遠征
夏休みが終わり、学校が始まって間もない頃。ホームルームが終わり放課後になると同時に周りの生徒が一斉に喋り始める。ホームルームが始まる前、なかなか静まり返らずに先生に注意されたのにまだ話すことがあるらしい。
一方、僕は鞄の中に教科書をしまうと、こっそり中身が軽くなる魔法をかけてから背負う。この魔法のお陰で、お屋敷に帰る途中に魔法の練習をするため分厚い魔導書を持ち歩くことを可能にしている。パンパンに中身の詰められた見た目の不恰好さに見合わない軽さで鞄だけ放り投げたらそのまま空に飛んでいきそうだし、実際にやってみたら風に流されて本当に空高く舞ってしまい大焦りしたのを覚えている。
さて、帰るかと歩き出そうとしたら視界の端に何が白いものが午後の日差しを反射しているのが映った。窓を覗いてみると珍しく校門の前にルナが立って僕を迎えにきている。今まで僕が帰るまでずっとお屋敷で待っててもらってたのに。珍し。
さっさと帰ろうとしたがふと状況に気づく。
……え?天使が学校に?やばくね?生徒に見つかったら大騒ぎになるけど?
「ルナぁ!?」
誰かに見つけられる前に回収しないと。必死の思いで教室の窓を全開にし、誰も僕に注目していないことを確認するとそこから飛び降りた。後ろでフィオレさん!?と委員長さんの声が聞こえてきた気がするが空耳に違いない。
魔法でふわっと着地すると、そのままジャンプで学校を囲む柵を飛び越えてルナの元へ二歩で到着する。
「フィオ!カッコいいですね。窓から飛び降りるなんて映画みたいです」
何故か片手に雑草を持ちながらぱちぱち拍手してくれるので少しばかり照れる。いや、そんな場合じゃないんだけど。
「なんでルナがここに居るの?」
「リルお嬢様の側近から言伝を受け取っております」
言伝……面倒ごとじゃないといいけど。
「急用ってこと?」
「いえ、そんなにお急ぎではありません」
「じゃあなんで学校に?」
「フィオは日中は好きなように過ごせと言っていたので、人間の世界を観察しようと散歩ついでに。フィオの学校も見てみたかったですし……」
その手に持ってる草は散歩の戦利品か。確かにピンクの小さな花が咲いており綺麗である。
彼の自由は尊重する。が、学校で変な話題が立つのは嫌なのも事実。日中で歩いていたようなのでもう手遅れかもしれないが、それじゃ用事は後で聞くからと急かすような形で箒に乗せて空を飛び、難を逃れる。やはりルナが乗るといつもより箒が重い。
「リルお嬢様の側近から、今度お嬢様がいつものお友達と“おちゃかい”をするので“新しい魔法”を披露せよと仰ってました。詳しい話は後で聞きに来てくれと。おちゃかいとはなんでしょうか?」
「お茶会…!いいな楽しそう。お茶会はね、みんなで紅茶を飲みながらお菓子を食べてお喋りしたりするちっちゃいパーティみたいなものだよ。可愛いお洋服に可愛いティーセットを使って甘いお菓子を食べるなんてまさに至福…!」
キラキラしたお茶会を想像してはぁぁ〜とため息をつく。恐らくお嬢様と仲良し三人組でおしゃれ着を着て、薔薇の紋様が描かれたティーカップに透き通った紅茶を注いで。お菓子は甘い匂い漂う焼き菓子を並べて、きっとそれはシェフが凝って作った見た目も味も素晴らしいもので。
「憧れるわぁ〜お茶会」
「フィオはお茶会したことないのですか?甘いものも好きなんですよね」
「お茶“会”だぞ。一人じゃ成立しないんだぞ。ぼっちを舐めるな」
僕の地雷を踏み抜いた彼はす、すみません…と顔を下げる。そもそもこのお屋敷に使えるまでお茶会をするなんて余裕は金銭的になかったし、そういうものは誰かとやるから楽しいのであって一人だとただの少しリッチなおやつの時間と化して虚しいのでやったことがない。
「せっかく披露するなら出来る中で一番すごいやつを披露したいよね。あとお茶会の雰囲気に合わせて花散らしたりもいいかも」
「良いですね。他に相手方の好みも取り入れるといいかもしれません」
「相手方の好みかぁ…」
リルお嬢様に付き添っていると時々遭遇するお友達ら二人。彼女らももちろんどこかしらのお貴族様の娘で顔見知りの関係なのだが、好みは流石にお嬢様に聞かないとわからない。一度家に帰ってお茶会の概要のついでに聞いてみるか。
「で、お茶会は来週の週末。うちのお屋敷のお庭でやると」
お嬢様の部屋を後にしながら側近から聞いた話のメモを確認する。
「お相手様の一人は天体が好きだと仰ってましたね。個人で青氷帝という星を研究しているとか」
「天体かぁ。僕はよく知らないけど空の向こうに月みたいな丸い星が沢山浮いてるらしいけど…魔法でその星の幻影を目の前に出したら喜ぶかな?」
「基本的に好きなものが目の前に現れたら嬉しいでしょうね」
天体にはときめかないが、僕が服屋に入った時と同じように天体を目の前にしたら幸せに満たされるものなのだろうか。
「資料見ないと想像が出来ないから幻影が出せないんだよね、今度資料見に行こうか」
「資料を見るなら天文台などでしょうか」
「ちょうど前々から同じ魔法使いとして会いたいって言ってる人がいて、その人も天文学を学んでるんだよね。気が向かなくて断ってたんだけど……行ってみるのもアリかも。ちょっと遠いけど……」
「遠出!ですか」
あきからにルナの声のトーンが上がった。
「うん、隣の国なんだけど、箒に乗っても片道一泊二日……」
可愛いお洋服を見た時と同じような目の輝きを帯びる。いつも微笑を浮かべている彼の口角が明らかにあがっている。
「私、その、外の世界を、人間界をもっと見てみたくて。フィオが生きる世界を知ってみたいと思って……」
希望。彼は希望に満ち溢れているように見える。僕の部屋に篭りがちだったのが、その窓の外に見える景色に触れてみたいと。もっと、そこから見えない景色まで知ってみたいと。
似てる、と思った。この世という檻に重量によって囚われた人間が遥か彼方の宇宙にある星に恋焦がれるような。
「あ、申し訳ありません……卑しい身分ながら身の程知らずでし……」
「行こ!外の世界に」
彼の方へと振り返る。
「僕もこの国から出たことないの。だからみてみたい」
ずっと一人で生きてきて、何をするにも後ろ盾が無くて、不安で、知らない場所に行く勇気もなかったけど、ルナとなら。
「早速向こうに連絡入れよ。学校に休学の連絡して、道調べて……」
赤いカーペットを踏み締める足を早める。
二日後、僕らは隣国フェルラルク王国へ向かいお屋敷を飛び立った。
「ここから八時間飛んだところにある国境付近の街に宿取ったから…着いたら枕投げしようか!」
この旅で三番目ぐらいにしたいことがそれだったりする。
「まくらなげ?」
「その名の通り枕を投げる遊びだよ。当てられたら負け」
「へえ、楽しそうですね」
「これも一人じゃ成立しないからさ。宿の人に怒られない程度にはしゃぐ定番の遊びでね」
そんな話をしながら数時間、気がつくと太陽が随分と高くまで上がっていた。お腹が空いたので観光も兼ねて近くの街に降りる。
そこそこ栄えたこの街では露店や飲食店が軒を連ね、お昼時の今はどこもかしこも賑わっている。
「お昼何にしようか。ルナは希望ある?」
「そうですね、強いて言えば食べたことないものを食べたいです」
それならと、僕は適当な周りを見回しながら適当な店を探す。ジャンクフードの類なら昼時でもすぐに食べられるかもしれないし、お屋敷のお料理とはまた違った美味しさがあるだろう。やがて美味しそうなフランクフルト屋を見つけた。ここでテイクアウトして食べようか。
「ルナぁ、ここでいい?」
後ろを振り返ると、後ろについて来たはずのルナがいない。
「ルナ?」
そう言えば最近声を聞いていないような。あたりを見回すがルナの姿が見当たらない。もしかしてはぐれたか。
どうしようかと少しばかりきょろきょろしていると、人混みの中からひときわ背の高く白い人が見える。
「ルナ!」
人混みの中に割って入りなんとかルナの元へ辿り着く。
「フィオ、やっと追いついた…」
ルナは疲れたような、でも無事に会えてホッとしたような顔をする。顔がやけに青白いのは元からだろうか?
「すみません…こんなに…人が…いると…どうしても…はぐれてしまって…」
いや息も上がっているし本当に具合悪そうだぞ。
「大丈夫?もしかして人酔い?」
「……はい、恐らく。で、お昼ご飯……ふらいどぽてと?ってやつ…はんばーがー…ちきん…さんどいっち…」
「食い意地がすごい」
食欲があるならある程度大丈夫だろう。具合が悪いのに申し訳ないが道の端っこで少し待っててもらい、僕は急いでフランクフルトとフライドポテトを買いに走る。
箒で上空から人がいない場所を探した。しばらくして昼間の誰もいない公園へと降り立つ。屋根がついたベンチに座り、膝の上で買って来たものを広げる。
ルナは僕の隣に座り、興味深そうにお昼が入った紙袋の中を覗き込む。
「これがフランクフルトとフライドポテト…でしたっけ。いい匂いですね」
すっかり彼の呼吸も顔が青白いのも治ったように見える。
「うん。こっちルナのね」
2品を手渡し、僕は自分のフランクフルトに齧り付く。美味しい。お屋敷の上品な味とは違った、味の濃い病みつきになるような美味しさ。頰に付いたマスタードをティッシュで拭く。ふと横を見るとルナがこっちを見ていた。そして僕を真似るようにフランクフルトに齧り付く。
「!美味しい!」
ルナの一口がちっちゃい。かわいい。頰のマスタードを拭いてあげたくなったが我慢してティッシュを手渡す。
僕は食べ終えると料理が入っていた紙袋を魔法で燃やして後処理をした。ルナはまだ横でポテトを手に持ちながら口をもぐもぐさせている。もう少し時間がかかりそうか。
「さて、少しばかり休憩…」
お腹の満足感に満たされながら伸びをしてベンチに横になる。
「ほひふね……もぐもぐ…ごぐん。お昼寝ですか?何時に起こしましょうか」
声のする方を見るとルナを真下から見上げる形になる。
「起こしてくれるの?」
「ええ。天使は昼寝をしませんから」
確かにルナが昼寝しているところを見たことない気がする。天使とはそういうものなのだろうか。ベンチからちょうど見える位置にある時計に目を向ける。
「それじゃ…四十分後によろしく」
そう言って目を閉じた。あとはルナに任せてお昼寝を満喫することにする。瓜科の植物のツタが絡まってできた天井の隙間から木漏れ日が降り注ぎ、風が吹くたびに落ちた光が揺れる。風が涼しくて気持ち良い。もうすぐ寝てしまいそうだ。
わたしはゆめをみた。
どこか、記憶の深いところ。
光の届かないところまで押し込んだ思い出。
わたしには友達がいた。幼なじみで家も近く、学校も同じで、いつも一緒に遊んでいた。
夢の中でわたしはその友達と一緒に少し遠くの公園にピクニックに来ていた。お互いの親ぐるみでのピクニック。ふかふかした芝生にレジャーシートを引いて寝転ぶ。親がお弁当を準備する隣で、土と嫌いな野菜のようなにおいを近くに感じとる。その友達も私の隣で横になる。青い空と、視界の端から聞こえてくる笑い声。
そのあとに一緒にお弁当を食べた。友達のママが持ってきたサンドイッチをもらう。こちらからはチキンナゲットを差し出す。お互いのママのお弁当を食べて、美味しいと褒め合った。
何をするのにも、どこに行くのにも、いつも一緒だった。
あの時までは。
風邪で飛んで来た葉っぱが顔に当たり目覚める。久しぶりに夢にあの子が出てきた気がする。あの子が引っ越してからずっと会ってないのにまだ夢に出てくるなんて、僕はまだ心残りなのだろうか。
眠い目を擦って起き上がる。頭が重い。二度寝したいが一応時計を見てから。
(えーっと?まだ十分しか寝てないか…)
横を見ると、ルナが寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。寝顔もかわいい。うん。うん?ルナが起こしてくれないと僕起きられないんだけど?
嫌な予感がしてもう一度時計を確認する。まだ醒めない頭で短い針が思った以上に進んでいるのを理解する。と、なると寝たのは10分じゃなくて一時間十分……!?
「ルナ…起きて…」
すぐさま肩を叩いて優しく起こす。ルナは薄く目を開けてこちらを見る。
「んん…私、寝てた…」
「ルナ、僕ら寝過ごしたよ…」
「寝過ごし…え?……申し訳ありません私寝てしまって…」
そうは言っているものの、まだ寝たそうに目を開けたり閉じたりしている。そうだよな、天使だって眠くなるもんな。
「箒で寝てていいから、とりあえず乗って」
ルナを乗せて寝過ごした分を埋めるように急いで飛び立つ。いつもよりスピードを出して空高くを飛ぶ。こんなに速く飛んだのは寝過ごして学校に遅刻しそうになった時以来だ。
「箒で寝るとは、どのようにすれば…?」
後ろをちらと見ると、前屈みで箒にしがみついているルナの羽が強風によって広がってまるで翼を広げて飛んでいるようになっている。
色の一つない綺麗な白。羽の神経は切れていてルナの意思で動かせないから広がっているところは初めて見た。僕の体ほどありそうな大きさ。
「…僕の背中に掴まって?かな?」
ルナは遠慮しながら後ろから腹に手を回す。その細長い腕が僕の体に絡みつく。天使の肌はひんやりしていて気持ちがいい。頭を乗せるところを探しているらしく、肩や頭の上に顎を乗せる。が、最終的に頭を乗せない体勢で落ち着いたようだ。
(なんか青春みたい)
彼氏が自転車の後ろに彼女を乗っけて走るあれ。まさか自分がやるとは思わなかった。
かっ飛ばしたお陰で予定通り国境近くの街の宿到着した。魔力を使いすぎてへとへとなので夕飯を満腹に食べてから宿に行って布団にダイブをかますと、そのまま眠くなってきた。
「子守唄でも歌いましょうか」
箒で爆睡をかまして今は目がぱっちりのルナが暇そうに枕元に来る。
「んじゃお願い」
天使がどんな子守唄を歌うか聴いてみようと重い頼んでみる。有名どころは『夕暮れ』か『ねこちゃん』辺りだが、どう来るだろうか。ルナは一呼吸をしてから歌い出す。
高音。男性では到底出せないような。女性でもオペラをやっていないと難しいほどの高さ。音が高すぎるのか、僕が眠いのか、聞き取れない言語のゆっくりな歌。聖歌のようだが、それでいて包み込まれて寝られるぐらいの優しさと心地よさを感じられる。そして僕はいつのまにか寝てしまった。
わたしは夢を見た。
それは幸せな夢。
手が届かないぐらい遠くにある夢。
凄いよ、フィオちゃん!魔法が使えるなんて!
魔法を見せたわたしに彼女から飛びつく。もう一回、もう一回見せてとせがまれるので色々披露していると、どこかからたくさんの足音が聞こえてくる。
魔法使い様だ!神の使いだ!
フィオちゃん、凄いね!
魔法、もっと見せて!
振り向くと、同じ学校の友達や親戚がこちらに期待の眼差しを向けている。目を輝かせて嬉しそうにこちらを見ている。
1人のクラスメイトが、わたしの服を可愛いと言った。見ると自分は魔法使いではなくリボンやフリルの付いた“可愛い服”を着ている。
わたしは魔法を使う。スカートの端を持ち、お貴族様のようなお辞儀をする。たちまち拍手が上がる。
わたしは夢を見た。それは幸せな夢。醒めてほしくないぐらいに。
ーーーーーーーー
結局、僕は枕投げをする暇もなく翌朝まで十二時間熟睡だったらしい。
国境の検問所でルナのことや怪しい箒や杖について詰められはしたが、ご主人様から貰った封筒を差し出したら中身を見た途端職員らがざわめき青ざめ始めた。「何か問題でも?」と言うといえ!何でもありません!どうぞお通りください!と直ぐに通してもらえた。権力は便利だなぁ。
そしてお昼過ぎに無事目的地に到着する。
森に囲まれた人里離れた場所。降り立った目の前に聳えるのは白くて巨大な建物、コルニタ国立研究所。今から会う魔法使いは国立という、とんでもない建物に研究所を構えているらしい。
謎の魔法により向こうから1人でに部屋に飛んぬできた手紙を取り出す。“魔法研究科 ジョンソン・ティノープル”と書かれている。この人をどうにか探さなければ。
辺りを見ながら施設に入る。空いた空間の先に受付が見えたのでとりあえず向かおうとすると声をかけられた。
「すみません、フィオレ・ペダルタ様でございましょうか?」
見ると、白衣を着た二十代前半らしい青年が立っている。手には杖を持っていた。
「はい、わたしがフィオレです。そちらはジョンソン・ティノープルさんですか?」
ええ、と頷く。そしてその視線は僕の後ろに移った。
「その後ろにいるのがルナ様でございますね。ようこそ、我が国へ。そしてコルニタ研究所へ《わたくし達》はあなた達のことを歓迎します。どうぞこちらへ」
ジョンソンさんに連れられて研究所の奥に通される。
白い床に天井をよく反射する灰色のタイルの床、左右にある同じドアにそれぞれ違う文字が書かれたプレートがはめられている。永遠に続きそうな光景の中、ルナが少し嫌そうな顔をしているのは、奴隷市場に出される前の“養殖場”に居た頃のことを思い出しているのか。
しばらく歩いた後、あるドアの前でジョンソンは足を止める。そのドアのプレートには“魔法研究科”と書かれていた。天体科じゃないんだ。
彼はドアを開けるなり、
「みんな〜フィオレさんがきてくれたよ〜!」
と出迎えてくれた時の研究者らしい冷静さが1ミリもないフレンドリーな声で叫ぶ。
中に入ると、ジョンソンの他三人がこちらをじっと見ている。
「まあ、いらっしゃいフィオレさん」
入り口近くで待ち構えていた三十代だろう女性が駆け寄ってくる。続いてソファで本を読んでいた僕より少し歳上らしき男性が立ち上がってこちらにくる。
「リオ!フィオレが来たよ」
「フィオレさん…来た…」
呼びかけに応じてソファの影からこちらを覗いていた僕と同い年ぐらいの女の子が顔を出す。
4人を見回してからおじぎをする。
「エラノ王国からやってまいりました、魔法使いのフィオレ・ペダルタと申します。こちらは使いの天使、ルナ。わたくしのことはどうぞフィオとお呼びくださ…」
「フィオくん!」
ドアの近くにいた女性が僕の手を握った。
「私マリ!植物について研究しているの。同じ魔法使いとしてよろしくね」
返事をする間も無く次の子が話し出す。
「俺はベイル。同じく魔法使い。専門は医療系。フィオ、よろしくな」
続いてさっきまでソファに座っていた男性と握手をする。
「で、そこで隠れているのがオリン。ちょっとシャイな子なんだけど…よろしく。リオも魔法使いで、生物専門。人間以外とは仲良くできるんだけど…」
見ると顔を出して覗いていたが、目線が合いそうになると頭を引っ込める。また僕が目線を外すとそっと顔を出す。その目線はどこかを凝視しているようだ。
そして最後に年長のジョンソンが自己紹介をする。
「僕が責任者のジョンソン。専門は天文学。私達は全員魔法使いだ。同じ魔法使いして仲良くしてほしい」
彼と握手を交わしながら改めて4人を見渡す。一見どこにでもいるような一般人に見えるけどこの人達は全員魔法使いなんだ。
「このご時世によく4人も魔法使いが集まりましたね」
魔法使いの血筋が絶たれた今、密かにその血を受け継ぎ才能を開花させた人材なんてそうそういるものではないのに。
「類は共を呼ぶ……似たもの同士は自然と集まるんだよ。隣国に魔法使いがいるという噂が耳に入ってね、こちらから声をかけさせてもらった。……ルナもそこに居ないで入っておいで」
ドアの前で立ち往生していたルナにみんなの目線が集まる。彼は恐る恐る中に入ってお辞儀をする。
「リオおいで。ルナに会いたがってただろ?」
ベイルの手招きにリオがソファから胸辺りまで顔を出したが僕を見るなり引っ込んでしまう。
「リオンさん…」
僕はルナの手を引いて彼女に近づいた。数メートルのところまで距離を詰めると、ひえぇぇ……と極小の叫び声と共に頭を抱えたのでルナを前に押し出して僕はその後ろに隠れる。
(……フィオ、私は何をすれば)
(話しかけてみて。優しく、無害に、フレンドリーに、敵意がないオーラを出して)
少し考えてからしゃがみ込んでリオと目線を合わせる。
「リオン様でいらっしゃいますか?」
「……」
(もっと柔らかく!)
「柔らかく……リオンさん、ですか?」
(もっと距離詰めて!)
「…………リオンちゃん?」
「………………………………………………………………………………………ルナくん、フィオさん」
試行錯誤の末、長い前髪に隠れた目だけ出してくれた。その目線は僕ではなくルナに注がれている。
「フィオさんは、天使、好き?ルナくんは、フィオさんのこと、好き?」
彼女の声は震えている。
「ルナのことは好きだよ。優しいし。歌上手いし」
「私も、フィオのことはご主人様として、良き趣味の理解者として好いています。見てくださいこのかわいいお洋服。フィオが買ってくれたんですよ!」
自慢げに僕が買った服を見せるルナを見て鼻まで顔を出す。
「………………2人とも、いい関係なんだね。良かった。ねぇ、こっち来て」
それだけ言ってくるっと後ろを向くと、ソファから降りてそのまま何も言わずに奥のドアへ歩いて行く。
呆然とした僕らにマリが耳打ちをする。
(ついてってあげて。ついでに仲良くなってきな)
背中を押されてリオさんの後をついていく。ドアをくぐると勝手に後ろで閉まった。大きな音を立てて三人だけの密空間となる。
そこはまさに研究室だった。水槽が壁に高く積み上げられていて、その中に魚や昆虫、小動物が蠢いている。机の上には所狭しに実験器具や薬品が並べられており、床にはファイルやレポートが足の踏み場もないぐらいに散らばっている。
リオは背を向いたまま何もない空間に呼びかける。
「ロゼッタ、アメリア、リリー、ヴァイオレット。おいで、お客さんだよ」
すると物陰から四人の人間が顔を出す。
「お客?」
「人間じゃん。珍しいね」
「いや?ねえ皆んな後ろに天使居ない?」
「本当だわ!天使よ!」
「同種族…!?」
「マジか!」
ルナは瞬く間に囲まれた……四人の天使に。
「えっ、天使!?」
思わず声を出して私にリオが二歩だけ寄ってくる。
「わ、私の子達です……ロゼッタ、アメリア、リリー、ヴァイオレット」
「ちょっとー?そこの人間?」
赤髪の天使が僕の肩を掴んで睨んでくる。
「リオン様の研究室に入るって、なかなか度胸あるじゃん?」
「アメリアの言うとおり。ロゼッタ、リオン様に近づく人間は許さない。リリーもそう思う?」
白髪のお人形みたいな子が金髪の少女に目線を送る。
「えー?リオン様が研究室に連れていたんだから良くない?ねぇヴァイオレット」
「まずはリオン様の話を聞きましょうよ皆んな。人間が悪い人ばかりじゃないと思うわ」
茶髪の穏やかな雰囲気の女性の声でリオに一斉に視線が行く。
「わ、私?えっと、フィオさんは天使くんと仲良いから、悪い人ではない、と思う。フィオさんとルナくんは遠くから来てくれたら客人だから、仲良くしてあげて……」
それを聞いたアメリアが僕にぐっと顔を近づける。
「ウチのご主人は怖がりなんだ。客人でもリオン様を傷つけるような真似をしたらただじゃおかねぇ」
「ロゼッタも。人間は簡単に信用できない」
「皆んなピリピリしないで仲良くやろうよー。フィオだっけ?あんた、リオン様と仲良くやってくれよ」
周りに集まってはリオを傷つけるな仲良くしろと圧をかけてくる天使らに人見知りの僕の心は恐怖でヒュッと細くなる。
「な……はい……」
迫られて後退りをしながら最終的に初めてリオと会った時と同じようにルナの後ろに隠れて顔だけ出す形になった。背が高く大きな羽もある彼は後ろに隠れるのに恰好の盾である。
「フィオに不用意に近づかないでください」
お互いの主人の前に立ちはだかる天使らの間で始まる睨み合いに慌ててリオが割って入る。
「ご、ごめんねルナくん。皆んなは下がってて。フィオさん、うちの天使がごめんなさい。皆んな過保護なだけで本当はいい子だから」
「そうなんですか……この子達は養殖……ですか?」
「そう。給料の殆どを天使に費やしてて……あの、私生物の中でも天使が特に好きで、だからルナくんにお目にかかりたいなーって思ってて……ルナくん、綺麗ですね」
僕が初めて見た時と同じような輝かしい目でルナを見上げる。リオンが笑った。私がお洋服を見る時と同じ顔。
「初めまして、リオンと申します。私天使の研究をしているの。貴方がもし困った事があれば手伝えるかもしれない。少しの間だけどよろしくね」
さっきまでど緊張していたのが嘘のように、愛らしい笑顔と共にすらすらと挨拶を述べる。
「リオンさん……こちらこそ、理解がある方に出会えて嬉しいです。よろしくお願いしますね」
一通り挨拶を交わすと、ルナは天使らの輪に入ってお喋りを始めた。入ったと言うより四方から質問攻めにされて抜け出せないと言うのが正しいが。
「天使たちはほっときましょう。皆んないい子達だからルナくんのこと受け入れてくれると思う」
邪魔になるので人間の二人は天使らを残して一旦退室する。
「お、戻ってきた」
ソファで本の続きを読んでいたベイルが顔を上げる。その隣にいたマリが駆け寄ってくる。
「リオの天使ちゃんたちどうだった?ルナと相性良さそう?」
「うん…多分いい感じ…」
「よかったぁ。じゃあそこの二人は?」
僕ら二人の間を指さされたので後ろに天使たちがいるのかと振り返ったが、そこにはただ白いドアが存在しているだけ。
「ちょっと二人して後ろ向かないの〜あなたたち人間のことよニンゲン」
つまりは僕とリオンの仲ということらしい。確かに年が近くて女子同士の魔法使いなら仲良くなっておいた方がいいか。二人でしばらく顔を見合わせてからぎこちない挨拶を交わす。
「…リオさん、これからよろしくお願いします」
「…うん、こっちこそ。よろしくねフィオさん」