06 シャーデンフロイデ学級
王の咀嚼が止まり、アウローラも小さく肩が跳ねた。
父親はふだんどおり。
一瞬で緊張したこの空気にも気づいていないかのような自然体だった。
「説明するね。アウローラ、いったん座ろうか」
紙束をオモニエールに仕舞いながら自分も座り、父親は当主の顔でへらりと笑った。
「まず事の顛末についてなんだけど…要は円卓の暴走さ。もしかして薄々気づいていたかな?」
そこから語られたのは、なんとも無責任で稚拙な数々だった。
発端は、円卓メンバーである名誉市民の商人が、溺愛する娘の夢を叶えようとしたことだという。
◆
商人は手堅い商売を堅実にこなすやり手だったが、不景気のあおりをくらって経営の見直しを迫られていた。
心を悩ます父親の助けになりたいと、その娘は誰も思いつかないような斬新な商品を次々に開発し、父親の度肝を抜いた。
恐る恐る自分の店で売り出してみれば、これがまた扱いやすく便利と話題を呼んだ。
ならば、と販路を広げて、ついでに円卓でも紹介にプレゼントしたところ、更に評判になり、商人は一躍、時の人。
平等といいつつ結局は貴族が幅を利かせる円卓で、平民ながら重用されるようになり、とうとう会計に任じられるまでになった。
成功を手に入れた父親と娘は絆を深め、満を持して社交界にデビューすれば、愛らしいその娘を賤しからぬ者たちがちやほやともてはやした。
時の人への追従か、あわよくば商品狙いか、単なるお戯れか。
なんにせよ、よくあることだ。
目新しい平民なだけに、すぐ飽きがくる。かわいそうだけど今を楽しんでほしいわ。
そう冷ややかに社交界から軽んじられていた彼女だが、しかし着実に信奉者を増やし、気づけば社交界のカーストトップといえるサロンに出入りしだし、そこで発言権をもつ層とも親密に交流する存在になっていた。
あれ、商人の娘ごときが、などと社交界が違和感を覚える頃には、高位貴族の貴公子たちが揃って娘を「我が姫」と公言し、競うように跪いて愛を乞い、場所問わず、さながら舞台歌劇のような泥沼の愛憎劇を繰り広げ始めていた。
当の娘はというと、身分に頓着なく広く男たちを愛で、無邪気に恋愛劇を楽しんでいるようだった。
高価な贈り物に喜ぶかたわら、小花はあれど値もつかぬそこらの雑草、土つきの根っこをそのままに贈られても、驚きとともに仰々しく両手で受け取っては魅力的な笑みで礼を言う。
そして何故かそれをもっと欲しいとねだり、一緒にやりましょうと約束をとりつけ、戸惑う男たちを翻弄した。
しばらくして娘の商家からは新たな染色剤が売り出され、その美しい赤はその年の流行色として一世を風靡した。
みんなのおかげよ、と、とけるような甘い声で礼を言われた男たちは魅了され、ますます心酔し、誰もが、父親ですら我先に娘のいいなりになっていった。
そして、娘はこのときも無邪気に願ったのだ。
みんながこんなに喜んでくれるなら国外にも売りたいな、と。
父親は二つ返事で同調した。
しかし娘の傍にいた賤しからぬ貴公子は難色をしめす。娘が眉尻を下げるや、慌てて言いなおした。「円卓の公布であれば、あるいは…」と。
「許可をとるってこと? それならいっそ円卓の皆様も一緒にやるのはどうかな。たくさん売れたら国の特産物になって、国庫も潤ってみんな幸せ」「そうなったら面白いな」
わいわいと話す若人を眺めながら、父親は円卓の結成当初を思いかえしていた。
誰もが真剣に国をより良いものにしようと意見をだしあったあの頃。
高貴なる者も平民も老いも若きも関係なく一堂に集まって、様々な立場からの思いを聞きあい、自らも実情を懸命に伝え、真剣に聞いてもらった。
時間を忘れて話し合った、あの素晴らしい居場所。
そしてとうとう自分たちは政権移譲を達成した。
新たな組織の名称を決める投票で父親は「円卓」に一票を投じている。
たかが一平民である自らの投票が栄えある「円卓」の名を生み出したのだ。
今、円卓は忙しすぎるのか、少しパワーゲームのような空気がうまれつつある。
あの一体感を再現すれば、昔のような関係性にもどるかもしれない。
父親の胸の中に潜んでいた火種が燃え上がった。
地味で堅実な商売人と言われていようが、もとは信念に基づいて反王政組織を支援するほど正義心の強い男だ。
意気揚々と娘のすばらしい提案を円卓で披露した。
そして、一丸となって取り組もうと呼びかけた。
きらきらと輝く宝石でできた平らな道を、滑るように軽やかに走っている。
私は明日死んだとて名を遺す成功者だ。
そう信じていた商人が浴びたのは、しかし、称賛と賛同ではなかった。
ふりそそぐ鋭い刃のような、嘲笑と露悪的な侮蔑であった。
外国との軋轢が即、戦争の合図となることは、貴族たちの常識だった。
国外への個人的な干渉は基本的に制限されており、人の移動において、いかなる理由であっても厳しい審査を免れることはできなかった。
特産品以外の商品に関しても同じで、数多の複雑な条件を満たし、治験で結果を出し、審査基準を突破したとて、長期間にわたって無害であることが証明されるまで、決して国外に持ち出すことは許されない。
外交に関しては今も高位貴族が独占支配している。
戦争の口実にされぬように、代々培ってきた国際感覚を駆使してバランサーとなっているのだ。
しかし商人はそれを知らなかった。平民だったからだ。
円卓が成立するまで平民には政治も教育も開かれておらず、今も表立ってそうした常識を知る術はない。
貴族たちは当たり前の事実ゆえに、平民が知らないことすら意識できず、溺愛する娘を自慢するあまりの冗談として受け流した。
無自覚に説明を怠ったのだ。
平民出身の名誉市民たちには、貴族たちが鼻で笑う理由がさっぱりわからない。
わからないなりに、商人が発言を失敗したことだけはわかったので、皆にならって嘲笑い、場を賑やかした。
説明を乞うことなく。
ひとり羽振りのいい商人を日頃から面白くないと感じていた彼らは、密かにため込み鬱屈した気分を晴らすべく、これ幸いと商人を馬鹿にすることで久々に心地よい一体感を味わった。
商人はもはや発言権を失った。何も言えないまま、円卓が和気あいあいと議題を転々とさせる様を眺めるしかやれることはなかった。
円卓が解散し、呆然と場を辞した商人は、いつもどおりバーで麦酒を二杯飲んだ後、去り際にナッツの小皿を持ち上げて全て口へ流しいれる。
いつもどおり、もぐもぐと咀嚼しながら会計を終え、家に帰り、湯を使い…
急にこみあげる怒りと屈辱から我を失った。
腕を振りあげ、湯を殴りつけた。
水しぶきが顔だけでなく髪も濡らしたが気にならず、何度も殴り、己の体にたまたまかすって、その痛みからさらに怒りが高まり、もうあたりかまわず殴り、蹴りつけ、感情のままに暴れる。
そして、とうとう浴槽が割り砕かれた。
湯が流れ出て、砕かれたヒノキが香りを増した。
商人は正気を取り戻したものの、そのまま動けなくなった。
娘が「疲れた父さんにぴったり」と贈ってくれた特注の浴槽だった。
そっと身じろぎすると、箍が鈍い音と共にずれ、生まれた隙間から更にお湯が流れ出た。
愕然とあたりを眺める。
怒りは消え、思考も止まっていた。
流れ出る水音だけが響く。強張った体に濡れた髪筋から雫がしたたり落ちた。
ふと商人の頭に思いがよぎった。
俺だけでも、やってみせる。
翌日、商人はいつもどおり円卓に出て、淡々とすべきことに勤めた。発言は一切せず、ただほほえみ、頷く。
円卓に集まる寄付金や割り振られた公金の額を淡々と数え、仕分け、用途を記載し、他の会計へ相互チェックを願う。
いつもどおり相手への信頼を表しおざなりな確認をし合った。
紙幣で分厚くなった封筒をまとめてしっかりとしばりあげてから、金庫を開けて、帳簿とともにしまい、鍵をかける。いつもどおりに。
昨日の件を覚えていた円卓の面々は、彼の穏やかな様子を見て拍子抜けをした。
まるで羽振りよくなる前に戻ったかのような、目立たず地味な空気をまとう商人を見て、貴族たちは「やはり冗談のつもりだったんだな、通じぬとわかったらすぐ身の程を弁える、その姿勢や良し」と満足したし、名誉市民たちは、貴族から理不尽に嗤われた同胞が(自らも笑ってしまったが)落ち込んでいると判断し、多少の同情を抱いて「気にするな、近いうちに飲みに行こう」と声をかけた。
商人は礼を言って静かに離れる。
その懐に、膨らんだ封筒を密かに忍ばせて。
Q 娘が新商品バンバン売ってるけど、円卓に申請して待たないと発売しちゃダメな世界なのでは?
A 娘の親(商人)が申請を受理する側(円卓)なので…直接持ち込んでその場で「いいんじゃないー好きにしなー(公布許可印)ポン」です。
民は公平に扱うべきと真剣に考えていますが、身内びいきは別という価値観です。
円卓は民より上の階級という自負があるそうです。