵対的な対応を取らないように厳命した上で、ですね」
「そうだ。最良は我々の味方になってくれることだが、誰の味方にもならないでくれるなら、それはそれで構わない」
「では、早速指示を出して参ります」
「頼んだ」
老執事が壮年の男性に一礼をした後、部屋の外に出ていく。
「はぁ……」
そして壮年の男性は部屋で一人溜め息を吐くと……
「このまま今の王家に忠誠を誓い続けていいのでしょうか……御先祖様」
部屋の中に飾られていた錆一つ、刃こぼれ一つ無いハルバードを目にしながら、そう呟くのだった。