第13話 君と一緒に夕飯を食べたい。
スーパーでの買い出しは、これで二回目だ。
前回同様、汐織がカゴに食材を入れていくのを、麻貴が後ろからついていく。カゴは当然のように麻貴が持っていた。前回は自分が持つとわざわざ申し出たはずだが、今はもう何も言わずに手を伸ばしている。汐織もそれを自然に受け入れていた。いつの間にか、そういうものになっている。それが何だか、気恥ずかしかった。
ただ、今回は量が多い。じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、牛薄切り肉、しらたき。それだけかと思えば、別の棚から鶏もも肉や小松菜なども追加されていく。カゴがずっしり重くなった。
(結構買うな。何作るつもりだろ?)
訊こうかと思ったが、汐織が楽しそうに食材を選んでいるのを見て、口を噤んだ。彼女が作りたいものを作って、ただ、それを食べさせてもらう。それが、ふたりの交わしたルールだ。
食材を買い終えて、レジに向かう途中。日用品コーナーの前を通りかかった時、麻貴はふと足を止めた。
エプロンが数種類ぶら下がっていた。スーパーで売っているものだから、決してお洒落で華やかなものではない。どれも、無地やシンプルな柄のものだった。
一応その中で一番女の子っぽい柄のもの一枚手に取って、カゴに入れた。
「あっ。それ、エプロン?」
汐織が気づいて、こちらを見上げた。
「ああ。この前、タオルで代用してたろ? あれだといつ服汚れるかわかんないし、見てて不安だったんだ」
至極真っ当、現実的な理由を言った。
実際、彼女は前回タオルを腰に巻いて即席のエプロン代わりにしていた。今日は汚れてもいい服で来たようだが、制服の場合はそういうわけにもいかない。彼女のことだからミスをするとは考え難いが、万が一の時のためには備えておくべきだ。
「買ってもらっちゃっていいの?」
「いいも何も。食費と同じで必要経費だよ。あ、デザインってこれでよかった? 一応、一番女子っぽいの選んだんだけど」
「……うん」
汐織は一瞬の沈黙の後、ゆっくりと頷いた。それから、エプロンを手に取って、しばらくじっと見つめる。
スーパーの、何の変哲もないエプロン。千円もしない、安物だ。だが、彼女はそれを胸のあたりに引き寄せるようにして──。
「ありがとう……大事に使うね」
嫣然と、微笑んだ。
スーパーのエプロンに対して「大事に使う」は少し大袈裟だ。でも、その声の温度は、エプロンの値段とはまるで釣り合っていなかった。
くすぐったくなって、麻貴は視線を逸らした。
「そんな大したもんじゃないって」
「そんなことないよ。嬉しい」
静かに、でもはっきりと汐織が言った。
そう言われてしまうと、何も返せなくなってしまう。カゴを持つ手に、少しだけ力が入った。
*
アパートに戻ると、汐織はすぐに料理に取り掛かった。
買い物袋をシンク横に並べて、中身を取り出していく。そして、新しいエプロンの包装を開けた。タグを丁寧に外して、頭からかぶる。背中に手を回して紐を結ぼうとしたが、少しもたついていた。
「ちょっと紐が長いかも……」
もたつきながらも、自分で結びを作る。くるっと振り返った。
エプロン姿の汐織。スーパーの地味な無地のエプロンなのに、汐織が着るとちゃんと似合っていた。Tシャツの上にエプロンを重ねた姿は、制服とも私服とも違っていて。この部屋でしか見られない篠宮汐織だ。
(こ、これはやばい……)
思わず、くらっとくる。
地味なエプロンだろうが、そんなものは関係なかった。美人は何でも着こなすし何でも似合うのだと改めて痛感させられる。
というか、この姿を拝んでしまっていいのだろうか? 課金コンテンツなのでは?
「どうかな?」
汐織が、少し照れたように訊いてくる。
麻樹はぶっきらぼうに答えた。
「……似合ってんじゃん」
「ほんと? えへへ。やった」
彼女は嬉しそうにはにかんでいた。いちいち全ての動作の破壊力が高くて困る。これではこちらの心臓が持ちそうになかった。
冷蔵庫を開けた汐織が、ふと手を止める。
「あれ? もしかして、お米炊いた?」
炊飯器の横に置かれた米袋と、内釜に少しだけ残った炊き上がりのご飯を見つけたらしい。
「ああ。昨日、タッパーのおかずに合わせたくて。冷凍ご飯じゃ、なんか違うなと思ってさ」
汐織の目が大きくなった。それから、じわりと嬉しそうな顔になる。
「凄い……! ちゃんとお米買って、炊いたんだ」
「大袈裟な。炊飯器のボタン押しただけだって」
「でも、そういうのって大事だと思うよ?」
上から褒めるのではなく、本気で嬉しそうに言ってくれる。
それが妙に照れ臭かった。一緒に何かを積み上げている人が、隣で喜んでくれている。そんな感じだった。
ただ米を炊いただけなのにここまで感動されるのもどうなんだとも思うけれど。でも、純粋に嬉しかった。
「……まあ、篠宮の作る飯が美味いからさ。それに合わせたくなっただけ」
「口が上手いなぁ。じゃあ、今日もご飯、任せちゃっていい?」
「おう」
料理は手伝えなくても、飯を炊くくらいならできる。
麻貴は早速米を計量して、炊飯器にセットした。
一方の汐織は、袖をまくり直し、エプロンの紐を確かめてから、早速調理に入っていた。
まず、じゃがいもの皮剥きから始めた。ピーラーの扱いが手慣れていて、皮が薄く均一に剥けていく。それから、玉ねぎを櫛形に切って、にんじんは乱切り。牛肉を一口大にした後、しらたきを下茹でして食べやすい長さに揃えていく。
次に、鍋に油を引いて、牛肉を炒め始めた。じゅう、と音がして、肉の焼ける匂いが台所に広がっていく。肉の色が変わったところで玉ねぎを加え、しんなりするまで炒めた。
じゃがいも、にんじん、しらたきを投入。出汁を注いで、醤油、みりん、砂糖で味付けをしていく。汐織が味を見てから、こちらを振り返った。
「箕島くんは甘めと薄めだったら、どっちがいい?」
「え? どっちでも。任せるよ」
「じゃあ……今日はちょっと甘めにしようかな。疲れた時は甘いほうがいいっていうし」
そう言って、汐織は砂糖を少しだけ足した。掃除で疲れた身体に合わせてくれている。さりげないけど、的確だ。
落とし蓋をして、弱火でことこと煮込む。台所に甘い醤油の匂いが満ちていった。
当たり前だが、卵雑炊の時とも鶏味噌煮の時とも違う。それでいて、どこか懐かしい匂いだった。実家で暮らしていた頃、台所からこんな匂いがしていた気がする。
肉じゃがを煮込んでいる間に、汐織がもうひとつの鍋を取り出した。さらに、先ほど買った鶏もも肉と小松菜を準備し始める。
「え、まだ作るの?」
「うん。明日の分も作り置きしておこうと思って」
彼女はさらりと言ってのけた。
つまり、日曜日の分まで今日のうちに作っておくつもりらしい。どうりでスーパーでたくさん買い込んでいたわけだ。あのカゴの重さには、明日の麻貴の食事まで含まれていたらしい。
胸のあたりが、きゅっと詰まった。
「いや……さすがにそれは悪いって」
「ついでに作るだけだよ」
汐織は鶏もも肉をまな板に乗せながら、軽く言った。
ついで。彼女はいつもそう言う。
おにぎりの時も「自分のついで」と言っていた。でも、わざわざ休日にここまで来て、大掃除をして夕飯を作って、その上で明日の分まで作り置くことが「ついで」で済むわけがない。
鶏もも肉に下味をつけて、フライパンで焼き始める。手慣れたものだった。肉じゃがの鍋がことことと煮える音と、鶏肉がフライパンで焼ける音が重なっている。ふたつの火口を同時に使って、二品を並行して進めるだなんて、自分には絶対にできない芸当だった。
そこで、汐織が「あっ!」と声を上げてこちらを振り返った。
「箕島くん、お腹空いてたんだよね!? ごめん、先に食べてていいよ!」
珍しく、慌てた声だった。
麻貴が昼食を食べていなかったことを思い出したのようだ。
麻貴は即答した。
「いや。待ってる」
「でも……お腹空いてるんでしょ?」
汐織が心配そうに眉を寄せた。
もちろん、腹は減っている。何なら肉じゃがのいい匂いのせいで、さっきよりも空腹加減は大きくなっていた。でも──。
「明日は来れないんだろ?」
作り置きをしているということは、つまりはそういうことだ。汐織は明日、ここには来ない。次に一緒に食べられるのは、早くても月曜の放課後。
「それなら……一緒に食べたい」
言ってから、自分の言葉に驚いた。こんなことを口にするつもりはなかったのに。
でも、理由は単純だ。ひとりで食べるより、汐織と食べるほうがいい。昨日ひとりで夕飯を食べて、そう感じてしまったのだ。
汐織は菜箸を持ったまま、目を丸くしていた。
数秒の間を置いて。
じわり、と表情が綻んでいく。目元がゆるんで、口元がほころんで、頬がほんのり色づいて。汐織はそれを隠すようにこちらに背中を向け、鶏肉をひっくり返した。
「……うん。じゃあ、少し待ってて? すぐに終わらせるから」
彼女の声は、少しだけ震えていた。ほんの少し、何だか泣いているように聞こえなくもない。でも、どちらかというと、嬉しさの方が滲んでいるような声音だった。その背中が、さっきよりほんの少しだけ急いで見える。
それから幾ばくか時間が経って──。
「お待たせ!」
汐織がエプロンを外して、ローテーブルに皿を並べていった。
肉じゃがに、白いご飯。味噌汁は余った玉ねぎと豆腐で作ってくれたらしい。
冷蔵庫に貼ってあるメモを、ふと思い出した。
『次:にくじゃが、おみそ汁 (わかめ)』
わかめではなく玉ねぎと豆腐になったけれど──約束は、ちゃんと果たされた。
「「いただきます」」
手を合わせてから、肉じゃがに箸を伸ばす。じゃがいもを一切れ、口に運んだ。
じゃがいもがほくほくと崩れる。甘辛い煮汁が染みていて、牛肉の旨味がじゃがいもに移っていた。玉ねぎはとろりと甘く、しらたきが煮汁を吸っていい箸休めになっている。
汐織が言った通り、少し甘めの味付けだ。五時間掃除をした後の空っぽの身体に、その甘さがじんわりと沁み渡った。
「……めちゃくちゃ、美味い、です」
大袈裟ではなく、心からそう思った。
約束通りの料理と炊き立てのご飯、それから隣の汐織。全てが、揃っていた。
「よかった」
汐織も自分の分を食べ始めた。箸でじゃがいもをつまんで、ゆっくり口に運ぶ。
一口噛んで、飲み込んで。
「ん~ッ……おいしっ」
ぽろっと零れた一言だった。
坂道の総菜パンの時は、おそるおそる。卵雑炊の時は、確かめるようだった。鶏味噌煮の時は、もう怖がっていなかったけど……。
今のは、何だか一番自然と出た言葉だったように思う。自分で選んで、自分で作って、ただ素直に、おいしいと言えているというような。
麻貴は何も言わなかった。隣で味噌汁をすすりながら、美味しそうに食べるその横顔を、こっそりと盗み見る。
綺麗になった部屋。窓の外はもう暗くなり始めていた。
スピーカーからいつものカフェミュージックが流れていて、テーブルの上には肉じゃがと味噌汁と白いご飯。向かいには汐織が座っていて、同じものを食べている。
(そういや……約束、ちゃんと果たしてくれたんだよな)
冷蔵庫の丸っこい字のメモ。あの約束が、ちゃんとここにある。
もう一切れじゃがいもを口に運んで、黙って噛みしめた。




