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こんな天気の良い日はこのまま寝てしまいたい。いや違う、寝なければもったいない。

京介は頭の中で寝るための口実を作り上げると同時に自分を正当化した。

暖かい日差しが京介の体をふわりと包み、窓が開いているのか時折心地の良い風が吹き抜けるため京介の意識が遥か彼方へ飛んでいくのにそう時間はかからなかった。

「………二条………き…さい…」

何か聞こえる気がする。

誰かが俺を呼んでいるような―――

「二条、いい加減に起きないか!」

はっとして反射的に背筋をピンと伸ばす。まだ意識は半分夢の中にいるせいか、上手く情報を統合処理出来ない頭をフルに回転させる。

そうだ、俺はさっきまで教会の中にいたはずだ。

一人の王女と出会い、街を破壊し、人々を苦しめているという魔王デモルガンを退治して欲しいと王女に懇願された。そして魔王デモルガンを倒した京介は勇者京介としてその名を後世にまで馳せることとなる。

そして今、色とりどりのステンドグラスから様々な波長へと変化した光が差し込む教会の中で、純白のドレスに身を包んだ王女が目の前で目を閉じてその時が来るのを待っている。

覚悟を決めた京介は目を閉じながらゆっくりと顔を近づかせる。おそらくあと数cmも先には柔らかな感触が俺の唇に――――当たるはずだった。

「二条、お前は授業も聞かずに堂々と居眠りとはいい度胸じゃないか」

本の表紙に大きく<現代国語>と書かれた教科書を持つ一人の男は京介の前でいかにも機嫌が悪いですよと言わんばかりに眉をピクピクさせていた。

「ま…魔王、デモルガン…ですか?」

二条のつぶやきについに痺れをきらしたのか、目の前から罵声にも似た怒号が大音量で学校内に響き渡る。生徒たちはこれを最も恐れられている教師に立ち向かった勇敢な生徒<英雄京介>として、後の後輩にまでこの武勇伝が語り継がれるのであった。




いつもの聞き慣れたチャイムの音が鳴り響く。全行程の終わりを告げる合図だ。あるものはヒャッホーという歓喜の声を教室中に響かせながら仲の良い友達なのであろう男子生徒の元へ駆け寄っていく。そしてあるものは、ガンガンと教科書を机に叩き角を揃えて帰りの準備を始める。斯く言う俺はそのどちらにも該当しない。

「お疲れ京介、このあとお前も行くよな?」

そう俺は人に駆け寄っていくのでもなく、準備を済まし帰宅、または部活動で青春の汗を流すのでもない。今、話し掛けてきたこいつ長谷川啓太が俺に駆け寄ってくるのだ。

しかも毎日…欠かさず…あの場所へ連行するために…。

「京介? どうした?」

くだらないことを考えながら硬直していた京介の顔を啓太が不思議な物を見るかのように覗き込む。

「いや、なんでもない。もちろんついて行ってやるよ」

その返事を待っていました、とでも言うように啓太はくるりと回転して教室の出口の方へ向かっていく。

「ちょ、ちょっと待てよ」

京介は未だに机の上に広がっていた教科書を鞄に押し込み、椅子をガラガラと机の中にしまうと、おそらくはもう階段を降り始めたであろう啓太に追いつくために走り出した。



京介と啓太は横に並びながら商店街を歩く。さすがに夕方にもなると夕食の材料を求める人でものすごい熱気を帯びている。二人は並びつつも迫り来る人波を器用に避けながら歩いている。わざわざこんな賑やかな所を通るのにはもちろん理由がある。この商店街を抜けた先には大通りとぶつかる、そこを左へ曲がり、ライトが眩しいカラオケ屋を通り過ぎたあたりにお目当てのカフェがある。早い話が商店街を横断するのがカフェに行く上で一番近道なのだ。

そのカフェ<マシュマロ>には学校が終わると毎日のように通いつめていた。おそらく店内に入ればいつもの四人がけの席に腰掛けてケーキを食べながら談笑している二人組がいるに違いない。

「よし決めたぞ京介!俺は今日こそ三波ちゃんに告白する!!」

「そうか、頑張れ」

京介が一蹴する。

「おいおい、京介ぇ~。協力してくれるって約束したじゃないか~」

少しだけ背中を前に屈めて顎を下にガクーっと開けた啓太が京介を睨む。

京介はその熱い視線に気付いているものの、わざと目を合わせようとはしない。どうしたものかと考えていると、100m先にマシュマロと書かれたレトロな看板が光っているのが見えてきた。それを確認すると息を大きく吸い込みゆっくりと吐き出してから重い口を開く。

「いいか啓太。俺たちが四人でここに集まるようになったきっかけはお前なんだぞ?お前が三波に告白したいから場所をセッティングしてくれとうるさいからだなぁ」

店まで残り数十mの間に溜まっていた鬱憤を晴らすべく、京介はプログラムされていたかの様に言葉の嵐を啓太にぶつける。

「だから、要するにだな。三波の前になると急に話せなくなる癖を直してからだな」

京介の頭の中にプログラムされているセリフのまだ半分もアウトプットされていない。

説教に夢中のせいもあり、無意識にカフェの扉開き店内に入る。説教もついに佳境を迎えたのかまとめの言葉に入る。

「お前は告白すると言って失敗したのは何回目だ?その度に俺がこうして毎日お前に付き合ってカフェに来てあげているだろ。大体どうして俺が千帆のやつと顔を合わせなきゃいけないのさ。俺の顔を見るたび母親みたいにグチグチ世話をやいてきて鬱陶しいだけだ」

流石に堪えただろうと啓太の方に視線を移すと、目を真ん丸に開きながら口をパクパクさせてこちらを見ている。いや、正確にはこちらの少し右上、後方を凝視しているようだ。なんだろうかと後ろを振り向こうとしたその時。

「へえ~ 京ちゃんは私のこと世話好きの口うるさいおばちゃんだと思ってのね」

京介は足から頭の天辺までゾクゾクという気持ちの悪い電撃が走る。きっと振り向いたら俺の人生が終わる、と生物としての本来の勘が危険信号を発している中で、それでも振り向かずにはいられなかった。

恐る恐る振り向いたその先には、色とりどりのケーキ達が綺麗に配列されたプレートを右手に持ち、自由である左手は腰のあたりに添え、仁王立ちをしている佐々木千帆がいた。

「よ、よう千帆、好きなケーキまだ残っていたか?」

京介のこれまでに見せたことのない程の笑顔で話しかけたが、千帆はフンとそっぽを向いていつものテーブル席へと去っていく。その後ろからヒョコっと出てきた小柄な体格の佐倉三波が小声で「今のは京介くんが悪いよ」とだけつぶやき軽く微笑んでから千帆のあとを追いかける。

直ぐにテーブルに向かうと千帆の二次災害に巻き込まれかねないので、時間を潰すためにバイキングに向かうことにした。

このマシュマロはコーヒーや軽食を提供する一般的なカフェとは少し異なっている。大通りに面し、数キロ離れた場所には京介達が通っている埼恭高校があり、埼恭高校とは正反対に数キロ歩いた場所には花の女子高が高々とそびえ立っている。マシュマロはカフェでありながらも女子高生をターゲットにした経営戦略の結果、ケーキをお手軽に提供し、かつ高校生の好きなバイキングを融合させることで今のケーキバイキング制度を作り上げたのである。この戦略が奏功したかと聞かれれば京介近くであれこれケーキを選んでいる女子高生達を見れば分かるだろう。現に奥のテーブルに座って少々ご機嫌ななめのお嬢様はここのケーキが大の好物なのだ。

「お、おい京介。千帆さん相当機嫌悪そうだぞ」

ケーキの気分ではないのか種類の少ないパスタを小皿に移しながら啓太が言った。

こちらも種類の少ない寿司を小皿に移しながら京介が答える。

「大丈夫だ、もうケーキのおかげで機嫌も戻っているだろう」

取り分ける用のトングを元の場所に戻しテーブルに向かう。四人席のテーブルには向かい合うように千帆と三波が座っていた。京介は啓太との約束を思い出し、少し気分は乗らないが千帆の横に座る。それに数秒遅れた形で啓太もぎこちない動きで三波の横に座った。

これで妙な空気を除けば、いつもの光景の完成だ。

色で表すならば確実に黒に近い淀んだ空気をかき消すためか天然なのか、三波が笑顔で言う。

「そういえば、今日の三時限目に鳩山先生に怒られていたのって京介くんなんでしょ?Aクラスにまで聞こえてたよ~」

ちょうど寿司を飲み込んだ直後の不意打ちに京介は苦しそうに胸を叩く。

京介と啓太は同じ二年Dクラス、千帆と三波は二年Aクラスと教室は異なる。また、教室の配置もアルファベット順に並んでいるためにAクラスとDクラスに間には二つ教室を挟んでいるはずなのだが……。

寿司を胃に押し込むのに悪戦苦闘している京介を横目に千帆が追い打ちをかける。

「どうせ京ちゃん、涎垂らして寝てたんでしょ」

「千帆さんそれ半分正解だよ」

啓太がファークをくるくる回しながら続ける。

「京介が恐慌したる現国の鬼鳩山の授業中に寝ていたのは千帆さんの言う通り。だけど鳩山先生が声を荒げたのは、寝ている京介を鳩山先生が注意した時さ」

「へぇ~、そうなの?」

三波が横から啓太の顔を覗き込む。さっきまで面白がっていた啓太がおどおどしながら続ける。

「お、おう。寝ぼけた京介が先生に言ったんだ。えーっと、ドモ…デ……ドル?」

「魔王デ・モ・ル・ガ・ン!」

寿司の脅威から奇跡の生還を果たした京介が意地になりながら教える。

我ながら何を意固地になっているのか馬鹿らしいが、間違った事を鵜呑みにするのも遺憾である。そのまま千帆に馬鹿笑いされるのが関の山だ。

京介はゴホンと一回咳をしてから、授業中に見た勇者京介の冒険を話した。

「ふーん、京ちゃんが魔王を倒すなんてね。ありえない」

「だよね~」

「俺も同感」

話を聞き終えた三人は同時に頷く。

この薄情者めぇ~と内心で思いつつも、そもそも夢の話であるし、空気を和ます為のネタの一つでもなればと思っていた程度なので気にせずに最後の一貫を頬張る。周りを見れば、綺麗に並べられていたケーキも綺麗になくなり、今は小さなフォークが小皿の真ん中に申し訳なさそうに座っている。

「そろそろ帰ろうか」

「そうね」

会計を済ませてから出口のドアを開くと、いつの間にか空は薄暗くなっていた。

「私は三波の買い物に手伝うからここで分かれるわ」

マシュマロの前で千帆が振り向きざまに言った。

京介は重たい口を開いて、出来るだけ気持ちを込めた風を装う。

「千帆、たまには俺と帰らないか?ほ、ほら、家も同じ方向だしさ…」

千帆は驚きを隠せない様で、目を真ん丸にして答える。

「で、でも三波と買い物に付き合う約束してるって…」

「それは啓太が付き合ってやれよ。いいだろ三波?」

「私は構わないけど…。啓太くんはいいの?」

啓太はビクンと反応しながら喉から声を絞り出した。

「お、お願いします」

千帆は少し悩みながら、小さく三波がいいならと呟き、京介をちらりと見る。京介は視線に気付くと少しだけ笑顔を浮かべた。千帆は直ぐに勘付いたのか、ため息をつき京ちゃん置いてくよと家の方向を歩き出した。京介は千帆を追いかけながら一度だけ後ろを振り向く。見るからに緊張している啓太と目を合わせ小さくガッツポーズをする。明日ジュース一本奢りだなと考えながら前を向くと、だいぶ先に千帆の後ろ姿が見える。小走りで千帆の横に並ぶと徐々に速度を落とし、千帆に歩調を合わせた。



閑静な住宅街を歩く二人の影がある。空もだいぶ暗くなり街灯も煌々と辺りを照らしている。顔の半分が白い街灯に照らされている千帆の横顔を見ながら京介は思う。

千帆とこの道を二人きりで歩いたのはいつぶりだろうか、と。二条京介と佐々木千帆は小さい頃からの幼馴染みである。お互いの両親の仲が良いこともあって小さい時からよく遊んでいたのだ。しかし今では話をするどころか顔を合わせるのも気不味い状況だ。

いつからこんな関係になってしまったのか、京介には今でも鮮明に覚えていることがある。


【鳩山 重信】

埼恭高校で現代国語を担当する男性教師。

学校一怖い教師として知らない者は居ない。

普段はしかめっ面の彼だが家に帰ると子煩悩な父親にすり変わる。

趣味は辞書を引くこと、嫌いなものは茶髪。

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