第173話「変革の始まり」
「おーっ、危ねえ危ねえ。下手をすりゃあ死ぬところだったな」
シチータによってサブカが殺されてから二十年以上が経った。
その間にシチータはマダレム・シーヤを拠点として、ヘニトグロ地方南部と中央部を共同で統治するヘニトグロ地方南部同盟の盟主として強権を振るえる立場になった。
対する私もヘニトグロ地方の各地を旅し、妖魔と武器を集め、策を練り、並のヒトどころか、そこらの都市国家ぐらいならば難なく滅ぼせるような戦力を整えては、何度もシチータに挑みかかった。
そう何度もだ。
それは逆に言えば……
「物見用の塔の倍近い高さから落ちて平然としてんじゃないわよ……」
挑んだ回数だけ、這う這うの体で逃げ出す羽目になったという事である。
そして今回の策……忠実なる蛇の魔法の応用で、相手の下からはるか上空に向けて突き上げ、地面にたたき落とすと言う方法もまた、シチータの私どころか猫の妖魔すら上回るしなやかさによって難なく着地されてしまった。
なお、高さが足りなかったという事はない。
シチータと一緒に突き上げた連中は全員地面で赤いシミになっているしね。
だが何にしても殺せなかったという事実には変わりないので、私はフードの下に隠した顔を苦々しいものに変えざるを得なかった。
「しかしお前も懲りないな。いい加減諦めたらどうだ?」
「はんっ!お生憎様。今更諦める気なんてないわよ」
シチータが斬りかかってくる。
私はそれをハルバードの持ち手で防ぐと、戈の部分で反撃しようとする。
「そうかい。俺もいい加減に歳なんで、お前に付き合うのがだるくなって来ているんだがな」
「ヒトである以上は逃れられない運命ね。嬉しいわぁ」
が、シチータはその場から飛び退く事によって攻撃を躱すと、剣を私たちの側に指し示す事によって、周囲に居た兵士たちを突撃させ始める。
対する私もハルバードをシチータの方へ向け、兵士たちの相手をさせるべく集めた妖魔たちを突撃させる。
これでしばらくは大丈夫だろう。
再燃する意思の準備は……シチータが目の前に居る以上、そんな余裕はないか。
本人は歳を取ったと言い、もう五十近い年齢なのも事実で、最盛期に比べれば実力が落ちたのも認めるが、それでもなお私よりはるかに身体能力は高いのだから。
「男に喜ばれても嬉しくねえよ!」
「私としてはアンタが嫌がる顔が見れる分だけで嬉しいわよ」
妖魔と兵士たちが戦いを始めるのと同時に、私たちも再び刃を合わせ始める。
戦いは一進一退。
私が攻めればシチータは退き、シチータが攻めれば私が退く形だ。
外野からの横やりは弓による攻撃も含めて忠実なる蛇で防いでいるので、大量の土を排除できる程の兵力を割ける状況にならなければ、この均衡が崩れる事は早々ないだろう。
それにしてもだ。
「アンタ。やる気あんの?」
「やる気か……やる気は十分にあるな」
何故シチータの方が強いはずなのに一進一退になる?
こんな事はどう考えてもおかしいだろう。
「ボソッ……(お前に話しておく事が有る)」
「……」
私が疑問を覚えた為か、シチータは距離を取ると、構えを取り直しながら、妖魔にだけ聞こえるような声量でもって呟き始める。
「ボソッ……(俺は今……)」
私に斬りかかりながらシチータが真剣な目つきで語り始める。
自分が下の息子の母親と祖父に毒を盛られている事。
近いうちに自分が死ぬであろう事。
その後、後継者として指名している上の息子と、下の息子の間で争いが起きるであろう事。
下の息子がどうしようもない愚物だが、困ったことに戦いと策謀の才だけはある事。
跡を継ごうとした上の息子が敗れ、その後下の息子によってヘニトグロ地方中が荒れるであろう事を。
「馬鹿じゃないの?だったら自分で下の息子も、その母親も、祖父も斬り捨てればいいじゃない。少なくともそいつらが私よりも強いと言うのは有り得ないわ」
「ゲホッ、ゴホッ、そうしたいのは山々なんだがな。見ての通りな上に、色々としがらみが有ってな。道連れに出来るのは祖父ぐらいなもんだろう」
私が呆れた様子で発する言葉に対して、シチータは血の混じった咳を吐きながら応える。
と言うか、毒の件はともかく後継者争いについてぐらい、私の耳にも普通に入って来ている。
それぐらいにシチータの二人の子供……フムンとノムンの仲は悪いのだ。
で、当然の話だが、この間にも私たちは……少なくとも私はシチータを殺すつもりでハルバードを振るっているのだが、掠りすらしない。
ああもう、英雄の身体能力は本当にどうかしている。
「おまけにそんな事を私に話してどうするつもり?憐れんでほしいの?」
「んなつもりはねえよ。ただ、この情報を出せば、俺がお前にして欲しい事は察せるはずだぞ?」
「はぁ?……っと!?」
シチータが私の目前に顔が来るほどに接近して斬りつけてくる。
当然私はハルバードの持ち手部分でそれを防ぐわけだが……あ、危なかった、一瞬でも反応が遅れていたら、普通に斬られていた。
だが、続けて発せられたシチータの言葉に、私は動揺せざるを得なかった。
「ボソッ……(この間、上の息子の所に初めての子供が産まれた。その子に例の魔石を持たせて逃がす。そして乳母にはお前の事を話している)」
「!?」
同盟の盟主の座を継がせるつもりの息子に子供が居る。
それは私も初めて聞く情報だった。
そして、その子供とあの魔石が揃っていれば、その後に何が出来るのかは明白だった。
「そんな事をさせるために、ヒトが妖魔を利用してんじゃないわよ……」
「お前曰く、俺はヒトじゃなくて英雄だ。つまり今の意見は的外れな意見だな」
気が付けば、兵士と妖魔たちの戦いは、兵士たちの勝利で終結しつつあった。
このままこの場に留まれば、私の命も無いだろう。
「さてどうする?」
シチータは言外に言っている。
自分の提案を受け入れれば、この場は見逃すと。
さらに言えば、私の考え方から言って、この提案を受け入れないという選択は無いだろうとも。
「ちっ、このツケはアンタの子孫に払わせてやるわ」
「やれるものならやってみろ」
私は歯噛みしながらも、ハルバードを押し込んでシチータを吹き飛ばす。
そして土の蛇を操ってシチータの視線を遮り、周囲の兵士を怯ませると、蛇の口の中に入って撤退を開始。
勿論途中で地上を移動する蛇を中身のないダミーに変えると言う小細工を弄し、地上を這っていた土の蛇が大きな爆音と共に破壊されるのを尻目にしつつだ。
そうして数日後。
小さな荷物を抱えて森の中を駆ける私の耳に、シチータが死んだという知らせが入ってきた。
07/27誤字訂正