第245話「準備-7」
「ふむ、ペリドットだけのようね」
日も落ちて殆どのヒトが寝静まっている頃、私は自分の部屋に戻って来ていた。
部屋の中には横に広い椅子の上で布を被って寝ているペリドット以外の姿は無く、そのペリドットにしても金色の髪をゆっくりと上下させ、若草色の瞳を瞼で隠し、静かに寝息を立てていた。
「セレーネの望んでる書類は……明日書き始めても問題はないわね。今日明日に前触れもなく襲い掛かる事は出来ないし」
私は『妖魔の剣』とハルバードを壁に立てかけると、明日以降の予定を頭の中で組み直しつつペリドットに近づいていく。
そうしてペリドットの顔が普通の目でもはっきりと見える距離にまで近づいた時だった。
「!」
「……」
ペリドットの目が大きく見開かれると同時にその身体が宙へと回転しながら撥ね上がり、身体の陰に隠れて見えなかった部分から抜身で魔力の刃が展開された『存在しない剣』を握った腕が勢いを付けた状態で私に向かってきたのは。
「っと」
「!?」
私はペリドットの目が驚きの色に染まっているのを確認しつつ、『存在しない剣』を握った腕を掴んで刃の動きを止める。
そしてそれと同時にペリドットのもう片方の手を捻り上げつつ背後に回り込み、床に痛く感じる程度の速さで押し倒す。
「やれやれ、危ないじゃない」
「あ……ぐっ……」
私は『存在しない剣』を握っている方の手を少し強めに握る事で、ペリドットの意思とは関係なしに剣を放させ、胸の部分に収納しておいた土を操ってペリドットの手が絶対に届かない位置にまで『存在しない剣』を移動させる。
「で、あの驚き方からしてわざとではなかったようだけど、何か申し開きは?」
「……」
「言いなさい」
「!?」
理由を言う気がなさそうなので、私はペリドットの捻ってある方の腕を少しだけ移動して、痛みを与える。
「はい、攻撃した理由は?」
「……。奴隷商から逃げ出して以来、殺気を持った相手が近づくと、勝手に攻撃するように癖がついてるの」
ペリドットはばつが悪そうな様子を見せながらそう呟き、私はペリドットの様子に拘束を少し緩める。
「殺気ねぇ……私は出していた覚えはないんだけど?」
「アンタの場合は存在そのものが殺意の塊みたいなものじゃない。土蛇」
「ああ、そう言えば私は妖魔で、貴女は英雄だものね。それなら、最初から傍に居たならともかく、寝入った後から近づいたなら反応してもおかしくないか」
「そう言う事よ」
しかし、もしペリドットの言うとおりだとしたら中々に厄介な問題である。
私とペリドットの立場上、私はともかくペリドットが眠る時に武器を身近に置いておかないと言うのは危険すぎるだろう。
睡眠中と言う普通ならば隙だらけの状況に襲い掛かるのは、正面から戦わない場合の基本であるし。
「ふうむ。困った癖ね」
「ちょっ、何処に!?」
私はペリドットの腕を捻り上げるのをやめる代わりに腰のあたりに腕を回し、ペリドットを抱えてベッドの方に移動する。
「ベッドで寝ないと体が痛くなるでしょー」
「それはそうだけど!?」
そしてペリドットを抱えたまま、ベッドの中に入る。
傍から見ればレイミアの言うとおり、私が幼女趣味であるようにしか見えない光景ではあるが、誰かに見られたりしなければ問題はないだろう。
「で、ペリドット。貴女の癖だけれど、私からは私の気配に慣れろとしか言いようがないわね」
「寝ながら周囲の気配を見極めろとでも言うの?」
「無理なら全部の気配を無視すればいいわ。私が貴女の安全を確保すればいいだけの話だし」
「……」
で、ペリドットの癖の治し方だが……寝る時に最初から居た相手は無視できるのだし、私の気配に慣れれば対象から外せるのではないかと思う。
そもそもとして、あの小屋からマダレム・シーヤに帰って来るまでの間は、こんな問題とは無縁だったわけだし。
「土蛇。どうしてアンタは私の事を守るの?」
「貴女の父親であるオリビンに頼まれたから」
「ヒトの真似までして西部連合を助けているのは?」
「私自身の目的もあるけど、シチータの件もあるわね。セレーネが王の器である事もあるわ」
「……。アンタが生きる目的は?」
「昔の約束があるから」
ペリドットが私に質問をしてくるので、私はそれに素直に答えていく。
するとペリドットは私の首のあたりに頭を押し付け、顔を見えないようにした上で口を開く。
「馬鹿でしょ。アンタ」
「馬鹿とは随分と言ってくれるじゃない……」
「馬鹿よ。アンタはね。ウィズとレイミアがアンタの仲間だって会わせてくれたトーコとシェルナーシュとか言う二人の妖魔とは大違いだわ。あの二人も妖魔としては少しおかしいけれど、それでも目的の為に生きている。妖魔らしくね」
「……」
「でもアンタは目的の為じゃなくて、約束の為に生きている。そんな感じがするわ。それは妖魔の生き方じゃないわよ」
「かもしれないわね」
私はペリドットの言葉に対して理性的に反論する事が出来なかった。
いや、しなかった。
無理やり捻り出そうと思えば、反論の一つや二つぐらいは捻り出せたのかも知れないが、そう言う気にはなれなかった。
ペリドットの言葉が正しいと感じているがために。
「昔の約束って何なのよ。今のアンタはその約束を守れているの?」
「……」
フローライトとの約束……私らしく生きる……ああいや、正確に言えば、私らしく、けれどヒトに騙される事の無いように生きる……か。
今の私はヒトに……
「守れているわ。私はその時が来るのを知っているから」
「そう……」
騙されてはいない。
私が西部連合に手を貸す目的がアレである限りは。
その時がいずれ来る事を理解している内は。
「なら私から言う事はもうないわ」
そうして私とペリドットは一緒に眠り出した。
善意じゃないのよ