エピローグ
「さて、イレイナが王宮の修理を終わらせたことだし。俺たちは帰るとするかな」
「もう帰られるのですか?」
母が魔法で王宮のいたるところをきれいに直したところで、父は帰り支度を始めた。
私が開けた穴も見事に塞いでくれたので、ホッとしている。
「あまり家を留守にすると周りも変に勘繰る。俺もイレイナも、ちょっと力をひけらかすと大騒ぎになるからな」
「お父様……」
「じゃあ、陛下によろしく言っておいてくれ。お前に息子たちの不始末を謝りたいのだそうだ」
そう言うと父はくるりと背を向けて王宮の外へと足を向けた。
久しぶりの再会だというのにマイペースな方ね。
そこが父らしいのだけど。
「ローウェルったらね。あなたがピンチだと聞いたとき、血相変えて屋敷を飛び出したんですよ。あんなに焦ったあの人を見たのは久しぶりでした」
「お母様? そうなんですか?」
「ああ見えてあなたのことを心配しているんです。でも、あまり過保護にするわけにもいかないでしょう。あなたにはあなたのやりたいことをさせてあげたいから」
父の焦った姿なんて、想像もできない。
私のために急いで来てくれたんだ……。
母の言葉を聞いて、私は自然と笑みがこぼれた。
「いつでも帰ってきなさい。あまりグレンやレズリーを困らせちゃダメですよ」
優しく母はそう言い残して、気付けば父の隣を歩いていた。
いつでも帰っていい、か。
そういえば私……故郷に帰ろうとしていたんだっけ。
これから、どうしよう。
グレン……あなたはこれからどうするの?
「私はしばらくデルタオニア王都で魔法学の勉強をし直すよ。この国で見聞を広げたいと思ったからね」
「僕も一から修行しなおす。国に帰っても良いんだけど、誰にも頼らずにやってみたいからな。こっちで鍛えることにした」
イカロス様とバルバトス様はなんとデルタオニア王国に残るとのことだ。
ちょっと驚いた。
こっちの国では散々な目に遭っていたので、すぐにでも帰りたいはずだと思っていたから。
「じゃ、なにかあったらこの私の明晰な頭脳を頼ってくれたまえ」
「この身を鍛えなおしたら、また手合わせしてくれないか。正々堂々と……真正面から。その日のために努力してくる」
そう言い残して、二人は王宮から立ち去る。
バルバトス様がちょっと怖いことを言っていたが、二人ともスッキリしたような表情をしていた。
新しい一歩を踏み出そうとしているのね……。
「少しだけ羨ましいわ……」
その姿が眩しくて、私はついそう呟いてしまった。
「ローザ様、グレン様、国王陛下がお呼びでございます」
「リュゲルか。わかった、すぐ行く。……お嬢様」
「え、ええ」
この国の宰相であるリュゲルさんに声をかけられ、私たちは謁見の間へと足を進める。
二人の態度から察するに、リュゲルさんはグレンの正体を知っている。
そう。彼はデルタオニア国王の息子。
ブルーノ殿下とエルムハルト殿下、二人の王子が失脚した今……陛下としては何としてでもグレンを王子として迎え入れたいだろう。
その提案をされたら、私は一体どう答えれば良いのだろうか。
やっぱり、この国の将来のために、彼を送り出すのが正解よね――。
「じゃあ、あたしは城門の近くで馬車の手配をして待ってるっす。ローザお嬢様! 負けたらダメっすよ!」
「えっ?」
レズリーは軽く私の背中を叩くと、力強い声をかける。
負けたらダメって、どういうこと?
負けるって、何かこれから勝負をするわけでは……。
「お嬢様、いかがなされましたか?」
「いえ、なんでもないわ」
私がレズリーの方を見て立ち止まっていると、グレンが声をかけてきた。
そうだ。陛下をお待たせするわけにはいかない。
とにかく会って、話をして、それから……。
私たちは謁見の間へと足を踏み入れた。
◆
「まずはローザ殿。此度のエルムハルトとブルーノの不始末であなたに多大な迷惑をかけた。この件について、深く謝罪しよう。辺境伯の件についても承知した。騎士団に命じてすぐに解放するように手配しよう」
陛下は軽く頭を下げて、私への謝辞を表明した。
結果的に何事もなかったので、私からは特に責任追及するつもりはない。
辺境伯様についてもきちんと助けてくださると約束していただけてホッとした。
それにしても、陛下の心情を考えると心が痛い。
王子たちが揃って反旗を翻したのだ。
そのショックは計り知れないだろう。
「陛下、難しいかと存じますが……どうかお気になさらないでください。両親の助けもあったおかげで私たちは皆無事です。私自身、今回の件で己の未熟さを知り、成長する機会が与えられたと思っております」
両親には遠く及ばないとはいえ、鍛えた力にはそれなりに自信があった。
多少の苦難なら乗り越えられるはずだと自負していた。
蓋を開けてみれば、常に動揺させられ、終いにはグレンに無茶をさせて瀕死の重傷を負わせる始末。
ブルーノ殿下にしたって、母が来ていなかったらあのまま死んでしまっていた。
もっと精進せねば、大切な人を守れない。
私の心にそう刻み込まれたのが、今回の事件であった。
「あなたは強いな。ローザ殿の寛大さに感謝する」
国王陛下は再び軽く頭を下げる。
一国の王に、何度も頭を下げさせて恐縮してしまう。
それだけの事態が起こっているのだけど、それでも悲痛な表情を見るのは辛い。
私たちは陛下の次の言葉を待った。
「グレン、お前にも随分と面倒をかけたな。エルムハルトにしてもお前の進言を聞き、事実を公表し、やつを投獄すべきであった」
「いえ、俺には何の権限もありませんので。あのときは出過ぎた真似をしたと後悔しております」
そして陛下はグレンに話しかける。
グレンはエルムハルトについて陛下に助言していたのね。
でも、国が混乱しているときに第一王子の失態を表沙汰にすることを躊躇われるのは致し方ない。
そこまで陛下に責任があるかといえば、そうじゃないと思う。
「この状況で身勝手な交渉をするのは二人にとって残酷やもしれんが……恥を偲んで頼む! グレンよ、王子としてこのデルタオニア王国の将来を担ってはくれぬか?」
「…………」
やっぱりそうきたわね。
ここにきて、国王陛下がグレンをそのまま帰すはずがないと確信していた。
陛下にとって、グレンはただ一人残された希望。
次期国王になれる器である彼を放置しておくわけがない。
「グレンよ。お前は先刻……ローザ殿を無事にアルトメイン王国に帰せば、余の望みどおりに生きると約束してれたな。その約束を反故にするのか?」
「それはお嬢様の身に危険が迫ってきたからであって……」
「承知している。だが約束は約束。状況が変わったから守らない、というのは筋が通るまい」
どうやらグレンは私を助けることと己の自由を天秤にかけたらしい。
どうしよう。
話としては陛下に理があるように聞こえる。
それにグレンの本当の幸せを考えたら、このまま彼が王子として人生を歩んだほうが良い気がする……。
「ローザ殿には今回の件の恩賞として、何でも望みのものを与える。グレンという得難い人材を手放すのだから、それ相応のものをな。念の為に言っておくが、グレンを寄越せというのは無茶な要求だぞ。さすがに王子を引き渡すわけにはいかん」
グレンが結論を口にしないので、陛下はこちらに向かって話しかけてきた。
望みどおりのもの、か。
陛下はしたたかだ。私がグレンを取り戻そうとするかもしれないという可能性に予め釘を差した。
「デルタオニア王国の永久居住権をください。辺境の別荘で自由に暮らす権利をいただけないでしょうか?」
「わざわざそんな許可を出さんでもあそこなら自由に使って良いぞ。もっともあれはグレンにくれてやったものだが」
「陛下からのご許可というお墨付きがほしいのです」
「ふーむ。そんなものがほしいのか。変わっておるな。好きに住むが良い。余が許す」
陛下は私の交渉に応じてくれた。
よし。これで私はこれから未来永続、あの別荘に住むことができる。
私はそれを聞いて満足して、口を開いた。
「グレン、行くわよ。ほら、早く」
「だが、お嬢様……俺は陛下に今後の人生を……」
グレンは私に声をかけられて困惑している。
でも、私には私の言い分がある。
彼を連れて行っても問題ないという私の理が。
「私はアルトメイン王国に帰らない。国王陛下には私が無事に帰国したら陛下の望みどおり生きると約束したんでしょ? だったら帰らなかったら、別に言うことを聞かなくてもいいんじゃないの?」
「ローザ殿! あなたという人は!」
そう。グレンが陛下との約束は私がアルトメイン王国に帰国するという条件を達成しなくては成立しない。
ならば、私は帰国しない。この国でずっと過ごせばグレンは自由なのだ。
陛下は私の言葉を聞いて、上擦った大きな声を出す。
当然だろう。あれだけ念を押して、グレンは渡さないと宣言したのだから。
「陛下、この国での永久居住権は確かに頂戴いたしました。それを反故にして、強制的に帰国などさせませんよね? 陛下は約束事に筋を通す方だと信じております」
「……それで余を言い包めるつもりか。だが、あなたの言い分はなるほど、筋が通っている。しかも余にとってあなたたちクロスティ家は命の恩人、あなたの母上には愚息の命まで助けられた」
陛下はそこまで口にして、ジィーとこちらを恨めしそうな顔をして見つめる。
どうしよう。
理論武装してみたけど、さすがに一国の王に対してそれは通じないかしら……?
「これ以上ゴネるのは無粋よな。余の負けだ……今日のところは帰るがよい。グレン、お前は良い主に巡り合ったな」
「ええ、この方のために尽くすのが私の生き甲斐です」
「グレンったら……」
グレンが恥ずかしいことを堂々と口にするものだから、私は顔が熱くなってきた。
彼は嬉しそうに微笑み、こちらを見つめる。
早くこの場を去ろう。
私は陛下に一礼して、謁見の間を出た。
◆
「少し中庭を散歩して帰りませんか?」
謁見の間を出てすぐにある王宮の中庭の前で、グレンはそんな提案をした。
中庭は花が咲き乱れていて、なんともいい香りがしている。
「あまり時間をかけるとレズリーが心配するわよ」
「ローザお嬢様にちゃんとお礼が言いたくて」
「別にお礼なんて要らないわよ? わかった、少しだけ歩きましょう」
グレンがあまりにも真剣な顔をするものだから、私は彼の意見に従った。
中庭に足を踏み入れる。
静かね。
どうやら、私たち以外には人は居ないみたい。
こんなにも色とりどりの美しい世界なのに、王宮の人たちにとってはもはや当たり前すぎるのだろうか。
「……お嬢様、俺を見捨てないでくださってありがとうございます」
「ああ、怪我の治療を続けた話? 当たり前でしょう。そもそもあなたが私を庇って負った怪我だもの。見捨てられるはずがないじゃない」
私はあのときグレンの治療をやめるなどという選択肢はなかった。
母が来てくれるなんてもちろん分からなかったし、必死で治すことしか考えていなかった。
「いえ、それもありますが、さっきの話です。俺をお嬢様の側に居られるように国王を相手にあんな大立ち回りを……」
「あんなの私のわがままよ。あなたに側に居てほしいって、私自身がそう思っただけなの。あなたの都合なんて考えずに、ね」
「でも、俺はそれが嬉しかったです。ありがとうございます」
本当に嬉しそうな顔。
はぁ、どうしてしまったんだろう。
三回も婚約破棄されたときは、自分がこんな気持ちになるなんて考えもしなかったんだけど……。
「この際だけど、ついでに言っておいてもいいかしら?」
「なんですか?」
「私、もうこりごりなの。誰かに選ばれて婚約なんて……だから結婚相手は私が自分で選びたいの」
さっきよりずっと顔が熱い。
心臓の鼓動がとんでもない速度になって、息が切れそう。
今ならまだ引き返せるかな?
もう、これ以上は言わないほうがお互いのためかもしれない。
「だから、グレン。あなた、私と結婚してずっと一緒にいてくれないかしら。あなた以外の男性と結婚なんて考えられないの」
「……ローザお嬢様?」
やっぱり面食らった顔をしている。
あの冷静沈着なグレンが、見たこともないような表情でこちらを見ている。
これって、彼を引かせてしまったんじゃ……。
「俺で良いんですか?」
「グレン……」
気付いたら私はグレンの腕の中にいた。
力強く彼に抱きしめられながら、私は彼の言葉に耳を傾ける。
「結婚するなら王子になった俺のほうが都合が良いんじゃ……」
「うーん。王子ねぇ……考えもしなかったわ。今のあなたが好きだから。逆に今のままのあなたに想いを伝えたいとは思っていたのかもしれない」
「それって、俺に敬語使いたくないだけなんじゃ」
「ふふ、あなたが望むなら敬語くらい使っても構わないですよ。グレン様」
「やっぱりやめてください。俺が間違っていました」
しばらく花びらの舞い散る中で、互いの温もりを感じ合う。
そして、グレンは私の両肩に手をおいてまっすぐにこちらを見つめた。
「ローザお嬢様、ずっと一緒にいてください。俺はお嬢様の夫として相応しい人間になると誓います」
「もうなっているわよ。一緒に成長しましょう。どんな困難が来ても、今度はお父様やお母様の力を借りなくても跳ね返せるように……」
少し間をおいて、私たちは唇を重ね合う。
その感触は春風のように柔らかく、舞い落ちる花びらのように儚かった。
唇が離れた瞬間、グレンの指がそっと私の頬を撫でる。
相変わらず心臓は早鐘を打ち、宙に浮いているのかと錯覚するほど足元がおぼつかない。
彼の瞳に映る私は、きっとひどく赤い顔をしているだろう。
でも、心の中は喜びで満たされていた。
三度の婚約破棄という過去が、今となっては愛を試された通過儀礼のようにさえ思える。
「ローザお嬢様……」
グレンが私の名前を呼ぶだけで、全身が甘く疼く。
「お嬢様はやめて。……ローザと呼んでほしいの」
私の願いに彼は小さく微笑んで頷く。
「ローザ……愛しています」
「私もよ、グレン」
再び唇が近づいてくる。
今度はもっと深い、確かな口づけ。
周囲を舞う花びらが私たちを祝福するかのように降り注ぐ。
この世界で二人だけになったかのようなそんな都合の良い錯覚を覚えた。
「これから何があっても、二人で乗り越えていきましょう」
「ええ」
私は目を閉じる。
偶然なのか必然なのか鐘の音が、どこからともなく聞こえてきた。
それは、これまでの苦難が報われるような、優しい音色で……。
花びら舞う春の日。
私たちは未来に向かって共に歩き始める。
ずっと欲しかったものが手に入った幸福を噛み締めて。
※最後までお読みくださってありがとうございます
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これからもローザとグレンの応援をよろしくお願いいたします…!!