(2)
関所封鎖の知らせを聞いた日の夕方。
私は客室でレズリーの淹れてくれた紅茶を口にしていた。
「グレン先輩を行かせて良かったんすか?」
「止めても聞かなかったのよ。他に良い案があるのか、と言われて……答えられなかったし」
グレンは一人で王都へと向かってしまった。
もちろん、私は危険だと引き留めた。
だけど、彼の意思は強く……ついには私が折れる形になったのだ。
思えば、グレンが私の言うことを聞かなかったのは初めてかもしれない。
いつも彼は私のわがままを聞いてくれたのに、自分の我を通すことがなかった。
それが主従関係だと言われると、そのとおりなのだが、少しだけ寂しい気持ちもある。
そんなあなたがわがままを言ってくれたのが、よりによって、私を守るために――。
「国王陛下のところに着いたら、すぐに話を聞いてもらえるんすかね? 普通こういうのって手続きがいるらしいっすけど」
「そうね。普通なら無理だと思うわ。陛下から話がしたいと言うなら別でしょうけど」
陛下との謁見など、本来なら上流貴族ですら軽々に行えない。
私が国王陛下のもとでお話できたのは陛下自身が招待してくださったからだ。
グレンはアルトメイン王国の伯爵家付き執事という身分。当然、貴族ですらない。
そんな彼が一人で王都に行こうと、通常なら陛下の謁見どころか、その手続きすら叶わないだろう。
だからこそ、あのときのグレンの発言にはある決意が秘められていたのである。
「グレンは陛下の望みどおり王子になるつもりよ。それなら、面倒な手続きを飛ばして国王陛下との謁見もできるはず」
「ええーっ! でも、先輩は王子になるのを嫌がっていたじゃないっすか」
「……そうね。でも、私を守るためなら……アルトメイン王国とデルタオニア王国の戦争が止められるなら、致し方ないって……彼が」
そこまで言われたら私も彼の言い分を否定できない。
私自身はともかくとして、両国間の平和を天秤にかけられると、グレンを止める言葉が見つからなくなったのだ。
本当は行ってほしくなかった。
だって、彼が王子になるということは、もう私の側にグレンは……。
「戦争を止めるためっすか。まったく先輩は格好つけるのが好きっすよね。いくらローザお嬢様に惚れてるからって」
「はぁ!? グレンが私に、ほ、惚れて……ってど、どういうこと!?」
「声が大きいっすよ。あれ? 気付いていなかったんすか? てっきりあたしはお嬢様はとっくに知ってるものかと」
そんなの知っているはずないじゃない。
グレンが私をそういう風に想ってくれているなんて考えもしなかったわ。
だって、彼は執事だし。
いや、そんなのは関係ないか。
でも、そんな素振り見せたことなんかないし……。
ちょっと待って。
レズリーの勘違いって可能性もあるわよね。
これで私まで勘違いしちゃって、彼と会ったらとんでもない恥をかくことになるんじゃないかしら。
「レズリー、やっぱり信じられないわ。確かにグレンはずっと執事として私に尽くしてくれた。でも、それはお仕事であって――」
「ただの仕事で王子の立場よりも執事のほうが良いなんて言わないっすよ」
「それはお父様を尊敬しているとか、そういう……」
「かもしれないっすね。でも、先輩はずっとローザお嬢様のことばかり気にかけているっす。それが旦那様や奥様への感情とはまったく別物なのはわかるっすよね?」
わかるっすよね、と聞かれても私はどう答えたら良いのやらわからない。
だってグレンは滅多に感情を露わにしないから……。
でも、優しいのはわかっている。
私が落ち込んでいるときは黙って話を聞いてくれるし、ほしい言葉をかけてくれる。
グレンのおかげで私の心は折れずに今日まで過ごしてこれたのだ。
「やだ、私ったら。グレンにいなくなってほしくないかもしれない」
「ローザお嬢様……?」
「ねぇ、レズリー。どうしよう。下手をしたらグレンとはこのまま離れ離れになってしまう可能性もあるのよね? でも、私は嫌なの。彼を失いたくない」
この感情が何なのか定かではない。
グレンに対する想いが、突然膨らんで……私は居ても立ってもいられなくなってきた。
あるいはこの国の第一王子として人生を進んでいったほうが彼にとっては幸せなのかもしれない。
だけど、それでもグレンが側にいないと想像するだけで胸が締め付けられるのだ。
「……お嬢様、グレン先輩を追いかけるっすか?」
「追いかける? でも、顔が割れていないグレンはともかく……私が誰にも見つからずに王都に行くのは難しいわ。だからこそ、辺境伯様のところに逃げてきたんだし」
レズリーも無理なことをいう。
ここで私が飛び出せば、今までの行動や辺境伯様の厚意が無駄になってしまう。
やっとのことで辺境まで逃げて来られたのに、王都に向かって捕まったら意味がない。
そうなったら、先に王都に向かっているグレンにも迷惑がかかるかもしれない。
「そんなことわかってるっすよ。でも、今ローザお嬢様が直面している問題は……グレン先輩がお嬢様の側から居なくなるってことでしょ」
「私が直面している問題……?」
「お嬢様にとってグレン先輩の存在がそれだけ大きいなら……仮にこのまま助かっても、先輩が居なくなったら意味がないってことっすよ」
まっすぐに真剣な表情でレズリーはゆっくりと私にそう告げる。
確かに彼女の言うとおりだ。
このまま、すべてが解決してもグレンを失ったら私は――。
「何をしておる! 勝手に入ってくるな!」
「「っ!?」」
そのとき、辺境伯様の声が響き渡る。
玄関の方向だ。
何があったのだろうか。
「ブルーノ殿下の命令だ! 辺境伯殿! あなたの屋敷を家宅捜索させてもらう! ローザ・クロスティを匿っているという情報を得たのでな!」
まさか追っ手がここまで?
どうしよう。思ったよりもずっと早い。
ここで捕まると、それこそ何もかもが終わってしまう。
「ふふふ、やっと見つけたぞ。ローザ。私の勝ちだ!」
バリンという音とともに部屋の窓ガラスが割れる。
あ、あなたはイカロス様……!!
元婚約者の一人である彼が、血走った目でこちらを睨みつけてきた。
どう見ても様子が普通じゃない。
一体、彼の身に何が起きたのだろうか……。
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