(2)
「ふぅ、どうやら追っ手を撒くことができたみたいね」
辺境伯様の屋敷の二階から飛び降りて、全力疾走。
騎士たちは当然追いかけてきたが、何とか物陰に隠れてやり過ごすことができた。
「はぁ、はぁ、相変わらず速いっすね。荷物を抱えて、よくもまぁ」
「誰が荷物だ。無礼者……」
息を切らしているレズリーに、イカロス様は抗議する。
大声を出さないところを見ると、もう敵意はなくなっているのだろうか。
「しかし、確かにこの状況で私はお荷物のようなものか。置いていきたまえ。どのみち私はもうダメだ。あと数日で寄生虫が脳に侵食して私は死んでしまう」
「それがエルムハルト殿下に従っていた理由ですか」
やっと腑に落ちた。
おそらく殿下がイカロス様に寄生虫を仕込んで、脅迫していたのだろう
だから、彼はやむを得ず私を狙ってここまで……。
「……ああ、脅されていたのは事実だな。だが、半分は私のプライドを守るためだ。私はあなたに一泡吹かせたかった。私の頭脳が秀でていることを証明するために」
「一泡吹かせたかったですって?」
「そのとおり。結局、自分の無能さを思い知らされただけだったがね。まさか私の追跡術式をあっさりと再現して、トドメを刺されるとは」
苦笑いしながらイカロス様は自らの気持ちを吐露する。
先ほどの彼は鬼気迫るものがあった。
それは自分の命が危険に晒されているゆえかと思ったが、それだけではなかったようね。
「ローザお嬢様、寄生虫を除去できないんすか?」
「脳を侵食する寄生虫……魔法で処理できるようなものをイカロス様に使うはずがないわ。お母様なら、何とかできるかもしれないけど」
エルムハルト殿下、とんでもなく悪趣味ね。
これだけで私がいかに厄介な人物から目をつけられているのかがわかるわ。
怪我や毒の治療なら魔法で何とかできなくはないけど、寄生虫か。
こういうとき、自分の力不足を実感する。
頼みの綱は伝説の魔女と呼ばれた、私の母だけど……。
「残念だが、関所は封鎖されている。あなたが魔女イレイナ殿の前に私を連れて行くのは不可能だ」
イカロス様の言うとおり母のところに連れていくのは難しい。
そもそも、アルトメイン王国に戻れないからこんなに苦労しているのだから。
彼はもう、命を諦めているように見える。
「……わかっただろう。私を見捨てていきたまえ。万能霊薬でもなければもう治すことはできないのだ。だが、そんなものが簡単に見つかるはずがない」
「万能霊薬……? あっ! 万能霊薬ならあります!」
「な、なんだとっ!?」
私はあることを思い出して、ポンと手を叩いた。
ちょっとリスクはあるけれど、人の命がかかっている。
迷っている暇はないわね。
「別荘に“精霊樹の枝”があります。あれを煎じて飲めば、万能霊薬と同様にいかなる怪我や病も治すことができるのだとか」
「せ、精霊樹だと? 国宝級の代物だぞ。そんなものをどうしてあなたが……いや、事情はさておき、私を治すためにそんな貴重なものを使うつもりか?」
「そうですけど、嫌なのですか?」
辺境伯様からいただいた“精霊樹の枝”のことを思い出した私は、少しだけホッとしていた。
しかし、イカロス様は何やら不満そうな顔をしている。
貴重な“精霊樹の枝”を消費するのが抵抗があるのだろうか。
でも、ご自分の命がかかっているのにそんなこと言っている場合ではないような……。
「……嫌、とかそういうレベルの話ではない。私はあなたとの婚約を破棄した。その上、さっきまであなたを捕らえようとしていたのだぞ。助けようとする理屈が、私の頭脳をフル回転させてもわからない」
「はぁ……それくらいで見捨てるなら、そのほうが後味悪いです。付いてきてください。早く“精霊樹の枝”を取りに行きましょう」
あるいは、私の行為を偽善という人もいるかもしれない。
でも、助けられるのに見て見ぬふりをするのは、どうにも性に合わない。
「ローザお嬢様はお人好しっすね。でも、あたしはそんなお嬢様に仕えられて良かったっす」
「ありがとう。……別荘も多分、見張られていると思うから、注意して行きましょう」
レズリーの言葉にうなずき、私はグレンの別荘を目指そうと足を向ける。
ブルーノ殿下も別荘の場所は知っているし、“精霊樹の枝”を手に入れるためには十分に警戒しないとならない。
気を引き締めなくては……。
「私は知らないからな。そんな無茶をして、自分の命が危険に晒されても……」
「あ、もう拘束は必要ないですよね。ここからは自分の足で歩いてください」
「っ!? くっ、どこまでもあなたは……」
鎖での拘束を解除すると、イカロス様は苦虫を噛み潰したような顔をして俯いた。
……落ち込んでいるみたいだけど、彼が立ち直るのを待つ時間はない。
とにかく急ごう。
エルムハルト殿下のやり口を聞いていると、彼はもっと恐ろしい手段を講じてくるような気がするわ……。
周囲を警戒しつつ、慎重に足を進めた私たちは、何とか誰にも見つかることなく別荘が見える位置まで到達した。
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