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ソフィアズカーニバル  作者: 栗木下
第3章:英雄と蛇
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第123話「蛇の壱-5」

「ふぅああぁぁぁ……」

 ああ、温泉が心地良い。

 季節柄乾燥する喉と鼻に温泉の湯気が潤いを与えてくれたおかげなのか、それとも湧き立ての香りであるからかは分からないが、あれほど煩わしく感じていた温泉の匂いも今では幾らか良い匂いとして感じ始めている。


「んんんぅぅ……」

 ああ、温泉が心地いい。

 温泉の熱によって身体が芯から温められるだけでなく、まるで体中の悪いものが抜け落ちていくかのように全身から汗が湧き出し、代わりに良いものを温泉から与えられている気配がする。


「ふぅ……」

 汗と湯気によって出来た滴が、ポトンと髪の毛から水面に落ちる。

 鳥が囀り、栗鼠が駆け回り、蛇が樹上でこちらの様子を窺い、熟した果実は大地に落ちて芽吹く時を待ち、周囲の草木はそよ風によって微かに揺れている。

 あぁ、所々に樹皮が剥がれた樹があるのは残念だが、温泉だけでなく、周囲の環境も素晴らしい。


「ネリーとフローライトが居たらなぁ……」

 惜しむらくは、今日の私は山の中の作業で必要な物しか持って来ていなかった事か。

 もしもこの場に麦酒、葡萄酒、果実酒、粗悪な物でも構わないから、何かしらの酒が有ったならば。

 もしもこの場にトーコが作った料理か、シェルナーシュの作った干し肉が有ったならば。

 あぁ、もしもこの場にネリーとフローライトが居たならば。

 そして、今言った全てがこの場にあったならば。


「うへっ、うへへへへ……」

 ああうん、たぶん幸せで死ねる。

 死ぬならネリーとフローライトの二人とあんな事やそんな事をやった上でだけど、幸せさでもって死ねる。

 顔がすごい勢いでだらけているのは分かっているけど、止められないそうにない。

 止める気もない。


「……」

 と、そんな時だった。

 私の耳が、私の後方から草と草がこすれ合う音を二つ、それと距離はかなりあるが前の方からも似たような音を一つ捉える。


「中々見つ……」

 私は近くに置いておいたハルバードを右手で掴むと、音源に向かってそれを振るおうとする。


「っつ!?」

「ひっ!?」

「なっ!?」

 が、ハルバードを振り切る前に、匂いと声とその姿から、音の主が二人の少女である事に気づいた私は、少女の首に刃が触れるか否かというギリギリのところで、腕力によって無理矢理ハルバードの動きを止めた。


「なんだ、ヒトだったの」

「あ、あ、あ……」

「ヒーラ!大丈夫!?」

 私がハルバードを引くと同時に、刃を突き付けられていた方の少女がその場にへたれ込み、もう一方の少女が慌てた様子で駆け寄ってくる。


「い、いきなり何をするのよアンタ!後もう少しで……」

 で、二人の少女だが、どうやら格好からして『黄晶の医術師』の構成員で、薬草の採取にやってきたところであるらしい。

 うん、まあ、それはいいとしてだ。


「五月蠅いわね。止められたからいいでしょ。それにこの山の中で、背後から無遠慮に近づいてくる気配が有ったら、警戒して当然でしょうが」

「な!?アンタ自分が何を……」

 もう一つの気配がこちらに向かって駆けるように近寄って来ている。

 それも私に向けてではないが、敵意を発しながらだ。

 これに対応するのに温泉の中に居るのは都合が悪い。


「言って……」

「……」

「ん?」

 と言うわけで温泉から私は出て、衣服も身に付けずに近寄ってくる気配の方へと体を向ける。

 向けるのだが……私の裸体を見た二人の少女が完全に固まる。


「「男!?」」

 そして叫び声を上げる。

 どうやら角度や高低差の関係で見えていなかったものを見るまで、私の事を女だと認識していたらしい。

 まあ、別にいいか。

 変に暴れたり、騒いだりしなければ……


「な、何で男!?その顔で男なの!?明らかに私よりも綺麗なのに男なの!?一体どうなって……」

「ちょっと黙れ」

「「っつ!?」」

 騒がれたので、ちょっと威圧しながら睨み付ける事によって二人とも強制的に黙らせる。

 ああもう、この二人が騒いだせいで、こっちに近寄ってくる気配の主が完全に臨戦態勢に入ってしまっている。

 こうなったらもう、私も攻撃対象に含まれてしまっているだろうし、戦わないと言う選択肢はないだろう。


「さて、来たわね」

「……」

 私は温泉の反対側に現れたそいつ……巨大な熊の姿を視界に捉える。


「オ、オクノユ山の主……」

「ふうん……」

 私は熊の大きさと爪のサイズから、この温泉の周囲の木々に傷を付けていたのは、この熊が自分の縄張りを示す為にやっていたのだと認識する。

 そして気づく。

 この熊はヒトを恐れていないどころか、餌だと認識している。

 妖魔を格下だと思い、畏れていない。

 そんな異常な熊だった。


「たかが熊如きが随分と粋がっているじゃない」

「ひっ!?」

「きゃっ!?」

 だから私は全力で熊の事を威圧する。

 ヒトが誰の食い物であるかを、彼我の実力差を理解させるために。

 今ならまだ見逃してやると言う気持ちを込めて。


「グルアアァァ!」

「そっ」

 だが誠に残念な事に、目の前の熊に私の思いは伝わらなかったらしい。

 私に向けて勢いよく突撃し、十分に近寄ったところでその太い腕を振るうために立ち上がり、風切り音を伴うような速さでもって腕を振るおうとした。

 だから私は熊の爪と腕をギリギリのところで体を回し、熊の脇をすり抜けるように避けると、その回転の力を乗せたハルバードを後頭部に叩き込んでやる。


「残念ね」

 そしてそれだけで熊の頭は弾け飛び、大きな音を伴いながら、その場に熊の巨体は崩れ落ちた。

おかしな熊は狩っちゃおうねー

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