第134話「蛇の弐-1」
「うーん、良い風ねぇ……」
夏の三の月の終わり頃。
マダレム・ダーイがあった場所の南、最近『大地の操者』と呼ばれる魔法使いの流派が台頭してきているマダレム・イジョーから更に南に行った場所、ヘニトグロ地方南東部に私はやってきていた。
「ちょっとべたつくけれど、これが潮風ってやつなのね」
さて、ここヘニトグロ地方南東部は、ヘニトグロ地方の中でも特に河川の数と水量が多く、土地全体が湿地帯に近い場所であるが、流れ込んでくる水の量が多い分だけ土地が肥沃であり、農業が盛んな土地でもある。
そして、その肥沃な土地のおかげで取れた大量の穀物を輸出するべく、海と言う河や湖の水と違って塩辛い水が大量にたまった場所を行き交うために大型の船が用いられており、その船が停泊するために巨大な港と都市国家が存在していた。
「さて、何をするにしても、まずは情報収集ね」
私はそう結論付けると、目の前の街を一望できる小高い丘を降り、この辺りで最も大きい都市国家……マダレム・シキョーレと言う街の門をくぐった。
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「海の向こうかぁ……」
私がマダレム・シキョーレの中に入ってから、三日が経った。
そして、その間に行った情報収集の結果から、非常に面白い事が幾つも分かった。
「行ってみたいなぁ……」
まずこの辺りに来てからずっと感じていた事だが、この辺りの人々は北の方の人々に比べて若干肌の色が濃く、ネリーに近い容姿を持つヒトが多かった。
うん、少々話は脇に逸れるが、ネリーの記憶や話からしても、やはりこの辺りがネリーの故郷ではあるのだろう。
ただ残念ながら、ネリーとフローライト程に興味を惹かれる相手には遭遇しなかった。
まあ、どういう基準でもって私が惹かれるのかは未だにわかっていないのだし、これは仕方がない事だろう。
で、話を戻すが、そんなネリーに近い容姿の人々……金髪に濃い色の肌の人々に混ざって、少数ながら明らかに違う容姿や文化圏のヒトもここマダレム・シキョーレには多く存在している。
具体的には、トーコに似た雰囲気の黒い髪のヒトや、シェルナーシュ本来の服のように長い布で全身を覆ったヒトなどだ。
「まあ無理か」
どうしてそんなヒトがこの場に居るのか。
それはここマダレム・シキョーレが、周囲の村々から集めた穀物を船で運ぶために造られた港町であり、その船が向かう方角は北と南だけではないからだ。
私が生きたまま食べたヒトの中にはその場所の記憶を持つヒトが居なかったので詳しい事は分からない。
だが、噂を含めた各種情報を集めた限りでは、まずマダレム・シキョーレから東に行ったところに、ヘテイルと言う土地があり、そこにはトーコによく似た容姿のヒトたちが暮らしているらしい。
そして、ヘテイルから南へ進み、真昼の太陽の位置が南から北へと変わると言う俄かには信じられない事が起きる程の距離を進むと、スラグメと言うシェルナーシュ本来の服によく似た衣服を身に着ける文化が存在している土地に出るらしい。
うん、凄く気になる。
気になるが……今の私には行けそうもなかった。
と言うのもだ。
「ヘテイルでも短くて一週間。スラグメに至っては一月近く海の上だって言うもんね。そんなに長い間船の上なんて言う限られたヒトしか居ない場所に居たら、絶対に私が妖魔だってバレるか、飢え死にするかのどちらかだものね」
ヘテイルもスラグメも、そこに着くまでに時間がかかり過ぎるからだ。
うん、十分な食いだめをしておいても、ヒトを食わずにいられるのはもって五日か六日と言う現状では絶対に無理。
狭い船の中じゃ隠れて船員や他の客を食べるなんてことも出来ないだろうしね。
それでも無理に行こうと言うのなら……シェルナーシュに頼んで、大量の干し肉を用意しておくしかないだろう。
勿論妖魔だとばれる危険性を冒した上でだ。
と言うわけで、仮にヘテイルとスラグメに行くとしても、十分な準備を整えた上でと言う事になるだろう。
無理に行く意味もないしね。
「後気になるのはここの魔法使いの流派の魔法だけど……まあ、無理はしなくていいわね」
話は変わって、この辺りの魔法使いの流派についてだが……正直それほど興味は惹かれなかった。
いやまあ、確かにマダレム・シキョーレに拠点を置き、ヘテイルとスラグメにある似たような街にも少なくない影響力を持つ魔法使いの流派『海を行くもの』の魔法は素晴らしいものだと思う。
潮の流れや風の向きを良くする事で、それぞれの都市を繋ぐ船の運航を快適なものにしたり、海面を大きく揺らす事で海賊と呼ばれる野盗の海版連中の船を動けなくしたり出来るわけだし、これらの魔法を少々改良すれば、陸上でも有用な魔法になる事は分かっている。
分かっているが……ぶっちゃけ似た現象を起こしたいなら、今まで集めた知識を流用すればいいだけなので、危険を冒してまで新たに知識を得る気にはなれないのだ。
「うーん、ヘテイルやスラグメから持ってきた珍しい食べ物とかを食べたら、次の場所に行こうかしらね」
そうして、私としては他の都市ではまず目にかからないであろう珍品、貴重品を見たり食べたりし終わったら、次の都市に向かうと言う結論に至る他なかった。
まあ、ネリーの故郷のおおよその位置を知れただけでも、今回は収穫が有ったと思っておこう。
ヘテイルもスラグメも今は名前だけ出しているに近いです