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閑静な住宅街を歩く一人の少年。時々通りすがる人たちとは少し違う外見をしている。それも、しょうがない事だろう。ここは誰が作ったのか分らないような夢の世界。そこに迷い込んだ少年は大きな体をした仏頂面の魔王から教えて貰った宿と、少しのお金を大事に握りしめて一人歩く。何人たりとも壊すことの出来ない頑丈な石壁に守られた城下町イグリード、南側の入口から入るとイグリード城まで真っ直ぐ伸びるメインストリートがあり、大勢の種族で大変な賑わいを見せている。それは日が落ちて薄暗くなった今でも変わらないほどだ。一人の少年こと京介が歩いているのはメインストリートから一本裏道に入った場所だ。メインストリートとは打って変わって夜の静けさを纏ったその通りは家や宿が所狭しと立ち並んでいる。ついつい目移りしてしまう程だが、京介には気に入った所に泊まるだけの度胸と金を持ち合わせていない。デモルガンに話をつけて貰った宿が記してある地図を片手に左右の建物に視線を配るので精一杯だ。無駄に明るいライトに照らされた怪しい宿を通り過ぎて分かれ道にぶち当たる。
「あれ…?、地図には分かれ道の手前にはあるはずなんだけどな…」
歩いてきた方向へと振り返り辺りを見回す。
「アルバイン、アルバインっと」
道を引き返しながらもう一度探していると、アルバインと大きく書かれた看板が目に入ってくる。
「あ、あった。ここがアルバイ……ン…なの…か」
やっとお目当ての宿を探し当てた京介には喜びというよりも戸惑いの方が何倍にも多かった。そう、京介の前に現れたのは色とりどりのライトにライトアップされた怪しい外見をした宿だったのだ。一度通った時に無意識にこの宿ではないと目を逸らしたその宿がまさにデモルガンの言っていたアルバインという宿だった。
「まじかよ…」
恐る恐る入口の引き戸を引く。
中に入ると外見とは異なり高級感溢れる木の空間がお出迎えする。
「逆に怖いな…」
宿の履物に履き替えてカウンターの方へ進むと奥から着物を来た一人の老婆が
出てきた。
「おやおや、久しぶりのお客さんだねー」
よちよちと歩いてきた一人の老婆はカウンターの椅子に腰掛ける。
京介は少し心配そうに近寄る。
「あのーデモルガンって人に勧められてここに来たんですが…」
老婆は思い出す仕草をしてから
「おお、あのガン坊主からか」
坊主?と首を傾げる京介を他所に話を続ける。
「ガン坊から話は聞いてるわい。お代は要らないよ。早く奥に入んな」
「あ、ちょっ…」
京介を無視してカウンター奥に入っていく老婆の姿が見えなくなる。戸惑いながらも近くの扉へ歩みを進めようとしたその時、突然後ろから声が聞こえた。
「あんた、人間なんじゃろ?」
「うわっ!」
思わず声を出して驚いてしまった。すかさず振り返ると声の主は先ほどカウンター奥に消えた筈の老婆だった。
「い、いつの間に!?」
一歩飛び退きながら軽く構えの姿勢を取る。
「ふぉふぉふぉ、まだまだ青いの坊主」
優越感に浸りながら満遍の笑みを浮かべながら歩き始める。
京介も不気味に思いながらもその後を追いかける。
長い廊下の突き当たりを右に曲がりたどり着いたのが亀の部屋と書かれた看板のある一室だ。部屋に入ると内装のイメージそのままに木を基調とした和の空間が広がる。木の匂いが疲れた体を癒し、歩くたびに畳の感触が程良く足裏に刺激を与える。外見のライトアップされた怪しい宿の雰囲気は一切感じ取れない内装はある意味異空間を漂わせている。
部屋の入口で老婆が言う。
「悪いがの、夕飯は提供しておらんのでな」
京介がツッコミもうとした時にはもう老婆の姿は見えなかった。
あの、ご老体でどれだけの速さで動けるのか…。カウンターでの出来事でもそうだ、話しかけてくるまで全く人の気配を感じなかった。あの老婆只者ではないなと確信した途端、京介のお腹が意地の悪い音を立てる。
「腹減ったなー」
独り言を発しても、勿論返事は帰ってこない。寂しさを紛らわす為にどこかで夕飯を食べるため重い腰を起こした。
イグリード城へと続くメインストリートは昼と夜とでは全く別の顔を見せる。昼には地方から出稼ぎに集まった商人達が客と値引き交渉で熱いバトルを展開している横で、芸を披露して拍手喝采を受けている者など、お祭り騒ぎの印象が強いのに対して、夜は昼間のお祭り騒ぎとどこへ行ったのか、屋台の明かりがメインストリートの両端の輪郭を表し、人数はあまり変わらないものの賑やかというよりは映画館にいるような時間がゆっくり流れている錯覚に陥る。
どの屋台も掲げている名前が聞いたこともない食べ物ばかりで何となく手を伸ばし難く、ブラブラと歩いていたらいつの間にかイグリード城エントランス入口付近まで来てしまっていたようだ。エントランスの角にカフェや軽食の取れる店があったことを思い出した京介は引き込まれるようにイグリード城へ足を踏み入れる。
大キューブから仕事場である小キューブまでにインターフェースの役割を担っているここエントランスは時間帯に関係なく多くの種族が転送を繰り返している。店を探してあちこち見回している京介の後ろで大きな怒号が聞こえてくる。
「ちょっと、爺!付いて来ないでって言ってるでしょ」
「もう、あっちいっててば!!」
エントランスに居る者たちが一斉に声の発信源に顔を向ける。
それとほぼ同時に目を疑う。
京介も声のする方へ振り向くとそこには淡い水色と純白が重なり合って高貴な印象を受けるドレスを身に纏った女の子が周りの体格の良い男相手に喧嘩中だった。
「だーかーらー、私は大丈夫だからいい加減邪魔しないで!」
あれほどに立派なドレスにも関わらず女の子の方に目が行くのは、その美貌によるものであると断定できる。光沢のあるブラウンの髪は腰まで伸び毛先が綺麗にカールしている。肌はきめ細かく美肌とはこのことなのかと感心するほどであり、目、鼻、口のバランスは黄金比そのものだ。綺麗な顔立ちの中に幼さがまだ残っており、どちらかといえば可愛い子供の印象だ。
その可愛い女の子は一室の中でも一段高い壇上に登り、周りの者たちを見下ろして悠長な演説を始める。
「私は皆が知っている通りイグリード城の王であるイグリード・グラウンを父に持つ王女ルーナである!」
周りは騒然としている中で、さっきまで王女と名乗る女の子ルーナと喧嘩していた男たちはその場で呆れたような顔をしてガックリと肩を落とす。
それでも王女の演説は続く。
「私がここに立っているのは他でもない、皆に頼みたいことがあるからだ」
ここまでの演説を何となく聞いていた京介には、事の重大さが全く分かっていなかった。イグリード地方を統べる三代目イグリード・グラウンと王妃であるイグリード・マルミルの間に生まれた王女ルーナがまともな護衛も連れずに民衆の前に立っていることがどれだけイレギュラーなことか。
「頼みというのも、私が以前から大事にしていた王家の指輪がなくなってしまった」
周囲のどよめきが大きくなる。
「知っての通り、王家の指輪は代々イグリード家に伝わってきた由緒ある指輪である。この指輪を探して欲しい。勿論見つけたものにはそれなりの礼も用意するつもりだ。このあとイグリード城入口に隣接されている集会場で詳細を話すつもりである。危険も伴う可能性があるため腕に自信がある者はこのあとすぐにでも集まって欲しい。以上だ」
一方的に用件を喋り倒した王女ルーナは周りのどよめきも収まらぬ中で少人数の護衛に守られながら足早に去っていく。
嵐のように現れ、去っていった王女に残されたものは戸惑いしか残っていなかった。
今の話を信じていいものなのか、そもそも王女は本物なのか?でも先ほどの女の子は正しく王女ルーナの容姿と声をしていた。そんなどよめきが収まるのにそう時間はかからなかった。多くの者は自分の日常に戻っていった為である。と言うのも、王女ルーナは放った二つのワードである。一つは王家の指輪、二つ目は危険。王家の指輪は初代イグリード王から受け継がれてきたそれはそれは貴重な指輪である、そんなものが簡単になくなる訳がないし、本当になくなったのであれば、それはもう一大事であり、民衆なんかにお願いするレベルのことでは無いのだ。万が一本当だとしても王家の指輪に手を出す輩など危なすぎて命がいくらあっても太刀打ち出来る訳がない。それが二つ目の危険という言葉からも容易に想像出来る。今、何も無かったかのように歩いている者たちの多くはこれを理解して関わらないようにしているのだ。だが、ここにいる男は大キューブ出身では無い為にこの事態を全く理解できていない様子だ。
まるで、京介の時だけが止まってしまったのようにその場に立ち止まり思考にふけっている。かと思えば、次の瞬間には何かを思いついたように歩き始める。勿論、その足を運ぶ先はイグリード城に隣接している集会場だ。
集会場といってもその施設の規模はとても大きく、会議やイベントは勿論のこと、スポーツ大会も開かれるほど設備は充実している。
その会議室の中の一室、飛び切り大きいその部屋は、照明にライトアップされたステージを扇状に囲むように客席が設置されていて、百人は収納出来る程だ。
その会議室の無駄に重たい扉をこじ開けた京介はあまりの広さに驚く。
一度全体を見渡すとちらほらと人影が見える。中央の広い階段を降り、適当な場所の椅子に座る。
あまりに広い会場にいまいち落ち着かない京介はキョロキョロと周りを再度見回す。
左側の遠くに座っている男が一人、大きな斧を椅子に立て掛けて一点を見据えている。その更に奥に壁に寄りかかっている人が一人。京介からは遠すぎて細部まで確認できないが大きなコートを羽織、顔は半分以上がフードで隠れている、性別も体格も覆われたコートによって判断することが出来ない、とても不気味な印象を与える。後ろを振り返ると入ってきた時には目に入らなかったが、いつの間にか一人の女性が座っている。水色の髪を肩まで伸ばした女性は目が合うとニッコリと笑みを浮かべて手を振ってきた。一瞬で目を逸らして前に向き直るが、心臓の高鳴る鼓動は収まらない。あんな美しい人に笑顔で手を振られて心拍数が上がらない男は居ないと京介は思う。他にも周りに何人か居るのは分かるが、もう見渡すのは止めておこうと心に決め、前のステージに視線を戻した。
すると、突然後ろから声がする。
「こんにちは!ねえねえ、横座っていい?」
後ろから声を掛けてきた少年は上から黄色いバンダナを頭に斜めに巻き、そこから茶色い髪がツンツンと顔を出している。上は黄色いのベストを羽織、そこには実用性を兼ね揃えた、ポケットが幾つか付いている。下は膝までの赤いデニム生地のパンツとかなりラフな格好だ。ベルトには何やらメモ帳みたいな紙の束がぶら下がっており。逆の腰には短剣がぶら下がっている。常に笑顔で爽やかな印象の少年は少し声が高い為か、幼い印象を受ける。
「もしもーし。聞いてる?」
若干、警戒していた京介が我に返ると間髪入れずに、少年は椅子に座ってきた。
「僕の名前はロキ!よろしくな」
無理に横に詰めてきたロキから少し距離を取るために横に移動しながら
「俺は京介。よろしくな」
と、短く挨拶を交わす。
「京介かあ~。じゃあ……、京っちだね!」
「なんでそうなるんだよ!!」
思わず京介が叫ぶ。
静かな会場に京介の声が反響する。
声を出してから我に返り、周り視線が京介に集まっている事を冷静に受け止めた京介は小さく縮こまる。
今度はロキが大きな声で笑う。
「ははははっ、最高!京っち面白いよ!」
京介が縮こまっている横で腹を抱えて爆笑しているロキを今度は小さく叱る。
「おい、分かったから静かにしろよ。恥ずかしいだろ」
それでも、暫く笑い続けたロキは「ごめんごめん」と手の平を合わせてジェスチャーをした後に呼吸を整える。
陽気な少年ロキは話を続ける。
「ところで京っち、ここら辺じゃ珍しい名前だし、見たこともない顔だけどー、どこ出身なの?」
純粋な目を瞬かせて覗き込んでくるロキに少し戸惑う。別に人間であることを隠すつもりもないが、出来ることなら口にはしたくない。でも、この少年になら言っても大丈夫な様に思ってしまうのは、おそらくこの少年ロキの親しみやすい人柄なのだと思う。
今日は周りに聞こえないようにしれっと言う。
「人間……かな?」
あの、ロキが一瞬止まる。
その後またいつもみたく
「はははは、またまた冗談を。京っち嘘が下手くそだよ。はははっ」
またも爆笑のロキだったが、今度は京介の真剣な顔つきに笑いが消える。
「えっ…、マジ……なの?」
「うん、マジ」
ロキはパチクリと目を瞬かせてから
「えっーーー、京っちって人間な……ぶはあ」
驚きのあまり大声を出そうとしたロキの口を手で塞ぐ。
「馬鹿、うるせぇーよ!」
暴れるロキの口を両手で押さえ込むと、次第にロキの顔色が悪くなっていく。
京介が手を離すと大袈裟なくらい大きな音を立てて空気を吸い込む。
「すぅ~~、ぶはあ~~。京っち…僕を殺す気…?」
「あっ、ごめんごめん。あまりにロキが大きな声を出すから…」
「まさか、京っちが人間だとは思わなかったからさ、あははは」
また笑顔を作るロキに感服しているとスピーカーからアナウンスが響き渡る。
【燦々の森】
イグリード城下町の西に位置する場所に広がる森林地帯。
生い茂る緑に太陽の光が差し込むと輝く木漏れ日に囲まれるその景色から
ダイヤモンドフォレストと言われている。
様々な生命体が分布するこの森には鉱物が豊富に取れるという。