第127話「蛇の壱-9」
「はぁ……ここらが潮時かしらね」
一週間後。
オクノユ山の天然温泉に浸かりながら、私は嘆息していた。
「まさか此処まで厳しいとはね……」
溜め息をついている理由は実に単純だ。
この一週間、私は私が犯人だとバレずに『黄晶の医術師』の構成員を生きたまま食べれるような隙を生み出すべく、様々な手を打った。
具体的には現在主要な道として使われている山道から、幾らか離れた場所にある薬草の群生地を発見、報告、利用するように助言することで、彼らが人目に付かない場所を通る機会を増やす。
近くの山で生まれた妖魔をシムロ・ヌークセンにけしかける事で怪我人を出し、警備態勢を乱すと共に、治療の為に必要な薬草採取の機会を増やす。
他にもまあ色々と、私が不審な存在であることがばれないように注意を払いつつ、打てる手は打った。
「はぁ……」
が、その何れもが『黄晶の医術師』には通じなかった。
新しい群生地を教えても、そこに行くまでに危険な場所が多ければ、護衛の傭兵を付けるか、そもそも可能な限り近寄らないと言う方法でもって隙を見せなかった。
妖魔をけしかけても、見事な傭兵たちと街、『黄晶の医術師』の連携でもって、死者どころか碌な数の怪我人も出せずに始末されてしまった。
その他の手も、配備されるべき場所に人員と金と道具が配備されていた為に大した効果は上がらず、隙と言えるようなものが生じる事は無かった。
うん、この五年間私が相手にしてきた連中の殆どが、ヒトのくせに裏でコソコソとやって、味方とするべき周りのヒトといがみ合うような連中ばかりだったから忘れていたけど、ヒトが最も脅威になるのは、その数と個人の能力を十全に発揮できるような環境が揃えられた場合だった。
そして、その十全に自分たちの力を発揮できるように動くシムロ・ヌークセンと『黄晶の医術師』たちが厄介でないはずが無かった。
「これは今後の為にきちんとした対策を練っておきましょうかね」
ああそうだ。
私が得意とする攻め方は正面切って戦う事ではない。
だが、当然と言えば当然だが、敵の中には正面切って戦う以外の方法を許してくれない敵だっている。
そうなった時に、ただ座して死を待つのは御免であるし、私らしくない。
故に、本当にそうなってしまった時の為に、今から考えられるだけ対策を考えておくべきだろう。
「……」
ただだ。
既に私がシムロ・ヌークセンに来て二週間が経ち、私が食べた為に行方不明になったヒトも少なくない。
このまま行方不明者が増えれば、私が関わっていると疑われる可能性は十分ある。
そうなってしまえば、色々と面倒な事になる。
だから、対策を考える前に、まずはこの場から離れなければならない。
自分の敗北を認めてだ。
それはとても悔しい事ではある。
悔しい事ではあるが……
「それ以外に選択肢がない以上は仕方がないわよね」
私の正体がバレて、知恵ある妖魔として顔が出回ってしまうような状況に陥る危険性を考えたら、ここで退く方は遥かにマシだろう。
「よしっ、それじゃあ、次の朝にはもう旅立とうかしらね」
そうして私が明日の朝には『ヌークエグーの宿』を出て、次の都市に向かう事を決めた言葉を呟いた時だった。
「ん?」
背後で草木が揺れる音がした。
「あ、あの……」
「あら」
私は音の源へと目を向ける。
するとそこには、薬草採取用の籠を地面に落としたヒーラが立っており、その顔は何故か青ざめ、酷く動揺しているようだった。
「どうしたのヒーラ?それにリリアは?」
私はヒーラの反応に妙なものを感じつつも、僅かにヒーラから視線を逸らすと、リリアの姿を探す。
が、私の中のヒーラとリリアの二人が常に一緒に居るイメージに反して、今日この場にはヒーラ一人しか居ないようだった。
「えと、その、今日はリリアちゃんとは別の修行なんです。私は薬草採取で、リリアちゃんは座学なんです。そ、それよりもですね。ソフィアさん。今の言葉って……」
今日は別の修行。
その言葉に、私は内心笑わずにはいられなかった。
ついに偶然が私に味方したのかと。
「今の言葉と言うと?」
と、いけないいけない。
ここで適当な言動をして、チャンスを棒に振るような真似をしてはいけない。
冷静に、慎重に行動し、確実にヒーラを静かに生きたまま仕留めなければならない。
「その……つ、次の朝には旅立つと言う話です!」
「ああ、その事ね」
「本当……なんですか?」
「本当よ」
「ど、どうして旅立っちゃうんですか?シムロ・ヌークセンはこんなに良い所なのに……」
「確かにシムロ・ヌークセンは良い所よ。でも私は流れの傭兵。何時までも、一つの街や都市国家に居るのは性に合わないのよ」
「……」
それにしても何故ヒーラは私がシムロ・ヌークセンから旅立つと言うだけで、これほどまでに心を乱しているのだろうか?
私には、ヒーラがこんな風になる原因に皆目見当がつかないのだが……。
まあいずれにしてもだ。
「その……ソフィアさん……」
「ヒーラ」
私がやることは変わらない。
手が届く距離にまでヒーラをおびき寄せて、声を上げさせないように仕留めるだけだ。
この温泉の周囲に他にヒトが来る事が無いのは分かっている事なのだから。
「貴女。酷い顔をしているわよ。時間に余裕があるなら、ちょっと入っていったら?見張りには私が立っているわよ?」
「……。いいえ」
失敗したか?
ヒーラの反応に私が一瞬そう思った時だった。
「ソフィアさんと一緒に入らせて下さい。その、身勝手なのは分かっていますけど、お願いします」
「え、ええ。別に構わないけど」
ヒーラは私の予想に反してその場で服を脱ぐと、ゆっくりと私が浸かっている温泉の中に入ってきて、私と背中合わせになるような形で温泉の中に腰掛ける。
「その……」
もう我慢する必要はなかった。
我慢する気も無かった。
「ソフ……!?」
ヒーラが幾らか安心した所を見計らい、私は素早く反転すると、ヒーラの口を抑えた上で、首筋に噛みつき、四肢と口の動きだけを阻害する麻痺毒をヒーラの体内に流し込む。
「ヒーラ」
「……」
自分の事を支えている私を見るヒーラの目は、今の状況が理解できずに混乱している事を表す目だった。
そしてその目をしているヒーラは、何となくだが普通のヒトよりも食べ応えがありそうに感じた。
「私はね、蛇の妖魔なの。そう言うわけだから……」
だから私は……
「貴女をたっぷりと味わった上で食べさせてもらうわ」
久しぶりに妖魔らしく彼女の全てを私色に染め上げてから食べる事にした。
偶然に頼るのはいいのですが、相手がその偶然を許してくれるとは限らないのです。