第124話「蛇の壱-6」
「さてと……」
私は力なく地面に横たわる熊の死体を眺める。
私の記憶が確かであれば、熊の買い取りは肝の一部と毛皮が殆どで、肉については要相談だったはず。
ただ、あの感じからしてこの熊はヒトも食べているだろうし、そんな熊の肉を食べたがるヒトが居るとは考えづらい。
しかし肝だけを取り除いて持ち帰るにはこの場で解体する必要が有るわけで……正直めんどくさいし、知識が中途半端な私だと、失敗する可能性も高いだろう。
「うん、適当に血を抜いて、胴体を丸ごと持って行きましょうか」
と言うわけで、私は熊の両腕を切断すると、適当な樹の幹に逆さ吊りにして、血を抜く事にする。
これで多少は持ち運びしやすくなるだろう。
この場に私が居る以上、普通の獣は近寄って来ないだろうし。
「でだ……」
さて、熊の処理が終わったところで、ある意味ではこの場における最大の懸念事項の方へと私は目を向ける。
「凄い……あんな軽々と……」
「……」
そう、懸念事項だ。
この二人の『黄晶の医術師』の魔法使いは。
今は私にハルバードを突き付けられた方の少女は、赤い髪の間から覗いている黄色い瞳と口をこちらに向けて大きく開けた状態で呆然としているし、もう一人の大きな声で喚いていた方の少女は私の熊の殺し方に驚いて失神している。
つまり、今の内ならば難なく二人とも生け捕りにして食べる事は出来る。
「凄い……」
が、今この場で二人を食べる意味がどれだけあるだろうか。
こんな山奥に薬草採取に来ている時点で、この二人は『黄晶の医術師』の中でも下っ端である可能性が高く、魔石の使い方は知っていても、魔石の加工法については何も知らない可能性が高い。
にも関わらず食べてしまえば、少なくない警戒を相手に与えてしまう事になる。
つまり、食べればそれだけで私が不利になる可能性が高い相手と言う事だ。
「はっ!?」
そしてこの場に放置するわけにもいかない。
この場に放置してしまえば、彼女たちが死んでも死ななくても、行方不明になってもならなくても、私に対して面倒事がやってくる可能性がそれなりにある。
「あ、あの……」
と言うわけで、彼女たちは食べる事も出来ず、放置する事も出来ない面倒な相手で有り、一番面倒が少ないのは彼女たちをこのまま生きて連れ帰る事と言う事になる。
ああうん、本当に七面倒くさい。
どうしてこうなっ……
「び、美人さん!助けてくれてありがとうございます!」
ん?ああ、いつの間にか呆然としていた方に声を掛けられていた。
その手には薬のようなものと、魔石と思しき物体が握られている。
「それでその……け、怪我の治療をさせてください!」
そして、その言葉と視線を受けて自分の左腕を見た私は気づく。
左腕から少なくない量の血が流れ、地面と温泉を汚していた。
ああなるほど、さっきの熊の一撃が掠っていたのか。
余り痛みが無いもんで、気付いてなかった。
「出来るの?」
「は、はい!」
「じゃあ頼むわ」
私はその場に座ると、彼女の方に向けて左腕を差し出す。
妖魔の体力ならば、このまま下山しても途中で勝手に血は止まっているだろうし、傷跡も完全に無くなっているだろう。
が、折角だし『黄晶の医術師』の治癒魔法とやらを見せてもらうとしよう。
「で、では始めますね」
少女は薬と魔石を使おうとし……慌ててその二つを地面に置く。
どうやら手順を間違えそうになったらしい。
ああうん、なんか不安になってきた……。
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「こ、これで処置完了です」
「へぇ、こんなに綺麗に治るものなのね」
「そう言う魔法と薬だもの。当然よ」
結局のところ、私の心配は杞憂で済んだ。
呆然としていた方の少女……ヒーラが処置を始めようとしたところで、気絶していた方の少女……リリアが目を覚まし、ヒーラを落ち着けつつ、上手くサポートをしてくれたのだ。
そして、治癒魔法の効果については、私の想像以上だった。
軟膏を塗った上でヒーラの魔法を掛けられた私の腕の傷はあっという間に塞がってしまい、跡も残っていなかった。
今では多少の熱と違和感、それにだるさが残っている程度である。
「それに、貴方の体力が桁違いなのもあるわね」
「あらそうなの?」
「はい、普通のヒトだともう少し時間がかかったと思います」
「ふーん……」
が、どうやらこれほどの回復は私が妖魔であり、見た目よりも遥かに体力があるが故にだったらしい。
ああうん、これは気を付けないと、私が妖魔だとバレる可能性もありそうだ。
「まあ、私は村の中でも体力があった方だし、魔法をかける相手の体力が回復出来る限界に関係があるなら、当然の結果かもしれないわね」
「……。名前の件と言い、喋り方と言い、つくづく変な所ね。貴方の村」
「リ、リリアちゃん失礼だよ!?」
「ははは、よく言われるわ」
とりあえずこの場は、私が妖魔の身体能力を誤魔化す時の定番である育ちの影響だと言う事でゴリ押しておいた。
ある意味事実ではあるしね。
「さてと、それじゃあ治療も終わったところで、一緒に山を降りましょうか」
「は、はい!」
「分かったわ」
そして私は服を着ると、腕と頭が無い熊を背負って、シムロ・ヌークセンに戻り始めるのだった。