悪意の産声(ブルーノ視点)
「俺は王子なんだぞ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」
グラスに入った酒を俺は一気に煽る。
ずっと禁酒していたが、今日は飲まねばやっとれん。
なぜこの俺がここまでの恥辱を味わっているのだ?
俺は大人の対応をした。
ローザが恥ずかしがっているのだろうと、そう察したからこそ、優しくしてやったんだ。
王子であるこの俺が! 女に媚びるように。
『いえ、照れ隠しなどではありません。私に未練などありませんので、どうぞ安心してお引き取りください』
ローザは、あの女は、はっきりと俺を拒絶した。
どこの馬の骨かわからん騎士や魔法オタクと同列に、王族たるこの俺を並べたのだ。
「これは断じて嫉妬ではない! この怒りは王子である俺を蔑ろにした無礼な女に対する正当な怒りだ!」
許せん。どうしてくれよう。
そもそもこれもすべて、英雄やら伝説の魔女やら、過剰な喧伝によって等身大以上に持ち上げられているクロスティ家が悪い。
クロスティ家の一人娘。そんな看板などなければ、隣国の……たかが伯爵家の娘など相手になどしなかったんだ。
「これは国際問題だな。クロスティ家の連中の首を要求しよう。この僕の屈辱を晴らすにはそれしかない。……アルトメイン王国がそれでも英雄一家を守るというのなら」
僕は再びグラスに注いだ酒を一気に飲み干す。
「戦争だ! そう戦争しかない! デルタオニア王国の王子を蔑ろにするような国と友好条約など継続できるものか!」
そうと決まれば話は早い。
さっそく、会議を開き……クロスティ家の連中の首を要求することから始めないと。
いや、役人共はアテにならん。
常識的で、当たり障りのないことしか言わない連中だ。
争いごとを回避しようと、この俺を嗜めようとするに違いない。
「父上に直談判するか。……いや、父上は確かあの女の父親、ローウェルとかいう英雄と懇意にしていたと聞く。俺の要求など聞きはしないだろう。それならば……」
不本意ながら俺はある男のことを思い浮かべていた。
第一王子エルムハルト・デルタオニア。
俺の兄上だ。
兄上は王権に興味がないと父上に直談判し、これを放棄。
そして今は、王都の外れにある屋敷で隠居生活をしている。
兄上の王権放棄には国中の人間が驚いたものだ。
当然、俺も驚いた。そして、何よりも喜んだ。
なんせ、そのおかげで次の国王はこの俺にほとんど決定したようなものだからな。
万が一、兄上が王権を放棄したことを撤回でもしない限り……。
「……だが、俺は知っているぞ。兄上が王権放棄した本当の理由を」
とにかく、兄上ならばあのローザを。
いけ好かないクロスティ家ごと消し飛ばす策に乗ってくれるはず。
俺はさっそく、エルムハルトが住んでいる王都外れの屋敷へと向かった。
◆
「やぁ、ブルーノじゃないか。よく来たね。……何もないところだが、ゆっくりくつろいでくれ」
エルムハルトは長い金髪を無造作に伸ばしており、おおよそ王族には見えない簡素な服装で俺を出迎えた。
穏やかな物腰。誰にでも分け隔てなく、気さくに語りかけるような口調。
第一王子として公務に出ていた頃は、国民から人気があった。
この俺ですら、次期国王の座を諦めるほどに。
だが、それはこの男の一部分にすぎない。
「俺には本性を出してもいいじゃないか。兄上がずっと猫をかぶっているのは知っている」
「猫をかぶる? さて、何のことやら。せっかく弟が俺に会いにきてくれたんだ。もてなすくらいさせてくれよ」
「そういう兄弟仲良くみたいなノリはいらないんだ。……俺は性根の腐った兄上に用があってきたんだからさ。悪意の塊という本性がバレて、王権を放棄させられた、本当のあなたにな」
「へぇ……」
王権に興味がないから放棄した。
これは、国王陛下……つまり父上が発表した表向きの理由である。
俺も最初はそれを信じた。
兄上の本性を知らずに生きていたから。
国民たちも、意外には感じただろうが疑いはしなかっただろう。
それだけ、この男は隠すのが上手かったのだ。
自らの悪行を隠すのが……。
「北方地区と南西地区の内戦、北のリジアルナ皇国との七十日戦争。二、三年前にこの国で起きた大きな争乱だ。そして、そのすべてを引き起こした影の首謀者こそ……兄上、あなたなんだろ?」
「…………」
「言っておくが、これは父上……いや陛下の側近から直接聞いた話だ。ちゃんと裏を取っている」
エルムハルトはとんでもない男だった。
稀代の戦争屋。
争いの火種を起こすことに快楽を覚え、そのスリルを味わうためなら何の犠牲も厭わない。
国のトップに決しておいてはならぬ人間。
それが我が兄……エルムハルト・デルタオニアである。
「ふうん。父上の側近にも随分と口が軽い者がいたんだね。しかし、ブルーノ。それを聞いて、わざわざ俺に会いに来るとは意外だな」
「理由があるんだ。でないと、こんなところに来るわけがない」
「あはは、理由はあるに決まっているよね。じゃあ、当ててみようか? 例えば、うーん。ローザ・クロスティ。君が婚約したという娘さんにでも激しくプライドを傷付けられた……とか?」
「ぐっ……」
その問いかけは疑問形であったが、確信しているという感じだった。
恐ろしく勘が良いのか? いや、そうじゃない。
エルムハルトは隠居してもなお、外からの情報を得ているのだ。
俺の動向も、どこかで聞いているから、ここまで言い当てることができたに違いない。
「どうやら当たっているようだね。君は剣も魔法もその腕は超一流。王国始まって以来の天才などと持ち上げられ、自己肯定感も高かった。敗北感を味わったのは、さぞ辛かっただろう。可哀想に……同情するよ」
「同情などいらん。辛くなんかない。プライドが傷付いたのは事実だが、別に……」
「いいや、辛いはずだよ。今、まさに嫉妬や屈辱で人を破滅させたいと願う自分を直視しているんだ。……これまで君が軽蔑していた卑怯で卑屈な連中のような醜い一面が、自分にもあったのだと知るのは堪えるだろ? 王道を歩んでいた君には耐えがたい事実のはずだ」
心底、哀れむようにエルムハルトは俺の顔を覗き込む。
まるで、俺の心の奥底に眠っている邪な感情を呼び覚ますように。
違う。俺は卑小な凡庸とは違う。
王子という立場を軽んじられた正当な報いを――。
「認めてしまえば楽になるよ、ブルーノ。俺は君が卑屈で卑怯な男で嬉しい。君のような人間が未来の国王なってくれるなら、俺は俺のやりたいことができそうだ」
「言わせておけば! もういい! お前にはもう何も頼まん!」
「……そう連れないことを言わないでくれ。お兄ちゃんが可哀想な君に手を貸してやろうと乗り気になっているんだ。君が屈辱を受けた元凶、クロスティ家の連中を破滅させてほしいんだろ?」
その表情は俺のよく知る兄上の顔だった。
穏やかで、優しく、気さくな……昔からよく知る兄上の……。
だが、その言葉は邪悪そのもの。
俺の心の中にある破壊衝動を掻き立てるような、甘美で魅惑的な……。
「手を貸してくれるのか?」
「もちろんだよ。君は俺の可愛くて可哀想な弟だからね」
満面の笑みを見せて、エルムハルトは頷いた。
このような悪魔の手を借りるようになるまで堕ちるとは。
お前のせいだぞ、ローザ・クロスティ。
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