仲間
午後の間はずっとジョンソンに天体について教わっていた。
「夜中の東の空にあるのがデオキウス座。十六個の星から成る大地の神デオキウスを象った星座で……」
「デオキウス…16…大地の神…」
薄暗い部屋の中、ランプの灯りで照らしながら教わったことを貰った資料に書き記していく。
「…こんな感じですかね?」
そして杖を振る。たちまち空中にさっき教わった星座の星々が現れる。暗い部屋の中で白く光る球体が浮いていた。
「うーん、右下の星はもう少し明るく…ここにもう二個星が…うんうん、いい感じ」
言われた通りに直すと、確かに資料で見たものとより似通った気がする。
「うん、これで夜中の星座は全部教えたね。じゃあ、夜空を背景に一斉に教えた星座を出してみようか」
杖を振りながら頭に星空を思い描く。次にへび座。兎座。なんか神様が三人とナントカって言う龍が一匹。そしてさっきのデオキウス座。ドーム型に展開された夜空に教わった星が白く光っている。
ジョンソンのダメ出しを受けて修正するとそれっぽい夜空が出来上がる……正直ダメ出しを受ける前と後であんまり変わらない気がするが。恐らく興味ない人には分からない、天文学者的に気になるところがあったのだろう。
「あ、星一つ消えたよ」
「えっ、どこですか!?」
無いところに幻を作り出すということは“イメージ”が完璧でなければいけない。だから私の意識から外れるとその幻も消えてしまう。無数の星が広範囲に瞬く夜空はいつも見ているが故イメージが曖昧だった。ぶっちゃけ1ミリも興味ない星座なんて知ったこっちゃない。
星多すぎと嘆けども正確な星空は出来ないので指摘を受けながら繰り返し練習することにする。杖の一振りで満天の星空を出せるようになるまで。
「フィオ、調子はどうですか?」
「わ!?」
振り返るといつの間にか僕の真後ろになぜかにこにこ笑顔のルナが立っていた。ずっと天使たちと一緒に居たらしく、数時間振りに見た彼はご機嫌そうだ。
「あんまり上達が見込めないというか…」
「マリ様がみんなで夕食を食べに行こうと仰ってました。気分転換にどうでしょうか」
こうして僕はわいわい騒ぐ魔法使いと天使らの後をつけてレストランへと夕食を食べに行った。十人という大人数で移動するなんて初めてだったので皆んなの一番後ろにちょこんと存在していた。すっかり天使らの中に馴染んだルナを後ろから遠目で見つめるだけであった。
そうして夕飯を食べ終わった今、眠くなってきた体を夜風にさらしながら、日が暮れて辺りが薄暗くなってきた繁華街を散策している。
……そう、“天使”もちゃっかり全員連れて。
「リオさん、天使たちも連れてくるんですね。でも五人もいる割には周りの目線が痛くない……」
帰りは少しばかり仲良くなったリオンの隣を歩いていた。すれ違う人々はたまにちらっとこちらを見るだけですぐに目線を戻しているし、ほとんどの人はこちらを見ないのに気づく。僕がお屋敷周辺の街を歩いている時は何度二度見されたことか。
「は、はい…何度もここに連れてくる内に周りの人も天使に見慣れたみたい。国立研究所近いし、裕福層の人たちも多いから珍しいものに見慣れてるのかな?この辺で時々ドラゴン散歩させてる人いるし、きんぴかの服とか、実験器具が入ってる怪しい箱を持ち歩いてるとか…」
「ドラゴンの散歩!?ドラゴンなんて人生で二回しか見たことないですが…3メートルぐらいあるけど飼えるんですかねアレ」
「分かんないけど、ゴールデンぐらいの大きさだった。お祭りで買った亀みたいに、後々デカくなっていくんじゃないかな……」
「えぇ……」
繁華街は薄暗い空の下に灯る街灯により照らし出されていた。左右に並ぶ店は飲食店から雑貨屋、服屋などがずらりと並んでいる。夕飯時の今の飲食店はどこもかしこも多くの人で賑わっていた。
そしてその賑わいの中に、僕ら人間らに先立って天使らが楽しそうにあれこれ喋りながら歩いていた。
「ねぇルナ。あそこの店、良い。前に行った。おいしかった」
「え?それいつの話?」
「リリーをどんだけ起こしても起きなかった時なんだけど」
「リリーちゃんあの時ぐっすりだったよねぇ。確か私とお留守番してたのよね」
「その時の!?美味しそうな店だししかもロゼッタとアメリアとリオン様の三人だけのデートなんでしょ?ずるい!私もリオン様とデートしたい〜」
「ルナ、中華料理、好き?小籠包食べる?杏仁豆腐、ぷるぷる、美味しかった」
「あんにん……?しょう……?」
「ロゼッタ、歩くの疲れた。ルナ、おんぶ」
「え、あ、どうぞ」
「髪の毛邪魔。やっぱり抱っこ」
十歳の子供と成人男性ぐらいの体格差があるので、ルナがロゼッタを抱えると彼女の可愛さも相まってまるで人形を抱えているように見える。
それを僕とリオンは談笑をしながら遠目で眺めていた。
「うちのロゼッタがごめんね、ルナに懐いちゃったみたいで。迷惑だったら止めるから」
「いえ、ルナも嬉しそうですし。仲間といる方が楽しそう」
彼は僕と一緒にいる時より笑ってる気がする。話し下手で人間の僕よりもきっと同種族で会話の飛び交う天使らの中に居た方が楽しいに決まってる。
「養殖天使は皆んな同じDNAから作られてるから。根底の性格が同じと言うか、内乱が起こらないよう自然と仲良くなるように調整されてて…」
「リオンさん、詳しいですね」
「あ、うん。あの研究所で天使のことを主に調べてるから……大きな声で言えないけど」
小声で付け足した最後の言葉に僕は首を傾げる。
「大きな声で言えない……とは?」
その問いにより一層リオンの声が小さくなる。
「天使養殖は、とある組織が秘密裏に行ってるの。天使には養殖場にいた頃の記憶がないからその実態は分からない。多分、天使の実態はこの世界の秘密の一つ。だから無闇に調べない方がいいんだけど……」
僕らの前を歩く天使らに目をやる。皆んな白い羽を背負いながら楽しそうに戯れている。それをリオンは微笑みながら眺めている。
「私は天使のことが好きだから、天使の全部を知りたい」
例え世界の秘密に触れようとも。
「フィオは?」
彼女の語りを聞いていたところ急に話を振られて頭が真っ白になる。
「えーっと?」
「フィオは好きなこと、ないの?」
ちらとこちらを横目で見てくる。
僕の好きな事。僕はなにしてたっけと記憶を掘り起こす。
「読書と…裁縫ですかね」
「そっか。良いよね、本。一人で読めるし」
うん、良いよね、と返事をしながら前に向き直る。かわいいお洋服集めという言葉を飲み込んだ。
が、しかしその努力に無慈悲にもルナがこちらに声をかける。
「フィオ!フィオの好きそうなお店ありましたよ!」
指さされた方を見ると、そこにはレトロなお店が立っていた。そのショーウィンドウにはレースの沢山ついたグリーンのワンピースが飾られている。
「な!?かわいいお洋服!?」
思わずショーウィンドウに駆け寄る。このワンピースの素材…!大人っぽい彩度の低い緑とや柔らかなフリル、それにふんだんにレースを使ってやがる!好き!
「そこ、ロゼッタの服買ってもらった店。ルナが着てる服と似てる」
僕の後ろからロゼッタがちょこちょこ歩いてくる。白い肌と髪。血のように赤い目。改めて近くで見た彼女の姿はまさに人形のよう。そんな彼女が着てたのは真紅のワンピースだった。クラシカルな雰囲気のそれは裾や袖にレースがあしらわれていたり背中にリボンが付いていたりして、まさに!僕の!好み!
リオンとルナもこちらに集まってくる。
「そういえばルナくんの服はフィオが選んだの?ーーもしかして、フィオの好み?」
「…………うん。僕の、好み」
一瞬躊躇った言葉を口にする。あまり他人に受け入れられる趣味でもなかったから。
「へぇ。良いね、かわいい」
当たり障りのない返事にほっとしたのも束の間。
「うわぁぁぁぁぁ!?」
遠くからこちらに近づいてくる悲鳴が夜の繁華街に響く。皆んな一斉に声がする方に振り向く。僕らの周りにいる人たちも何が起こっているのだろうとざわめき出したが、やがて“何か”を見た人々が声がした方から逃げてくると、それに釣られて通りにいた人々も逃げ出した。
「皆んな!一旦空へ!」
ジョンソンの掛け声と共に各々箒を呼び出して天使を一匹ずつ乗せてから空に逃げる。横を見るとベイルがロゼッタを、ジョンソンがリリーを抱えて箒なしで空を飛んでいて思わず二度見した。
「えっ、ジョンソンさんとベイルさん箒使わないんですか!?」
「ああ……だってその方がかっこいいだろう?」
「だから二人で練習したんだ。今度フィオも…」
箒なしで空を飛ぶこと(凄いことなのだが)を自慢してくる二人に戸惑ってると、マリさんがあいつら意外と男子なのよ、男子ってバカだよねぇと言う。
下では逃げ惑う人々と共に何か重い足音が聞こえてきた。
「ドラゴン、来る」
リオンにしがみついたロゼッタがそう呟いた数秒後、猛スピードで町を暴走するドラゴンと悲鳴をあげる人々がこちらに向かってくる。人の背丈を少し越えるぐらいの大きさで太くて鋭い爪と丸太のような尻尾、棘のついた大きな翼を荒立て振り回していた。
「あの子ドラちゃんじゃない?」
ジョンソンにしがみつくヴァイオレットが身を乗り出す。
「もしかしてだけど、最近見かけなかった飼われてるドラゴン……」
皆んなええー!?あれが!?と悲鳴に近い叫び声を上げる。多分あれがさっきリオンが言っていた“この辺で散歩していたドラゴン”なのだろう。とは言え大型犬サイズと言われていたが思っていた三倍ぐらいデカくなっているように見える。
「なんで急にあんなに大きくなったんだ……?リオン分かる?」
「うーん、脱皮…かな?生き物は大体脱皮とか換毛期の時に気性が荒くなるから…」
「脱皮であれだけデカく???」
「とにかく、ドラゴンの暴走を止めよう。イル君の催眠魔法なら止められるかな?」
「止められると思うけど…魔法を掛ける隙がほしい」
「それじゃあ私とジョンがこの先の広場に追い込むから、三人は隙を作って魔法をかけて」
「うん。よろしくね」
マリさんとジョンソン、僕とベイルとリオンの二手に分かれる。こちらは先頭を行くベイルの後ろを追いかけて広場とやらを目指す。
「必要なものがあるから、二人は先に行ってて」
そう言ってリオンが離れようとするのを×が留める。
「リオンはなんか作戦でもあるのか?」
「魔法で炎を見せてびっくりさせる。生き物は本能的に火を嫌うから」
広場に降り立つ。白い石畳が引かれた円形の広場。周りには出店が立っている。噴水の周りにたむろする若者らがいるのだが、騒ぎのせいでどよめきが広がっている。
「人が多いな……フィオ、いざとなったらドラゴンを倒すぞ」
「あ、うん。そうならないといいけど……」
リオンの事を考えたらあまりドラゴンを傷つけたくないが周りの人間に危害を加えたなら話は別だ。いざとなったら僕も立ち向かわなければ。
拳を握る僕を横目にロゼッタがリオンを見上げる。
「リオン、好きにやっていい。リオンのことはロゼッタとアメリアが守るから」
「わたしも、リオン様にとことん付き合うよ。穏便に済ます方法考えな。……お前もちゃんとご主人様のこと、守ってやりな」
そう言われたルナが息を呑む。
十数分後、人々の悲鳴と共に聞こえてくる重い足音。やがて巨体が見えてきた。黄金色の双眸で正面だけを見つめて爆走するドラゴンがこちらに向かってくる。
リオンが正面に杖を構えて立った。
「驚かしちゃってごめんねっ!」
呪文を唱えると空に向けて赤々とした炎が空に発射される。薄暗い空に目が痛いほどの赤い光。突然現れたそれに僕らも思わず目を背ける。
ドラゴンは一瞬足を止めた…が、近く佇む人間の存在に気づいたのかじっと睨むとリオンめがけて突進してきた。
彼女は箒に乗って空に逃げる。空に逃げて仕舞えばこちらのものだ。体制を立て直してもう一度魔法を使おうと杖を構える。
ドラゴンは首を伸ばして大口を開けながら地面を蹴って跳んだ。そして、翼を広げて羽ばたいた。
「ドラちゃん飛ぶの!?」
その巨大がふわりと浮き上がる。翼が付いていたが飛べるとは一言も聞いていないし、見たこともない。広場の周りから悲鳴が聞こえてくる。空に逃げたリオンに再び襲いかかる。
「リオン様っ!?イルお前助けに行ってこい!」
「言われなくても!」
アメリアに急かされたベイルが空に舞う。ドラゴンの背後から光線を放つが、どうしても動いている物体に当てるのは難しい。
一人だけ地上に残された人間のフィオにロゼッタが叫ぶ。
「リオン様を助けにフィオも行け」
「ぼ、僕!?攻撃魔法そんなに出来ないし……」
「はぁ…これだから地方の田舎住み魔法使いは」
ため息をつくアメリアにむっとする。
「僕のご主人様のお屋敷がある場所は十分都会なんですけどね!」
「フィオ、ロゼッタを箒に乗せて。早く」
「なんで…」
「ロゼッタがリオンを助ける。早く」
真っ直ぐな瞳で見つめられたらもうこちらが折れるしかない。彼女を前に乗せて箒で空に浮く。少し遠くで逃げるリオンと追いかけるドラゴン、またそれを攻撃しようと追うベイルが縦横無尽に飛び回っている。かなり上手い箒捌きで逃げ回っている為あの輪の中には入れそうにない。
「フィオ、ドラゴンを追って」
「箒の運転がだいぶ難しいんだけど…」
「リオン様が出来るならフィオも出来る。がんばれ田舎者」
「……あなたたち、ご主人様の事になると態度変わるよねっ!」
急加速してドラゴンに近づく。ベイルの攻撃に巻き込まれないように、リオンの進行方向を塞がないように一定の距離を保ちながらも少しばかり詰める。
「フィオ!ロゼッタ!」
ベイルが私たちの存在に気づく。
「お前、魔法下手。ロゼッタに場所譲れ……仕留める」
ロゼッタが勝手に箒を操作すると彼の目の前で場所を陣取る。
「ロゼッタ!まさかお前、“魔法”を……」
その声に後ろに目をやる。
「リオン様を、助けないと」
知らない、でも何処か既知感を覚える言語で呪文を唱える。空中に光が現れる。それは魔法と言う奇跡と言い難いような、血が混ざったようなどす黒い黒。
「天式魔法術『憎濫』。」
まるでブラックホールから吐き出されたような、黒い光から矢が連射される。
リオン様を傷つける奴は許さない。
縦横無尽に空を舞うドラゴンを確実に追跡し、追いついた所で硬い鱗をも突き抜けて肉体に突き刺さる。地のそこから響くような悲鳴の咆哮が夜空の黒を一層不気味にさせる。
それを聞いてリオンがこちらに振り向いた。もがくドラゴンに黒い矢が刺さり血が湧き出てくるのを目にして顔を顰める。
「ロゼッタ!もしかして魔法使ったよね…!」
「イルが使えないから。こいつの魔法当たらな……」
「貴方の魔法は痛いの!使わないで!」
のほほんとしていた彼女とは違う、滅多に聞かない強い言葉にロゼッタの魔法が止まる。伸ばしていた手を下ろして、ぎゅっと箒を掴む。
「……ごめんなさい」
俯いた彼女から消え入りそうな声が届く。
刹那、リオンの悲鳴。
顔を上げるとロゼッタの攻撃で更に暴れ狂うドラゴンが隙を見せた彼女を尻尾で薙ぎ払った。
「リオン様っ!」
上空から地面に向かって叩きつけられそうになって……
「リオンちゃんスライディングキャッーチ!」
どこからともなく現れたマリさんがリオンを全身で受け止める。同じくリオンを受け止めようとしたが間に合わなかったアメリアが二人に駆け寄る。
「リオン様!マリも大丈夫か!?」
「わ、私は大丈夫……」
「危なかったね〜。間に合ってよかった。で、そっちの様子はどう?」
裾についた砂埃を払いながら立ち上がる。
「ドラちゃんがなんか空飛んで追っかけ回されてて……正直隙なんてないんだけど……そっちは?」
「ジョンソン達が今飼い主探してる。手が空いてる人いればこっちに来て欲しいんだけど……ルナとかロゼッタとか、どう?」
そう言われてリオンは辺りを見回す。手が空いてそうなのはアメリアと魔法を使ってほしくないロゼッタの天使組。ドラゴンが空を飛んでいる限り飛べない彼女らはなす術がない。
「そしたらロゼッタとアメリアあげる。ルナくんは……嫌か。ロゼッタ、こっちおいで。マリのところに行っておいで」
僕は俯いたままのロゼッタを地面に降ろす。行ってくる、とリオンの顔さえ見ずに素通りしてマリさんの箒に座る。アメリアがそれに続く。
「リオン様、お気をつけて」
「そっちはよろしく頼んだよ!じゃあ!」
二人を乗せて家々の間をすり抜けて街並みの遠くに消えていった。
「ロゼッタ……」
リオンの呟きが耳に届く。三人が消えていった空をまだ見つめている。
「さっきのは、魔法なんですか?」
「あ、うん。魔法。天使って先天的に魔力を持ってて……」
「フィオ、リオン様、」
寄ってきたルナの声ではっと顔を上げる。
「ベイル様が困っていて……」
と、指さされた空を見ると一人でドラゴンから逃げ回っているベイルがいる。箒がない分小回りが効くようでちょこまかと逃げ回っている。
「ねえそこの二人!突っ立ってないで助けて欲しいんだけど!」
「助けてって言われたって……どうすればあれ以上傷つけずに済むかな……フィオ、なんかいい魔法ない?」
「あるにはあるんだけど……」
さっきまで皆んなの奮闘をただ眺めていただけじゃない。ずっと自分ができることを考えていた。が、あまりそれをするのは乗り気ではない。
「ちょっと目立つと言うか、きっと周りにいる人を怖がらせると言うか、独学でへなちょこと言うか……」
広場の周りにはドラゴンの行方を見に未だ留まる人間らがいる。
「……いや、やってみる」
ちらりとリオンの顔を見てから杖を取り出す。小瓶に入った赤い液体に先を付けてから呪文を唱える。杖の先が光る。
それは一瞬にして皆んなの目を引きつけた。空に浮かび上がった炎が眩しく燃える不死鳥。夜を照らす灯籠。
自分より身体の大きい獣にドラゴンも流石にたじろいだ。さっきまでの威勢はどこ行ったのやら、きゅうぅー…と情けない威嚇をして近づいてきた不死鳥の幻影に後退りする。
「フィオの魔法すご……」
リオンもベイルも僕の魔法に見惚れていた。少し気恥ずかしい。
いや、見惚れている場合ではないと彼は我に帰ると、隙を見せたドラゴンに魔法を掛けに正面に回った。尻尾を後ろ足に挟んで首を縮こませている。
きゅー……ぴゃっ!
「あっ、待て!」
怖がらせすぎたのか人間が視界に入ると一目散に逃げて飛んでいった。それを追ってベイルも続く。予想だにしない事態に僕らも急いで追う。
辿り着いた先は街外れに広がる森林。ドラゴンがそこへ舞い降りると生い茂る木々にさえぎりられて姿が消えて見失ってしまった。
僕らも森へ降りる。入った瞬間、真っ暗な不気味な空間が広がる。人が入らないそこは低木や茂みが生えていて箒で飛ばなければ足の踏み場もない。月明かりさえ頭上に広がる葉に遮られ空は黒い影に覆われている。
各々杖を振って灯を灯した。あたりがぼんやりと照らし出される。
「確かドラちゃんが降りたの辺りだったんだけど」
リオンが当てもなくふらふらと行くのに僕らはついていく。
「何か生き物を探す魔法とかないの?」
よく生物採取しているらしいのなら何かしらありそうだが。しかし彼女は首を振る。
「ない。自力でレア物を見つけるのがいい。でもドラゴンは穴に隠れて暮らす習性があるから、木の根っこの下とか居そうなんだけど……」
そう言われて辺りの木の下に目をやるのだが全くいる気配がしない。
「ごめん。僕が驚かせすぎたばかりに」
「いや、俺がぼーっとしてて早く魔法をかけなかったから取り逃してしまった」
「フィオの魔法は凄かったから見惚れるのは不可抗力だって。それにフィオだって、その…ううん、なんでもない」
紡がれなかった言葉を僕は聞き流す。言いたくないのなら言わなくても気にしなかった。一度言いかけて留まったそれなりの理由があるのだろうから。
が、後ろでルナが身を乗り出すのが体重の移動で感じられる。
「フィオが?なんですか?」
いつもの優しい様子とは打って変わり敵意バチバチな目線を送られたフィオが急いで弁解する。
「あ、えっと、違うのルナくん。その、フィオが人前であんなにすごい魔法使ってくれて助かったなーって言いたかったの。その、ほら、そっちの街じゃ魔法ってあまり受け入れられてないから、大掛かりな魔法を披露するの勇気がいるだろうなーって、それだけなの」
冷や汗をかきながら一生懸命敵意がないと弁解する彼女をじっと見つめてから納得した様子で座り直す。目線が外れてフィオがほっと安堵のため息をついた。僕も喧嘩に発展したらどうしようかと内心心配していた。
「天使ってなんで皆んなご主人様のことになると性格変わるんですか」
「天使というか人工天使は特にご主人様に従順なるように作られていてそれは反乱防止のために遺伝子を……」
「はいはいストップストップ。後で話な」
止められたリオンが不服そうにそっぽを向く。彼女も何かに一途なところがなんだか天使に似ているような気がする。後で夜通しじっくり聞こうかと思っているとルナが呟いた。
「今、ドラゴンの声が」
「えっ、どこ?」
「あっちです。あっちの方角から」
僕らの行く右側を指差す。指さされた方にあるのは相変わらずの木々と草木と暗闇のみ。
「俺は全然聞こえないが……リオは聞いたか?」
「ううん。でも天使は耳がいいから。行ってみよ」
ルナに指示されて箒を走らすと少しひらけたところに辿り着いた。その真ん中に太い木が御神木のようにぽつんと佇んでおり、その下に動物が入れるぐらいの穴が空いている。
リオンが箒を降りて覗いてみると予想通り中に丸まったドラゴンが隠れていた。
「ドラちゃん居たよ〜」
その声にベイルがよっしゃ!とガッツポーズをキメる。
「でもドラちゃん怯えきって動かないんだけど。飼い主さんじゃないとダメかな」
と、顔を上げる。
「俺が向こうと連絡取っとくから、とりあえず待ちだな」
待ちということで皆んな地上に降りる。ベイルが謎の魔法の器具を取り出してジョンソンと連絡をとっているうちに僕らはドラゴンを押したり引いたりしていた。が、その巨体はびくともしない。
「ダメだぁぁぁぁー。お肉でも持ってくればよかったぁぁぁぁ」
リオンは絶望しながら木の幹に倒れ込む。そんな彼女をよそにルナは一人上を見つめていた。
「ルナ、何見てるの?」
声をかけられてこちらを向く。
「空ですよ。星空が綺麗でずっと見てられます」
言われてみれば空なんてみる余裕がなかった。僕も見上げてみる。
それは息を呑むほどの満点の星空。都会から離れた街灯のない真っ暗な世界で視界一面に白い星が瞬いている。半球に張り付く大小様々な点がまるでこの世界の全てが星に包まれているような感覚を覚えさせる。
「これが“星空”……」
お屋敷から見たのも、元住んでいた町で見たのとも違う、何の光にも邪魔されない本当の星空。
「星座なんて分かんないんだけど」
今日ジョンソンにみっちりと教えられた星座が星が多すぎて一つも見つからずに非常に腹立たしい。しかし本当の星空を見たことで自分の中の『イメージ』がまとまった気がする。今なら星空を出す魔法が使える気がした。
「星空の魔法っ!」
僕が杖を振ると薄暗い部屋の天井が一瞬にして満点の星空に置き換わる。それをジョンソンが注意深く眺める。
「蛇座、兎座、デオキウス座……うん、しっかり星が揃ってる。良いんじゃないかな」
「出来てますよね!やった!」
彼のお墨付きを貰い魔法の完成に安堵する。本物を見たお陰でより安定してイメージが出力出来るようになった。
思い出すのは昨日の夜のこと。ジョンソンらが飼い主を連れてきた後、飼い主に平謝りされながらドラゴンは回収された。どうやらここ数日機嫌が悪かったのをうっかり尻尾を踏みつけた拍子に暴れて逃げ出してしまったらしい。しかしリオンもロゼッタの魔法で傷つけたことをひたすらに謝っていた。
「本当にごめんなさいうちの子が怪我をさせてしまって」
「いえ、逃げ出したのはこちらの責任ですし、貴方のお陰で誰も怪我をせずに済みました。こちらこそご迷惑をおかけして本当に申し訳ない」
今度改めてお詫びに来るということで昨日はそれで解散した。
皆んな住み込みで研究所にいるらしく、昨夜はリオンの部屋で天使たちに囲まれながら寝た。リリィの寝相が大層酷かった。ルナはロゼッタにくっ付かれて身が狭そうだった。
ジョンソンは満足そうに星を眺める。
「それじゃ、次は月でも出すかい?火星とかどう?あ、個人的に土星を見てみたいんだけど……」
「そしたら月で……本当に天体好きですね」
彼も一度話し始めると止まらなくなるらしい。
「そうだよ。是非ともフィオのお屋敷のお嬢様の天体を研究してるお友達に会ってみたいね」
「はい、機会があれば」
そう適当に間世話を返す。
「フィオおかえり」
1日中天体の話を聞かされ夜にへとへとになってリオンの部屋に帰ってくる。彼女は机で紙と鉛筆を握って何かを書いていた。僕に気がつくと椅子から立ち上がる。
「お疲れ様。魔法は進んだ?」
「うん、星空を出す魔法はほぼ完成したし、個々に天体のを幻影も出せるようになったし」
「夕飯まだだよね?今から作るんだけど……」
すると彼女がきょろきょろ部屋を見て何かを探し出した。
「ねえヴァイオレット」
「どうしたの?」
ロフトで編み物をしていたヴァイオレットの返事が返ってくる。
「ルナくんは?」
「ルナくんはロゼッタに連れられて隣の部屋に行ったわよ。少し待ったら帰ってくるんじゃないかしら」
「ありがと!フィオ、今日ね、ルナにお料理を仕込ませてみたんだけど、あの子やる気満々で夕ご飯作る!って言ってて……ちょっと待ってくれない?」
そう言って彼女は伸びをしてから布団に飛び込む。天使たちも一緒に寝られるようなベッドは飛び込んでも横に寝ても転がっても十分に広い。
僕も隣に寝ようかと思ったが、彼女が身につけている外套が目に入った。
「フィオ、マントの裾が破れてるよ」
外套の裾が何かに引っ掻かれたように破れている。そこね、と知っていたかのように破れた箇所を見せた。
「昨日ドラゴンから逃げる時に爪に引っかかっちゃって。やる気が出たら縫おうと思ってるんだけど腰が重くて……」
「それなら僕が今サッと縫おうか?」
その言葉を聞いて縫うのが憂鬱そうだった彼女の顔がパッと明るくなる。
「えっ、いいの?助かる」
布団から起き上がりロフトから取ってきた(ヴァイオレットの)裁縫道具箱を手渡し、僕は針に糸を通して縫い始める。布団に腰掛けて縫う僕の隣でリオンが興味深そうにまじまじと様子を見つめていた。
「凄い!一回で針に糸が通った!確か裁縫が趣味なんだっけ。普段何か作ったりする?」
「ワンピースとかブラウスとか作るよ。昨日見た服屋にあったような服は高くてなかなか買えないからね、自給自足はしてる」
「ヴァイオレットとロゼッタの服の店ね。明後日帰る前に街歩きする時に行ってみようね」
「うん!是非とも!」
随分威勢がいい返事をしてしまったことに後から気づく。
「フィオもロゼッタみたいな可愛いの着るんだね。いつか見てみたい」
「あ、好きで服もたくさん持ってるんだけど……実は着たことがなくて」
糸を長く取りすぎてしまったせいか、布に糸を通そうとすると引っかかってしまう。裏面にひっくり返してから糸の塊を絡まないように慎重にほぐす。
「着ないの!?ルナくん着てたのに。お揃いにしなよ」
「ちょっと恥ずかしいというか、着てく場所もないし目立つし」
「でもロゼッタもヴァイオレットも着て街普通に歩いてるけど何も言われないよ?ルナくんも」
昨日のことを思い返す。確かに誰も何も言わないし変な目線は送られていない。だがきっとこの街に限ってのこと。
「確かに派手な服着ても、それに天使を連れても昨日魔法を堂々と使ってても、何も言われなかった気がする……」
「フィオの街はどうだか知らないけど、ここの街は変な目で見られたりしないよ……うん、フィオの気持ちも分かるよ」
彼女は僕の手元ではなくてどこか遠くを見つめていた。
「魔法使いあるあるだと思うんだけど、私ね、昔元いた村から追い出されたの。魔法が使えるって分かった時」
「え…」
思わず糸を解く手が止まる。次の言葉が発せられるまで随分と長い時間がかかった気がした。
「悪魔だ、魔女だ、って言われて、危うく私の家族諸共家ごと焼き殺されかけた。魔法でなんとか火を消して家族は守り切ったんだけど、母親から刃物を向けられた時には村から逃げ出してた」
僕はどう声をかけていいのか分からずに言葉を探しては飲み込んでいた。
「そんな時、幼なじみだったイルくんが村の外まで追いかけてきて。そこで初めて知ったんだ。イルくんも魔法使いだったって。男子ってばかだよね、そのまま黙っていれば村に居られたのを、なんの取り柄もない私と引き換えに村を捨てたの」
しんと静まり返った空間に、上からヴァイオレットの小さなくしゃみが一つ聞こえてくる。僕は手を再び動かして糸を解くことに尽力した。そうするしか身の振り方が分からなかった。
「そこから何やかんやあってジョンソンに拾われてここに居るって訳。魔法も服も、変な目で見られるかもしれないって思っちゃうよね。でも、少なくともここはそんな目で見られないよ……多分。理由は知らないけど」
「そっ、か。そうなんだ」
ほんの少しだけ今までが報われた気がして、泣きたくなって瞬きで涙を押し込む。僕の過去に共感してもらったのは初めてかもしれない。
「良いね、そんな街。ここに住めたら良いのに」
「住みなよ!ジョンソンもフィオがこっちにくれば良いのにって言ってたよ」
「本当はそうしたいんだけど……あ、よかった糸が解けた」
なんとか絡まっていたのを元に戻すことができた。縫い目を整えてから裁縫を再開する。
「ロゼッタのは着てない服があるからさ、街歩きの時着て行きなよ」
「えっ、悪いから大丈夫だよ」
「良いの。ロゼッタが着てくれないから」
そして二日後。最終日。
僕とリオン、ルナとロゼッタで街を散策した。
緊張で腹を下している僕はルナの袖を片手でさりげなく掴んでいる。なぜなら例のロゼッタの服を借りて着ているからである。着てくれなかったと言うそれは淡いグリーンのレースとフリル盛り盛りのワンピースであった。確かにお淑やかな雰囲気で暗めの色味の服を好んできているロゼッタとは少し趣味が違う気がする。やはり誰も何も言ってこないのだがとても場違いな存在な気がする。一刻も早く帰りたい。マリさんに編んでもらった髪が落ちてこないか心配で気づいたら後ろのお団子を触っていた。
「うう……ルナ、いつも僕の好みのお洋服着せてごめん」
「私はこれで満足ですよ。特に今はフィオとお揃いですし」
妙に機嫌の良いルナは僕が袖を掴むのを知っていて好きにさせてくれた。そのさりげないいちゃつきに、むぅ、とやきもちを焼く存在がいる。
「リオン様も、ロゼッタとお揃いにして」
恨めしい目で見られたリオンが目を逸らす。
「わ、私は着なくても良いかな……」
「この街は変な目で見られないって、リオン様自分で言ってた」
「…………」
その後はみんなで服屋や雑貨屋、もちろんロゼッタの服を買った店などを見て回ったり路肩に売っていたサンドイッチをつまんだりした。
派手な洋服をきている恥ずかしさも昼食を取る頃にはすっかり忘れていた。楽しい時はすぐに過ぎてもう研究所を出発する時間となる。
「研究所の皆さん、四日間お世話になりました。ありがとう」
研究所の門の前で改まってお辞儀をする。
「フィオちゃんと全然話せてないんだけど〜また来てよね今度はルナくんもヘアアレンジしてあげるんだから」
と、一番分かりやすくマリさんが残念がっている。が、内心一番寂しいのはリオンだろう。
「フィオ、ルナくん、私の子達と遊んでくれてありがとね。特にロゼッタが」
見るとルナを離すまいとよじ登って頭に肩車をするような形でしがみついている。
「ロゼッタ。そろそろ離れて……」
リオンが引き剥がそうとするも顰めっ面で耐えており、ルナの方が引っ張られて体勢がおかしくなっている。
それを横目で見ながらベイルが言う。
「フィオ、どうかこれからもリオンと仲良くしてやってくれ」
「勿論です」
ジョンソンも咳払いをしながら前に出る。
「最後に一応学長として……フィオ、コルニタ研究所に来てくれてありがとう。お陰で良い交流ができた。是非とも今後交流を続けてほしい」
「是非とも。こちらこそ天体について色々ご指導いただきありがとうございました。また機会があれば伺います」
握手を交わしてから名刺をもらった。ポケットに折れないように丁寧に入れた時、男子らの奥でやっとロゼッタがルナから離れる。
「ロゼッタ、また来ますから」
「……本当に?」
「ええ。約束です。貴方を見捨てたりなどしませんから」
僕はルナを乗せてついに箒を浮かした。地上からフィオー!ルナー!またねー!とひときわ大きいマリさんの声が聞こえる。手を振ってから進行方向へと向いた。後ろに乗っていたルナは研究所の皆が見えなくなるまで手を振っていた。
「人間とあんなに話したのは久しぶりだったな。ルナ、どうだった?今回の旅」
遥か上空で風を感じながら尋ねる。
「非常に有意義なものでした。あんな風に仲間と話したのは初めてでしたから。また来ますよね?」
「うん。また行くよ、きっと」
そうしないとロゼッタがうるさいだろうから。教えてもらった魔法をお土産に僕らは帰路に着く。