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天使

そこに載っている魔法を試したのは翌日のことである。

ご主人様、つまり私の雇い主にあたるリルお嬢様の父親の所有する御屋敷の角部屋。こじんまりとした部屋に長机と魔導書が収められた本棚、魔法の材料が詰められた棚にベッドの置かれたロフト。長机の前には大きな窓があり季節の花が咲く広いお庭が見える。お茶を楽しむお嬢様の姉妹や植木の手入れをする庭師、洗濯物を干すメイドらがよく見えた。

「さーて、魔導書読解しますか」

椅子に座り昨日もらった魔導書を早速読んでみる。初めは見たことがない魔法にニコニコで読み進めていたが、次第に顔が険しくなってきた。

「げっ、これも……こっちもだ……まじで?まじで言ってんの?」

全てにざっくりと目を通した後、衝撃の事実にうわぁぁぁぁ…と頭を抱える。

全ての魔法に“ブラッディリーブ”と呼ばれている材料が必要と書かれている。

「全部ブラッディリーブだぁ……要するに血が要るってことだよね?全部に?魔導書解読し終える前に僕貧血で倒れるよ?うわぁぁぁぁ……」

独り言を叫びくねくね床を這いながら衝撃の事実をなんとか飲み込む。

血を使う特殊魔法……正確には“魔力を持つものの血”。血という命を代償にすることでより高度な魔法を実現する。

魔法使いの家系が殆ど途切れてしまった今、残念なことに僕以外の血で代替ができない。

「くぅ……しょうがない、自分の血を……」

嫌々立ち上がり引き出しに納められたナイフを取り出す。護身用のナイフは長い銀の刃先が己の顔を映し出している。これで己の腕を切れば魔力を持った血を採取できるだろう。

……切るの?本当に?痛いよ?

一気に気力が失せる。

「っ……医療室に行けば血ぐらい注射器で抜いてくれるか……」

渋々治療室へと向かうことにする。スカートについた埃を払い櫛で肩上に切り揃えられた髪をとかす。外していたピアスを付け、最低限身なりを整える。防魔法加工が施された扉は重くて分厚い。しかし部屋を出ると後ろで開けたドアが内部加工により音も立てずにゆっくりと勝手に閉まる。

医療室は一階にあった。三階にある私の部屋からはそこそこ遠い。長い廊下を渡り、階段を降りて目的地へ向かう。

「すいませーん」

少し開けた扉から顔を覗かせて室内を見回す。中で座っていた医者と目が合い、あら、とにっこりされる。

「フィオちゃんいらっしゃい〜」

「あ、サラさんおはようございます……」

ふんわり巻いたミルクティーの髪に豊富なバスト、室内に入り彼女に近づくとふんわりとした花の香りが漂ってくる。

「どうしたの〜?また魔法で失敗しちゃった?」

「いえ、そうじゃないんですけど、魔法のことで」

昨日貰った珍しい魔導書のこと、その魔法を使うには血が必要なことを説明する。話を聞いて、あらあら……まぁ……とおろおろしながらもしょうがないわよね……と消毒液と注射器を持ってくる。

「腕、借りるわね。あらまぁ細い。ちゃんとご飯食べなさいよ」

差し出された腕を数秒じっと見つめた後、一発で血管を見つけて針を刺す。刺さった針から目を逸らすのをみて彼女は僕に話しかける。

「リルお嬢様、お魔法好きだわよねぇ。新しい魔法、気に入ってくれると良いわね」

「そうですね。それが僕の役目なので」

「頑張ってね」

「はい……!」

あっという間に抜き終わると、採れた血を小瓶に入れて渡してくれる。手のひらでオリーブのモチーフが彫られた小瓶の中に廊下に引いてある絨毯ぐらい真っ赤な血が揺れている。

「どうもありがとうございます……また来るかもしれません」

「ええ、いつでもいらっしゃい。でも頑張りすぎないようにね」

にっこり笑い手を振りながら見送られる。それに甘んじて僕も手を振り返す。

部屋に戻りさっそく一番最初に書かれていた魔法を試してみる。抜いてもらった血を羽ペンにインクを付けるように杖の先に付ける。言い慣れない言葉に詰まりながらもなんとか口にだして杖を振る。

「ろ、ローザリ……ド?」

数秒の静寂が魔法の失敗を告げる。

「くっ……杖の振り方も呪文もいまいちだったか。もう一回、ローザリドっ!」

今度は呪文に反応して杖の先が光る。そこからぱっと一輪の薔薇の花が咲いた。血と同じぐらい鮮やかな赤い花。花びらや葉の繊維がいつもの魔法よりも繊細に表されている。

「おおー!」

一人部屋の中で拍手する。が、拍手で集中が途切れて花は光となって散って消えていってしまった。

他にも鳥や蝶などの造形魔法を使ってみたが、どれも今までの魔法とは一風変わった美しい幻影が作り上げられた。

それならもう少し難しいのもできるかと魔導書の中盤付近のページを開く。

うわ、呪文も杖の振り方も複雑ぅーと、文字数の増加に一気に難易度が上がるのを感じながらも書かれた魔法を解読する。その後片言で何回か呪文を唱え杖を振るがどれも不発に終わってしまう。血も何度か杖に付け直していると小瓶の3分の2まで減ってしまった。

「難しい……うう……すみません次失敗したら大人しく簡単なのからやりますぅ……」

小瓶に杖を突っ込み血を付け直す。適当だった為いつもよりも多めに血が滴る杖を降り、呪文を唱える。かれこれ30分ぐらい格闘していた気がする。ここまで失敗続きでは最後の一回すら成功させる気力もなかった。

「フェルマイールド!」

そう、成功させる気は微塵もなかったのだ。だから目の前の出来事に対処できなかった。

杖の先が光り、僕の目の前に鱗が煌めく龍が現れる。明らかに尻尾まで部屋に収まりきらないサイズの龍が意思を持ったかのように頭を上げる。渦を巻くように部屋の中を泳ぎ始めた。ものの数秒で竜巻が起こる。

「え、ちょっと待って」

杖を振ろうとして気づいた。この魔法の消し方を知らない。

竜巻の風の流れに飲み込まれぬように魔導書を抱えて急いで本棚にしがみつく。風の渦が強くなり、机に放っておいた紙や小物が3、4階の二つのフロアに渡り吹き抜けになっている高い天井に舞う。シャンデリアがガラスが擦れる音を立てて揺れる。

頭上のロフトで何か大きな音がした。扉が勢いよく開くような……

「あっ、クローゼット!そこだけは守らないと!」

たぶんさっきのはクローゼットの戸が開く音。そこには僕の大切なものが収まっている。なんとしてもそれだけは守らないと。

背後の本棚に足をかけて登る。強さを増す風に必死にしがみつきながらなんとかロフトの柵に手が届く。

視界の端から何かが勢いよく飛んできた。飛ばされた本だ。頭に当たり、痛っ、と声が出るがそんなことを気にする暇はない。柵を乗り越えてたどり着いたロフトは掛け布団が飛ばされたベッドと扉が全開になり風に煽られているクローゼットが見える。すぐさま駆け寄り風を受けて重くなった扉を気合いで閉める。がちゃん、とどこかでガラスが割れる音がしたがそんなのはお構いなし。あとは防御魔法を展開してこの嵐を凌ぎ切れば……

その時、頭上に大きな影が迫った。振り返った刹那、衝撃と共に視界が暗くなる。背後に迫る落ちてきたシャンデリアを見たのを最後に僕の記憶は途切れた。


次に見えた景色は木張りの天井。ここは医療室?寝かされた身体に力を入れてみると節々が痛くて起き上がれそうにない。あれ、僕はどうしたんだっけ……

「フィオ!」

遠くから走ってくる足音がする。離れなところから話し声が聞こえてくる。

「サラっ!フィオが事故に遭ったって……」

「リルお嬢様。ええ、魔法が失敗したみたいで落ちてきたシャンデリアの下敷きになって……あそこで寝てますよ」

「下敷きって……フィオは大丈夫なの?」

「怪我はしましたが命に別状はないみたいです」

サラとリルお嬢様の話し声と共に話し声が近づいてくる。

「フィオ?」

ベッドを覆うカーテンが開き、外の光が飛び込んできて思わず目を細める。

「……お嬢様」

「フィオ!」

目が合った瞬間、お嬢様が満面の笑みで僕に飛び込んでくる。肩を押されて鋭い痛みが走る。

「いっ……」

「お嬢様、」

僕が痛がるのを見てサラがすぐさまお嬢様を回収する。しかし引き剥がされた後もすぐにこちらに駆け寄ってきた。

「フィオ、大丈夫?」

「ええ、なんとか生きてますよ」

「フィオちゃん、魔法で失敗しちゃったんだって?大きな物音があなたの部屋からして近くにいたメイドが駆けつけたんだけど、凄い風が吹いてて収まるまで近づけなかったよ」

「はい……新しい魔導書に乗ってる魔法を使ったら制御できなくなってしまって」

「しばらく経ってからフィオちゃんの姿が見えなくて部屋に入ったら落ちてきたシャンデリアの下敷きになってたそうじゃない」

記憶を辿ってみるとそういえば最後に見た景色が迫り来るシャンデリアだった気がする。

「シャンデリアの一部が背中に刺さってて出血が大変だったのよ。頑張りすぎはいけないわ」

「はい……もういきなり難しい魔法を使ったりはしません……」

己の行いを反省しながらため息をつく。背中に怪我をしたらしいが薬が効いているのか動かしたりさっきみたいに衝撃が加わらない限りそこまで痛いというわけじゃない。

一息ついたところで、あれ、とさっきのサラさんの言葉が思い返される。

「僕の出血そんなに凄かったんですか?」

「ええ。床が血の池地獄みたいになってたらしいわよ……あ、そういえば新しい魔法にフィオちゃんの血が必要だったのよね」

「僕の大切な血が……勿体無い……全部回収したい……」

今から重宝する大切な血が大量に流れ出てしまったらしい。以前採ってもらった血はあの嵐じゃあ何処かに吹き飛ばされて小瓶が割れてしまったに違いない。サラさんが申し訳なさそうに言う。

「あのね、しばらくはその魔導書の研究はお休みにしてほしいの。今フィオちゃんは貧血状態だからこれ以上血を採ると倒れちゃうの」

「そっか……」

肩を落として呟いたのはお嬢様だった。これはお嬢様のための魔法だ。悲しそうなその顔に心が痛む。

「すみません僕が失敗したばっかりに。お嬢様が楽しみにしていた魔法が……」

その言葉を聞いてお嬢様は一瞬はっとしたような顔をして、それから僕をじっと見つめた。

「フィオ、私がなんとかしてあげる」

「なんとか……?」

「元はと言えば私が新しい魔法見たいって言ったから……待ってて!」

そう言い残すとサラが引き止めるのも聞かずに部屋の外へ走っていってしまった。

数日間、フィオは医療室のベッドで寝ていたがその間にお嬢様は一度も来なかった。どうしたんだろうと思いながらも一人仕切りのカーテンに囲まれた薄暗い部屋の中で魔導書を読み込む。が、それもそろそろ飽きてきた。

「はぁ……そういえばクローゼットの中身無事だったかな。本棚とかも片付けなきゃだし……」

思い浮かぶのは部屋の後処理のこと。荒れ果てた部屋を一人で片付けるとなると気が重い。が、誰か手伝ってくれる人がいるわけでもない。塵と化したであろう学校の課題はやり直しだし本は修繕の必要があるだろうし。全てやらなければいけない、一人で。

カーテンの外でサラがメイドらとおしゃべりをしているのが聞こえてくる。ずっとここで寝ていてわかったのはサラとメイド二人は仲良しであり掃除のついでにここでお喋りをして仕事をサボっているらしい。

三人で笑い楽しそうに喋っている。

「昨日のお夕飯どうだった?異国のお料理はお口に合ったかしら」

「私が味見した限りでは美味しかったわよねぇ〜あとは好みが合うかどうかだけど……」

「長女のシェリー様が残していらっしゃった。ダメだったらしい」

「まあ。私はまた好きなのだけれどそれなら没だわよねぇ」

「今度こっそりキッチンに来なさいよ。作ってあげるわ」

友達がいたらこの話題も笑い話にできるのだろうか。笑い事にして辛いことは忘れられれのだろうか。散った宿題を写させてもらったり、散乱した部屋の片付けを手伝ってもらったり。傷口の痛みも忘れられるかもしれない。

とりあえず寝てるだけじゃダメだと身体を起こした。背中の傷口を縫った糸が引き攣るのが怖い。息を吐いてから意を決してベッドから立つ。傷が痛い。でもふらふらしない。これなら動けるか。

「サラさん」

ベッドから出てきた僕と目が合う。サラさんはちょっとごめんねといい会話を抜けこちらへ駆け寄る。

「フィオちゃんどうしたの?」

「一度自分の部屋に戻りたいと思いまして。ほら、片付けしないと……」

「怪我は大丈夫なの?」

「はい、いってきます」

「分かったわ……気をつけてね」

案外あっさりと送り出してくれたなと思いながら医療室を後にする。本当はもうちょっとだけ気にかけてほしかったのだけれど。後ろで再び談笑が再開する。階段を上がろうとした時、お嬢様が廊下を歩いているのが見えた。目が合った瞬間、フィオ!とこちらへ駆け寄ってくる。

「フィオ、ちょうどよかった。話したいことがあるの」

「話したいこと?」

「魔法のことだ」

顔を上げるとお嬢様の後ろにお嬢様の父上様……この屋敷の頭首が立っていた。

立ち話もなんだと父上様の部屋に移動する。ソファに父上様と対面する形で座り目の前の机にお茶が出される。

そして言われた言葉に首を傾げた。

「奴隷……ですか?」

「そうだ。新しい魔法の研究に血がいるらしいな。奴隷から採ればお前の負担が減るだろう。それに怪我が治るまで面倒も見てもらいなさい」

「しかし、魔力を持つものの血でなければ魔法は使えません。魔法の家系が希少になった今、ましてや奴隷の身分にそのような人間はほとんど……」

僕がそのように反論するのを分かっていたかのように直ぐに言葉を紡ぐ。

「天使はどうだ。人工繁殖の天使なら」

ソファに深く座り表情の一つ変えずに自分の顔を見つめてくる父上様が何か怪物のように見えて息が詰まる。それを平然と言える貴族の感覚は分からないが、元庶民の僕からすれば奴隷を取ることなど非常に残酷な提案だった。

「……確かに出来なくはないです」

僕の返事を満足そうにお茶を啜る。


時間がある時に奴隷市場に行ってきなさいと言われ金貨の入った重い小袋を渡された。僕は翌日に早速現地へと向かう。渡された住所を頼りに、お屋敷から少し遠くの街へ箒に乗って空を飛ぶという昔ながらの手段で移動する。足元の遥か下に流れていく小麦畑が米粒程に小さく見える。人や動物なんかほとんど見えない。

大昔、かつて天使という種族が今の僕と同じように純白の翼で空を飛び回っていたという。知能が高く人間を超越した力を有していた。しかし幸いなことに天使は本能的に群れなかった。群れをなす人間らが天敵である天使を狩り尽くし、その一部を家畜化して人工繁殖させることに成功した……らしい。らしいというのはまず天使は普通にはお目にかかれない程貴重であり、しかもちょっと身長が高いぐらいで見た目は人間とあまり見分けがつかない。もしかしたら以前魔導書を貰った時に訪れた宮殿の使用人の中にも一人や二人居たかもしれない。庶民の僕にとっては神話でよく出てくるぐらいの感覚で現実味がしなかった。

(見たことないんだよな、天使。一体で広めの家買えるぐらいらしいじゃん?遺伝子的に美人が多いらしいけど……お迎えするなら歳が近い方がいいな。あ、でも同い年の子から血を貰うなんて痛々しくて嫌なんだけど。でもそこらの薄汚い金持ちよりは僕の元に来た方がよっぽど待遇は良かったり……)

どうしようかと考えながら飛んでいると青々とした植物が生い茂る地の遠くの方に異質な物体がちらちらと見えてくる。自然の緑を切り裂いて存在する白いそれは建物を筆頭とする人工物が連ねる街。箒の柄を握る手に力が入る。

まだ道が舗装されていない郊外に箒を下ろし、徒歩で街内に入る。その街は四階建てのご主人様の御屋敷よりも頭上遥か高くまで伸びた建物が迷路のように入り組んでおり、どこを歩いても日陰でまるで冷たい海の中に沈んでいるように思える。上を見上げてみると建物と干された洗濯物の隙間に鮮やかな青空の水面が細く輝いて見えた。

複雑な道は一直線で目的地まで辿り着かせてくれない。郊外ではなく直接奴隷市場に降りた方が速かったかと後悔しながら地図に示された裏道を通って目的地に向かう。それらしき店に辿り着き、襟を正してから失礼します……と両手で扉を開けて中に入る。

「兄ちゃんいらっしゃい」

低い声がした方を見ると、カウンターに寄りかかる厳ついおじさんがこちらを睨んでいる。奴隷市場に行くのだから魔法使いとしての正装を着て純金のブローチやら指輪を身につけて厚底ブーツを履き、まだ未成年でチビだけどちゃんと貴族だから舐めんなの空気感を出そうとはした。本当は屋敷の者に着いてきてほしかったが当てもなかった。帽子を深く被り直し、さっさと事を終わらせようと話しかける。

「……天使を取り扱っているとお聞きしまして」

おじさんの目線が上にいく。

「その格好、魔法使いだな。今どき珍しい。天使を大鍋で煮たりでもするのかい?泡立つ緑の不老不死の薬でも作るんだろうね」

ニヤつくおじさんに思わずため息をつく。

「イメージが古いですよ……天使の魔力をお借りしたくて。それで、天使を見せて頂けませんか」

「はいはい、ちょっと待ちな」

気怠そうに起き上がってカウンター奥の金庫からじゃらじゃら音を立てる鍵束を取り出す。着いてきなと言い、部屋の奥の廊下に出て階段降りる。下りた先は湿っぽい空間に無機質な金属の扉が一つあった。そこの鍵穴に鍵束の一つを差し込む。

重い扉が開かれると同時に微かな息遣いが聞こえてきた。灯りがついていないので闇に呑まれているが、確かにこの中に生き物が蠢いている気配がする。杖を振るい、魔法の光で部屋の中全体を照らし出す。

「流石は魔法使い様。ランプなんて要らないんだな」

後ろで手持ちランプに火をつけようとしていたおじさんが持て余したそれを机に置き直す。明るくなった部屋を改めて見回すと、数十個置かれた猛獣用らしき柵の太い檻の中に、それぞれ二、三匹真っ白い物体がうずくまっている。その背中から伸びる純白の羽で正体がすぐに分かった。

「……天使。」

初めてこの目で見た。本当に人間と見分けがつかない。頭があって、髪があって、胴体から細くて白い手足が伸びている。髪の色も目の色も身体の大きさだって人間と同じようにみんな違う。ただ一つ異なるのはその背中に付いた真っ白な翼だけ。

「兄ちゃん、値札と詳細は檻のところに貼り付けてあるから好きなの選びな。近くで見たかったら檻から出してやるから」

そう言って近くの椅子に腕を組んで座る。

「どうもありがとうございます。ゆっくり選ばせて貰いますね。あの、僕と歳が近い子とかいませんか?」

「兄ちゃんとなら……あそこの檻の二体だな」

指さされた方の檻を見るとそこには身を寄せ合う二人の天使がいる。近寄ってみると二人で手を繋ぎ身体を震わせてこちらを睨んでいる。

檻に紐で吊された資料を手に取る。身体が小さくて赤髪短髪の方の天使が【23605】、身体が大きくて黒髪長髪の方の天使が【23593】。二人とも確かに僕と同い年ぐらいに見える。

「『二体は常に共にいるので購入の際はよく考えるように』……だってさ。どうしよう僕一人分しかお金もらってないんだけど」

早速同い年の子を選ぶという選択肢は潰えた。

「兄ちゃん、魔法目当てならそいつらの隣の奴も良いぞ。そいつがこの中で一番魔力が高い」

遠くから叫ばれて僕は隣の檻に目をやる。確かにそれで選ぶのも良いかもしれない。

「……」

しかしその容姿に絶句した。黒髪の天使、【23901】。背丈が僕の腰あたりまでしかなく、十歳にも満たないかと思うぐらい幼い。資料には“神獣に匹敵する魔力”と書かれている。この小さな身にかなりの魔力が込められているらしい。

「……ごめん」

居た堪れなくなってその場を離れる。

どこか焦る気持ちで別の檻へと足を運ぶ。流し見ると僕よりも幼い子、青年から大人まで様々な天使がこちらを見ていた。が、一人選ぶとなると途端に難しい。違いというものがよく分からない。決定打が見つからずに三、四周降りの前をウロウロする。

「……リボン」

凛とした声がして振り返ってみると、そこにいたのは僕よりも年上だろう白髪の天使。その視線は、僕の袖口を絞る蝶々結びされた紐に向けられている。こちらの目線に気がついたのか顔を上げた。

「あ、いえすみませんなんでもないです……」

天使の声というものを初めて聞いた。透き通るような美しい声。野生の天使はこれで人間を誑かして狩っていたとか。

「これ?」

そう言って見せた袖口を天使はまじまじと見つめる。

「あ、はい……可愛いですね、リボンも。あっ、レースも」

「え!?あ、ありがとう……」

袖口に縫い付けていたレースまで突然褒められた僕の心臓が跳ね上がる。

「その、これ、自分で仕立てた服なんです……可愛い、ですよね」

「貴方様が作ったんですか。凄いですね……良いなぁ」

諦めたようなその語尾が、もう一度僕の心臓を跳ね上げる。

「……好き、なんですか?お洋服?それともリボン?」

「どちらも。ここに来るお貴族様方のお洋服を眺めては、少しばかり良いな、と人間らしい感情を抱くのです」

「そうなの……」

僕は資料に手を伸ばす。【234680】。人間に対してかなり好意的。

人間好きなこのと子なら上手くやっていけるかもしれないし、それになんだか趣味が合いそう。

「あの……!」

店主のおじさんに向けて目線を送る。決まったか〜とこちらに歩いてくるなり、そいつでいいの?と嫌そうな声をあげる。

「天使のくせに人様に馴れ馴れしい気持ち悪りぃ奴だぞ。さっきだって何か話しかけてたじゃないか」

「この子で良いんです……あっ、待って少し良いですか?」

すっかり天使に聞き忘れていたのを思い出す。

「あの、」

「なんでしょうか?」

しゃがみ込むと蒼い月のような瞳が真っ直ぐにこちらを向く。美しい。

「僕は魔法研究の為に貴方の魔力と血が欲しいの。ごめんね多分今後頻繁に採血するんだけど……良い……かな?」

「ええ。私の事は好きなようにお使いください。人間様の為に生まれてきた命ですから」

迷いもなく発せられた言葉に僕の心が決まった。立っておじさんの方を向く。

「この子でお願いします。あっ、こちら代金です」

「はいはい、待ってな」

チャリチャリ音を立てながら精算をしている間、これからよろしくね、と笑いかける。改めてはっきりと天使の姿を目で捉えた。膝丈まで伸びるウェーブがかかった白髪に長いまつ毛の下から覗く蒼い双眸。背中から伸びる純白の翼。僕より歳上だろうか、青年のような美しい顔立ちをいている。

「はいお釣りね。で、契約書と領収書にサインして……どうも。んじゃ出すから」

がちゃんと空間に響く音に他の天使の視線が一斉に向けられる。

あいつ、買われたんだ。可哀想に。あいつを買ったんだから人間様も大層物好きなんでしょうね。魔法使い?魔女じゃないの?人間じゃないんじゃない?


魔女め

こっち来んな。みんな魔女に食われるぞ〜

火炙りにしてやろう。魔女狩りだ


「兄ちゃんまいどあり」

古い記憶からおじさんの声で我に帰る。差し出された鎖を受け取る。

「あ、どうも……」

見るとそれは天使の首輪に繋がっていた。

「あの、この子のお名前とかって……」

「んなもんねぇよ。【234680】ってコードが付いてるが好きに呼びな」

おじさんに見送られて二人で店を出る。案外怖くないおじさんだったなと思いながら来た道を戻る。裏道は街灯がなく、天から降り注ぐ蜘蛛の糸のような光しかない。

しばらく無言で天使のを前を歩いていた。

「……あの、」

「なんでしょうか」

気まずい空気に耐えかねて話しかける。

「お名前、ないんですか?」

「ええ。ずっとコード番号で呼ばれてましたから。どうぞお好きなようにお呼びください」

再び沈黙が二人の間を流れる。今度は天使の方から、そういえば、と話しかける。

「貴方様のお名前は何と仰るのでしょうか?」

「あっ、ごめん言ってなかったですね……フィオレ・ペダルタです。良ければフィオと呼んで」

「フィオ様、でよろしいですか?」

「フィオでいいよ。……えっと、あなたのお名前は後でゆっくり考えるから……」

「貴方様……いえ、フィオはお優しいのですね」

え、と天使の方に振り向く。

「僕が?」

「ええ。他の人間らは奴隷にすぎない天使に名前なんか付けませんよ。それに二人でいた天使たちを引き剥がさないでくれたり、私に採血が何とかと確認をとっていらっしゃったじゃないですか」

思い返せばそのような対応をしていた気がする……緊張であまりよく覚えていないが。

「まあ確かに?……多分それは僕が貴族じゃないからかな。奴隷とか貴族の習慣に慣れてないし……」

「お貴族様じゃないのですか?てっきり身なりからそうなのかと」

ううん、と首を振ってから己の身なりに目を落とす。

「町の仕立て屋出身で、今は貴族のペダルタ家に魔法使いとして仕えてる。当主のお嬢様に魔法を見せたら気に入って、そこから雇ってもらったの」

半年ほど前だろうか、突然ペダルタ家の使者が店にやってきたかと思うと服作りを任された。大人達があたふたして取引のやり取りをしている間、手持ち沙汰になってしまった僕は使者にくっついてきたリルお嬢様の面倒を見ていた。そこで披露した魔法を大層気に入られてしまい最終的にお屋敷に住み込みの魔法使いとして雇われることになった。

「だから貴族なりの身なりはしてるけど本当は庶民なんだよ」

「そうなのですか……でも、庶民の方でも奴隷身分にお優しくしてくれるのは珍しいと思います」

そう言われればそうなのかもしれない。でも、そう言ってくれる天使の方が神のように優しく見える。

「そう……ありがと。あ、もうこれ要らないでしょ取りますね」

そう言って貰った鍵で天使に付いていた首輪を外す。その間天使はこちらをじっと見ていたが外し終わると、ありがとう、とこちらに微笑みかけた。何となくこちらも微笑んでしまう。

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