第129話「イーゲンのマタンゴ-1」
「ふんふん♪ふふーん♪」
ソフィアんたちと無事に一度目の再会を果たしたアタシは、色んな土地の美味しい料理と食事、それに珍しい調理法を探し求めて、ヘニトグロ地方各地を彷徨っていた。
そして、その都市の春。
アタシはマダレム・イーゲンと言うマダレム・エーネミ跡から幾らか西に行った場所にある都市国家を訪れていた。
「んー?」
「よう、調子はどうだい?」
「駄目だな。先生の言うとおりに良いものを食って、良く寝たんだが、まだ身体がだるい。お前は?」
「俺も同じだ。身体がだるくて仕方がねえよ」
ただどうにも街の様子がおかしかった。
風の噂では、マダレム・イーゲンは活気に満ち溢れると共に、人々の素行が良いので、とても暮らしやすい良い街だと聞いていた。
「んんー?」
「先生は何だって?」
「頭を抱えているよ。ただ、まるで生気が何処かに流れ出ていっているみたいだとも言っていた」
「生気が流れ出ていっているか……一体どうなっているんだか……」
けれど、今のマダレム・イーゲンからは、活気のようなものはまるで感じられなかった。
人々はまるで見えない何かに怯えるように声を潜め、顔色も何かの病気なのか、大半のヒトが悪かった。
「うぐっ……」
「大丈夫か?」
「あ、ああ、大丈夫だ。少し眩暈がしただけだ」
「ならいいが……まだ春先でそう暑くないのにお前がそうなるってのは……」
「ああ、そう言う……」
「んー、まあ、一先ずはいいか。アタシには関係ないし」
まあ、美味しいもの……料理や作物の出来に直接関わるような事にならなければ、アタシが気にする義理は無いか。
それに、妖魔は疫病そのものは問題ないけど、ソフィアん曰く疫病に罹らないと言う点から疑われて、妖魔だってことがばれたり、そうでなくとも面倒な事態に陥る事があるらしいし、出来るだけ関わらない方がいいよね。
「おっ邪魔しまーす」
と言うわけで、マダレム・イーゲンについては名物と言われているようなものを一通り食べたら後にしよう。
アタシはそう考えて、昼間から賑わっていそうな酒場を勘で見つけ、中に入る。
「おう……いらっしゃい。大したものは出せねえが、ゆっくりして行ってくれ」
「……」
……。
ああうん、この街を襲っている異常は結構不味いものかもしれない。
アタシの勘の精度はそんなに悪いものじゃないはずなんだけど、その勘がこの街で一番賑わっていると判断して入った酒場の中の空気が凄く萎んでる感じがする。
そう、空気が悪いとか、殺伐としているとかじゃなくて、萎んでしまっている。
活気が失われ、料理も酒もヒトも輝きを失い、陰鬱な空気がそこら中から漂って来てしまっている。
「えーと、とりあえずこの街の名物みたいなものが有ったら、それを一通り」
「あいよ」
どうしてこんな事になってしまっているのか。
それを知るためにも、アタシはカウンター席に座ると、適当な量のお金をマスターに渡す。
うん、そうだ。
料理は作り手の感情や状態に大きく影響を受ける。
だから、この酒場のマスターが作った料理を食べれば、この街に今何が起きているのかを知ることも出来るはずだ。
「お待ちどうさまっと」
「きたきた」
そうしてアタシは、豆を主体としたこの街の名物と言われているような食事を食べ始める。
そして主食として食べられているであろう豆入りのパンを口に含んだ時だった。
「ぶうぅ!?」
「「「!?」」」
アタシは舌と口の中を通って鼻へと伝わってきたその臭いに、酒場中のヒトの目を惹きつけてしまう事が分かっていても、パンを吐き出さずにはいられなかった。
「な、嬢ちゃんどうした!?パンが喉にでも詰まっ……っつ!?」
「マスター!」
アタシはアタシの事を心配して駆け寄ってきた酒場のマスターの襟元を思わず掴み取り、互いの瞳の瞳孔がはっきりと見える程の距離にまで顔を近づける。
そしてマスターの瞳の動きと呼気から僅かに香る臭い、パン以外の料理の味から、このパンと言うのもおこがましい物が出来た原因がマスターにない事を確信した上で口を開く。
「この茸の妖魔の胞子入りパンなんてふざけた代物を作ったのは何処の誰?」
「は?マンタンゴ?」
「マ タ ン ゴ!ヒトに自分の分身を寄生させることによって、ヒトを食い殺す茸の妖魔よ!」
「なっ!?」
アタシの言葉に元々優れなかったマスターの顔色が更に悪くなる。
やはりそうだ。
マスターはこのパンにマタンゴの胞子が混ぜられていた事を知らない。
いや、知るはずがない。
美味い料理を作って、ヒトを喜ばせたいと思っている気概を持っている者が使う事など有り得ないものなのだから。
「ま、待ってくれ!そんなものを混ぜたつもりは……」
「マスターは疑ってないわよ。他の料理はとても美味しかったもの」
「そ、そうかい。だがそのパンはウチで作って焼いたもの……」
「じゃあ、もっと根本的な所で混ぜられたんだね。商人か倉庫か……いずれにしても、このままには……何か用?」
「何か用だって?この店のマスターのパンは、マダレム・イーゲン中の人間が認める物なんだぞ。それをマンタゴだか、マータゴだが知らねえが、妙な物が混ざっているだなんて言いやがって……」
店を後にしようとした私の前に大柄な男たちが立ち塞がる。
ただ、彼らもやはりどこかだるそうにしている。
ああ、これはもう間違いない。
確実にこの街の件にはマタンゴ……それもアタシたちと同じような変わり者のマタンゴが関わっている。
「お前ら。この余所者に少しばかり痛い目を見せてやろうぜ」
……。本来ならばアタシは何も見なかったふりをするべきなのだろう。
「ああそうだな。マスターを馬鹿にされて退けるかってんだ」
アタシは妖魔で、マタンゴも妖魔、マスターたちは獲物であるヒトなのだから。
「女だからって手加減はしねえぞ……」
だが、今回ばかりは見て見ぬふりをするわけには行かなかった。
「お、お前たち。まずは落ち着いて……」
何故かって?そんなものは決まっている。
「ふうん、丁度いいかな。うん、貴方なら大丈夫そうだね」
「あ?何を言って……」
「ふんっ!」
そのマタンゴの胞子のせいで、アタシの食べる美味しい料理が不味くなっていたからだ。
「ガハッ!?」
「「「!?」」」
と言うわけで、とりあえず一番ガタイの良い男の腹を殴り、噛み砕かれた様子の無い茸を含んだ胃の内容物を吐き出させた。