夏の宴
静寂に響くひそひそとした期待の声。私は呪文を読み上げる。いつも通りに、正確に、間違い無く。声に呼応した魔導書が輝き、魔法陣が浮かび上がる。魔力から生まれた光の粒子が重力に引き寄せられるように中央に集まる。
それが集まって出来た竜が翼を広げて空を舞った。虹色に煌めく鱗と、猫の目みたいな琥珀色の眼。長く細い髭が絶えず揺れている。
ホール内に一斉に拍手が巻き起こった。中央に立つただの魔法使い見習いに今、高貴な身分の人が拍手を送っている。
そんな優越に浸りながら私は次の魔法を披露する。
ここはエラノ王国。中心都市サヴェラスに聳え立つこの国の繁栄を象徴する豪華絢爛なサヴェラス宮殿。夏の生暖かい風が吹く中、陽が沈んだ夜を照らすように窓から漏れ出た煌めくシャンデリアの光が城下町に降り注いでいる。
その宮殿の中で開催されているのが夏の宴。各地の貴族や王族が集まるこのパーティで、僕は今、ホール中央で観客の視線を集めながら魔法を披露している。
雲の中を泳ぐ竜。不死鳥と聖霊。幻の花。
気持ち悪い。僕の拙い魔法に送られる拍手喝采がなんだか奇妙で恐ろしいものに感じる。
「魔法使いさん、魔法を見せてくれてありがとね」
「素晴らしかったわ。ぜひ今度うちに来て見せてちょうだい」
全ての魔法を披露し終わり今日一番の拍手の中、控え室へと退場しようと歩くと海が割れたように人が避けて扉までの道が開く。
廊下に出ても扉を閉じてもまだ聞こえる喝采を後にして一人だだっ広い廊下を歩く。ホールからの声が聞こえるとはいえ、扉の前に佇む兵士と時々行き交うメイド以外に人がいない。人の熱気から外れひんやりと静まり返った廊下は無駄に広くて豪華であった。
身の縮こまる思いをしながら自分の身長ほどある絵画を流し見る。壁にはとある一人の画家に全て描かせたという絵画が細かいレリーフが施された金に光る額縁に飾られていた。それが壁の柱で区切られたスペースごとに左右それぞれに一枚ずつ。計五百枚以上がこの宮殿を飾っているのだとか。
こんな場に僕がいるのはどうみても場違いだ。魔法使い見習いが立っていい場所じゃない。やっぱり、魔法使いなんて辞めてしまおうか……
「フィオ!」
憂鬱をかき消すような心地の良い声が静寂に響く。廊下の向こうから小走りでこちらに向かってくるのは太陽のような女の子。軽く巻いた黒い長髪に白を基調としたドレスを着ているのは我が主人の三女、リルお嬢様。
「二階席で見てましたよ!いつも下から観ていたから、二階で観ると手を伸ばしたら届く距離まで魔法が近いんです!」
満面の笑みでこちらに笑いかけてくる。
「リルさんありがとう……練習の成果もあって、無事に披露できました」
「ええ!本当練習よりお上手でした」
私が控え室に行こうと足を進めるとお嬢様も僕の隣を歩く。
「フィオはこの後は誰かと会うご予定で?」
その問いかけに一瞬言葉が詰まる。
「……いいえ、特には」
「じゃあ、キッチン行きません?」
「キッチン?」
なんの脈絡もない場所に首を傾げる。料理はホールにも控え室にもたんまりと運ばれている。わざわざキッチンに行かなくても食べ物はあるのだが。
お嬢様は僕の顔を見て悪戯っぽく笑う。
「私たちのシェフも料理作りに来てるでしょ?ホールに置いてあるやつよりキッチンのつまみ食いさせてもらった方が絶対に美味しいって!ね?」
これ二人で行ったらお嬢様の悪戯の責任の八割は僕にのしかかるんだぞ。わかってんのか。
なんて目を輝かせてせがむお嬢様の前で言えるわけない。それに正直なところ僕もそのような冒険や悪戯は好きだ。
「……行ってみましょうか」
豪華な宮殿の中を歩き回るのは気が引けたがお嬢様の隣ならなんとか場違いではなさそうな気がする。
すでに下見済みらしく迷わず一直線に向かうお嬢様の後を僕は付いて行く。
「フィオの魔法、大盛況でしたね。これで大学の推薦入学で内申爆上がり!……でしたっけ」
「ええ……これなら嫌いな勉強をしなくて済みそうです」
と苦笑する。
しばらく廊下を進むとホールとはまた違ったざわめきが聞こえてくる。そっと扉を開けると、食欲をそそる匂いが僕らの鼻に飛び込んでくる。
自分の部屋の何倍もの面積にに馬鹿でかい冷蔵庫から一列にズラッと並べられたコンロ、燻製機らしきものまで様々な器具が揃えられている。そこの無駄に広い通路を料理人たちが小走りで忙しなく行き来していた。
一瞬ここに入るのかと戸惑ったが、幸いにも今扉の目の前に居る鍋を煮ている人が家のシェフの一人だった。
「ねぇ」
「わ⁉︎」
突然話しかけられたシェフの肩が跳ね上がる。スープの中に取り落としそうになったお玉を慌てて持ち直し、こちらに振り向く。
急な出来事に気が逸れたのか、持ち直したお玉が鍋の取手に引っかかる。バランスを崩した鍋が傾いて立ちつくすお嬢様方向に落ちそうになって……
「お嬢様!」
僕は呼び出した杖を振って魔法を使う。呪文を呟きながら一振り。宙に描かれた目には見えない魔法陣が僕の魔力と反応して特定の魔法を発動させる。
鍋はこぼれかけた中身ごとその場に浮かんで静止した。安堵のため息をつく。チラとみるとシェフが青ざめた顔で震えながらこちらを見ている。
「お、お嬢様。申し訳ありませ……」
「フィオすごーい!」
言葉を遮り、己の身を脅かした鍋にわざわざ駆け寄ってまじまじと見つめる。その後ろで立ちつくすシェフなんて眼中にないらしい。
「浮いてる!確かに浮いてますよね⁉︎」
「あ……あー、お嬢様お鍋は熱いので触らないで……」
「やはり魔法って凄いですねっ!」
その輝く目に僕は笑い返す。
お詫びにと出来立ての料理をお皿にたんまりと盛ってもらい、その上キッチンの端っこで椅子と机まで用意してもらい随分と優雅なつまみ食いをする。
お嬢様は烏骨鶏の丸焼きにナイフとフォークで優雅に食いつきながら僕がさっき披露した魔法の感想を永遠と喋っている。食べながら喋るのははしたないとは思いつつ、別に貴族はこのキッチンに僕ら以外いないのだからと目をつぶった。
まだ死んだような顔をしているシェフが紅茶を持ってくる。そこにお嬢様がオレンジジュースを持ってこいと言い放つと、ただいま持ってまいりますとティーカップを乗せたトレーをテーブルに置きキッチンの奥へすっ飛んでいった。
「で、なんの話してたっけ?」
シェフを見送り首を傾げる。
「もっと僕の魔法を見たいとかなんとかおっしゃってましたよ」
「そうでした!それでさっき聞いた話なんですけど、叔父様が珍しい魔導書を手に入れたと言ってましたよ!」
「魔導書……?」
今度は僕が首を傾げる。そもそも魔法が廃れた現代で魔導書自体現存するのが珍しいのに、その中でも“珍しい”魔導書とはどういうものか。
「フィオにくれるそうです。私はよく知りませんが、従来の魔法とは少し違った方式とかなんとか。後で叔父様の元に行きましょ」
叔父様の元に尋ねに行くと、まず披露した魔法の褒めから入り、そこから例の魔導書の話になる。
「異国から訪ねてきた商人から買ったんだよ。ほら、私らの周りで魔法が使えるのはあんたぐらいしかいないだろう?」
叔父様から渡されたのは僕が持っている一般的な魔導書とは一風変わった異文化の模様が施されたものであった。古めかしい分厚い魔導書は経年劣化で中の紙がボロボロになっており触るとすぐに破れてしまいそう。魔法でそっと開くと、見慣れない言葉遣いの羅列が飛び込んでくる。
「これは……あまり見かけない言語ですね。いえ、一応読めるんですけど方言混じりというか。これをなぜ僕に?」
「商人に聞いたところ高度な幻影魔法が載っているらしい。リルは魔法が好きだろう?」
その言葉に反応してうん!と期待の声を上げる。
造形魔法というのは要するに幻を作り出す魔法だ。先ほど披露したように竜や不死鳥などの幻影を作り出す。“高度な”とはおそらく造形の細かさだろう。無い物を想像して幻を作り出す分、その完成度は使い手の技術と魔法の複雑さが大きく影響する。先ほど鍋を浮かせたような一般的な魔法とは異なる、芸術面で使用される魔法。
お嬢様は僕の魔法の中でも特に造形魔法が好きだ。魔法が廃れ魔導書が手に入りにくい今、この魔導書を解読しない訳にはいかない。
魔導書を抱え込むとお辞儀をした。
「叔父様、ありがとうございます。解読してお嬢様に披露してみせます」
「ああ、機会があれば私にも」
「ぜひ」
控え室に戻ろうとするとどこからか女の子らが走ってきてリルちゃん!とお嬢様の名前を呼ぶ。
「あ、フィオ、私友達と回ってくるから!」
「いってらっしゃい」
手を振って女子たちを見送る。一人になった僕は廊下に出る。
喧騒が遠くなる。静寂が戻ってくる。
「友達と回ってくる……か」
お嬢様の楽しそうな笑い声がどこからか聞こえてくる。僕は抱えた魔導書に目を落とす。視線の先の古めかしい本。色褪せた紋様に錆びた箔押し。今朝食べたパンより分厚い背表紙。この煌びやかな宮殿には不釣り合いすぎる。
「あんたもわたしと友達になる?なんてね」
独り言を呟き、顔を上げて控え室へ戻っていった。