第148話「蛇の参-1」
「さぁて、目当てのものはあるかしらね」
その年の春の一の月。
私はヘニトグロ地方西部の都市国家、マダレム・シトモォにやって来ていた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。海の向こうからやってきた珍しい品々だよ~!」
「近海で獲れた新鮮な魚だよぉ!今晩のオカズにどうだい!?」
「此処に居りますは世にも珍しき異国の獣……」
石で造られた建物の間には大小無数の坂道が張り巡らされ、街全体が旅人である私にとっては少々厳しい程度の起伏に富んでいるが、この街で育った住民たちは何と言う事はないと言った様子で、今日も日々の糧を得る事に精を出しているようだった。
さて、そんなマダレム・シトモォであるが、住民たちの声から分かる通り、港を中心に造られた都市国家であり、港には貿易の為にやってきた大小様々な船が停泊している。
その光景と賑わいは、ヘニトグロ地方東部に在る似た性質の都市国家、マダレム・シキョーレに勝るとも劣らないだろう。
「スネッヘの方の様子はどうだ?」
「普段と変わりなく。ってところだな。ヘニトグロは?」
「妙な妖魔の噂が止まないな。それとテトラスタとか言う奴の教えも……」
ただ、マダレム・シトモォで扱っている品は、マダレム・シキョーレとはだいぶ異なっている。
マダレム・シキョーレが各地へと穀物を輸出する一方で、ヘテイルやスラグメ、それにヘニトグロ地方の他の地域から様々な品々を輸入していた。
それに対して、マダレム・シトモォではこの辺りで造られた品々やシムロ・ヌークセンで採れる硫黄とか言う結晶、後は宝石などを輸出し、代わりに食料を始めとした生活に必要な品物や、海の向こうの地域で造られた品々を輸入しているようだった。
「あー、一足早い春が嬉しいぜ」
「そういやヘムネマの方はまだ冬が明けていないんだったか」
「そうそう。だいたい春の二の月の半ばぐらいまでは冬と一緒なんだわ。おかげで……」
なお、地理や交易路としては、マダレム・シトモォから南下し、途中からヘニトグロ地方の南岸に沿って東に進み続けると、途中で幾つかの小さな港を挟んだ後、マダレム・シキョーレに到達する航路が一つ。
マダレム・シトモォから真っ直ぐ西に進むと、スネッへと言う名前の地域に出るのが一つ。
マダレム・シトモォから北に進むとヘムネマと言う名前の地域に出て、そこから岸に沿って進み続けると、いずれはスネッヘに辿り着くと言う航路が一つあるらしい。
「まあ、どの地域も今は行く必要はないと言うか、食料の問題で行けないと言うか、行ったら夏までに帰って来れるかも怪しいわね。ヘムネマに至ってはアレだし」
勿論スネッヘにもヘムネマにも今回はいかない。
船旅は妖魔にとってはリスクが高すぎるからだ。
一応、ヘムネマはヘニトグロ地方北西部から歩いて入れる地域で、ヘムネマを経由すれば歩いてスネッヘに行くこともできるが、それをやると夏の二の月までにマダレム・エーネミに帰って来る事は出来なくなるだろうし、やるなら次の集まりの時に顔を出さなくても心配しないように皆に伝えて……その上で次の春を待ってからだろう。
この街の人々の話を聞く限り、ヘムネマの冬はヘニトグロ地方の冬とは比べ物にならない程に厳しいようであるし。
で、これらの問題を乗り越えた上で、現状ヘムネマとスネッヘに行く必要が有るかと言えば……少々微妙である。
うん、これは何か珍しいものがあるとか、行かざるを得ない理由があるとか、そう言う事にならなければ行かなくてもいいか。
「と、それよりも。目的の物を探さないと。あ、そこの綺麗なおば様。これくださいな」
「あらあら、綺麗だなんて。あんたの方が遥かに綺麗じゃないかい。はい、どうぞ」
「ふふふ、でも歳を取るなら貴女のように取りたいわ。ああ、ありがとうね」
「ふふふっ、嬉しいねぇ。と、毎度ありー」
と、ここで私はシトモォにやってきた本来の理由を思い出すと、露店で小さな魚の干物を良く焼いた串を買うと、それを頬張りながら目的のものを探すべく周囲の店の品々を見て回り始める。
うん、干物が美味しい。
素敵な歳の取り方をなさっているおば様が焼いていたので買ってみたのだが、一口食べただけで分かる絶妙な焼き具合とそれに伴う香ばしさ、食感、旨味。
ああ、口の中が幸せで、これは大当たりと言っていいだろう。
「と、いけないいけない」
……いけない。一瞬、完全にこの街に来た目的を忘れて、干物の味に現を抜かしていた。
恐るべし素敵なおば様の技。
ただの干物を普通に焼いた……って、私はトーコか!
ああもう、少し落ち着かないと。
「モグモグモグモグ。これでよしっ!」
と言うわけで、急いで残りの干物を全て食べると、私は改めて露店で売られている品々や、大きな店の店頭に並べられている品々を見て回り始める。
今回私がマダレム・シトモォにやってきた理由はただ一つ。
現在私が開発、練習しているとある魔法を使う上で必要になったある物品を入手することである。
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