第231話「マダレム・シーヤ攻略戦-7」
一方その頃。
マダレム・シーヤの中心、軍事も含めた政務の一切が執り行われる場所に、一人の女性が居た。
「拙いな……」
蝋燭の明かりだけで照らされた部屋の中、女性は蛇のように細長い茶色の髪をまとめた状態で席に着き、蛇のような瞳孔を持つ金色の目で部下が挙げてきた報告書を読んでいた。
「連中が矢と魔法の距離でしか攻めてこないせいで、こちらの想定以上に矢と魔石の消費が進んでいる……」
女性の名はレイミア。
『蛇眼』の通り名を持つ七天将軍七の座であり、蛇の妖魔の血を引く先天性の英雄である。
「いったいどうする……どうやって数を補う……」
レイミアは悩んでいた。
部下が挙げてきた今日一日でどれだけの消費が有ったのかを報告する羊皮紙の中身が、彼女の想定とは少々ずれていたために。
具体的に言えば、兵と近接武器、城壁から落とす落下物の消耗は想定よりも少なく、矢や魔石と言った城壁から離れた場所に居る者を攻撃するための消耗品の消費が激しかった。
「おやおや、随分とお悩みの様子で」
「……。何の用だ?ファナティー」
と、そうやってレイミアが悩んでいる部屋の中に、一人の軽薄な雰囲気を纏う男がノックも無しに入ってくる。
「用?そりゃあ勿論、報告があるからに決まっているでしょう。レイミア将軍。下で屯して自己保身のための策を議論している役立たず共とこのリッシブルー様の腹心であるファナティーを、妖魔混じり如きが一緒にしないでいただきたい」
「報告があるならとっとと話せ。今はお前のくだらない話に付き合っている暇もない」
男の名はファナティー。
ノムンとリッシブルーがレイミアに付けた副官の一人であり……レイミアの監視役だった。
「はぁ……つまらんなぁ……まあいい。どうせ貴様は私には逆らえないのだしな。いいだろう話してやる」
レイミアは他の監視役を兼ねた副官たちも嫌いだったが、特にこの男は嫌いだった。
と言うのも、他の副官たちが典型的な南部同盟の士官……つまりは自己保身を優先し、どうやれば自分たちの命が守られ、より多くの利益を得られるのかだけを考える無能な連中で、少し頭を使えば懐柔できるのに対して、ファナティーは彼らとは全く違う倫理観……レイミアにとってみれば悍ましいとしか言いようのない考え方で動いているからだ。
「貴様が三日前に南門から出した伝令だが、やはり途中で始末されていたようだ。昨日、貴様が突撃を仕掛け、無様な姿で逃げ帰って来るまでの間に出しておいた私の兵士たちが発見したよ」
「……。見られていたという事か」
「さてどうだろうな?死体そのものは獣と妖魔のせいで見るに堪えない状態だったようだが、持ち帰った鎧を見る限りでは妖魔に襲われたかのようなひしゃげ方をしていたそうだぞ」
「いずれにしても援軍は期待できないという事だな。報告ご苦労。もう休んでいいぞ。明日も戦いは続くのだからな」
レイミアはファナティーの事を意識から外すと、その報告が意味することを考える。
すると、レイミアの脳裏にリッシブルーから渡されたとある資料の情報……西部連合のソフィール・グロディウスは土の使役魔法を操るだけでなく、土を鳥の形にして飛ばす事が出来るのだという話が蘇える。
と同時に、マダレム・シーヤの上空で、戦いが始まる数日前からずっと飛び続けている鳥が居ると言う部下の報告と、昨日自身が率いる手勢で東門から出撃して攻撃を仕掛けた際に、事前に攻撃が仕掛けられるという事を知っていたとしか思えないタイミングで反撃された事を思い出す。
「まったく……まさか上から見られると言うだけの魔法がこれほどまでに厄介だとはな……」
疑いの余地はなかった。
レイミアは夜でもお構いなしに飛び続けるその鳥がソフィール・グロディウスの作り出した監視用の鳥型人形であると心の中で断定すると、その鳥によってこちらがどれほど秘密裏に攻撃の準備を整えても、出撃の段階で確実にバレ、対応されるのだと改めて認識した。
だが、そうと分かったところで打つ手はなかった。
数百の兵を隠せるような大きさの布など用意のしようが無かったし、壊そうと思っても、相手は飛距離を重視した魔法も、数人がかりで引くような強さの弦の弓も届かないような高さを飛んでいるのだから壊せない。
それによしんば攻撃が届いて、壊せたとしても、所詮は土と魔石で出来た鳥。
術者であるソフィール・グロディウスをどうにかしない限り、幾らでも新しいのが湧いて出てくるのは火を見るより明らかだった。
「ははは、奴はリッシブルー様も手を焼く化け物ですからなぁ。妖魔混じりがどうにか出来るはずがない」
「……。まだ何か有るのか?私は休めと言ったはずだぞ」
「いやなに、貴様の忠実なる副官である私が一つの提案をしてやろうと思ってな」
「提案だと?」
と、ここでレイミアはファナティーが気配を消した状態でまだ部屋の中に留まっていた事に気づく。
そして、ファナティーの浮かべる表情に、レイミアはこの上なく嫌な気配を感じる。
「ファナティー……お前一体何をするつもりだ?」
「なに、情報が漏れるのであれば、漏れることを前提で動けばいいだけの事。リッシブルー様が私に与えてくださった使命……西部連合のゴミどもを出来るだけ足止めすると共に、可能な限り多大な損害を与えるのに、有用な策を一つ思いつき、此処に来る前に実行し始めたのだよ」
「!?」
レイミアは椅子から立ち上がると、窓から街の様子を眺める。
一見すれば何も起きてはいない。
だが、昨日までとは違う、戦場のそれとも違う異様な空気が街の中に湧き立ち始めていた。
「民に……何を言った?」
「民には『この戦いに勝てばレイミア将軍のご両親が帰ってくる。だが、勝つためには兵民一体となって突撃を仕掛けるしかないだろう』と」
「ファナティー……貴様……」
「ははは、それだけではありませんよ。我々が出撃し、戦いが始まったら街にも火を点けます。奴らにマダレム・シーヤをそのまま渡すわけにはいきませんからねぇ」
「なっ!?自分が何を言っているのか分かっているのか!?そんな事をすれば……っつ!?」
「多くの民草が死ぬ?それがどうしたと言うのです。リッシブルー様の為に命を捨てられるのなら、数しか取り得が無い民衆にとっては最高の幸せではありませんか」
だがそんな異様な空気の源は街の中には無かった。
異様な空気の源は、レイミアの目の前に居た。
「レイミア将軍!大変です!下の食堂に集まられていた副官の皆様が突然血を……うぐっ!?」
部屋の中に駆け込んできた若い兵士の背中から一本の白刃が生え、刃が抜かれると同時に床が血で赤く染め上げられていく。
「さて、愚かにもリッシブルー様を裏切ろうとした反逆者たちの始末も終わりました。後は民衆の準備が整うを待つだけ。そうですね……明後日の朝には始められる事でしょう」
「私が……そんな事を許すとでも思うのか?」
レイミアが腰の剣を抜き、赤く染まった剣を手に持つファナティーに向ける。
「残念ながらレイミア将軍。既に仕込みは終わっているのですよ。この場で私が死のうが、貴方が死のうが、裏切ろうが、何をしてももう運命は変わらないのです。奴らも我々も痛手を被り、リッシブルー様が求められた結果が出ると言う運命は」
「ぐっ……」
「それでもなお民の被害を抑えたいと思うのなら、これ以上指揮官は減らさない方がいい。分かるよなぁ、妖魔混じり」
だがレイミアの剣が振られることは無かった。
レイミアには何も出来なかった。
ファナティーと言う副官の狂った価値観と有能さを考えれば、仕込みが既に終わっている事は事実に違いなかったからである。
そしてそんなレイミアを蔑むような目で一瞥すると、ファナティーは血で濡れた剣を布で拭い、布をその場に捨て、剣を鞘に収めると、冷酷な微笑を浮かべたまま部屋を後にする。
「くそう……私は……私はどうすればいいんだ……父上……母上……」
レイミアに出来たのは、その場で泣き崩れる事だけだった。