第182話「邂逅-9」
「それで、実際のところお前が保護した二人の様子はどうなんだ?」
小部屋で腕を伸ばしてもギリギリ届かない程度に離れて座ったところで、ティーヤコーチは私に向けて言葉を発する。
「概ねは報告した通りね。外から見る限りでは何でも無いように見えているわ。内面は……分からないわ。ヒトの内心を正確に察する事なんて私には出来ないし」
「ヒトの心の中が分からないのは誰でも同じだろう。世の中には他人の心の中を覗ける魔法もあると言うが……はっきり言って眉唾物だしな」
ティーヤコーチは私と同じくマダレム・セイメ中央議会の議員の一員であり、本業は布・革・木を使った製品を中心に取り扱うティーヤ商会の会長である。
見た目の特徴としては……燃えているような赤い髪に、黒い瞳、私程では無いが整った顔立ちに……女性であるのに男装をしていると言う点か。
ある意味では私とは真逆と言える。
「だがそれなら、精神面でのケアも必要か?」
「んー、どうかしらね?一応こっちに来る途中に思いつめないように手は打ったけど……この辺りは相応の時間が経たないと、どうするべきかが見えてこないものでもあるし……まあ、その辺りはウィズたちに任せるしかないわね」
「確かに彼なら貴様と違って大丈夫だろうな。貴様と違って」
なお、今私に対して批判的な視線を向けている事から分かるように、私とティーヤコーチの仲はあまりよろしくない。
これは彼女が熱心なテトラスタ教の教徒であり、魔法技術を含めた各種知識を出来るだけ公開して広めるべきだと考えているのに対して、私は忠実なる蛇の魔法に妖魔と言う正体、他にも色々と隠し事が多いためである。
「なによ。何か言いたそうね」
「なに、どうして正確かつ広範にわたる知識を持っているにも関わらず、それを他者に伝えるのが絶望的に不得手なのかと思ってな」
「失礼ね。ある程度の知識を持っている相手と、本当に何も知らない相手なら大丈夫よ」
「どうだか」
それと、私には蛇の妖魔の能力の活用として、生きたまま相手を丸呑みにする事によって食べた相手の記憶を奪えるという能力があるが、五十年の長きにわたってこの能力を使用し続けたためか、勉強と言うものが理解できず、どうにも最近の私は普通のヒトに対して能動的に物を教えると言うのが苦手となっている。
まあ、苦手だと理解したからこそ、私は今こうして彼女と話をしているわけだが。
私と違って彼女は教育面にも定評があるし。
「それで、どういう事について教えればいいんだ?」
「そうね。詳しくは貴女とウィズに話し合ってもらうとして……単純な読み書き、基本的な四則演算、後は貨幣制度と基本的な法律とだいたいの地理ぐらいかしらねぇ……それと」
「それと?」
「忙しいのは分かっているけれど、出来ればセレーネとリベリオの二人には貴女が派遣した誰かじゃなくて、貴女自身による教育を受けて欲しい所ではあるわね」
「……」
私の言葉にティーヤコーチは悩ましげな表情を見せる。
恐らくはどうして私がこんな事を言ったのかと言う理由と、実際に自分が二人を教える余裕があるかどうかを考えているのだろう。
グロディウス商会の会長、マダレム・セイメ中央議会の議員、西部連合の外交官、傭兵部隊の隊長と軍師、都市政治の相談役と言った普通のヒトでは絶対に過労で倒れる量の仕事を兼任している私程では無いとはいえ、彼女も自身の商会に議員職、軍需物資と兵站の確保と、決して暇なヒトではないからだ。
だがそれでも私としては彼女自身に二人の教育を施してもらいたいと思っている。
「ソフィール。貴様の教育方針はどんなものだ?」
「少なくとも自分の家族や友人、師匠だからと言って、看過してはならない事まで見逃すようなヒトにはなってほしくないわね。それこそ、必要なら私を処刑場に送るぐらいの判断が出来るほどに」
「つまり、西部連合の頭になることを彼女が選ぶのなら、お飾りの旗印にさせるつもりはないというわけか」
「お飾りの象徴にしたら、シチータの二の舞だもの。失敗すると分かっていて、同じ轍を踏ませる気はないわ」
「しかしそうなると……確かに下手な人間を教師役として向かわせるわけにはいかないな。そんな私心の無い人間は滅多に居ない」
「けれど、特定の家族や集団だけを頼りにするような真似をすれば、必ず第二第三のノムンが現れる事になる。そんな事を許す気は無いわ」
何故なら、私が求めるような教育を確実に施せるのは、私の知る限りではティーヤコーチと言う男装の麗人の他、僅か数人しか居らず、マダレム・セイメに居る人材に限れば彼女の他に居ないからだ。
それとだ。
「それと、私の屋敷と商会の中で、二人に歳が近くて、一緒に居させても大丈夫だと言い切れる人物があまり居ないというのも悩みの問題なのよねぇ……」
「はぁ、つまりは私の娘を友人にしたいというわけか」
「そう言う事」
ティーヤコーチには十歳になる娘が一人居る。
比較的歳の近い彼女の存在は、セレーネにとっては良い影響になるはずだろう。
「それで、受けてくれるのかしら?」
「分かった。私自身が教育を施すとしよう。きっとこれも御使いトォウコ様と御使いシェーナ様の導きだろうしな」
「そう、申し出を受けてくれてとても嬉しいわ」
そうしてティーヤコーチはセレーネとリベリオに基本的な教育を施す教育役になってくれた。
これで、北部三都市との交渉に赴いている間は心配しなくていいだろう。
で、この日の私とティーヤコーチの話し合いは終わった。
男装のティーヤコーチ、女装のソフィール。
前者はともかく後者は……半分以上趣味でしょうな。
08/10誤字訂正