第267話「ノムン-4」
「死……神……」
死神。
物理的な実体を有していると錯覚するほどに濃密なために光を通さなくなった黒い魔力と、その魔力によって正体が隠された何者かの姿を見た時、私の脳裏に最初に浮かんだ言葉がそれだった。
死を司る神、死者の国へと誘う神、隠れ世に住まう神、今までに一度も聞いたことも無ければ、思いついたことも無い概念であるにも関わらず、自然と私はその言葉を呟いていた。
「グルオオオォォォ!」
ノムンだった者は本能的に私が死神と呼んだものの危険性を感じ取ったのか、いち早く迎撃するべく、剣を振りかぶる私とリベリオの事も無視して、慌てて振り返ろうとした。
「……」
「!?」
だがその前に死神は何処か見覚えのある剣を、何処か見覚えのある木の指輪を填めた手で振るい、ノムンだった者の骨だけになった左腕をまるで柔らかい菓子でも切るかのように容易く切り飛ばす。
「ギ……」
そして死神がノムンだった者の左腕を切り裂き、死神の姿が黒い魔力に包み込まれて消えた直後だった。
「ガアアアァァァ!?」
ノムンだった者は傷口の再生が始まらない左腕の切断面を手で抑えながら叫び声を上げる。
「グルアッ!?ギルアッ!?」
「これは……」
そこへ周囲の兵士が放った矢が突き刺さり、火球の魔法が直撃する。
この二つの攻撃は今までは足止めとしての効果も碌に発揮できていない攻撃だった。
だが、巨体であるが故に効果は薄かったが、矢は刺さったままで、焦げた肌が再生する事も無かった。
それはつまり……
「全員!全力で攻撃を仕掛けなさい!!今の奴に自らの傷を治す力はありません!!」
死神の攻撃によって、ノムンだった者の強さを支えていた要素の一つが失われたという事だった。
「はああぁぁ……」
「!?」
それならば一切の遠慮はいらない。
私は『妖魔の剣』を両手で持つと、『蛇は八口にて喰らう』を発動した状態で切りかかる。
「はあっ!」
「ギガアアアァァァ!?」
そして剣身を一瞬だけ長くすると、本来の剣の長さでは絶対に切れない太さであるノムンだった者の右腕を肩口から一刀で切り離す。
「焼き切れ!」
「ガッ……!?」
続けてリベリオが『英雄の剣』に炎を纏わせた上でノムンだった者に切りかかり、その胸を真一文字に切り裂くと同時に焼き、ノムンだった者の上半身を一気に炎上させる。
「突けええぇぇ!」
「切れええぇぇ!!」
私とリベリオの二人に続くように周囲の兵士たちも槍と剣でノムンだった者を攻撃し、その体力を少しずつ、けれど確実に削り取っていく。
「……!!」
「なっ!?」
「しまっ!?」
このまま攻撃し続ければ倒せる誰もがそう思った時だった。
ノムンだった者の右脚……唯一ノムン本来の姿の面影を残していたその部位が、僅かに残されていたノムンの意思を反映するかのように地面を蹴り、ノムンだった者を一つの方向に向けて飛ばす。
「……!!」
「陛下!」
「なるほど、最後の最後まで貴方らしい選択ですね」
その先に居たのはセレーネとバトラコイの二人。
そう、己の死を免れないと悟ったノムンは、この期に及んでも意地汚い事に、セレーネを狙ったのだった。
自らの道連れにするべく。
「……!?」
「ですが……」
私とリベリオの二人も、他の将兵たちもその事を察すると、慌ててノムンだった者にトドメを刺そうと動き出す。
だが私たちが何かをする前にすべては終わっていた。
「ギッ……!?」
「貴方如きが命を取れるほど、私の守りは薄くなく、死にかけの貴方の命を取れない程、私は非力な存在ではありません」
ノムンだった者のセレーネを噛み砕こうとする一撃が、琥珀蠍の魔石が張った障壁とバトラコイの盾によって止まると同時に、セレーネは腰に挿していた『ヒトの剣』を抜いていた。
「はっ!」
「!?」
セレーネは『ヒトの剣』を両手で持つと、ノムンだった者の頭の中心を、生命を維持するために欠かせぬその部位を口の中から刺し貫く。
「「「!?」」」
直後、ノムンだった者の全身が一瞬だけ膨れ上がり、周囲に向けて閃光を発した。
その光の強さには、私も目を背けずにはいられない程だった。
「さあ……」
やがて光が収まった時。
「これで戦いは終わりです」
私の前ではノムンだった者の全身が塵に還っていくと同時に、ノムンだった者の血で汚れた『ヒトの剣』を持ったセレーネが、切っ先を天に向けた状態で掲げる途中だった。
「全員、勝鬨を上げなさい!!」
そしてセレーネの言葉と共に、この場に居たすべての兵士が鬨の声を上げた。
それはつまり……
「これで戦も終わり……か」
ノムンが死に、南部同盟が滅び、戦争が終わり、セレーネによってヘニトグロ地方の統一が行われた事を誰もが認めた瞬間だった。
それは同時に……
「なら、次の目的に向けて私も動き出さないと」
私の本当の目的を果たすために必要なものの一つがようやく整った事を示していた。
「ふふふ、ある意味これからが本当の戦いね」
私はそれまでの所属など関係なしにお互いに喜び合っている人々に背を向けると、その場の喧騒から逃れる。
理由は簡単。
「ふふっ、ふふふふふ、あーはっはっは!」
見せられないからだ。
こんな妖魔としての本性が露わになった狂相など。
ウィズにも、リベリオにも、レイミアにも、私の本当の目的の欠片すら知らないヒトには絶対に。
「ふぅ……さて、祭りの準備を始めなきゃ。まずは約束を果たす事からね」
そうして感情をどうにか抑えた私は忠実なる蛇の気配を頼りにペリドットを探し始めるのだった。
ソフィアが善人の筈無いんだよなぁ