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レイモンド・ラントルベン男爵の物語  作者: シャッテン
夏の始まりとレモン畑の異変
2/4

領内の異変と最初の一歩

~~~~~



 旅の最後、レモン男爵は馬車の車窓越しに、領内の風景を眺めていた。


青々と広がる果樹の畑では、すでに蕾が膨らみ、春の実りの気配が漂っている。

だが、どこか活気が乏しく見えるのは、男爵の胸にのしかかる憂いのせいかもしれなかった。


その合間に点在する木箱の群れ――それは、養蜂用の巣箱だ。

「……戻ってきたな。だが……」

男爵は、ふと小さくつぶやいた。


 ラントルベン男爵領では、果樹の受粉を助けるためにミツバチを飼い、同時に蜜も採るやり方が定着している。

蜂蜜は香りがよく、果実とともにこの地の誇りとなっていた。


 このやり方が広まったのは、数年前に訪れた“花の魔法使い”グラ・ノーラのおかげだ。

当時、果樹は実つきを悪くしており、先行きに不安があった。


 彼女が試した《アンバー・ザ・ローズ》という魔法は、蜂を引き寄せる花を咲かせるもので、その花に誘われた蜂が受粉を促し、果樹は次第に息を吹き返していった。


それ以来、果実と蜜の生産は安定し、領地は回復の兆しを見せていた。


だが今、問題となっているのは、その蜂ではない。


 どこからか現れた異常に大きな外来のスズメバチ――

この侵入者こそが、既存のミツバチを襲い、巣を壊し、蜜源を荒らしはじめている。

 ただの人間への脅威に留まらず、蜜の生産体系すら揺るがしかねない。

馬車が丘を越え、領都ラントルベンの尖塔が見えたとき、男爵は気を引き締めた。

まずは領内の状況把握。そして、現場であるリットサヘ村へ向かう必要がある。


「戻るのが遅くなって済まない、明朝、リットサヘ村にて対策会議を開く。各村の使者を集めてください」

馬車を降りたその足で、男爵は執事へと命じた。

すでに心は、次の一手へと動き出していた。



 そして、その翌朝。レモン男爵はリットサヘ村へと向かった。

この村は、断崖と海が近く、レモン畑が広がる穏やかな土地だ。

しかし今、果実の香りを風に乗せながら、どこか緊張が張り詰めている。

原因はただ一つ――あの蜂たちの存在だった。


レイモンドが村の集会所へ向かうと


「ようこそ、男爵様」

出迎えたのはリットサヘ村の村長ルスランと猟師フローリオだった。

「レモンの香りが奴らを呼んでる気がしてなりません」

フローリオは歯を見せずに笑った。皮肉交じりのそれは、領民たちの不安を代弁している。



 彼らに案内され向かった集会場の一室には、急遽召集された者たちが集い、

“対策本部”の名のもとに、活発に議論を交わし始めていた――。


会議には、各村から選りすぐりの猟師、薬師、魔術師、果樹職人、学者など十数名が出席していた。


扉が開き、レモン男爵が姿を現すと、その場に自然と静けさが訪れた。

顔を上げた者たちからは、安堵と尊敬の入り混じった視線が送られる。

緊張の中にあっても、男爵の到着は空気をほぐす。彼が信頼されている証だった。


「ようこそお戻りを、男爵様」

「お疲れでしょうに……お越しいただき、感謝いたします」

柔らかく、しかし温かみのある言葉がいくつも男爵へと向けられた。

畏まった敬語というより、困難な時に頼れる者が来たという、素朴な喜びと敬意が滲む挨拶だった。


男爵は小さく会釈し、いつもの落ち着いた声で応じた。

「遅くなって済まない。話を中断させてしまったようだな。――続けてくれたまえ」


その一言に、場の雰囲気が再び引き締まる。男爵が部屋の中央の椅子へと腰を下ろすと、

皆が再び資料や記録に視線を戻し、話し合いが本格的に再開された。


男爵は中央に座り、改めて被害状況を確認した。

「現在、被害はリットサヘ村に留まっている。だが、既存のミツバチたちへの襲撃が確認されており、蜂蜜の採取にも深刻な影響が出る可能性がある」

 これは自然災害と捉えるべきか、それとも生態の異常として扱うべきか――議論はそこまで及んでいた。


「通常のスズメバチとは異なる動きがある。音にはあまり反応せず、嗅覚と視覚に鋭敏だ。特に、若いレモンの香気と特定の花蜜成分に反応する傾向が強いと見られる」

 植物学者の女性が説明する。

「逆に言えば、それを“罠”に転用できるかもしれません」

「網と低温魔法での捕獲は?」

「羽ばたきの強さが通常の3倍、魔法の冷気では動きが鈍っても飛行は止まらない可能性が」

「一度に襲撃されたら、魔術師一人じゃ足りねぇぞ」

 議論は紛糾する。

 誰もが脅威の本質を測りかねていた。

男爵は、会議の終盤でこう言い切った。

「見えぬ敵に怯えているだけでは、何も始まらぬ。まずは、姿を捉えよ。巣を特定し、蜂の反応条件を洗い出し、被害拡大を抑えること。誰かを責める会議ではなく、今ある力でこの地を守る道を選ぼう」

 静まり返った部屋に、幾人かが小さく頷いた。

 会議の末、まずは偵察隊を送り込み、崖の巣を調査することが決まった。

このとき、誰もがまだ“軽くはないが、想定の範囲内だ”と捉えていた――。




~~~~~




偵察は四日後、風の穏やかな晴天の日を選んで実施された。

陽光はやわらかく、遠くでは草を刈る音も聞こえてくるほど、平和に思える朝だった。

だが、村の裏手に広がる森に向かう四人の背中は、緊張に引き締まっていた。


選ばれたのは、各村でも屈指の腕を持つ猟師ふたり、

風の流れと蜂の飛翔音に敏感な魔術師に、植物と香気反応に通じた薬師。


いずれも対策本部が熟考を重ねて選んだ面々だった。


彼らは音を立てぬよう慎重に歩を進め、低く茂った草をかき分けて森へと踏み入った。


――だが、蜂の縄張り意識は、異常だった。


先行していた猟師が、立ち止まった次の瞬間。


茂みの影から、黄色と黒の閃光が風を裂いて飛び出した。

目にも止まらぬ速度。まるで、敵意そのものが形を持ったかのようだった。


「来るぞ!」


猟師が叫んだ直後、大柄なもう一人が肩を抑えて崩れ落ちた。

肉を貫いた針は、衣服ごと毒で焦がし、皮膚を焼いていた。

薬師が素早く解毒と止血を施すも、毒の回りは早く、動ける状態ではなくなっていた。


魔術師は反射的に冷却魔法を放ち、蜂の関節の動きを鈍らせようとした。

だが、効果は薄く、蜂はほとんど怯むことなく二の矢三の矢と襲いかかってくる。

薬師が用意していた煙玉も、芳香系の精油を混ぜたものであったが、蜂たちは一瞬たじろいだのみで、再び標的を追い始めた。


「撤退だ!」


魔術師が判断し、隊は負傷者を抱えたまま後退を始めた。


だがその最中、地形と植物の配置を観察していた薬師だけは、ある異変に気づいていた。

断崖沿いの奥まった地形の影に、不自然に風が遮られる空間が複数あったのだ。



戻った彼らはすぐに、対策本部が置かれたリットサヘ村の集会所で報告を行った。


男爵はすでに現地に滞在しており、傷を負った猟師に頭を下げ、丁寧に礼を述べた後、報告に耳を傾けた。


「巣の位置は……?」


薬師が前に出て言う。

「断崖沿いの窪地に、複数……おそらく三箇所以上の蜂の巣があると思われます。これは分巣の可能性があります」


「分巣……」

男爵の眉がわずかに動く


分巣とは、本来の巣とは別に、新たな巣を作る蜂の行動だ。

その動きが早期に始まっていたとすれば、想定よりも数倍の個体数に膨れ上がっている可能性がある。


「これは、想定以上に大量の群れがいるかもしれんな……」


男爵はそっと目を伏せ、地図に手を置いた。

果樹園の点在する各村と、巣が疑われる森の地点とを線で結びながら、静かに思案を深める。


ラントルベン男爵領は、果実の豊かな土地として知られていた。

リンゴ、ブドウ、レモン――果実そのものを交易に出すだけでなく、ジャムやワイン、乾燥果実などへ加工して出荷することで、村々は生活を営んできた。

蜜は、その過程で得られる副産物として、貴重な甘味料となり、領の評判にも一役買ってきた。


だが今、その循環が断たれようとしている。


「このままでは、受粉用のミツバチが壊滅するのも時間の問題だ」

男爵の声は低く、静かだったが、対策本部にいた誰もが、その言葉の重さを感じ取っていた。


果実が実らなくなれば、収穫も交易も立ち行かない。

生活は荒れ、村の灯りが一つ、また一つと消えていく。

それだけは、何としても避けねばならない――。


男爵の眼差しには、静かだが確かな、決意の火がともっていた。




~~~~~




その夜、集会所の戸をそっと開けたのは、一人の少年だった。

年の頃は十を少し過ぎたくらい。

猟師の息子で、日頃から森や果樹園をよく観察しているという。

「……あの蜂は、うちの裏に植えてたミントを避けてた気がするんです」

緊張で声はこわばっていたが、少年の瞳はまっすぐだった。

「それに、去年おばあちゃんが焚いてたハーブの煙があると、さらに虫が寄らなくなったって……。もし、その煙を使えば、蜂も避けるかもって……」


 男爵はその場で膝をつき、少年と視線を合わせた。

「君の観察は村を救う知恵かもしれない!」

 


男爵はすぐに動いた。

対策会議に参加していた植物学を学ぶ若き学者と、薬草に詳しい薬師を呼び寄せる。

少年の話を伝えると、ふたりは目を見交わし、小さく頷いた。

「蜂の嗅覚に刺激を与え、行動を鈍らせる……。理屈としては、ありえます」

「たしかに、ミントやユーカリには防虫効果があります。特定の組み合わせで調合して燃やすことで香気が広がれば、あの蜂たちの飛行範囲を狭められるかもしれません」

 男爵は手を組み、深く息を吐いた。

「……やってみよう。火の管理には気をつけてくれ。風向きと煙の流れ、村に害を及ぼさぬように」

その言葉を皮切りに、対策本部は即座に動いた。

 ミント、ユーカリ、ラベンダー、タイム――香りの強い植物が村中から集められた。

薬師はそれらを束にし、ハーブを安全に燻し続けるための「香煙台」を設計し、各所に設置していった。

鍛冶師は、風向きを考慮して煙の流れを制御するための風除け板を設置。

農夫たちは果樹園の端に香草を植える準備に取り掛かった。



数日後、村に淡い香りが立ちこめる。


煙は白く細く立ちのぼり、潮風とともに村を緩やかに包んでいった。


「まるで……香りで村を守る結界のようだ」

誰かがそう呟いた。


実際、効果はあった。

飛来する蜂の数は明らかに減り、特定の範囲から先に踏み込むことが少なくなった。

捕獲した個体の動きも鈍く、攻撃的な挙動が弱まる兆候があった。

もちろん、完璧ではなかった。

蜂は嗅覚だけでなく視覚にも反応するため、動きの激しい作業員や家畜は依然として危険にさらされていた。

しかし、「全滅」や「壊滅的被害」だけは回避できた。

ゆらぐ香煙に包まれた夕暮れの村を歩きながら、男爵は思った。

(この土地は……この人々は、本当に強い)


その様子に、男爵は小さく息を吐く。

(完璧な勝利ではないが、これは“時間”だ。持ち堪えるための貴重な猶予……)


集会所の外。精油の香りがほのかに漂うなかで、男爵は少年に声をかけた。

「君の知恵が、村を守っている。……ありがとう」

少年は頬を赤くしながらも、誇らしげにうなずいた。




~~~~~




蜂の姿が消えたわけではなかった。

 香煙による防衛線は確かに効果を上げていたが、村には常に、目に見えぬ緊張が漂っていた。

レモン男爵は、昼は対策本部、夜は簡素な宿舎で横になり、薄い眠りを刻んだ。


そんな中、彼はふと、あることを思い出した。


──そういえば、領民募集の計画があった。

かねてより、果実栽培にとどまらぬ新たな産業を育て、領地を活性化する必要を感じていた。

だが、収穫や交易、各村の調整業務に追われ、その計画は後回しになっていた。


「……こんな形で思い出すとはな」

自嘲気味に呟くと、手元にあった草稿を取り出した。


元々は温和な誘いだった。危機を煽らず、地の美しさと人々の穏やかさを語る文章。

だが、それを今このタイミングで広めるには、慎重にならねばならなかった。


“蜂の被害で人手が足りていない”──そんな噂が立てば、隙を狙っている近隣の貴族たちが、すぐに皮肉や牽制の言葉を投げかけてくるだろう。 


特に近隣領主との微妙な均衡を保つには、「弱みを見せない」ことが絶対条件だった。

(門を開くのはいい。だが、開け放ってはいけない。そよ風だけを通す程度に──)


男爵は筆をとり、文章を丁寧に整えた。



________________________________________

   領民募集

当領地は、更なる発展を志し、

新たな住民を募っております。

種族・身分を問わず、領に興味あるすべての者たちへ。

農夫、鍛冶師、商人、旅人、学び舎を求める学者、

そして友好と交わりを望む諸侯までも、歓迎いたします。

   領地の特色

・各村にて果実が豊かに実り、恵み多き土地

・穏やかな気候と、心あたたかき人々が暮らす地域

・東沿岸半島に位置し、海風と共に静謐な時が流れる場所


「貴殿の力、知恵、技術を我が地にて役立ててほしい。

門戸はすべての者に開かれている!」

________________________________________



 男爵はこのポスターを、こんな状況の村にでも来てくれている親交のある行商人たちに託した。


「多くを求めてはおらぬ。ただ、読んで、誰かの心に触れてくれればそれで良い」

 そう穏やかに言うと、商人たちはうなずき、王都へ、街道沿いの村へ、学院の片隅へと、風のようにポスターを届けていった。

初めのうちは反応はなかった。

 だが6月に入る頃、ちらほらと旅人が領地を訪れるようになった。


一人は、食堂を探してやってきた料理人。

一人は、古書を抱えた若い薬師の卵。

また一人は、剣を佩いた旅の護衛士。


訪れた者たちは、皆、似たような言葉を口にした。

「ポスターの言葉が、なぜか懐かしかったんです」

「疲れていた心に、あの文が染みました」

「……ただ、蜂の話を聞いて、やはり少し怖くなってしまって」


去っていく者もいた。

だが、全員ではなかった。

「ここには静かさがある。それだけで、十分生きていける気がします」

「村の人たちが、声をかけてくれるのが嬉しくて……」

定住を決意した者も、確かに存在した。


男爵はその都度、自ら出迎えた。

男爵に手を差し伸べられて驚く者もいたが、その後の微笑みに安堵の色を見せた。


こうして蜂問題には大きな進展がないまま、時は進んでいった。


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