第121話「蛇の壱-3」
「ふぅん……都市国家とも農村とも違うのね」
数十分後。
温泉の臭いにようやく鼻が慣れてきた私は、シムロ・ヌークセンの街中を宿を探しながらゆっくりと歩いていた。
「いやー、相変わらずの臭いですね。旦那様」
「ふぉふぉふぉ、それが良いんじゃがの」
で、門の前でぐったりしながら観察していたのと、こうして街の中を歩き回りながら観察した結果を合せる事で、幾つか気付いた事が有る。
まずこの街は、その規模に比べて街中に居るヒトの数が多いのだが、それはどうやら温泉を求めて、他の街からこの街にやってくるヒトが大量にいるからであるらしい。
そして、そうやって他の都市からやってくるヒトは、付き人のようなものを除けば、大半が裕福そうな商人、何処かの都市の有力者で有りそうな老人、幾らか歳のいった傭兵と言ったところであり、幾らか不健康そうな気配を漂わせているヒトだった。
「さて、噂の温泉の力とやらはどの程度のもんなのかね」
「楽しみっすね。兄貴」
何故そんなヒトたちが集まって来るのか。
それは、シムロ・ヌークセンに湧いている温泉が傷の治療や慢性的な疾患に効果がある為であり、同時にとある集団がこの地に存在しているためだ。
で、このとある集団については一先ず脇に置いておくとして。
「お疲れさん。いつものだな」
「おう、頼まれた通りのものを持ってきたぞ」
そう言った外から多数の人がやってくると言う事情に加えて、山肌に沿って作られた街である事と、幾らか地面を掘れば温泉が湧く為に畑が造りづらいと言う諸々の事情が組み合わさった結果、シムロ・ヌークセンは他の街から大量の食料を輸入、消費する街になっているようだった。
で、大量の食料を輸入するためには当然それ相応の額のお金と、貴重な食料を輸出してくれる他の街との友好的な関係と言うものが必要になる。
お金については温泉の利用料ととある集団の働きで回収できるが、友好的な関係については、どうにもそれらの都市の有力者専用の温泉を掘って、整備と管理をしておくことを主な手段として、築いているようだった。
うん、正直に言って、この辺りの事実について聞いた時、私はこの街の長たちは相当のやり手だと思った。
街を訪れるヒトの安全を確保する為に優秀な傭兵を繋ぎ止めておく手腕と言い、とある集団の活動を円滑に行えるように色々と手を回していそうな気配と言い、下手な都市国家の長たちよりも、よほど統治能力も、治安維持能力も高いだろう。
「いてててて、も、もう少し優しく……」
「はいはい、じっとしていてくださいねー」
で、先程から時折言っているとある集団だが……その名を『黄晶の医術師』と言う魔法使いの流派である。
聞くところによると、彼らは温泉、魔法、薬草の三つを組み合わせる事によって、他の都市国家のそれとは桁違いに高度な治療行為を行う事が出来るらしく、ちょっとした病気や怪我ならば一日で全快し、少々重めの病気や骨折であっても、普通の治療よりも早く治せるそうだ。
なお、流石に死病を治したり、腕を生やしたり、死者を生き返らしたりなどは出来ないらしいが……それは出来ない方が普通だろう。
むしろ彼らなら出来るかもしれないと周囲に思わせている時点で、十分とんでもないと思う。
「と、この辺りが良いかしらね」
私はどちらかと言えば街はずれに建っている、閑静な宿へと足を踏み入れる。
宿の名前は……『ヌークエグーの宿』か。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
「ええそうよ」
私は宿の主人と交渉を行って、個人部屋を借りると共に、温泉について聞いてみるが、どうやら有力者が使うような個人用の温泉でもなければ、街の中に複数ある公衆浴場は常にヒトで賑わっているらしい。
うーん、私としては一人でゆっくりと温泉に浸かってみたかったのだが、こればかりは仕方がないか。
「まあ、どうしても一人で風呂に入りたかったら、近くの山に入って、天然物でも探してくれ。命の保証はしないがな」
「検討はしておくわ。何処がどういう風に危険なのかって情報を仕入れた上でだけど」
と言うわけで、今日の所は温泉の臭いで鼻がおかしくなっていると言う事もあるので、このまま素直に宿の部屋の中で休んでいる事にする。
幸い、シムロ・ヌークセンに入る前に、何人か食べたおかげで腹は満たされているし、今日の所はそれでいいだろう。
「ふぅ……」
私は部屋の窓からシムロ・ヌークセンの街並みを眺める。
重ね重ね言うが、シムロ・ヌークセンは山肌に造られた街だ。
そして有力者の趣味なのか、実利的な何かがあるのかは分からないが、山の上の方に内外の有力者の屋敷や高級そうな宿があり、下の方に行けば行くほど、安い宿や花街が並ぶようになっていて、谷底には川が流れているようだった。
私の居る『ヌークエグーの宿』は高さ的にはだいたい中の上ぐらいだろうか。
で、『黄晶の医術師』の拠点も同じぐらいの高さにあるようだった。
「回復魔法かぁ……」
私は一人呟きながら考える。
この街の中で妖魔が何人もヒトを食べるのは難しいし、野盗たちがこの街を襲うのも難しいだろう。
高い城壁こそないが、私でもそう思うほどに、この街はしっかりと造られている。
だが、そう言った事情を鑑みても、私には一つ興味がそそられるものがあった。
「私でも使えるようなものなら、是非とも使えるようになっておきたいわね」
それは『黄晶の医術師』が持つヒトの傷や病を治す魔法……所謂回復魔法と呼ばれるものの存在。
それが具体的にはどう言うものであるのかは分からないが、使えるならば便利な魔法であることは間違いないだろう。
「ふふっ、ふふふふふ」
手に入れたい。
私は自分の前に立ち塞がるであろう障害の数々を思い浮かべながらも、達成した時の喜びを想像して、笑わずにはいられなかった。
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