06. アイレナの決意
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「王」という名と、その座は、非常に重い責任を伴うものだった。
力を用いて王冠を頭に載せることはたやすいかもしれない。
だが、一度それを戴いてしまえば、否応なく思い知らされるのだ。
国を守る力とは、戦いではなく──知恵と政治によって支えられているという事実を。
歴史がそれを物語っている。
ただ武力で築かれた国家は、長くは続かず、やがて儚く崩れ去る。
民に愛され、臣下に信頼される国を保ち続けるためには、王たる者、日々疑念と知恵を携えたまま、重い決断を下さねばならなかった。
そして今、セレカディア王国のレオナルト・セリオンは、その二つを同時に抱え、苦悩していた。
「陛下、エイルナスの騎士団長リオネル・バレンとその一行が、陛下に拝謁を願っております」
侍女は玉座の前で頭を垂れ、慎重に告げた。
それは、少し前にリオネル・バレンとアイレナが朝食を終えたという報告の直後のことだった。
「……ふむ? なぜ?」
「詳しい理由までは存じませんが……何か心に引っかかることがあるようでした。陛下にどうしてもお目通りを、と何度も何度も言っていました」
レオナルト・セリオンは顎に手を当てたまま、彼らがこの時点で拝謁を求めてきた意図を探るように、しばし思案に沈んだ。
長い沈黙の末、彼はある結論にたどり着く。
「……よかろう。会おうではないか。ただし──」
その声には、まるで斧の刃のような鋭さが滲んでいた。
「二人だけを通せ。近衛兵も、お前たちも下がれ。もしも彼らが何かを隠しているのならば──この目で見極める」
「はっ、承知いたしました。すぐにお呼びいたします」
身を翻した侍女は、早足でリオネル・バレンとアイレナが滞在している部屋へと向かった。
だが歩みを進めるうち、ふと不安が胸をかすめる。
一体何を願っての拝謁なのか。
まさか──暗殺?
思考がそこまで及んだ瞬間、彼女は首を振った。
あまりにも飛躍した妄想だと、自らをたしなめながらも、その胸の奥に芽生えた不穏な予感は、容易に拭えなかった。
「……もし万が一、そんなことが起きたなら、この手であなたたちを処断します。私の愛するこの王国が、炎に包まれる姿など見たくはありませんから。申し訳ないけれども」
誰にも聞かれぬ、ただひとり心の中で誓うような、静かな囁きであった。
「エイルナスの騎士団長リオネル・バレン、陛下に拝謁いたします。私どもの願いを聞き入れてくださり、心より感謝申し上げます」
「ありがとうございます、陛下」
しばらくして大殿に姿を現したリオネル・バレンとアイレナは、玉座の前で膝をついた。
レオナルド・セリオンは豪快に笑いながら二人を迎えた。
「朝食は口に合ったか?」
「過分にして素晴らしい朝食でございました。陛下のご配慮に感謝いたします」
「あまりに美味しくて、口が幸せになるほどでした」
二人の褒め言葉を聞き、とくにアイレナの様子を見てレオナルド・セリオンはほぼ確信した。
あの礼儀正しい声、話し方、作法……まさしくジルベール・デュランの予想通り、王女に違いないと。
よし、いま彼らが何を言おうとしているのか聞いてみようかな。
「陛下、恐れながらお尋ねいたします。私たちが24時間監視されているのは……陛下のご命令でしょうか?」
アイレナは顔を少し上げてレオナルド·セリオンの目を見ながら言った。
彼女の発言は、不愉快な思いを抱かせかねない危険なものであった。
しかし、表面的には侮辱的なものではなく、しかも感謝の言葉を述べた直後であったため、下手に怒ることもできなかった。
そのため彼は、わずかに眉を動かしながらも、平然とした声で答えた。
「王宮に住む者ならよく知っているだろう? 他国の城内は常に監視されているのだ」
「それは……」
リオネル・バレンは同意するように小さくうなずいた。
だからこそ、国王の使節団には常に兵が同行する。
護衛という名目の下、他の者の監視を警戒する目的もあったのだ。
「それとも......、もしかしてこう言いたいのか? 君たちが監視されているこの状況が不愉快だ、と言いたいのか? もしそういう意味なら……」
しばらく息を整えたレオナルド・セリオンはこう言った。
「私の王国からすぐに出て行ってくれ」
リオネル・バレンは言葉を失い、何も言い返すことができなかった。
王の口調は静かだったが、その言葉の奥には刃のような冷たさが潜んでいた。
彼の頭の中では、いずれ直面することだと覚悟していた。
だが、いざ目の前で現実となると、鍛え上げられた彼でさえ息が詰まるような不快さを感じずにはいられなかった。
彼はそっと顔を向け、アイレナを見つめた。
彼女は静かにうなずいた。
すべてを理解しているかのような、不思議なほど落ち着いた眼差しで。
「監視されているのは不快ですが、それは仕方のないことだと思っております、陛下。なぜなら、陛下はこの王国を守るため、常に苦悩されておられる方だからです。ですが、私が申し上げたいのは、そういった意味ではありません。近衛兵や宮女とは別に、私たちを見張っている兵士が何人かおりました。もしそれが本当に陛下のご命令であるなら……私たちはその意志に従います」
(この子……本当に政治というものを経験したことがないのか? これほどの大胆さとは……驚かされる。一切視線を揺らさずに語りかけるとは)
レオナルド・セリオンは内心で感嘆し、口調を変えた。
「予想外の答えだな、王女よ。自分の置かれた立場、この国での立ち位置をすべて理解した上で……これほど大胆に言い切るとは。見事だ」
レオナルド・セリオンは笑みを浮かべながら、アイレナを褒め称えた。
先ほどまでその声に宿っていた刃のような冷気は、もう消えていた。
「……それは私の意志ではない。どうやらこの王国には、口が軽くて秘密を守れぬ者がいるようだな。実に……残念なことだ」
レオナルド・セリオンの静かな怒りは、秘密を漏らしたジルベール・デュランに向けられていた。
「……王宮というものは、沈黙する者だけが生き残れる場所だ。だが、そなたたちのように言葉を発する者が──時にこの風を変えるのだ」
彼の眼差しには冷ややかな興味と、ごくわずかな期待が滲んでいた。
「その不満、すぐに対処してやろう。今日からあの兵士たちの姿を見ることは二度とないであろう」
「ありがとうございます、陛下」
「それと、特別に近衛兵や侍女たちによる監視も減らしてやろう。今後はここをそなたたちの祖国だと思い、心穏やかに過ごすがよい。だが──」
再び、レオナルド・セリオンの声が氷のように冷たく凍りついた。
「妙な真似をすれば──命を失うことになるぞ」
「肝に銘じます、陛下」
「では、ゆっくり休むがよい」
リオネル・バレンとアイレナは、逃げるようにして大殿を後にした。
背後でしっかりと閉じられた大殿の扉を背に、二人は静かに安堵の息をついた。
監視は減ったが──本当の戦いは、もしかすると今から始まるのかもしれなかった。