趣味
「お屋敷に帰る前にちょっと寄り道して良いですか……?」
そう言って立ち寄ったのは密かに通っている服屋。店の扉を開けると、服で埋め尽くされた空間が広がる。リボンやフリル、レースなどがふんだんに盛り込まれた色とりどりのワンピースにジャンパースカートにブラウスに……
「はぁ〜……天国……」
奴隷市場で息詰まって胸にいっぱいの空気を送り込む。可愛い洋服で埋め尽くされたここはお貴族様のドレスのような可愛げな洋服が集まるお店。店頭で立ちつくす天使を置いて目の前に飾られているワンピースを凝視する。
「フィオちゃんいらっしゃい」
店の奥からふんだんにフリルがあしらわれたワンピースを着たお姉様が顔を出す。貴族の身なりをしているせいか何回も通っているうちに顔と名前を覚えられたらしい。
「お姉さん!このワンピース新作ですか可愛いですね!真っ白な生地に小ぶりのリボンがシンプルながらまたそこが可愛い」
「でしょでしょ!この新作は控えめな可愛さが可愛いの!遠方から仕入れた一点モノ!はぁぁ…売れてほしくないずっと眺めてたいわ」
「分かりますっ!可愛いお洋服は目の栄養っ……!」
二人して幸せを噛み締める。
「てか、またフィオちゃんそこ格好なのぉ?うちで買ったお洋服着なよ〜」
肘で突かれてえぇ……と困惑する。
「可愛いけど着るのは気恥ずかしいんです……」
「なんでよぉ〜フィオちゃんは可愛い女の子だから可愛いお洋服絶対に似合うよ」
「うーん、」
「女の子はねぇ、誰でも可愛いんだよぉ〜」
いつものお姉様からのだる絡みをかわしていると今度は天使が困惑した声を上げた。
「え、フィオは女性なんですか?てっきり見た目から男性かと……」
そういえばそれも言ってなかったなと思い出す。
「あ、うん。女の格好してると舐められるからって男っぽい格好でいるの」
「あら……その子はフィオちゃんの連れ?」
お姉様が困惑した声を上げる。目線が彼の方に向けられてはあちらこちらに泳いでいる。まあこの状況は誰でも大困惑するに違いない。目の前に明らかに翼を持っている人間離れした人間……即ち天使が立っているのだから。
「そうなんです……諸事情で天使をお迎えすることになりまして……」
「ああ、そうなの、初めて見たわ……」
彼女が一、二歩後退りするのを横目で捉える。未知で異質な物を見る畏怖の目をしていた。僕が昔向けられたのと同じ。そのことに気づいてしまった僕の鼓動が早まる。喉が詰まったような感触を覚える。
「……あ、」
天使が発する言葉に自然と体がビクッと震わす。店へ一歩踏み入れた彼に圧倒されるようにお姉さんは後ろに下がる。が、次の言葉を聞いた瞬間、その険しい顔が和らいだ。
「リボン……かわいい……」
前屈みになって飾られたワンピースと同じ目線になるとまじまじと見つめた。
「あなた、もしかしてお洋服好きなの?」
恐る恐る天使の方に近づく。
「ええ。お貴族様達のお洋服を観察しては楽しんでたんですが……こんな近くで見たのは初めてですよ。へぇ、こんな生地で作られてたんだ」
ワンピースに注がれる目線にお姉さんは安堵のため息をつく。
「そう……同士に悪い子はいないわよね。あなた、それ一回着てみる?」
「え、いえ、こんな高価なもの……」
「私が見たいの!後ろのチャック開けてれば羽も大丈夫よね?イケメンなあなたなら絶対に似合うわよ!フィオちゃんこの子借りるね。さあさあ試着室に……」
飾られていたワンピースと遠慮する天使を回収して試着室に押し込む。一人取り残された僕はあーだこーだ言い合うのを聞きながら店内を見て周り、数分後お二人が帰ってきた。
「お待たせ〜フィオちゃん見な!可愛いでしょ」
お姉様の隣に並ぶ天使のその美しい姿に思わず息を呑む。まるで天使のような美しさと言ったらおかしいだろうか。服と相まって色白の肌がどこまでも白く輝いて見える。
「か、かわいい……」
彼は不思議そうに袖口やスカートを見回す。
「へぇ、これがお洋服ですか……洋服らしい洋服を着たことがなかったので」
彼に一回転してもらうと長髪とスカートの裾が川の流れのように照明に水面を輝かせながら揺れる。
「……月」
白く光るその姿がまるで月に見える。
「着させていただいてありがとうございます……返しますね」
お姉様に満足そうに笑って試着室の方へ体を向ける。後ろ姿までも美しい。
ずっと見ていたい。
「ちょっと待って!」
天使を引き留めてからお姉様に震えた声で尋ねる。
「あのお洋服っておいくらですか……」
「ん、これぐらいだよ」
見せられた値札に一瞬ほっとする。デザインがシンプルな分お値段が下がっているようだ……いや待てよくよく考えてみれば嗜好品にしてはお高いことに変わりない私のお給料の五分の一だぞ。
「……買います」
再び震えた声でお財布を取り出す。
「あら、まいどあり〜確かにこの子に似合うわよねぇ。良いもん見せてもらったし10%値引いとくから」
財布が随分と軽くなるのを感じながらお会計を済ます。お姉様は店の外まで見送りに来てくれた。箒に二人乗りしている横で彼女はずっと美しい天使のことを見ていた。
「二人ともありがとね。フィオちゃんも天使くんもまた来てね」
箒で空高く舞い上がってもお姉様は手を振っていた。いつもより重い箒で上手く風を捉えて進む。
「フィオ、お洋服を買っていただいてありがとうございます」
「かわいいから毎日それ着てほしいんだけど……はぁ、本当はケガの治療費は御屋敷が出してくれるんだけど自腹だって言って家への仕送りこっそり減らそ……そういえば羽あるけど飛べるんですか?」
「飛べませんよ。産まれてすぐに羽の神経を切るので。人間が支配できなかった空を私ら天使が飛べては困るでしょう?」
まあ確かに。そう納得してしまうのは人間の根底に根付いている異端への無意識のの差別のせいだろうか。
お屋敷に帰ると直ぐにご主人様のところへ報告に行った。
「失礼します……ただいま帰りました」
ご主人様の仕事部屋に入ると書類に落としていた目をこちらに向ける。物珍しい天使に興味があるようで今日は一日中お屋敷にいたらしい。彼の元へ歩いていく僕の後ろからきょろきょろ辺りを見回しながら天使が後に続く。
天使が視界に入った瞬間彼の動きが一瞬止まり、それから顔を顰める。それはそうだろう、興味があろうとも実際に同じ空間にガタイのいい得体の知れない生物が居れば誰でもいい気分はしない。
「そいつが例の天使か。初めて見たが……美しいな。そいつはどんな感じだ?」
「心穏やかな優しい天使でございます。少なくとも人に危害を加えることはないかと」
「それなら良かった。そいつはお前に任せるから是非研究に役立ててくれ」
「主人様とリルお嬢様のご期待に添えるように尽力致します」
いつまで経っても目上の人との会話は慣れない。サッと会話を終わらせて部屋を出る。色白で背が高いのでこのお屋敷内でも彼は結構目立ち、自室に帰る途中にすれ違ったメイド全員から二度見された。その視線が痛い。
日が落ちて薄暗い部屋に魔法で灯りを付ける。前はシャンデリアで上手く光が拡散され明るかったが、それが無くなった今魔法だけではまだ微妙に部屋が薄暗い。
「これがフィオの部屋……良いですね、本が沢山あって」
彼は興味深そうに僕の部屋を見回す。
「前にちょっと魔法失敗しちゃってまだ片付けられてないところあるけど……気にしないで」
そう言ってロフトの柵に目をやる。根本からぽっきりと折れたまま放置されていた。他も壊れた本棚や破れた壁紙がそのままにされている。部屋の改修業者を手配してくれたらしいが暫くこのままで暮らすことになるみたいだ。それなら改修するついでに二段ベットを取り付けてもいいかもしれない。
「私はここで何をすればいいのでしょうか」
僕は分厚い例の魔導書を取り出す。
「この魔導書を解読したいんだけど、魔法を使うのに魔力を持った血が必要でして……だから申し訳ないけど血を分けてほしいの」
こちらの都合で彼の美しい体を傷つけるのは非常に気が引けた。本人も嫌だろうと反応を伺ったが、予想に反して彼はあっさりと了承した。
「そうですか、ではご自由に。好きなだけ採っていいですよ」
目の前に差し出された真っ白い腕にたじろぐ。こちらが頼んだとはいえ、いきなり腕を差し出されたってどうやって血を採ればいいのか分からない。大困惑して言葉を詰まらせていると、こちらの戸惑いを察したのか向こうも自分の腕を見つめて考え始めた。
「ナイフなどがあれば自分で腕を切りますが……ありますか?」
「あ、あるけど……それじゃ痛くない?そうだ医療室から注射器借りて、前僕もそうしたから……」
「天使の腕って血管見えないぐらい白いんですよ」
「あらほんとだ見えない」
人間にはあり得ない白さと血管の見えなさが人型の彼が人間ではないことを思い出させる。
「天使は人間よりも傷の治りが早いですから。あ、血を受け止める容器も必要ですね。あの瓶借りていいですか」
まだ着いてこれていない僕を置いて彼はすたすたと棚寄ると置いてあった空のジャム瓶を手に取る。
「待ってそれ消毒するから……ナイフは引き出しの中に、それも消毒しなきゃ。そっか包帯と消毒液も必要で……」
急いで必要なものを引き出しから引っ張り出し、魔法でそれらを消毒をする。ナイフを手渡し不安な気持ちが募るこちらに対して彼は平然としていた。僕の顔に感情がまじまじと現れていたのか、彼は大丈夫ですよと笑う。
「フィオ、用意していただきありがとうございます。後はこちらで済ませますので、お茶でも飲んで待っててください」
「いいの……?ならお願いします。あ、そのワンピース汚れちゃうかもだから一旦着替えてもらって……ついでに手直ししたいところがあるから」
サッと着替えてもらい、私はワンピースを片手にロフトへと引っ込む。
「血は程々で良いからー!瓶の五分の一ぐらいで!」
彼を背にして叫ぶと後ろから返事が聞こえてくる。心配だがここで振り返ってはロフトに逃げた意味がない。雑念を振り払って裁縫箱から裁ち鋏を取り出す。
あれから三十分ぐらい経っただろうか。
「出来た!」
彼用に仕立て直したワンピースは初めての直し方だったにもかかわらずほつれなく成功している。非常に満足した仕上がりだ。
「フィオ、出来ましたか?」
見ると僕の真横に天使が座っている。
「ーーわあ!?」
びっくりして飛び退く。なんでそこにいるの?彼が隣にいるなんて今まで全く気づかなかった。
「驚かせてしまってすみません。血、採れましたよ」
「あ、ありがとう」
差し出された瓶を恐る恐る受け取る。中で赤い液体が揺れている。彼のことだから必要以上に入れてくれそうで心配していたが、頼んだ通りちゃんと瓶の五分の一ぐらいの量が入っていて安心した。
試しに使ってみようと魔導書を取り出し、杖に彼の血を付けて呪文を唱える。彼が興味深そうに覗いた杖の先から、綺麗な花が咲いて出てきた。出来栄えは自分の血を使った時とあまり遜色ないと思われる。
「もっと大規模なのも出来たりします?」
「うん、出来るよ」
血を使う高度な魔法ではまた事故ってしまうので出来ないが、通常の魔法なら。杖を振って呪文を唱えると燃えるように輝く不死鳥が部屋の中を舞う。薄暗い部屋をオレンジに照らし出す。
「綺麗……魔法なんて初めて見ましたが、こんなに美しいとは」
彼の目も赤く照らし出される。
「良いでしょ、魔法」
「ええ、とても」
横目で見た彼の顔は嘘を言っているようには見えない。そう言ってもらえて嬉しい。
「あ、そうだ。ワンピースの手直し出来たよ」
このままでは一生見入ってしまうので話題を変える。彼に手直ししたワンピースを着てもらう。羽が出るように背中に隙間を開けて、チャックを外してボタンで留めれるように改造した。
彼は嬉しそうに笑った。全身を見て、やっぱり彼にはこのワンピースが似合う。ちゃんと着ると尚更だ。
「フィオもこのような服が好きなんでしょうか?」
「うん。好き。……見る?」
きょとんとしている彼を横目にクローゼットへと向かう。私が怪我を負ってまで守り抜いたクローゼット。元々魔法をかけていたので魔法の嵐でも傷の一つ付かなかった。
両開きの扉を開ける。天使は覗き込む。中には服が層のようにぎちぎちに詰められていた。その中から一着引っ張り出して見せる。青い花柄がプリントされた清涼感があるワンピース。広がった袖口と至る所にフリルやレースが縫い付けられている。少し前にあのお姉様の店で買ったものだが、とても気に入っていた。
「可愛い……!ですね。この生地が良いです」
「でしょ!?花柄プリント生地可愛いよね。他にも色々……」
クローゼットの中の服を一着ずつ取り出しては、彼に見せびらかして毎回可愛いと意気投合する。この服のここのリボンが良いだとか、形が美しいとか、色が良いだとか。永遠に話倒しているといつの間にか随分と時間が経ってしまった。日が落ちたせいで部屋の中がやけに暗くなってから時間の経過に気づく。
「暗い……今何時……もうこんな時間!?夕飯食べなきゃ。ねえ天使って何食べるの?人間と同じで良い?」
「ええ、基本的には」
相当気に入ったのか、部屋に散らばる服に目を落としよそ見をしながら返事をする。
「それじゃ、食堂行こ」
まだ名残惜しそうに服を見ていた天使を連れて一階の食堂へ向かう。小さな食堂では、住み込みの使用人らが仕事の合間に各々食事を取っていた。いつもは早めに行くので席が随分空いているのだが今日は混み合っている。
「僕が二人分の夕飯取ってくるから、席取りしてそこで待ってて」
そう言って天使を二席分のど真ん中に座らせ、羽で左右のスペースを確保させてからカウンターへ向かう。メニューは色々あるが、天使のお腹に優しいものがいいだろうとシチューを選択する。あの檻の中の環境じゃあまともに人間の食べ物すら与えられていない可能席だったある。僕が初めてこの食堂で揚げ物を食べた時に胃がびっくりして腹を下したのでその反省を活かさなければ。
「お待たせ〜……およ?」
トレーを両手に天使の元へ戻る。混んでいて人が並んでいたので少しばかり時間がかかってしまった。見ると天使が数人の人間に囲まれている。
「卑しい身分のくせにご主人様のお屋敷に入りやがって」
「今すぐ出てけよ気持ち悪い」
「誰だよ天使なんてそんな得体の知れないモノを連れ込んだのは」
罵詈雑言を投げつけられる彼はその真ん中で澄まし顔をして座っている。
「ちょっ……待って!」
近くのテーブルに食器を置いてから彼の元へ駆けつける。
「僕の子に何か用で…しょうか…?」
周りの大人に圧倒されて語尾が消えていったが、それでも言い切った。大丈夫、何をされてもこちらには魔法がある。
「お前の子か。魔法使いさん」
「はい。僕の奴隷…です」
奴隷という言葉はあまり使いたくないけど。
大きな溜息を吐かれる。
「天使なんて気味が悪い。しかも男にワンピースだと。気持ち悪い。そんなもんをお屋敷内に入れるな」
「本当、卑しいわぁ」
「魔法使いってだけでも怖いのに、天使を従えているなんて…」
僕らに群がる人間らも、その外で席に座りながらこちらを覗いている人達も。その顔は何か異様な怪物を目にするような。
「リルお嬢様の為ですので……」
まただ。またその目だ。何度も向けられた目だ。その目が気味が悪いと思ってしまう。本当に気味が悪いのはこちらなのに……
「人間、フィオが困ってますので。退いてくださいね。私はお腹が空きました」
彼がやっと口を開いたからと思うと、お腹が空いたなどと意味ありげな発言に周りにいる人間の顔が引き攣る。そういえば野生の天使は人間を空から狩ってたらしい。今の天使は家畜化されて従順になっているから人間を食べるなんてことはないと思うけど。
「……くれぐれも大事は起こすなよ」
一人が舌打ちして去っていくと、続いてその他に群がっていた人間らもばらばらと帰っていく。
「……貴方は可愛いよ」
置いておいた食器を持ってきて天使の隣に座る。
「僕は貴方が良い人だって知ってるし、ワンピースも似合ってるし、羽も綺麗だよ」
「ありがとう。私は大丈夫ですよ、フィオ以外の人間はあまり信用してませんから。それに自分の身分は弁えてます。今更何言われたって関係のない事です」
「でも……痛いでしょ、心が」
はっと、こちらに天使の目線が行く。
「ええ。まあ、そうですね」
僕はシチューに目を落とす。にんじんとじゃがいもが入っている。美味しそう。
「そう……ねえ、人間、食べるの?あいつら食べる?」
「まさか。……ちゃんと料理してから食べますよ」
「料理するなら何が良い?」
「ハンバーグ食べてみたいですね。今まで魚のすり身でできた偽物しか食べたことがなかったので。にくじゅう?が本物では出てくるとか」
「ハンバーグ良いよ。逆らった奴ら全員魔法でミンチにしてやるから覚えとけ」
こちらには魔法があるのだから。逆らった奴ら皆んな肉片にできるのだから。いや治安悪いな僕ら。
そう思うとなんだかおかしくて笑ってしまう。それをみていた天使も釣られて笑いが溢れる。
なんだか楽しい。幸せってこういう事なんだ。
食事を終え、部屋に戻る途中、彼の後ろ姿はやはり純白だ。窓から見える夜の藍に浮かぶ月によく似ている。
「あの、」
「なんでしょうか?」
その美しい姿を見て僕の心が決まった。こんなところで言うことではない気がするけど、今、気が向いたから。
「ルナ……貴方の名前。月のように白くて美しいから……で、良いかな?」
世界を静かに照らす白。神のように空に鎮座する宝石。天使のような純白と美しさ。そして優しさ。
「ルナ……良い名前ですね」
本心はどうだか知らないが、嫌な顔はしていないように見える。
「明日からまたよろしくね……ルナ」
「こちらこそ。お世話になります、フィオ」